デライト開発者
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考えてみればなかなかのコンテンツなので少しずつ書いていく
誰も全く予想できないであろう人物像がそこにはある
デライトに対するある種の不信感の原因になっている気がしなくもないので、もう少し理解できるようにしてみたい
その結果が良い方にであれ悪い方にであれ、誤解されているよりはマシだろう
私を、頭のおかしいエンジニアとか研究者とか、あるいは引きこもっている○○○○とかかと想像していると、その実態は全く掴めないだろうhiro.icon
一番私の実態に近いイメージをしいて言うなら、「下積み中の俳優、あるいは芸人」である
それも、希哲館事業という自作脚本、デライトという自作小道具を作りながら長い長い下積み生活を送ってきた、世界一風変わりな下積み俳優だ 最大のテーマは「国作りからのハリウッドへの挑戦」である
そもそも少年時代からの私の第一の夢というのが、起業家でもなくエンジニアでもなく哲学者でもなく、「俳優」なのである
今の時代なら、俳優志望で挫折して IT エンジニアというのは特に珍しくないかもしれないが、俳優業とエンジニア業を融合させようとしているのは、世界広しといえども私くらいではないか
もともとは俳優志望なのだが、もう年齢も年齢なので最近は芸人でもいいやという気分になっている
デライト持って R-1 出れないかな
ちなみに、母も若い頃に劇団研究生だったことがあり、姉はプロデビューに失敗してセミプロ歌手的なことをしている
父方の一族は80年代に IT 起業をしていたりした割と先進的なエリート一家なのだが、母方の一族は割と芸能志向で、容姿に恵まれたり美術・音楽方面に才能を発揮する人も多かった
正直、私も幼い頃から容姿でちやほやされてきた方で、10代の始め頃から普通に芸能界に憧れを持つ子供になっていた
幼少期
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10代の頃、ハリウッドスター的なものに憧れ始める
特に hyde はいまだにぐっと来てしまうので、それなりに影響を受けているのだろう
自分がよく似ていると言われていたのは岡田准一だったが、当時は「猿顔」という悪口なのだと思ってしまいあまり嬉しくなかった トム・クルーズのように鼻を高くしたくて洗濯ばさみで鼻をつまんでいた記憶がある
トム・クルーズはいまでも一番好きなハリウッドスターで、私の理想像の一つになっている
10代後半になると、ちょっとサブカル感のある俳優に憧れるようになる
ジョニー・デップにサブカル感があったのかはるひ.icon
ジャック・スパロウしか知らないのでへーと思った
まさにジャック・スパロウが世間一般のイメージの転換点だったでしょうねhiro.icon
それ以前はサブカルというか変わり種の役ばかり好んで演じているひねくれ俳優を極めたような人というイメージでした
若い頃の出発点がアイドル俳優だったのでそのイメージを嫌ったらしい
でも『クライ・ベイビー』は大好きだったなあ
こんなものを大衆に「理解」させるのは無理なので、自分が有名な俳優にでもなって広めるしかない、という発想をするのは、いま思えばごく自然の流れだった
まもなく、母に「俺は俳優になる!」と唐突な宣言をしてぽかーんとされたのを覚えている
ところがそのあまりの重圧に少しずつ心を削られていくことになる
理論や技術は完成したとして、内面的にも外見的にも、自分がこの壮大な事業の「顔」になれる気が全くしなかった
簡単に言ってしまえば、「トム・クルーズ並みのスター性が自分にあれば」という仮定の下でしか成り立たない事業
いくらなんでも少年には荷が重過ぎた
そして、忘れるにはあまりにも魅力的な夢だった
そんなことを考えながら毎日何時間も鏡を見ていたせいで、完全に醜形恐怖症に陥る
良い方だと思っていた自分の顔がとんでもない怪物のように見えてきてしまう
やがて自分の人格全体を否定的に捉えるようになってくる
最終的には、19歳の頃に自殺未遂騒動を起こすことになる
親戚一同が総出で世話を焼いてくれたおかげでなんとか社会復帰は果した
20代になると、希哲館事業を進めながら、宣言通り、フツーに演劇から芸能界に入る道を模索していた
希哲館事業を正式に始めたのは22歳
今も一番好きな日本人俳優
14歳くらいの頃だったか、母が当時40歳くらいの真田広之を見て、「良い男だねえ」としみじみ言っていたのがきっかけで注目するようになった
『ラストサムライ』でトム・クルーズと共演した時も、『Shōgun』で世界的に認められた時も、自分のことのように嬉しかった 目標を三船としていた理由は、「日本の顔」だったと言えるほとんど唯一の俳優だったから
世界を変える「希哲館事業の顔」ならこれくらいの顔が欲しいと思っていた
三船が俳優デビューをした27歳という年齢を非常に強く意識していた
20代前半はむしろ俳優活動なんてするべきではない年齢だと思っていた
そもそもが学校嫌いなので、20代前半くらいの俳優達が中心となって当時大流行していたイケパラ的な学園物も大嫌いだった
せっかく学校社会から自由になったのに、演技とはいえ学校に戻りたくなかった
27歳までには自分も何かパッとしたことをしなければという意識
私が27歳で悲願のデルン実用化を果したのは偶然ではないだろう この時、私は希哲社でシステム開発の受託仕事をいくつか抱えていて、無理矢理デルン開発にリソースを割いたことで顧客は激怒、経営的にも破綻寸前だった
このまま無難に仕事をして、仮に大成功して何百億円だかの個人資産を築いて、「実業家として」世間に注目されたとして、そんなつまらない人生でお前は満足なのか?という心の声が聞こえた
当時、「イケメンすぎるホームレス」として世界中のネットで大バズりしている中国人がいた(程国栄)
自分もいっそホームレスにでもなった方が人生に面白い展開があるんじゃないか?これをきっかけに芸能系のメディアに注目されたりするんじゃないか?
そんな下心でデルン開発のアクセルを思いっきり踏むことになる
「一体お前は何の話をしているんだ」と思いながらこのページを読んでいるあなた、気持ちはよく分かる
しかし紛れもなく、これが希哲館事業とデライトが歩んできた歴史の確かな一面なのである
いま思えば三船は母方の祖父に似ていたね
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なんとなく、似てたよなあと思いながら写真を掘り出してみたら、想像以上に似ていて笑ってしまった
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当時小学5年生とはいえこの風格の差、やはり祖父コンプレックスでもあったのだろう
日本の存命俳優で、三船に最も近い人というイメージだった
当然、希哲館事業も同時に進めなければならなかったので、断念せざるをえなかった 演劇教育を受けるのにも覚悟を求められるので、希哲館事業と二足のわらじが許されるまともな養成所は存在しなかった
じゃあエキストラからでも、と思ったこともあったが、そこで目をかけられてデビュー、なんて甘い話に期待できるほど私も子供ではなかった
そんなこんなしているうちに、私も30代に入り、流石に諦めがついてきた
というか当時の私は、三船になるにはあまりにも風貌が幼すぎた
20代のほとんど全期間を通して、行く先々で女性が飛びはねて「可愛い〜」と言ってくるような幼さ
だいぶ年上の女性に「赤ちゃんみたい」と言われた時はまあそんなこともあるか、と思い直したが、年下の女性に似たようなことを言われた時はこりゃ駄目だと思った
これでは俳優になれたとしても三船どころか十把一絡げのアイドル俳優が関の山だと思った
希哲館事業を脇に置いてまでやることじゃねえな、と
このまま「とっつぁん坊や」的に歳を取っていくのか、と絶望感に打ちひしがれていたのをよく覚えている
32歳頃、大きな転機が訪れる
当時の私はもう俳優業に関してはほぼ諦めていた
当時、岡田准一が俳優として破竹の勢いで注目を集めていた
自分に比較的風貌が近い俳優にここまで来られたら、差別化も難しいだろうなという感じもあった
芸能界随一の派手顔だった岡田と比べて、自分の顔は均整感では勝るものの地味目で、芸能界で最も重要な「華」に致命的に欠けると感じていた
姉に言わせると、岡田は動物寄りで私は人間寄りらしかった
私は頭身バランスが良く手足がかなり長い方だったのでスタイルでも勝るが、上背があるわけでもなくその程度の人間は芸能界には掃いて捨てるほどいた
しかも「ポスト真田広之」なんて言われていたしね
幼い風貌へのコンプレックスは相変わらずだったので、無精を極めていた
これは20代の頃からだが、昼夜逆転当たり前、甘いものでも脂っこいものでも好きな時に好きなものだけ食べる、ヒゲもまともに剃らず、髪もボサボサみたいな感じで、健康生活とも男性美容とも無縁だった
むしろもっと老けたかったし、せめてオダギリジョー的な何かになりたかった 特に『リバースエッジ 大川端探偵社』あたりのオダギリジョーが大好きだった
ある日、「イケメンすぎるホームレスみたいだね」というお言葉を姉から頂戴した
ん?と思って鏡をみると、想像以上に自分が「おっさん」になっていることに気付いた
どんなに小汚くしても子供っぽかったのに、ちゃんと小汚いおっさんになっているではありませんか
腹は出始め、頭髪は薄くなり始め、髭は濃くなり始めと、まあ典型的な中年化現象だった
奇跡の伏線回収である
この時、私は人生で初めて「老い」に対する恐怖を感じた
それまで「幼さ」としか捉えていなかった自分の「若さ」にも、初めて価値を感じた
そして生活習慣改善と男性美容に大覚醒する
デライトで私の日記や生活記録を追っていると、デライト開発以上に健康や美容に気をつかっている私の姿に気付くだろう
この「自分磨き」というのも、実はリアルでは面白い成功を収めつつある
最近の私の楽観の理由がここにある