ブラケティングの不自由さ
いまさらだけど、Cosenseのブラケティングって面白い文化だなと思うhiro.icon
最近、影響されて「カーリング」(デライトのカーリング)なんて造語をデライトでも使い始めている
申し訳ない、正直、Cosense記法は軽量マークアップ言語として最悪の部類だと思っていた🙇hiro.icon
角括弧は英語圏では色々な用途で気軽に使われる記号なので、海外展開を考えるなら戦略的失敗だなと思っていた
実際、これは多くのウィキ実装が二重角括弧を採用している理由であり、もしかしたらCosenseがいまいち海外ウケしていない理由の一つかもしれない
日本語でも使われないことはなく(音声記号とか)、エスケープしたいという要望はしばしば見る
Markdown的な直感性を重視した記法と比べると、その他記法もかなり野暮ったいと思っていた
デライトのデラングも直接的にはOrg Mode記法に影響を受けているので直感性重視
例えば強調なら[* 語句]ではなく*語句*と書きたい派
いかに気軽にページ間リンクを張るかを考えた場合、確かに単一角括弧以外の選択肢は無かっただろうな、と使い込んでいるうちに理解できるようになった
その他記法も、ブラケティングを中心とした拡張記法群と捉えるとまあ悪くない気がしてきた
規則性は高い記法なのでパーサーの実装・保守もしやすいだろうし
一部例外はあるものの、角括弧の内側先頭に特殊記号という一貫性はユーザーも覚えやすい
全てのインライン記法をブラケティングの拡張記法として統一して、適宜糖衣構文化するというのが個人的には美しいと思う
\`コード\`は[\` コード]の糖衣構文として定義されていてほしい
デライトのデラングでは、輪郭参照には主に波括弧を用いるhiro.icon
例:{語句}、{語句 K#XXXX/XXXX}
ブラケティングのように簡潔かつ、もやもやした対象を捉える「輪郭」のイメージを表現できる個性的な記号として最適だった
波括弧は普通の文章にはまず現れず、現れるとすればコード記法や数式記法内で使われるべき場面なので、自然にエスケープできる
日本語入力との相性が悪い角括弧に比べて、全角対応すればモード切り替えなく入力可能という利点もあった
つまりこれがデライトのカーリングである
最近、ブラケティングが持つ不自由さの意味について考えているhiro.icon
一般的なウィキ実装と異なり、Cosenseのページ間リンク記法にはページ名とアンカーテキストを区別する手段がない
これは導入を意図的に避けているとshokaiさんがどこかで書いていたので、意図的な設計
「/forum-jp/内部リンクのエイリアス表記」だった
つまり、Cosenseでは、一般に連想されるスポーツの「カーリング」と区別するために「デライトのカーリング」とページ名をつけて、それを「デライトのカーリング」というアンカーテキストで参照するしかない
ウィキ実装の中でも極端に不自由なCosenseのページ間リンクに対し、デライトの輪郭間リンクは極端に自由度が高い
参照は基本的に知番で行われるので、アンカーテキストはなんでもいい
ページ名に相当する知名もなんでもいい(なくてもいい)
つまり、デライトでは混同の心配なく輪郭に「カーリング」と知名を付けて、それを「あれ」というアンカーテキストで参照することもできてしまう
このページの冒頭では、最近、影響されて「カーリング」(デライトのカーリング)なんて造語をデライトでも使い始めていると若干まどろっこしい書き方をせざるをえなかったが、デライトでは丸括弧の部分を省いて普通に書いても参照関係は厳密に維持できるわけだ
{カーリング K#XXXX/XXXX} という記法で、K#XXXX/XXXX の部分が「デライトのカーリング」を意図した輪郭への参照であることを永続的に保証する
こうした点こそ、デライトが、ウィキなどよりずっと人間の認知構造に近い表現が可能であると言える理由になっている
デライトに慣れていると不自由に感じることは多いが、それでも、この不自由さに確かな利点もあるなと感じている
まだいまいち明確に言語化できていないので、このページを書きながら頭の整理をしている
まず、「共有可能な名前」に対する意識が高まり、名前の曖昧化を避けられる、ということが考えられる
ページが名前でしか区別できない、ページ名でしか参照できないとなると、自然、共有可能性を高める良い名前を考えざるをえない
どういうページ名が適切か、という試行錯誤や議論が生じやすいのも実はコミュニケーションの促進効果があると思う
これは、リアルタイム共同編集を志向するCosenseの目的によく適っている
shokaiさんもこれを認識している(/forum-jp/内部リンクのエイリアス表記)
わかるんですが、この機能があるとわかりやすいタイトルを付けなくなりそうですね
タイトルをわかりやすくリネームする活動も気後れしてしまいそう
「真意」を無視してコミュニケーションコストを最小化できる
真意の表現を重視しているのがデライトだが、相手の真意を汲み取り合うコミュニケーションは非常に負荷が大きい
「ぱっと見で分かることが全てではない」がデライト文化
だからデライト上のコミュニケーションは直接的な「語り合い」ではなく間接的な「悟り合い」になるように設計されている
そう考えると、デライトは非言語的な「悟りの場」でありデライト文化はやはり「悟りの文化」なのだなと思う
一方Cosenseでは、良くも悪くも、お前の真意なんか知らん、伝わる言葉で書け、という文化が出来る
「ぱっと見で分かることが全て」にしないとリアルタイム共同編集なんか無理
Cosenseはやはり言語的な「語りの場」でありCosense文化は「語りの文化」だということになる
それは思考コストとのトレードオフでもあるのだが
言語化しながらの思考は非常に負荷が大きい
単純に、思考対象の問題に加えて、それをどう言語的に表現するかという問題が加わる
それを避けて思考を高速化してしまおうというのが輪郭法を生み出した高度非言語思考
デライトでは決して強制されることのない言語化を半ば強制される、自由で多様で知的なコミュニティとしての井戸端での活動に私が意義を見出している理由だな