n年m月のメモ
n>2021, 0<m<13
ページ化してるものもしてないものも
こうひとまとまりにして見ると昔の自分の幼い思考と今とが接続している実感が湧いて楽しい (全く楽しくはない)
11/20/24
前から思ってたことのひとつとして、「他人の視界に自分の姿が映る景色」を頭のなかで具体的に想像できないというのがあり、自意識の類いのものは強いと思ってたけど果たしてそうではないのか
別に鏡像段階とかそういうレベルの話ではないけど、今ここにいる自分を誰かに写真に撮ってもらったとして、それと同じくらいの脳内解像度で想像出来ないというなにか脳処理的な把握能力でのバグめいた感触がある。
カイジの「自分自身の人生を生きてない」みたいな台詞を思い出すけど、そういった当事者意識的観点とはやや違う問題なんじゃないかと今のところ感じる
11/18/24
最近ここがツイートみたいになっててよくない。
11/16/24
思想の強いほうが勝つ。思想の強度を高める必要がある。
勝つぞ~~ではないんだよな。誰にも勝つ必要はないし、ここで手段化されてる"思想の強度を高める"が目的であるべきだ。
もはやそれ以外に人生の興味がない。本当に。
幽霊になっても意識があって世界を観測できるなら正直喜んで死ぬけど、あいにく自分はかなり唯物論寄りなので無理。
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四半日布団にくるまって暖かくしてたら大分良くなってきた。
11/15/24
今日普通に叫びだしてお皿とか投げたい瞬間が何回かあったけどもちろんできなくて、それはその瞬間もその後起こることとか客観的な自身のメンタルに対して冷静に客観視が出来る程度には正気があったからに他ならない。このことについては前からよく考える。狂気の自制の当為 関係なくはないけど、昔見てた今はもう活動してないプロゲーマー兼配信者のアーカイブを眺めてた。
断片的にしかわからないけど、成績が悪化していって、事務所から切られて、その後会社も辞めたらしく、ときどきガチで精神が不安定になってるところも当時見かけた。最終的にくだらない下世話な炎上で活動を辞めてた。たぶんもう表舞台に立つことはないだろうし、もしかしたらもうこの世にもいないかもしれない。
誰も死んでほしくない。あの歌がどれだけ有名になろうと、実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて「それが嫌だから」っていうエゴなんですのラインを自分は茶化すことができない。 11/13/24
三日前の自分の「野暮だから」っていう言い分は面白い。
11/10/24
最近ちょっと自分がひねくれすぎてる。
通ぶるべきではない。知ったかぶりはいいとして、通ぶるのは最悪。いうて知ったかぶりは露見したとき恥ずかしかったり他人の信頼を失ったりするだけで済むけど、自意識を肥大化させていったら自分自身を信頼できなくなる。これを助長するものについても考えるべきで、露骨な”通”を演じる人が身近にはいなかったとして、ある程度ハイコンテクストな話が出来る閉じたコミュニティにはえてしてその雰囲気が漂ってしまう。共有された"良さ"(第1回 良さについて | かみのたね)。 深く潜れば辿り着ける普遍的な価値や真理なんてないし、それが行きつく先は差別感情だ。知名度の意識とかメタ認知的なものもそれが発生してる時点で俗というか下卑ていて、例えば知らない人のプロフに貼られた「人生のプレイリスト」を覗いてみたらvqの肌の隣にYOASOBIの勇者が置かれてた、そういう態度が誠実だと基本的には信じてる。
そう考えると良い歌詞とかもなんの説明も付してないなくて通ぶってる気がする。野暮だからやってなかったけどもう少し自分でこれが好きだということをちゃんと言語化してみるべきじゃないか? 11/09/24
藤井風とかもそうだけど、十数年自分が小さい頃からの記録をyoutubeに上げてると見る側はかなり引き込まれてしまう。なんの個人的繋がりのない全くの他人が(たとえ表面的にでも)急速に変わっていくのを目の当たりにする異様さ。
なんか全体的に感覚が同じ過ぎてちょっとおもろい。親と弟について話してたときこの動画を見せたら昔の堅苦しい兄弟感とは感覚も違うねみたいなこと言っていて時代を感じる(実際原口沙輔はたった数こ上だ)。
あと動画内の「邪魔はしないで欲しいけどこっちが暇なときはちゃんと遊んで」みたいな言い分がめっちゃ長男ムーブ、というのも確かにと思った。多少暴挙をかましても一種の仕方なさとして許される所与の関係性、という面では身に覚えもある
imoutoid→tofubeats→SASUKEのシンプルな憧れがそれぞれLiveを使うきっかけだった ← 本人の口からじゃなかったらちょっと信じられないレベル なんで既にラジオパーソナリティ努めてるんだと思ったけど、それこそマツコとか思い返せばこれより更にメディア露出慣れしてた
※悪口などスパムコメントは何も言わず消します。
およそ小学五年生のネットリテラシーではない。
11/03/2024
昨日の自分の書いた「考えなきゃいけない気がする」って言い方もちょっと違和感がある。別に自分自身はただの一般人、一消費者でしかないんだしそんなことを考える義理や要請は特になく、なんだか鼻につく感じが否めない。
しかし、そもそも恥ずかしくなるようなものでも残しておいたほうがいいのなら元々失うものやデメリットは何もないはずで、身の丈に合っていようが合っていなかろうが一度考えてみる方が良いに決まってる(自身のおかれた身と違う境遇は想像するしか理解を広げる手だてはない)。 11/02/2024
JPにじさんじのEng Sub切り抜きを見てる。
Maybe a bit out of topic but am i only one afraid to type anything in english on JP streams except "hi"? Not bcs i'm shy but bcs i feel like it's a cheap way to draw attention to myself since message stand out and i don't want to steal someone's opportunity
「ネットで言語の壁を超える」みたいなものが本当に言えるのは実際かなり限られていて、↑みたいにある言語圏で埋まったチャット欄に多言語で書き込むハードルとか、自動翻訳機能のないプラットフォームで相手の母語でないリプライをする気まずさとかが実際には存在してる。こういうテキスト上のものならまだ翻訳機能とかでツールによる解決は図れるけど音声になるともっと難しい(最近は同時翻訳を配信画面上に載せる方法とかも増えてる)。
言葉を超えるんじゃなく言葉を運ぶことが物凄く得意なだけっていう面ではHTTP通信もただの道具に過ぎないし、そもそもデジタルなもの全般がスクリーン/スピーカーのハードを通してしか働きかけることができないことの窮屈さについてはもっと考えなきゃいけない気がしている
10/31/2024
これは実際に自分が属性的にははっきりと加害的マジョリティの側に立っている(生物的に男性であり、ヘテロとして性欲がある)からだというのが大きい。前どんぐりたべたいも(今は消えたアカウントで)言ってたけど、この先天性として生まれたからにはこの先ずっと自身の中にあるものと格闘しながら正しいと思えるものを考えていくしかないのだと思う。 性欲は要らないし、なんなら性別という生物的仕組み自体もなくなってほしいけど、自分自身の社会的ジェンダーについてはそこまで違和感は持っていない。どちらかというとそもそも先天的に決まる身体的性別に対して"社会的"なジェンダーというものが存在していること自体が嫌だし、それを持ち合わせている自分も嫌(持ち合わせていなければ違和感を持つ・持たないも何もない)。
歌声とか、イラストとか、ネット上のアカウントとか、自分が好きとなることがどこまで性欲に根差していないのかということはずっと考える。ただ、アセクシュアルではない自分が当人のその実感覚を知ることはできないだろうし、アセクシュアルとして生まれた自分はもはや別の人間だといっていい。
10/29/2024
DTM鯖をふてぶてしさと図々しさでずっと乗り切ってきたけど普通に考えたらずっと不審者ではある。
そもそも自分の過去のSNSとかDiscordの書き込みの中で自己紹介に類するものを今まで一切したことがなかった。ある種コテハン忌避みたいな(こふっていう名前をネットのあらゆるところで使ってるからコテハンはあるんだけど)そういう名前性の自己開示にはちょっと抵抗感がある。
有象無象でありたいと言えば恰好はいいけど実際有象無象以上のなんでもなくて、だからこそなんか一見何してんのかよくわからない人に見せたい下心はあるし、自分がそういう人の方が魅かれるから真似してるってのもある。
実際、このscrapboxをしっかり見られたらある程度筒抜けなんだけど、当然最初から自分で開示していくのとは訳が違ってくる。/ideoaves の ホームから走査することはできません。ハイパーリンクを地道にたどる行為こそがインターネットにおいて最もちょうどいい情報量を得られるのです。に共感するところもあってそうしてるけど、逆になぜ /ideoaves/ようこそ で自己紹介的なことをして(ハイパーリンクを地道にたどらずとも)情報を提供しているのかちょっと疑問。 10/22/2024
ただ寂しすぎて涙を垂らしながらずっとマイクラしてたら一週間が経ってた。
ネットへもただ眺めるのみでここ以外書き込みできないしそう考えるとかなり社会的に孤立しているといえる。
「人生は選択の連続」と言うけど、もうここ最近は全くなんの選択もしていないのでこれは人生ではないらしい(対偶が偽なら命題は真でない)。 10/14/2024
インターネットにある言葉・会話・コミュニケーションは既に録られたものしかない。アーカイブされてしまう・誰でも閲覧できてしまうことへの拒否感みたいな側面でオフラインの会話を重視する流れは最近強い。
ただ、例えばディスコードの通話みたいにネット上で行われるコミュニケーションには録られていないものもあって、それを録音しようとすると独特の嫌悪感が発生する。これは固定化されてしまうことの危なさって点だと上と地続き。
ならオフラインのコミュニケーションは真にアーカイブされないかというとそんなこともなくて、当たり前だけど話してる人の記憶には残ってる。不正確で曖昧だけどもある程度口約束とかが効力を持つくらいには信用できる仕組みになってて、そうなってくると録られることへの忌避は酔っぱらった(記憶に残りにくい)人同士の会話を望む動機になっていたりするんじゃないかと思える。
10/14/24
16時間ぐらい寝たら寝起きになぜか私論理が聴きたくなって聴いてる。
特に理由も思い当たらないけど本当になにも理由なく連想することはありえなくて、なにかしらが睡眠化のニューロンを発火させたはずで、そう考えたときの「連想させうる」っていうパラメータの多さ。タイトル、歌詞の一フレーズかもしれないし、サビのボーカル・シンセリフのメロディー、映像中の全ての場面、画面上に出てくる全てのモチーフ、もしくは花譜そのものの意識しうる全ての要素もその可能性が出てくる。MV全体のストーリー性から拾い上げたとしたらそれは無限大にも思えるし、そういう連想可能性の総量みたいなものが作品の咀嚼に影響を与えてるのかもしれない
10/11/24
自分の観測範囲・バイアスにも影響されてるだろうけど、ここ最近、前提として立っている世界の認識みたいなものが似てる・共感できるような言葉を目にすることが多くなってきた。考えて見ればこれは当たり前で、自分が今居る時間というのが「自分の生きてる時代」になりつつある、平たく言えば21世紀的な潮流がマジョリティ化しつつあるということで、おそらくこの先も加速していくのは間違いなさそう。
多分ここで気をつけなきゃいけないのは、この心地良さに無批判に身を任せてしまうとそのさらに先三十年後とかには新しい前提に対応できなくなって古い時代にに固執する中年になってしまうこと
10/07/24
街路を歩いているときには、音の源になっているもの──近づいてくる車のサイズ、それがどのくらい近いのか──を聴いているものだが、場合によっては音楽を聴くように──断続する鳥のさえずりで強調された、換気口のぶんぶんという音の高さ、周囲の音の工作とかハーモニー、というように──世界を聴くことができるだろう。こんなことは異常な経験のようにも思えるけれども、音楽の様に日常的な世界を聞くというのは、John Cageが作曲で試みていることを理解するためのひとつの方法ではある。
2001年においては「こんなことは異常な経験のようにも思えるけれども」って記述がされるっていうのはけっこう面白い
正直この「環境の中に音楽を求める」的なアプローチって自分みたいな世代にはそんなに異常にも新鮮にも思えなくて、これは小5か小6の国語の授業で坂本龍一がアルバムasyncについて書いた文章を読んだ経験だったり、アンビエントミュージックが当たり前にひとつの音楽ジャンルとして周知されてる時代に生きてることが影響してるのは間違いなさそう。 10/06/24
前DTM鯖で「この音どうすれば作れますかフォーラム」作ってほしいみたいな要望出して無反応だったんだけど、直近のフロクロさんの発言見るとあれは方法論的なものが多くなりすぎることによって個々人の音作りの方向とか発想自体が収斂してしまうことが懸念としてあったのかもしれない。知りようはないけど 10/05/24
SNSで多少なりとも共有されてたり反応がないものを見るとそれが存在してないんじゃないかみたいな恐怖を覚える。SNS以上の世間を知らない、デジタルネイティブってこういう弱さがある
検索欄を通して世界と繋がっている感触の非直接的、内面化した依存
10/01/24
自分の過去のSNSとかDiscordの書き込みの中で自己紹介に類するものを一切したことがないことに気づいた。ある種コテハン忌避みたいな、こふっていう名前をネットのあらゆるところで使ってるからコテハンはあるんだけど、コテハン的な自己の開示には抵抗感がある。
インターネットって特段信用がなくても図太さがあれば楽しく練り歩けるし、素性があやふやな方が自分を実際より大きく見せかけることもできる。自分もそういう一見何してんのかよくわからないが好きだから積極的にしているところもある。
09/26/24
なんか全体的に気分が苛立ちながら散髪にいったら普段より全然スムーズに喋れてびっくりした。かなり大きな発見。
通常時がある程度の社会性の仮面を被ったうえでおそらく他人以上に「どう誤解なくわかりやすく話すか」「どう返すのが最適か」みたいなことを考えすぎてしまって結局しどろもどろになりがちなんだけど、多少精神的にコンディションが悪いと(社会的な仮面は維持しつつ)あまり気を配る余裕なくストレートに口から言葉を出せる。それでも他人と比べたら妙に慎重な物言いって雰囲気はあるだろうけど
09/25/24
ここ半年くらいスマホの画面が完全にぶっ壊れている(けどなんとか最大輝度で目を凝らして操作することはできる)状態で、そのおかげでスマホを触る時間が大幅に減っている。自分みたいなだらしない人間はこういう物理的制約によって習慣的に距離を取る方が良い。やや行動経済学的 ハードウェアだけじゃなく画面内でのソフトな距離の取り方もあって、最近のwebサイトってだいたいシステムのテーマに従ってライト/ダークモードを自動で切り替える設計になってるんだけど、X(Twitter)にはその機能がない。これを逆手に取り常時真っ白な表示形式にすることで夜間は画面が眩しすぎてアクセスしても自ら速攻でタブを閉じるようになる。
09/20/24
"1g"は質量で月に行っても変わらないけど、1gの物体が重力の影響でどれだけ地面に力を加えるかは惑星の重力によって変わる。月では人間がふわふわする。
これってクオリアと類比できるかもしれない。物体が可視光のうち赤青緑をどれだけ反射するかは一定で、それを眼の角錐体がどう処理するかも一定で、だけどそれが変換された神経信号がどう脳内で意識の中で知覚されるかは知り得ない。 重力なら物理学で惑星によって地面に引き寄せる力が違うことがわかるし、実際に月まで行けるけど、意識はまだ全然解明されてないし、解明されたとしてたぶん他人の意識からみた知覚を直に体験することはできなさそう。ここに断絶がある。
09/18/24
そろそろ楽典をガチるためにあいおあーさんの鯖(過疎っている)でメッセージを飛ばした。ここから進捗言ったりしてちゃんと継続したい
性に合わないことをやってる感覚はあるけど、きっと自分に足りないのはこういう勇気なんじゃないかという気は薄々している
09/17/24
創作行為を肯定する風潮は古くからあれど最近特に強くなっていて、そろそろ逆張りたくなってきた。
過度な創作行為の礼賛や創作者の神格化をすべきではないというのは既に言われだしてるけど、そもそも制作的創作行為そのものに反肯定したい
09/16/24
幽乃うつろを見ながら、Vtuberが幽霊キャラを使う残酷さについて考えてた(ここでの"Vtuber"は純粋にバーチャルなYouTuberではなくLive2Dなどを用いたアバター姿で活動する配信者を指してる)
幽霊は死者の面影、それ以上でもそれ以下でもなくて、多くの作品設定にあるように人の目に映らなかったりものに触れなかったりして、つまり現実に干渉できない。生者が持つ、世界への影響を及ぼし得る可能性は死者には与えられず、それをどれだけ願ったって実現することは叶わないという悲劇性を纏う。
対してVtuberのやってることって(すごく嫌な言い方をしてしまえば)生活の切り売りみたいなもので、さりげなく口にした言葉、SNSの投稿、歌ってみたのチョイス、何気ない身体の動き、息遣い、そういったものが全部デジタルに固定されてアーカイブされる。それを何千何万という人が見て、楽しんで、ときには影響を受けたりする。現実を変えていって、そこに居た痕跡を残す。
何より、それをVtuber自身も観測して、また影響が与えられたりする双方向的なやりとりが発生する。
これってあまりにも生きている。
「良いタイプの幽霊」って自己紹介に感じるぎこちなさは、その「良い」を判断するのが死者じゃなく生者の方で、対岸に向けた言葉のように聞こえてしまう印象から来てる気がする。
09/10/24
酷く落ち込むときに自暴自棄的思考時の文体が無意識的にtwitter冷笑ユーモアっぽくなってしまうのやめたい。そういうの見るの結構前にやめたはずなのに
というかそもそもこれもscrapboxに書くべきではなくて、ベッドの上で何もせず硬直しながら延々と自分の(カスみたいな弱さの)言葉で内省に向き合うべきだ。
ただ正直きびしい。普通に愚痴りたいがそんなことをできる人は今周りに一人もいない。友達は欲しいけど、友達ってそんな利己的なモチベーションで作るものではない。
09/06/24
09/03/24
前も思ったけど、インターネットの特定の人々への文章・その思考や考え方の枠組みに依拠し過ぎてしまっている自覚がある。
09/01/24
稲むりさんのWIP鯖が爆破されるのを見届けた。通話の強制退出と初めから何もなかったのごとくのチャンネルリスト、デジタルな消去というのは斯もあっけなく綺麗で、花火みたいで良かった。
夏~
08/14/24
よくインターネットオタク仕草として"良い"単体っていう形容をするけど、あまり褒められた言葉遣いではなのかもしれない
「言葉にしてしまうと取りこぼしてしまうものがあるから」的な納得の仕方に賛同して使ってたけど、何も考えないまま多用してしまうことが実際多くて、ちゃんと踏み込んで考えれば理由が見えてくるはずの"良い"もその理由を認識する機会を損失しかねない。気付いてないだけで自分に思い当たる何かがあったり。
08/02/24
WASDで操作できるバーチュアル身体の精度がどんどん上がっていくのに従って、実際に外に出ると一瞬自分も操作されてるみたいな錯覚に陥る。だからこそ、それに伴ってゲームの中ではできない動きをしたくなる動機が発生して、右足を90度横に向けながら腕を頭の上に回して裏声であくびをしたりする。それって"リアリティ"の真逆だ。
07/29/24
jcomの障害でここ数日wifiがダウンし、インターネットとの接続はおそらく下り100kpbsも出てないパケ死モバイル通信に頼るのみだった。今この文章は\Documents\Obsidian\オフライン時用tmp.mdに書かれている。
親元の扶養に預かる身としてあのjcomに通信帯の命綱を握られている状況はどうすることもできない。そもそも人間が人間として十分成熟しきったと見なされるほど成長するのに20年近くかかるのって欠陥すぎるとまで思っている。それはまるで生まれたての小鹿が四本足で立てるように、DNAから変えていって新人類を生み出すマッドサイエンティストを目指すのもやぶさかではない。
こんな調子で、やはりデジタルデトックスというのは効果があるんだな~と実感する。ネットの短文は言語野を弱くするみたいな言説を安易に否定しにくくなった。
私みたいな自制心のないやつにはこういう強制力のあるイベントが必要で、実際この間に読書も勉強も普段とはくらべものにならないくらい進み、本棚やPCフォルダの整理も片付き、買い物に行き、bandcampでダウンロードするだけして聴いてなかったアルバムを聴く機会にもなった。
なにか非常時に陥ると「これがいつまでも続いたらどうしよう」という考えはどうしてもよぎる。Googleクラッシュとかもそうだし、いきなりX級太陽フレアが地球に直撃して二度とインターネットが使えなくなる可能性は現実的なパーセンテージを示してる。そのとき自分はどうするだろう、あなたはどうするだろう。
07/24/24
名前の読み方を決めていない、ということが少し前までは話の種で済んでいたのですが、最近普通に迷惑になる場面が増えてきていて悩んでいます。いまさら定めるのも恥ずかしいし、板挟みです。
r-906さんが名前の読み方を決めてないってやつ、テキストベースで完結したインターネットを感じられて好きだったんだけど、こうして活動の幅が広がるにつれてこういう問題で悩まられてしまうのはなんとも
著名になったネット活動者はオフラインのことも考えざるを得なくなってしまう、なんて現実は悲しい
07/17/24
人間は物語の登場人物じゃないんだから、「あの時こうしていればこうなったのに」「あの時のあれが原因でこうなった」は全部無意味だ。全く同じ環境を用意してそのポイントだけを変えて対照実験できるならともかく、非定量的で不確定な因果を自分が納得したいがためにするだけの行為だと思う。
07/05/24
芸術鑑賞いう名目で全校生徒で狂言を観に行った。
舞台装置をほとんど用いず擬音とか所作・仕草で場面を表現していて、狂言は結構バーチャルな演劇なのかもしれない
古風独特の言い回しが次々と繰り出されるのおもしろい。「定めて!」とか
06/08/24
軽いカウンセリングのような場で、「動けないときにはどういう考えが頭の中にあるのか、漠然とした不安なのか、拒否感の類なのか」という質問にわからないとしか答えられなかった。
†俺、中学生だけど正直感情が無くて全てが滑稽に思える† ではなく、普通に感動したり爆笑したりしているし、好きな音楽を聴けばテンションが上がり、ご飯を食べればちゃんと美味しい。
ただ、不調の時の脳内の感受を言語化しようとするとどこかしらで「わからない」に突き当たってしまう。霧の中に手を伸ばして何も掴めない、触れない感覚。(逆にこの「わからない」自体は霧の中に~というように言語化できている)
05/01/24
もともと「彼」は男女どちらにも使える言葉だったのに、英語のhe/sheが入ってきたときに「彼男(かのだん)/彼女(かのじょ)」とすべきところ、女を有徴化して「彼/彼女」としたせいで、日本語は性別を問わず使える便利な人称代名詞を失ってしまった
中国語は同じように「他」が男女の別なく使える言葉だったところ、sheに対応して「她」という文字を当てたんだけど、他と她は発音が同じなので、話すときには恐らくはっきりと頭の中で区別されてなくて、中国語母語話者が日本語話すときに女性を指して「かれ」と言うことがよくある
言語が移り変わるものだとすれば、今からでもこの用法が一般的になるほど再興させるべきではないか
同じ理由で「少年」という単語を排斥するのではなくそもそも性別を限定する意味合いをなくした方が良い
05/02/24
どうめきさんみたいな、合成音声が歌っているけどそれを明言していない楽曲投稿者って無条件に"ボカロP"と扱ったりしていいものなのか 例えば @ボカロPを全員フォローしたい に「この人ボカロPです!」とDMしてもいいのか
04/21/24
図書館でちょっと立ち読んだ箇所が見事に繋がって少し感動した。
『ソシュール超入門』
『私たちの研究にとって重要な言語的現象とは音声表現であり、書かれたテクストは口語発語の記録としてのみこの研究に関わってきます』と教授は強い調子で述べた。
『インターネットは言葉をどう変えたか』
「言語学者は、わたしたちが日常的に生み出す言葉の背景にある無意識のパターンに興味を持っている。
ところが、ふつう、言語学では書き言葉はあまり分析の対象にならない。分析しようとしているのが、ある言語の歴史に関する疑問であり、手元にあるのが文書による記録だけ、というなら話は別だけれど。
最大の問題は、書き言葉というのはあまりにも計画的で、何人もの手が加わっていることが多いので、ひとりの人物のある時点での言語的直感へと帰結させるのが難しすぎる、という点にある。
でも、インターネットの書き言葉はちがう。それは未編集で、ありのままで、見事なくらい日常的だ。そして、わたし自身、本書の一つひとつの章を書き終えるたびに再発見させられたように、インターネットの書き言葉に潜むパターンを分析していくと、人間の言語全般についての理解まで深められるのだ。」
3/31/24
きさらさんの何かのトークロイド動画の「ボカロなんて宗教みたいなもんでしょ」っていう言葉がやけに印象に残ってるけど、これが「キャラクター文化なんて宗教みたいなもんでしょ」ではなぜいけないのかという問いに答える必要がある
楽曲・イラスト・ライブパフォーマンスを始めとする多重コンテンツをベースにした実在性・初音ミクなら千本桜、可不ならフォニイみたいな代表曲 =アイコニックなアイデンティティ、一種の作家性
こういう要素が作用した上でボカロが一人のシンガーとして受容される様態に神秘性を見出すのではないか
3/27/24
神椿スタジオのシンガーはYouTuberとしてより音楽活動者としての点が第一義的だし、V"Tuber"と思ったことは一度もないけど、かといってバーチャルシンガーと言ってしまうと初音ミクすぎる
初音ミクはキャラクター………しかしバーチャルな時点で花譜や理芽もキャラクターではある
でも間違いなく生身の人間でもある
3/5/24
相対的すぎるものは定量化できないし、あまりに定量的でないものは実在しないのと同じ
2/17/24
音環の人が既に色々色々考えている
「イヤホンをつけながら階段の柱に頭をぶつけたときの頭蓋骨の中を反響する音、そういう外耳からだけじゃない聴覚刺激を前提にした音楽とかあってもいいんじゃね」みたいな疑問も既に誰かが実践研究しているだろう
1/21/23
VR界隈、物理世界の自分の姿をリアルアバターって言うの凄すぎる
本来化身とか分身って概念だったものを現実の身体に当てはめてる…人の体を神から授かったもの、みたいな信教とかを思いっきり解体してる。
1/2/24
サジェストとフィルターバブルが実権を握るSNSにムードも世論も存在しない
ハッシュタグ件数がせめて客観的だけどTwitterはもう自動botで溢れ返っている
12/6/23
神椿スタジオのシンガーをVTuberって思ったこと一度もないけど、かといってバーチャルシンガーと言ってしまうと初音ミクすぎる
初音ミクはキャラクター…→バーチャルな時点で花譜さんや理芽さんもキャラクターではある
でも間違いなく生身の人間でもある
11/17/23
言語化できる感情なんてコピーもペーストも削除もできる
げんごかできるかんじょうなんてこぴいもぺーすともさくじょもできる
30字だけど、57577の型から見るとめちゃくちゃ歯切れが悪く、口に出すと心地よくない
俵万智は「短歌をよむ」で口に出す大切さを説いていた
が、この首は文字で読むと割と軽々と読むことができる
11/04/23
身体性やルッキズムを取り払えるまでの技術的可能性と現実の社会通念に板挟みにならざるを得ない印象がある。オフラインなくしてオンラインは存在できないので
そもそもこういうジェンダー関連をぼやかして曖昧なままでいられることこそVRメタバースひいてはインターネットの良さと感じてる人も多そう
10/22/2023
人が死にますって言ってアカウントを消してただそれだけなのに赤の他人がこんなにしんどい
日本で 1日あたり60人、地球上で1900人に起こってる何も珍しくないことと、考えもつかないその当事者
10/19/2023
かなり映像動いてそうなorangestarの曲がほとんど静止画で、一枚絵を動かすくらいでも違和感のないn-buna(ヨルシカ)の映像にアニメーションが多い
音と画面圧の対応ではなく総量保管?
10/14/2023
女の子ではなく可愛いショタだったらキモオタ的感情発露をしても許されると思ってる自分の潜在的な傲慢さが見え隠れするのを自覚する瞬間があってキモいな
9/24/2023
両方のイズム(音楽理論におけるラショナリズムとエンピリシズム)からアプローチしていくことで、合理性と実践性をそれぞれ高めていくことが望まれます。
物理学や生理学的な仮説から推論を立ててエンピリシズム的な感覚に照らし合わせてその良し悪しを判断する、もしくは悪しを良しとして使うために表現を模索するスタンスが主流のイメージ
9/19/2023
切り抜きの喋り声ってスムーズに聞こえるように結構元の喋りから間を切ってる
慣れると普通の発話に違和感持つようになってしまわないか
9/09/2023
データと電気信号の世界のことを考えると、こんなにも情報量が多くて複雑な構造をしているものがいつか失われることが怖くなる
大規模太陽フレア直撃とかがあってこのテクノロジーが消失する可能性への焦燥感がやばい
9/05/2023
「音楽は国境を越える」的な文言って西洋音楽の世界的な支配にかなり大きな比重頼ってるよな〜
8/31/2023
一定以上大きな主語を、なんの間違いもなく完璧に語ることができるようになる(時間的・社会的)余裕は、どんな人間にも永遠にないのだ
8/29/2023
「創作の終点でもある鑑賞という行為は創作の始点に連結している」、額縁に入れて飾りたい
終点と始点の連結だけでなく反転して隣に繋ぎ合わせたような関係性も見いだせ得そう
8/24/2023
人間性の上に論理があるんじゃなく論理の上に人間性があると考えるとボーボボを説明できる気がする
6/13/2023
実験主義:論理主義
科学:哲学
ボトムアップ:トップダウン?
4/17/2023
「作者そこまで考えてないと思うよ」ってすぐ言う人に対しては
ヨルシカの花に亡霊の歌詞は(n-bunaさん曰く)「綺麗な言葉と綺麗なメロディだけで作った」
って言う事例を言い返したい
もし作者が想定したストーリー、設定、伏線を当てることしか解釈として認められないなら、あの曲の動画のコメント欄に何百個とつけられた
「ここの歌詞はこういう風に感じた」
「この歌詞からこういうシーンが想像できた」
みたいな感想は全て認められないことになる
明らかにそんなことはない
3/19/2023
GPT-4、完全に「文脈を理解して対話してる」ようにしか見えないし、「次の単語を予想する」を大規模学習しただけで何でAIがこんなことに頭よくなっちゃったのか私の頭では全然理解できなくてぶっちゃけ怖いレベル。理解してる人いるの? どこまで行くの?
ある意味AIはデータを増やしてだけでここまでになるとは予想はできてなかった部分もあるようで、もしかすると人間の知性とか意識も情報の集合体の産物だったりするのかもしれません
自然言語の奥底に隠れていた確率モデルが、統語則などよりも支配的だったという知見でしょうかね。
脳科学とコンピューター科学の進歩の相乗効果で人間の知性獲得メカニズムの本質に近づいているのだろう、と勝手に思っています
人間の知性や意識も情報の集合体の産物かもしれない
自然言語の奥底に隠れていた確率モデルが、統語則などよりも支配的だった
脳科学とコンピューター科学の進歩の相乗効果で人間の知性獲得メカニズムの本質に近づいている
2/1/2023
ヨルシカ「テレパス」コメント欄より
「どう言えばいいんだろうか
例えば雪化粧みたいな
そう白く降ってるんだ」
「寂しさ?それを言いたかったのね」
「そう言えばいいんだろうか
溢れた塩の瓶みたいで」
普段何気なく想う感情を、言葉を知っている私たちは簡単に「寂しい」と言ってしまう。けど、この言葉を知らない男は「寂しい」を自分の感覚で喩えている。その言葉を知っているだけの私達よりも、「寂しさ」を"理解"しているのかもね。n-bunaさんらしい皮肉だ
イメージを言語化すると何かが少し削り落とされてしまうけど、逆に言語化することによってその輪郭を確かめてもいる
言葉を知ると輪郭も思い出さないまま表象の名前だけ使ってしまう
知は無知の頃の忘却かもしれない
1/31/2023
楽器→トラック→曲
絵 → 画 →映像
は同じアナロジーな気がする
1/16/2023
線は点から出来ているが、星を線で結んで星座を作る際は星の位置の点しか存在しておらずその線は空想の産物
しかし考えてみれば空のあらゆる場所に見えない星が視線の先に位置しているはず
1/8/2023
平坦な天井
完全な均一は遠近感を失わせる
1/5/2023
信仰は恐怖の裏返し 恐怖もまた信仰の一種
1/5/2022
「プレイリスター」という言葉を今知った、RapCaviarって人が凄いらしい
最近知ったキュレーター(インターネット上の情報を収集したり選別して共有する人)という単語がまさにこれな気がする
おすすめの音楽を共有してくれる人をフォローするなどもうかなり一般的に染み込んでいる
人だけでなくyoutubeにもそのプレイリスト自体の再生数がすごいやつがある、検索で一番上に出てくる再生リストとかは一種のメディアと言っていい
フロクロさんも3秒に一回くらいおすすめのSpotifyの曲を呟いてるしプレイリスターと言えるかもしれない
1/5/2022
ボカロのいいところの一つとして意味を通らせなくても韻やリズム感などだけに重きを置いて歌詞を書くのが許容されてるというのがある
「ボカロの歌詞ぶっちゃけ意味不明なの多い」には意味重視主義への反発、歌詞のリベラリズムが内在している
1/2/2023
具体的なものを抽象的に拡張した議論を見ているとき「つまり◯◯は▼▼として捉えることができるから□□は△△と感じるのか」みたいな感じで感覚と照らし合わせられる時がある(感覚に裏付いているから正しい論理なのか、正しいから感覚と合致するのか?)
「論理長さ」が短いと無意識で感覚を処理するのでそこを洗い出すのも哲学の一部
12/31/2022
「お金では買えない」っていう価値のつけられないみたいな言い方があるけど、それはお金っていう物の交換単位しかしっかりした基準がないからであって
価値のつけようのないものなんてない気がする
12/31/2022
その人が考えていることの文章中で補足説明みたいのがあるとその人が補足として載せなかったその他のことを考えてしまう
もちろん付け足さなきゃと思われたものは補足されるんだけど結局その人の判断に任せてる状態
12/29/2022
「何事も程々に」は正しいと思ってるけど、そうするとずっと何も考えずひたすらやっていいことがなくなっちゃう それだと余りにも心細い
勤勉すぎるのも良くない、怠惰すぎるのも良くない
ずっと何も考えずにいるのは駄目だしかといって(まさしくこの思考みたいに)ずっとあれこれ考え続けるのも良くない
12/29/2022
言ってること全てを盲目的に信じている訳じゃなくても、一考の余地があると考えている時点で割とその人に傾倒してる気がする
12/21/2022
女装・男装っていう一見ジェンダー横断的な行為の根底に「これは女・男っぽい服装」という通念が忍び込んでる
男性がスカートを着る=女装という図式が15年後には無くなってることを願う
12/19/2022
なんか「男の娘だからこそいいんじゃないか」みたいなノリってあるけど、そういうジェンダー横断的な行為ってそれに囚われたくないからしてる場合もあるはずなのに
それに対してわざわざ男の娘(逆も)って言うのは「(結局)男/女」っていうカテゴライズに加担してないか?
12/15/2022
会話の中でことわざや言葉の由来が引き合いに出されるとき、何をもってそれを根拠にしてるのか気になる時がある(特に由来は素人知識で根拠たり得るのかと思う)
都合のいい聖句引用みたいなことはしないようにしたい
12/9/2022
信者を自覚しながら信者で居続けるというのはつまり、時には合理性や他の信条を諦めてでもそれを肯定するということ、それを自覚しながら己の判断で行うということ
どんなことがあってもそれを否定するくらいなら他を投げ出すことを選択しなければならない
私は米津玄師の信者なので紅生姜は大根と認識しているしフロクロさんも信じているので走れメロスは必ずはしょる
12/7/2023
イメージは無限か?
宇宙は無限だと信じてた人はただ観測範囲が追いついていないだけだった。科学が宇宙の果てを予測したのなら、イメージの限界を見極めるのは何だろう
12/4/2022
「主人公が夢遊病者とか精神病者」みたいな、普通じゃないものの見方をしているという前提があるだけで全ての描写にバイアスがかかっているものである可能性が生まれるのコスパいい
9/29/2022
映画→アニメ→漫画→小説
現実差異→リアル描写→音声+動き→視覚情報
特に要素を削ぎ落とした小説は作家読み手両方に想像力とインスピレーションが要求される
5/19/2022
分かりやすい表現って
「言い方が柔らかくて具体的で、それでいて誤解を招きにくい」ってことだと思う
これをこの条件からなるべく遠ざけると
「詰屈かつ抽象的でありながら絶対的意義を含有する」になる