ネットの書き言葉は既存の言語学に逆らう
『私たちの研究にとって重要な言語的現象とは音声表現であり、書かれたテクストは口語発語の記録としてのみこの研究に関わってきます』と教授(※)は強い調子で述べた。
※ソシュールのこと
言語学者は、わたしたちが日常的に生み出す言葉の背景にある無意識のパターンに興味を持っている。
ところが、ふつう、言語学では書き言葉はあまり分析の対象にならない。分析しようとしているのが、ある言語の歴史に関する疑問であり、手元にあるのが文書による記録だけ、というなら話は別だけれど。
最大の問題は、書き言葉というのはあまりにも計画的で、何人もの手が加わっていることが多いので、ひとりの人物のある時点での言語的直感へと帰結させるのが難しすぎる、という点にある。
でも、インターネットの書き言葉はちがう。それは未編集で、ありのままで、見事なくらい日常的だ。そして、わたし自身、本書の一つひとつの章を書き終えるたびに再発見させられたように、インターネットの書き言葉に潜むパターンを分析していくと、人間の言語全般についての理解まで深められるのだ。
今までの言語学では普通書き言葉は重要視されず、人々に"言語"として意識される事が少ない日常会話の言葉を分析しようとしてきた しかしインターネットの書き言葉は他メディア上の文章と比べれば物凄くライトで、口語的で、或る程度"日常的な"言語感覚と接続している 特に推敲もせず呟かれるツイート、文章ネットミームの伝搬、格式もプロトコルもなく垂れ流され続けるネットの有象無象のテキストは人々の言語的直感そのものと言えるかも 実際、これは文章に限らずSNSで氾濫する写真や映像も記録史学的に大きな転換となってるはず 全然分からないけど