コンテキスト生成技術
秩序の方向性を導く刺激
どのような文脈かによって問題解決の難易度が大きく左右される。
よって文脈(コンテキスト)の生成技術と表現技法が問題解決の鍵となる。
特徴
特定の状況を示している
解き方の方向性を暗示している
切りひらく方法
・60秒で場を作るテーマを10本作る
コンテキスト生成力
場の生成力 > 個人の生成力
コンテキスト生成技術による製品
・ゲーム
固定的なコンテキスト理解が停滞を生む
貧しいコンテキスト
どう言葉
今日はどう?
最近どう?
コンテキストの生成を他人に依存している
ニュースに対して一言コメント
ヤフコメ
普通の人いり
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イラストレーター・あきまん氏が語る「絵の中の鍵」とは何か?絵に込められる情報量について
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タフクエスチョンとはコンテキストを生成する技術
noteにかいた。
タフクエスチョンについて考えていたら午前4時を回ってしまいましたが、解決できてハッピー。以前、TOC思考プロセスの問題に対処していたときに解決していていたものでした。
タフクエスチョンの具体例をあげると「技術革新において、新旧の技術の特徴とは何か。特徴による限界は何か」です。
HDDとSSDなら機械動作と電気動作が特徴になります。HDDの機械動作の累計が待ち時間になり、これがHDDの技術的限界を特徴づけます。処理速度では機械動作部分は電気動作にかなわないため、HDDが10世代進んだとしても、機械動作が強く影響する動作、たとえば複数のデータへの同時アクセス性能ではSSDにかなわないでしょう。
前述の「技術革新において、新旧の技術の特徴とは何か。特徴による限界は何か」という問いかけは、このような特定の質を伴った推論を引き出す問いかけです。
推論にはいくつか種類があり、たとえば前方推論や後方推論があります。これらとは働かせる感覚が大きく異なっていて悩みつづけていたのですが、このタフクエスチョンが扱おうとしていたのは、コンテキストを特定する問いかけだったのです。
より精緻に表現すると「これから考えようとしているテーマに対して、これから私たちが交わす言葉の選択肢の現れかたを左右する刺激となる問いかけ」になります。つまりタフクエスチョンとはコンテキストを生成する技術でした。
私の個人的なテーマだった「技術革新において、新旧の技術の特徴とは何か。特徴による限界は何か」という問いかけは、「これから話を交わしていくうえでコンテキストを明らかにする対話の呼び水として機能する」と理解できました。よかったよかった。
コンテキストとは何か
コンテキストという用語はよく使われますが、なんとなくで使われている言葉でもあります。私はコンテキストとは選択肢の現れかたを左右する刺激と理解しています。※ベイトソンの『精神の生態学』から
たとえば、夏の夜、部屋の電気を消して寝ようとした時に「ぷーーん」と音が聞こえてきたとき、私たちは「はっと」次のような選択肢を考えます。
・電気を付けて蚊を手で叩く
・蚊取り線香を付ける
・布団をかぶってやりすごす
このときの『夏の夜、部屋の電気を消して寝ようとした時に「ぷーーん」と音が聞こえてきた』がコンテキストです。私たちの行動を誘発する刺激です。
コンテキスト生成技術
コンテキスト生成技術とは私が勝手な造語で、簡単にいえば、秩序の方向性を導く刺激を作る技術です。特定の状況を示したり、問題の解き方の方向性を暗示する技術です。
カンファレンスで素晴らしいキーノートスピーチに出会ったとすると、その日のセッションや他の参加者との会話がいつもよりも盛り上がったり、その後の自分の身の振る舞いを考えなおす経験があるでしょう。これはキーノートスピーチが秩序の方向性を導く刺激となった例です。※2
問題解決に質の高いコンテキストは不可欠
秩序の方向性を導く刺激が大切なのは、困難な問題の解決に不可欠だからです。
問題は解決に当たってコンテキスト依存性をもちます。問題もコンテキストによって簡単になったり難しくなったりするということです。私たちの能力を存分に発揮させたり、反対に認知を歪ませて解けなくしてしまったりします。
たとえば、先ほどの寝るときの蚊も羽音に気づかなかったら刺されてしまって、かゆみで悩まされることになります。羽音を別の音に勘違いしてしまっても刺されてしまいます。
どの刺激に着目するのかによって、その後、私たちから引き出される行動は変わりますし、その刺激の質によっても変わります。ここを見誤ると問題は解決できなくなってしまいます。
そのため、より効果的に解くにはコンテキストを高い質で明らかにしたり、生成する必要があります。
身近なコンテキスト生成の活用
私たちは仕事を効果的に果たすために、自覚的にも無自覚的にもコンテキスト生成を効果的に用いています。
たとえば「家で行うリモートワークでは仕事が捗らないが、物理オフィスに出社すると仕事に集中できる」という現象をよく耳にします。物理オフィスは仕事に集中する刺激を与えているといえます。
学校でもオンラインになって、生徒が家では勉強に集中できないという嘆きのニュースを目にします。
開成高校では生徒が無言のまま手元をZoomで撮影しあって勉強に集中する工夫をしており、話題になりました。
「自宅で1人だと遊びの誘惑もあって勉強に集中できない、という生徒もいます。そこで自宅の勉強机の上で、勉強している手元だけをZoomで映し、大人数がアプリ上で一緒に勉強しているように感じられる『Zoom自習室』という取り組みをしています。パソコン画面にみんなの手元が映っているだけで、本当の自習室のようにみんなが集中している実感が湧くので、自分も集中しなきゃと思えます」
クラスメイトの手元が移ったズームのギャラリーは、勉強している雰囲気を醸し出します。これも生徒の行動を特定の方向に導き刺激となっています。
コンテキスト生成の実装
仕事のプロセスを改善するといったことや、組織開発といった言葉をよく目にするようになったと思います。
より良い組織という観点から見れば、コンテキスト生成とは、質の高いコンテキスト生成を仕事環境に取り込み、人々の行動をよりよい方向に導くことです。
人の行動に作用する組織改善は、実は今までとは異なるコンテキストの生成を通じて人々の行動の変化を促そうとしたものになります。
仕事の中で生成されているコンテキストには様々な種類がありますが、一例を紹介します。
コンテキスト生成要素
物理的かつ永続的なコンテキストを生成する要素
・物理オフィス
見ているときにコンテキストを生成する要素
・仕事場に貼られている安全ポスター(ヨシッ)
読んでいるときにコンテキストを生成する要素
・会社が表現したヴィジョン
話者が話しているときだけコンテキストを生成する要素
・社長が語る今年度の目標
・プレゼンテーション
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marimoについてお話いたしました。NFTに興味ある人、どうしても未来が見えすぎてしまってて、重厚なものをやりがちなんですが、僕にとっては、1997年くらいのインターネットレベルじゃないか?と思ったので、どこまで引き算をするかに力を注ぎました。
しょぼい、こんなにおもちゃだ、と言われるようなものからやらないとお客さんは理解できないという感覚です。4割近くが、はじめてのNFT所有のウォレットだったんですが、NFTをよくしらない、名前だけ聞いたことある、という人が買ってくれた感があります。
これは、先程のインターネットの黎明期とあわせると、最初からTikTokを作ってもついていけない、最初はテキストの掲示板からだよね、という感覚と同じなんです。
もう少しわかりやすくいうと、今のNFTは、1996年に、「あやしいワールド」(ニフティのホムパのではなくて、デジタルエデンの掲示板サービスを使ってたVer)がスタートしたときよりは先にすすんでいるけど、1998年の「涙枯れるまで泣いたほうがいいかも」(通称「なみかれ」)は出ていない、くらいの状態ということです。これも、今のNFT業界のScamの多さと、ゲスッが荒らしをしまくってた時代の相関性を感じさせます。
じゃあ1997年は何があったかというと、あめぞうとTeaCupの出現です。実はこの2つ、めちゃくちゃ時期が近くて、あめぞうが1997年8月5日、TeaCupは1997年8月10日なんですよね。
このくらいの時期は、あやしいも、なみかれもあめぞうも仲が良かったのです。まさに今のNFTで、プロジェクト同士が仲いいのを彷彿とさせます。
1998年くらいには、ゲスッのアリス・リデル氏が掲示板荒らし業界の核兵器とよばれる「Perlduke」で掲示板攻撃をしたことによって、治安が悪化したりします。これがあやしいの閉鎖の遠因?とも呼ばれていますがわかりません。1998年に、スレッドフロート式掲示板という発明をあめぞうが実装し、あやしいから創始者のしば氏が撤退することで、時代はあめぞうになっていきます。
1999年の5月には2ちゃんねるがスタート。このあたりから、あめぞうと2ちゃんねるも仲が悪く、あやしい(残党)と2ちゃんねるも仲が悪い、という状態になり、殺伐としていきます。そこから2004年のmixiの出現まで、インターネットカルチャーの中心地は2ちゃんねるであり、この雰囲気を維持していく、という感じですね。
というので、1997年くらいの、この絶妙な時期を表現したデジタルアートがmarimoとも言えます。
日本のとある立派な大企業の部長さんがある省エネ機器の新しい市場をつくるに当たって経済産業省に要求してきたのは、「この省エネ機器は非常に社会的意義が高いので、その導入に向けて、消費者が購入する場合の補助金として、国から合計五〇〇〇億円の予算を出してもらえないだろうか」というものであったという。
その省エネ機器がこれだけ普及すれば、省エネ効果がこれだけあり、雇用規模もこれだけありますといった「自社のためだけではない」という数字の提示もあり、いわゆる「陳情」とはずいぶんレベルの違うものだった。しかし経産省から見れば、世の中に無数にある商材のうち、その省エネ機器にだけ五〇〇〇億円という途方もない数字の補助金を出すというのは、政策全体のリソース配分という観点からは財務省にも国民にもまったく説明不能である。
ちなみに霞が関の常識からすると、機器に対する補助金というのは、せいぜい数十億円程度であり、しかもR&D補助金ではなく導入補助金となるとビジネスに直結する話なので、一般的には非常にハードルが高い。経産省としてもその省エネ機器の普及は大きく拡大したいという思いはあったが、その提案では経産省はまったく動けなかったという。
https://gyazo.com/fa031f71d0aef9b80af9d2c9448d7bec
欧米におけるロビイングもこれと同じだ。日本企業が欧米市場に進出していったときに、欧米企業にとって都合のよいルールがあることに気づき、「自分たちに都合のよいルールばかりつくりやがって」と言うが、基本は欧米企業以外も含めたいろいろなプレイヤーが公平・公正に市場で競争できるためにつくられたものだ。提案した企業にある程度有利になるのは、その企業がその分、汗をかいたことを考えれば当たり前だ。
日本でも、いろいろな団体が政府に対して「規制緩和要望」とか「政策提言」というものをたくさん提出している。しかし、かつて政策側にいて、そういうものを多数受けとっていた筆者の感覚からすると、残念ながら大変レベルが低い。大抵の場合、自社や自業界の都合ばかりで社会的意義が突き詰められていないか、要望が漠然としていておよそ政策ツール上どう対応すべきかが見えないかのどちらかに分類される。
結局、(政策提言とはおよそ関係なく)政府側が自発的に必要と感じた課題についてのみ「審議会」や「研究会」が立ち上げられ、かつ完全な政府側のイニシアチブで進められるものだけが制度変更につながってきたのが戦後日本の政策の歴史である。このような一方的な状況では必ずしも良い政策ができるとは限らない。実際、政府側も制度変更のイニシアチブを一方的にとることには違和感を持っている。
https://gyazo.com/ad1961afb6675e3ff3fb7b95dfc8a674
ある美しい夏の夕暮れ時。私はコロラド州テルライドの郊外にある草深い大地に座り、夕闇が迫るなか金色の陽の光がポプラに照り返すのを眺めていた。コロラド州に来ていたのは、スタンフォード大学が主催する同情をテーマとした科学会議に参加するためだ。その夜、発表者は全員、町有数の美しい場所で野外ディナーを振る舞われた。すばらしい料理に、さらにすばらしい眺望、そして集つどった人びとはみな最高だった。私が一緒に食事をしたのは世界トップクラスの科学者たち数十人で、彼らは人間の行動の立派な面を研究していた。学会の性格だからか、海抜三〇〇〇メートル近くで空気がやや薄かったからなのか、その夜の連帯感や開放感、居心地のよさは驚くべきものだった。専門家の集まりとしては異例なことに、普段は妥協がなく競争心の強い研究者たちが、意見や未発表の研究結果や家族の話を共有した。新しい発想や知見を話すのは危険なこともある。そのせいで、出し抜かれるかもしれない。それは科学者がみな恐れていることだ。だがあのときは、ほとんどの人が初対面だったにもかかわらず、信頼する旧友たちに囲まれているような感じだった。おそらく、この出来事で最も興味深いのは、意識的にくつろごうとしたり信頼しようとしたりする様子が誰にもなかったことだ。みな、ただ心地よく安らかな気持ちになり、それによって信頼し合う空気が湧き出ていた。