「超越論的な論理学」【ほぼ毎日編集】
このページは何?
一言で言えば、カントの著作『純粋理性批判』の読書メモ
派生
脱線ちょいメモ
判断力が犯す過ちを防ぐ
例のあれ(理性の認識の限界)
2つの推論
知性による推論……すべての人は死ぬ→数人の人は死ぬ
理性推論……すべての人は死ぬ……すべての学者は死ぬ
参考
各翻訳について批評を加えているテキスト
判断ってjudgmentって英訳されてるんだ
なんか厳かな
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title 第1篇 概念の分析論
section 第1章 <br> すべての純粋知性概念を発見する方法について
第1節 知性一般の論理的な<br>利用について
第2節
: 第9項<br>判断における知性の<br>論理的な機能について
第3節
: 第10項<br>純粋知性概念、すなわち<br>カテゴリーについて
: 第11項
: 第12項
section 第2章 <br> 純粋知性概念の根拠づけ
第1節
: 第13項
: 第14項
第2節
: 第15項
: 第16項
: 第17項
: 第18項
: 第19項
: 第20項
: 第21項
: 第22項
: 第23項
: 第24項
: 第25項
: 第26項
: 第27項
【第2部門 序】
088
第2巻p29
用語
【概念の分析論】
引っかかった表現
「知性の純粋な利用一般」dessen reinen Gebrauch überhaupt
調べたこと
これ「男なんだから、泣くな」みたいな台詞をイメージすると理解できる気がする
第1章 すべての純粋知性概念を発見する方法について
「概念の分析論」第1章第1文で引っかかる
第1節 知性一般の論理的な利用について
認識の種類 49
直観的な認識
推論的な認識
概念による認識
「機能」という語については第2節を読むと、さほど注目しなくてよかったと思わされる
言いたいことは「判断は対象についての間接的な認識である」というテーゼ
これを説明するために「概念は対象と直接かかわらない」という、概念と対象の関係が述べられる
この概念が一種の表象であるので、「表象」という言葉が出てくる
対象と直接かかわるもの(概念と別種のもの)として「直観」が言及される
この論点には注意しておきたいね〜久住哲.icon
悟性の振る舞い
判断の能力
規則の能力
訳に引っかかったので検証 → 自分で訳してみた
2p51あたり
B94の文章を翻訳した
概念による認識と判断力
とすれば、物体の概念は物体の規則であり、その規則というのは「物体といえば金属」「物体といえば木材」などのようなものの集合である。
「物体といえば笑顔」のような判断(笑顔は物体である)をすれば、規則違反となる。そう判断する人は物体の概念が分かっていない。さて、
他の能力との関係
はて、「判断力」とは?
3を先取りしたが分からなすぎた
Das reine S c h e m a d e r G r ö ß e aber (quantitatis), als eines Begriffs des Verstandes, ist die Z a h l , welche eine Vorstellung ist, die die sukzessive Addition von Einem zu Einem (Gleichartigen) zusammenbefaßt. Also ist die Zahl nichts anders, als die Einheit der Synthesis des Mannigfaltigen einer gleichartigen Anschauung überhaupt, dadurch, daß ich die Zeit selbst in der Apprehension der Anschauung erzeuge.
B182
?
ヒント
B184末尾
メモ
本を数えるとき、一冊、二冊……。
数週間前に数えた本の続きを、今日数えることはない。
あれも本、これも本。だから数え入れる。本棚を指さして、これで三冊とは言わない。
数える行為(Zahl)は、一貫性がある。つまり、本を数えるならずっと本を数える。本を数えている途中で服の数を数えたりはしない。もしも服を数えはじめたとしたら、それは別な計数であり、また1からはじめないとおかしい。
メモ
「直観における覚知」(Apprehension in der Anschauung)
「構想力における再生」(Reproduktion in der Einbildung)
「概念における再認」
わたしは経験的な直観に含まれる多様なものをまとめる機能を、把握による総合と呼んでいるが、これによって知覚が可能になり、直観の経験的な意識が(現象として)可能となるのである。
B160(2p162)
[文脈]カントの提示した問題
そもそもわたしたちの感覚能力だけに現れることができるはずの対象を、カテゴリーによってアプリオリに認識できるのはどうしてか 2p161
総合
しかし、わたしたちの思考は自発的なものであるために、こうした多様なものを最初に見渡し、これをうけいれ、これを結びつけることによって、一つの認識を作りだす必要がある。この働きをわたしは〈総合〉と名付ける。 2p67 多様なもの[Mannigfaltige]
Allein die Spontaneität unseres Denkens erfordert es, daß diese Mannigfaltige zuerst auf gewisse Weise durchgegangen, aufgenommen, und verbunden werde, um daraus eine Erkenntnis zu machen. Dise Handlung nenne ich Synthesis.
[拙訳]しかし、私たちの思考の自発性が働くには、それらの多様なものがまずはじめに特定の仕方で目を通され、取り上げられ、結び合わされる必要がある。そうすることでようやく認識をつくることができる。この機能を総合と呼ぶ。 関連
2p88
メモ
「原理」から様々なものを繋げてみていく。あれもA、これもA。(綜合)
「あれもルサンチマン、これもルサンチマン」
「あれは幽霊のしわざです、これも幽霊のしわざです」
ここでの「自発性」は「〜を見ていきましょう」と言うときの「見る」に近い。
公式は暗記しましたね?では問題を解いていきましょう!(公式の適用)
「認識」は、「判断」とはどう違うんよ?
認識は判断である という結合が画期的である可能性はある。
ところでわたしはこの総合という働きをさらにごく一般的に理解して、さまざまに異なる像をたがいに結びつけて、多様なものを一つの認識において把握する働きであるとも理解する。
2p68
メモ
定義からはじめるのが総合、定義を探究するのが分析