【概念の分析論】行為における統一
2022/8/26
「概念の分析論」第2章第2節第17項に「行為における統一」という言葉が見られる。 「行為」とは?
ここでの「行為」の例は、たぶんだが、「線を引くこと」だ。
カントはここで、直線を認識するためには実際に線を引かなきゃダメだよね、と言っている
たぶん、想像のなかで線を引く……であってもありではないか
三角形の図式は、思考の中にしか存在することができず、空間における[三角形の]純粋な形態について、想像力が総合のために利用する規則を意味するのである。人間の経験の対象やその対象の形象は、その対象についての経験的な概念に到達することはできない。経験的な概念はつねに想像力の図式に直接に関係する。すなわち、私たちの直観を特定の一般的な概念にしたがって規定するための規則として、図式と直接に関係するのである。たとえば犬という概念は、わたしの想像力が、ある四足獣の形態を一般的に描きだすために利用する規則を意味する。わたしが経験において知覚した特殊で個別な[犬の]形態とか、わたしが具体的に思い描くことのできる形象などに限られるものではないのである。 光文社古典新訳文庫『純粋理性批判3』pp36-37
「統一」とは?
「行為」もそうだが「統一的な作用(Einheit)」も分かるようで分からない
言葉をみれば、それは
「ひとつにすること」であり
複数のものをどこにおいてひとつにするかということが問題になり
そのひとつとして「行為」が挙げられている……かもしれない
【ヒントになりそうな箇所】「概念の分析論」第1章第3節第12項
カテゴリーの解説をしている箇所。
この箇所では、純理には珍しく、具体的な事例がごく簡単にだが言及されている
珍しいと言える根拠
カントは初版序文(AXVIII)で実例や具体的な説明減らす宣言している
実例があれば分かりやすくなるけど、それを盛り込むと本が分厚くなる
重要なのは全体の構成!
なので、実例は減らします……
カント自身が「実例とかは減らした」と言っているので、「実例が珍しい」言ってもいいかなと
客体のすべての認識のうちには、概念の統一性[単一性]が存在しているものである。これは認識の多様な内容をまとめる統一性と考えられるので、質的な統一と名づけることができる。これはいわば演劇、演説、物語などのテーマの統一のようなものである。 光文社古典新訳文庫『純粋理性批判2』p88
実例あざっすな箇所だ
カントが「Einheit(単一性、統一性)」という言葉を使うとき、イメージとしては「演劇、演説、物語」における統一を考えていたのかもしれないな〜……という妄想を補強する典拠となる。 超訳すれば「die Einheit der Handlung」は「行為の統一的な作用」ではなく「筋書きの統一性」のように訳せる可能性はあるが、まあないだろう。
以文社や作品社では「単一性」と訳されている。
ここから更に理解するためには、「行為」というものと「演劇・演説・物語」とを"綜合"するような見地を求めればよいだろう。