悟性は畢竟判断能力【超越論的論理学】
だから知性とはそもそも判断を下す能力と考えることができる。すでに述べたように知性とは、思考する能力だからである。思考とは、概念によって認識する行為である。
2p52
「概念によって認識する行為」と訳されているが、元の語は"das Erkenntnis durch Begriff"
おそらく、もっと前のところで"alle Handlungen des Verstandes"という表現があるからだと思う
「行為」という語は"Handlung"の訳語として既に使われており紛らわしい久住哲.icon 「判断」「思考」「認識」という言葉が交錯している。 元々判断は「役人が公でする行為」だったかと思う
無論我々はカント以後を生きているので「判断」には日常語として親しんでいる久住哲.icon
いや、どうだろう?🤨
カント自身が、従来の論理学の判断の捉え方に不満があると述べている箇所がある
ってことは、カント以前からも、判断が論理学に一定の位置を占めていたはず
「考える」ってあるじゃん?あれって(役所とかでされてる)「判断」なんだぜ?……これが画期的だったという可能性がある。
ヒント