【超越論的分析論】機能について
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参考
ペイトンが「機能」という語が出てくる箇所を逐次検討しているらしい。 基本的な前提
像(表象)には直観も概念もある
Funktionが登場する箇所
Ich verstehe aber unter Funktion die Einheit der Handlung, verchiedene Vorstellungen unter einer gemeinschaftlichen zu ordnen.
B93, S. 145
この直前の箇所
Alle Anschauung, als sinnlich, beruhen auf Affektionen, die Begriffe also auf Funktionen.
意味の予想
Funktionは〈まとめる能力〉であるというのが予想できる
die Einheit ... 一であること、統一
unter einer gemeinschaftlichen (Vorstellung) ... 共通の表象の下に
なぜ"Funktion"という用語が選ばれたのか?
予想してみよう
functionの語源を見てみれば、どうして"Handlung"という言葉が出てくるのか予想がつくかも
元々は「特定の適切な方法で行動する力」を意味したらしい
この意味は現在の「役割、職務」という意味に引き継がれていよう
「働き」という語に対して〈仕事〉を比喩として使っていると見れば、理解しやすくなるかも
語源のfunctioは「実行」を意味する
これの更なる語源はfungiであり「実行する」「完遂する」
"Einheit"について
演劇・演説・物語のテーマが持っているような質的な統一を意味している
物語は、〈〜についての物語〉である。
物語は、テーマのもとに様々な要素を秩序だって配置すること(ordnen)によって作られる
これは秩序づけのEinheitだ
Handlnug = zu ordnen
「概念」と「機能」の関係
概念は「機能」にもとづいている(beruhen)
「機能」が先にあり、概念が後にある
だが、「機能」のうちには概念が見える
もしも概念がなければ、私たちの振る舞い(Handlung)はまとまりを失うだろう
Funktionが主であり、概念は従である
概念はFunktionあってのものであり、それ自体で存在することができない
これがberuhenの意味だろう
Funktionは悟性の基本的な特性としてあり、悟性があればFunktionも発動する
Funktionの発動が「判断」であるだろう
functionの語源が「特定の適切な方法で行動する力」であるとして、概念というものは、この元々の意味の「特定の適切な」というところに関わる。
Funktionと悟性の関係
FunktionはFunktionとしては「特定の仕方での行動」「パフォーマンス」を意味する
悟性はFunktionという「実行能力」で何をするかといえば、判断する(urtilen)
Von diesen Begriffen kann nun der Verstand keinen andern Gebrauch machen, als daß er dadurch urteilt.
しかも判断は「概念によって dadurch」なされる
参考
そうした考えに従ってカントは、自分の先駆者たちとは根本的に手を切り、判断こそが、意識と経験の最小単位であると考えているのだ。概念は、判断に含まれる機能として、分析的に理解されることになる。つまり概念は、可断的内容にどう貢献するのかという観点から理解される。
久住哲.icon以下のような話ができるようになるかもしれない
判断はパフォーマンスである
判断というパフォーマンスは、パフォーマンスとしての評価に晒される
判断が命題を扱うものであり、その命題が事実を映す鏡であるとすれば……
判断がパフォーマンスとして評価されることはない。
判断は事実と一致しているかどうかによってその真偽を評価されることになる。
Funktionと自発性
だから、感覚的な直観作用が印象の受容性に根拠づけられているように[知性による]概念の営みは、思考の自発性に根拠づけられているのである。 2p50
哲学で伝統的な能動性/受動性という枠組みを継承している箇所だ久住哲.icon
ここでの「自発性」の内実は、Funktionだと言えるかもしれない
Funktionの自発的なところは、自らまとめるところ・仕事を立てて遂行するところだろう
受動性は、刺激に対して反応する能力だと言える
すなわち「概念の適用」である
自発性は「実践」と一緒に考えると分かりやすい。だが、カントはそれを「判断」と関連づけている。
【自発性の例】例えばYouTube liveで「では私は荒らしをBANするモデレータをしますね」というように役割を宣言し、その職務を遂行すべく、「特定の適切な方法で行動する」ための能力だと言える。
彼は自らのパフォーマンスにかんして評価される。
彼は適切なモデレーションができているかどうかという観点で評価される。
彼は「モデレーション」の概念をその時その時のコメントに適用して判断をする。
彼は「さっきのあのコメントのやつはBANしたのに、なんで今のこのコメントはスルーするんだ」というような、また、「このコメントでBANするなら、同じ理屈でこのコメントしたやつもBANしないと不合理だろ」というような、合理的一貫性を求められる。
受動性はここでは、コメントの知覚に用いられる能力を指す。自発性とは、そのコメントが正常なものか荒らしであるのかの判断に使われる。荒らしコメントが荒らしコメントとして直接受容性に働きかけた結果、自動的に判断が発生するのではない。知覚されたコメントに対して、そのつどそのつど、判断=概念適用が行われている。
「こいつさっきも変なこと言ってたな、荒らし目的だな」と考えてBANすることもある。これが"verchiedene Vorstellungen unter einer gemeinschaftlichen zu ordnen"の実例だ。
ここでのOrdnung(秩序づけ)とは、荒らしという観点で時をまたいだ複数のコメントを総合することである。そのようなFunktionがなければ、複数のコメントはばらばらのまま、互いに無関係なままだろう。
ここで「表象」とは、知覚された個々のコメントではなく、それの概念である。コメントAが「これは荒らしかもしれない」と判断され、コメントBが「これも荒らしかもしれない」と判断され、それらのコメントをした人に対して「彼は荒らしである」と判断がされたとき、それらのコメントの表象(概念)は荒らしという共通の表象によって理解可能(verständlich)になる。こういった総合は、モデレーションという概念のもとで役割(Funktion)を遂行する行為(Handlung)における、ひとつにまとめられたもの(Einheit)だ。
悟性(Verstand)は理解可能化(verständlich machen)の能力たるFunktionで成り立つのでは?久住哲.icon
関連
「……直観の対象を概念のもとに配置することもまた必要なのである」(2p19)の原文を確認する↓
Daher ist es eben so notwendig, seine Begriffe sinnlich zu machen, (d. i. ihnen den Gegenstand in der Anschauung beizufügen,) als seine Anschauungen sich verständlich zu machen (d. i. sie unter Begriffe zu bringen). [S. 130] 概念を感性化する[seine Begriffe sinnlich zu machen]ってピンと来ない久住哲.icon
けど純理ではこのことが繰り返し取り上げられる
実質としたら「直観にいたるまで概念からの関連づけを遂行する」ってことかな
う〜ん久住哲.icon
岩波文庫だと「……対象の直観をそれぞれの概念のもとに按排する……」となっている。
……どういうことだろう?久住哲.icon
Cf. 2巻p50の「秩序づける ordnen」
わたしがこの〈機能〉という語で意味しているものは、心に思い描かれたさまざまな像を一つの共通な像のもとに秩序づける行為の統一的な作用のことである。