2024/05
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ゴールデンウィーク後半戦、思い描いていたのは
5/2
J.S. Bach: Sonatas, Fantasias & Improvisations | Anthony Romaniuk & Toshiyuki Shibata
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☑古い友人たちと飲み会
☑小瀬へ行く(甲府 vs 大分)
5/3
☑DAZNで観る(甲府 vs 秋田)
5/6
冬物の洗濯や衣替え
☑カメの水槽清掃
積読山脈をなんとかする
論理学
☑読書
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いまディグしている論理学のやりかた、「これは読書ではないのではないか?」、なんて考えていて、このままだと本の読み方忘れちゃいそうなのでなにか違う本でも読むかーとか思うんだけど、読み始めるとそっちの方へ行って行きっぱなしになってしまいそうで、ちょっと怖いなー、なんてずっとツラツラ考え続けている。
まあそういう、ちょっと日和った選択だったんだけど、本そのものは、いま自分が掘っている場所と、そこに転がっているアレコレの関係が明確に示されていて、巻末には関連書籍もたっぷり載っていて、これは最高の本だった。
図書館
☑☑裏山
全部は無理だった
彙
「語彙」の彙
筆順
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字源
形声
「㣇」+音符「𱕻 /*WƏT/ (「胃」の原字)」
「ハリネズミ」を意味する漢語{蝟 /*wəts/}を表す字
「蝟」「猬」とも書かれる
のち仮借して「あつめる」「あつまる」を意味する漢語{彙 /*wəts/}を表す。
彐
けいがしら
⺔
いのこがしら
部首「⼹」を冠に用いる場合の書体
スカート & 吾妻光良
大人のカンケイ
2024/7/31(水)
開演:19:00~ (開場 18:30~)
新宿 red cloth (東京都)
出演
吾妻光良
澤部渡(スカート)
超行きたいけど、水曜日の夜はちょっと厳しいー
分析哲学、もっと言うと言語哲学の歴史を追うと、あるところで確率、蓋然性、プロバビリティーにも繋がるというのがわかった
というか、論理学と確率・統計学との関係
一冊だけ Amazon で復活している
が、ちょっと今月、お財布的に厳しい。ウーム
同じテキストを繰り返し読む
経験論とか、理性主義とか
論理実証主義
理性主義(りせいしゅぎ、英: rationalism)
この「ラショナリズム」(rationalism) という言葉は、元々は17世紀から18世紀にかけての近代哲学認識論における、認識の端緒を「経験」に求める英国系の議論(イギリス経験論)と、「理性」に求める欧州大陸系の議論(大陸合理論)を便宜的に大まかに区別するために生み出されたものだが、
「理性」に依拠する態度としての「ラショナリズム」自体は、西欧近代固有のものではなく、元来、古代ギリシア哲学に端を発し、中世スコラ学の時代も通じて、西洋哲学全体の主流を成してきた特徴・傾向でもあるので、遡ってそれらを説明する際にも用いられる
人間本性
ホッブズは人間が本来的に持っている性質から論考を始める。そもそも人間の認識過程は感覚に基づいている。感覚は外界の物体運動に対して反応し、視覚により得られた物体の運動は映像として人間に働きかける。これは像、またはイマジネーションと呼ばれ、記憶や思考そのものでもある。思考は目的に規制されたものとそうでないものがある。この思考の途上で認識対象に名称を与えることが可能である。名称が与えられた物はたとえ直接確認しなくとも、名称を思い出すことで記憶を呼び戻す。物体そのものから分離して使用される名称は言語となり、人間の理性にとって最も重大なものである。 言葉は人間に学問を可能とした。学問の出発点は定義と呼ばれる適切な名称を用いて命題を構築することである。その命題から論理的思考に基づいて推論を進める。この一連の過程から得られる一連の帰結の知識が学問であり、その研究対象によって自然哲学と社会哲学に大別される。人間はこのような認識に基づいて自らの行動を決定しているものの、実際に行動を駆動しているのは状況認識ではなく人間の意志の働きがなければならない。人間の意志の働きは情念であり、恐怖、復讐、好奇心などのあらゆる情念が存在している。
観念論がわからない
たくさん哲学者が出てくる
17世紀の出来事
論理学初歩
エドワード・ジョン・レモン
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自然演繹の論理学
ニール・テニント
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Jリーグ 2023年度 クラブ経営情報開示資料(先行発表)
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結局のところ私たちは未だに大規模言語モデルがどのように機能しているかを理解できていない
結局のところ、私たちは未だに大規模言語モデルがどのように機能しているかを理解できていない。こうした研究は、この手のモデルにできること、できないことについての理解を深めるのに役立つと、ハーバード大学の認知科学者で、今回のプロジェクトには関わっていないトマー・ウルマン助教授は言う。だが大規模言語モデルにこうしたテストを実施する際、私たちは本当のところ何を測っているのかを心に留めておくことが重要だ。AIが心の理論を測るために作られたテストで人間を上回ったとしても、AIが心の理論を持っていることにはならない。「私はベンチマーク反対派ではありませんが、現時点でこれまでの私たちのベンチマークの利用方法は、その有用性の限界に達しつつあるという懸念を抱いている人間の1人ではあります」と同助教授は話す。 「大規模言語モデルがどうやってベンチマークをパスする方法を学んだのであれ、それは人間らしいやり方ではないと私は思います」。
「刺激的な時代です」。ハーバード大学のコンピューター科学者で、オープンAIのスーパーアライメント・チームに1年間出向中のボアズ・バラク教授は言う。「この分野の多くの人はしばしば、この状況を20世紀初頭の物理学にたとえます。完全には理解しきれない実験結果がたくさんあります。実験をすると、しばしば驚くような結果が出るのです」。
数年前にAIの勉強を始めたジョウは、教師たちがAIが学習する方法には焦点を当てるが、学習する理由には重きを置かないことに驚いた。「モデルをこんなふうに訓練したら、結果はこうなります、というような感じでした」と彼女は言う。「でも、モデルにあるプロセスを経験させたら、なぜこんなにすばらしいことができるようになるのか、その理由はよくわかりませんでした」。彼女はもっと知りたかったが、これだ、という答えはないと言われた。「私は、科学者というのは自分がしていることをきちんとわかってやっているものだとばかり思っていました。例えば、理論を得て、次にモデルを作るとか。まったくそうではありませんでした」。
錬金術
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mochilon サンの日記には「良かったやつ」*1っていうタグが貼ってあって、mochilon サンの場合、それはだいたい音楽で、しかも最近はクラシカル・ミュージックであることが多いんだけど、こういう日々の記録の中に一つそういう「良かったやつ」が入っているというのはイイなー、などと思った。
もうずっと前、高校生の頃新ウィーン楽派などの音源を聴いて現代音楽の歴史を勉強していた頃にウィーン弦楽四重奏団が演奏するベルク、ウェーベルンのCDにツェムリンスキーの弦楽四重奏第1番が入っており(後者の音源だ)、その始まりの美しさに大層感激したのを覚えている。そのツェムリンスキーの四重奏の録音を世に送り出したのはラサール弦楽四重奏団(前者)らしい。こう聴き比べてみるとラサールの演奏の方が怜悧で鋭い密なアンサンブルであるにも関わらずヨーロッパ的な響きの余地を残しているバランスが素晴らしい。20世紀の音楽でありながら(第1番は1896年なので19世紀だが)無調でもなく、時代の隙間に取り残された素敵な音楽。
サム・ゲンデルとかよくわからないけど新しいの出てるから聴いてみるかーと何もわからずEarth Flowerを聴く。バーモント州のRuth GarbusがLAのSam Gendel、トロントのPhil Melansonと一緒にやっているプロジェクトらしい。フリー・フォークとかサイケデリック・フォークというジャンルに入るのだろうけれど本能や感覚というよりはロジカルにそれが構築されているような気配がする。M-3のWinnowに至っては十二平均律ではない調律のピアノにあわせてボーカルも平均律ではないメロディを歌い始める。他はもう少し素直な曲なので突如ねじ込まれて動揺してしまった。こういうことをサラッとやってのける人々、恐ろしい。
バッハ弾きといえばやはりグールドがおり、全く別角度としてリヒテルがおり、古い世代だと自分の中ではヴァルヒャ、そして新世代(?)ではシフ等がおりこれだけ層が厚ければ他に入り込む余地はないだろうと思っていたところにジョアン・カルロス・マルティンスはスルッと入り込んできた。明快なタッチで陽気、カラッとした快男児だがバッハと向き合う思慮深さは確実存在している。なんだか司馬遼太郎の小説の主人公みたいだ。
これは全集を持っていてもいい、欲しいな……と思うと大手メジャーレーベルではないリリースかつ95年頃に出してそのまま廃盤となっておりフィジカルの入手はかなり難しそうなので配信で徹底的に聴くのが誠実な姿勢だろう。
骨折とそれによる神経の損傷からのリハビリによるカムバック、暴漢に襲われて脳を怪我、神経手術に失敗して右手が一切使えなくなる、普通の人間なら音楽家生命を3回ほど断たれているにも関わらず指揮者としての活動を重ねた末にバイオテクノロジーを駆使したグローブをつけて彼は再度バッハを弾いている。
逸話もすごいがコレを抜きにしても最初のカムバック後の録音もまた素晴らしい。
ダブがアンビエントと決定的に違っているのは、あの大腸に響く、暴力的とも言える低音にある
ダブがアンビエントと決定的に違っているのは、あの大腸に響く、暴力的とも言える低音にある。体験談として言うが、ロンドンのジャー・シャカのサウンドシステムでは、そのすまさじい低音に気分が悪くなってぶっ倒れる人だっているほどで、だからダブとは無視できるような音楽ではなく、間違っても他の何かをしながら聴けるようなしろものではない。あれほど身体に響く音楽はないし、無害なイメージを絶え間なく再生産する一部のアンビエント/ニューエイジなどと違って、いくらそこから離れていたとしても、気がつけば夜の回路にアクセスし、その暗闇のなかでは何かが消失され、何かが生まれる。
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国立国会図書館デジタルコレクションと同じように Internet Arhive にも古い書籍のデジタルデータが存在するんだな。その気さえあればあらゆる書籍にリーチできる世界で生きている
ありがたいことに、ウェブの記憶の穴を塞ぐ者もいる。2001年以来、Internet ArchiveのWayback Machineのおかげで、ウェブユーザはウェブページのキャプチャを閲覧でき、時間経過とともにどう変化していったかを追跡できる。私はWayback Machineの立ち上げパーティーに参加したが、その価値はすぐに理解できた。今日、私は「This Day In History」の投稿や、ウェブでデッドリンクを見つけたときに、Wayback Machineのキャプチャを大いに活用している。
そのInternet Archiveは今、法的脅威に晒されている。ビッグ・ファイブの出版社とビッグ・スリーのレーベルが起こした訴訟が成功すれば、Internet Archiveを完全に消し去り、それとともに、我々が持つ唯一のはかないインターネットの記録であるWayback Machineも消え失せてしまう。
図書館は燃える。Internet Archiveは、インターネットに関する我々の集合的な対象の永続性にとって、堅牢かつ恒久的なリポジトリに見えるかもしれない。だが、それは非常にもろく、あっという間に消え去ってしまうかもしれないのだ。
オワンクラゲ
えのすいの代名詞と言えば「クラゲ」でしょう。えのすいでは旧館のオープン直後からクラゲの飼育や生態研究に力を入れていて、1973年には常設展示をスタートしました。現在もクラゲの不思議な生態や生活史を学べる「クラゲサイエンス」、クラゲの美しい姿を堪能できる癒やしの空間「クラゲファンタジーホール」(1988年開設、世界初となるクラゲ展示館)の二つのコーナーは、いつも多くの人々でにぎわっています。
そんなクラゲを1992年の入社以来、一筋に担当してきたのが足立文さん。日本のクラゲ界のレジェンドとも言える方です。
https://gyazo.com/109e46c56ff2aee5d0d4fb3246f8507d
むかしむかし、私がまだ、時間なんてたっぷりあるさと思っていた頃、たいそう大きなオワンクラゲが 4つか 5つ、江の島の沖で採れました。
光るクラゲだということは聞いておりましたので、夜、水族館の電気が消えるのを待って、そおっと、そのクラゲに触ってみました。
すると、最初のクラゲでは、傘の上に、うっすらといくつかの光る点がほわっと現れて消えました。
もうひとつやってみようと、別のクラゲに触ってみると、今度は傘の縁と、傘にある何本かの筋がぼやっと光りました。
結構弱い光なんだな・・・ と思いました。
このオワンクラゲのいくつかは展示し、残りは裏の予備槽で飼っていましたが、浮遊生活にはいつか終わりがやってきます。
透明な傘に少しずつ不透明な部分が見え始め、丸い傘は歪んだり折れ目ができたりし、やがてみな、その一生を終えてゆきました。
一見何もいなくなった水槽。
「なにもいないと思っても、餌をやり続けるんだ。」
古い友人の言葉に従って、私も十数日間だったか、その水槽に餌を入れ続けました。
するとある日、いつものように餌を入れようとした時、水槽のガラス面をよじ登るかのような、糸状のものが視野に飛び込んできました。
それは私の期待したもの、あの、ぼんやりと光ったオワンクラゲたちが残していってくれた、ポリプだったのです。
新江ノ島水族館のクラゲ
https://gyazo.com/95f1596d44da1ac9ef27549bb8d15daa
https://gyazo.com/550b91d52398f4e85304e3b849831d68
https://gyazo.com/e224b261c2ae81623f53d5f59891c284
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一足早く夏へ
Game Green
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ラインホルト・メスナーの登山記録に挑戦した男
悪役にまで上り詰めたにもかかわらず、ユルガルスキ氏はメスナー氏の評判を貶めようとしたわけではないと言い張る。当初のまとめでは、アンナプルナでのミスにもかかわらずメスナー氏は「史上最高の登山家の一人であることに変わりはない」と慎重に述べた。また、彼と仲間のボランティアは、この研究に関する詳細な FAQ 文書も作成し(ギネスの決定の 1 年前に公開)、登山スタイルに関する質問は自分たちの管轄外であると説明した。もちろん、メスナー氏のようなアルパイン スタイルの登山(単独または少人数のチームで登る)と、高所ポーター、固定ロープ、酸素ボンベに頼る商業登山の違いは理解していたと、彼らは書いている。「しかし独立した記録者として、私たちには登頂の正確さを気にする義務があります。そうでなければ、私たちの存在意義はどこにありますか?」
最終的に、ジュルガルスキ氏は、利用可能な情報とテクノロジーを考えれば正直な間違いは理解できた2018年以前の「レガシー時代」と彼が呼ぶ時代と、頂上がどこにあるか知らない言い訳のできない現代との間に線引きをしようと、公表することを決意した。
残念ながら、この立場の微妙なニュアンスはあまりにも頻繁に見過ごされてきた。ユルガルスキとメスナーの口論が激化するにつれ、ドイツ人ユルガルスキが選んだ武器、つまり小さな文字と詳細な統計表で埋め尽くされた古びた Web 1.0 サイトは、フォロワー数の多い Instagram アカウント、機能的な PR 戦略、トレントのような山間の町でのステージ タイムにはまったく太刀打ちできないことがわかった。「私は、ダビデとゴリアテの戦いのような戦いをしていると思います」とユルガルスキは私に語った。メスナーの不興の波及効果は広範囲に及んでいる。「『あなたは最低だ。あなたはこうだ、ああだ』という手紙をどれほど多く受け取ったか、想像もつかないでしょう」とユルガルスキは語った。「何千人もです!」
end