集合知とは何か
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西垣通
著
第1章 ネット集合知への期待
専門家は当てにならない
福島第一原発で専門家たちは事実を隠蔽した
メディアに出る学者は知的誠実さが欠如している
アカデミズムの質的凋落
過度の専門化
昔は創造的な研究を支えるのは広い基礎知識だった
しかし現代は細分化された専門領域に使っていないと認められない
進展が早すぎる
研究の労働化
無制限な市場原理の導入
短期的な金儲け
管理と評価
専門家の思考や活動が一般性や普遍性を失い
個別の興味や利害に左右されるようになった
研究の方法論には細かなルールがあり
客観的で普遍的な知を生み出しているように表面上は見える
だが研究遂行の前提条件そのものが
個別の偶然的要素によって強く限定されている
近代社会の特徴とも言われる専門知の普遍性が崩れる
もはや専門家がアマチュアと同じく主観的な知しか生み出せないならば専門知への無条件への信頼はゆらぐ
そのことはアマチュア研究者の権威を上げることにもなる。
集合知の登場
現代は高度情報社会
ある分野の専門知識を学ぼうと思えばいくらでも自分で学べる。
wwwとその閲覧ソフトによって
一般の人々が自由に情報にアクセスできるようになった
ユーザーがネットの中で自由に自分の主張をするようになると
テーマも多種多様で分類が困難かつ、データ量が爆増
それらを相互に関連づける検索エンジンの誕生
検索エンジンというITメカニズムを介して初めて互いに見知らぬ人同士が結びつく。
これにより民主主義社会の夢想であった集合知が現実味を帯びた
集合知は広義には
生命体の群れの中に宿る知のことである。
🐜やハチ
粘菌
本書ではより狭く
人々の衆知
特にネットの中の他人同士が知恵を出し合って構築する知のこと
ネットは元から半権威主義的なリベラルな思想を持つ
ネット公開は学問の権威主義に対抗
web2.0は専門家内だけではなく、一般のユーザーが知の構築に参加できる道を開く
知の民主化
だが集合知は専門家よりも正しいのか?
ジェームズ・スロウィッキー
「みんなの意見は案外正しい」
集合知の優位を熱っぽく論じたもの(知的誠実さは感じないらしい)
例え
クイズミリオネア
専門家からのアドバイスの正答率は65%
視聴者アンケートの正答率は91%
これらのような例が上の本に書いてある
どのような条件の元に集合知は正しくなるのか?
スロウィッキーは以下に分けた
多様性
集団の各メンバーが独自の情報を持つ
独立性
他者の考えに左右されない
分散性
身近な情報を利用できること
反論
明確な条件じゃない
メンバーの思考が独立なら多くの場合多様になる
分散性とは地域的なのか論理的なのかよくわからないがそれは独立の問題でないか?
本質的なのは多様性だろう。
なぜ集合知は正しいのか(問題解決)
そもそも正しさとは?
世の中の大体のことは正解がわからない
正解を導き出すというより調整を重ねて結論に辿り着く
集合知と言うのは問題解決にも有効なんだろうか
そうなると専門知より集合知を優先する発想は、正解の推測というより、物事の決め方と関わってくる
集合知を本当に信じられるか
自己言及パラドックス
みんなの意見は正しいか?という問い
例えば
グループで登山して道に迷った時
当地のガイドに従うか
それとも参加者全員の集約的意見を尊重するか
いずれかを選ぶ
ほとんどがガイドを選ぶ
みんなの意見が正しいとすれば、みんなの意見は正しくないわけだし
逆にみんなの意見が正しくないならみんなの意見は正しい。
内心は専門家の意見の方が正しいと思ってる
ページランクアルゴリズム
ページの重要性をそのページへのリンクの数によって算定する
スコットペイジ
多様な意見はなぜ正しいのか
集合知が有効な条件は
多様性に絞る
集合知はなぜ正しいのか
情報寄せ集めモデル
多様な予測モデル
一般意思
正しさとはなにか(明確な正解がない)
明確な正解がない問題において、集合知は果たして有効か
多くの現実問題は
利害対立や価値観の相違があり誰もが認める正解などは存在しない
この種の問題の本質は
集団のメンバーの間に価値付けの相違がある時
いわば集団の総意ないし一般意思のようなものを数理的に導くことが可能か否か
アローの定理
自治体の首長選挙の例
集団のメンバーのそれぞれが合理的な価値判断をしていても
常に集団の総意として
合理的な順序付けを与えるようなルールは存在しない
ウェブ2.0が出現したからといってたちに直接民主制への道が開かれるわけではない
集合知が明確に有効性を発揮するのは正解を推測する問題に対して
いくつかの条件が満たされた場合だけである
多様な利害や価値観が対立するような問題については
集合知が有効かどうかは全然わからない
だからといってネット集合地の意義や可能性を無視してはならない
近代社会についての数学的モデルに基づき
あくまで個人主体を前提とし各人の意識的な指標が形式論理的に表現され
機械的な操作によって集計が行われると言うものである
だが、そもそも集合した故意だけに限られるのだろうか
生物的な集合知とは
本来細胞を基本とする生命体が集まって行動し
生命維持のためにいわば創発するもの
そういう目からもう一度地を根本的に捉え直してみてはどうか
第2章 個人と社会が学ぶ
天下りの知
人間にとって知とは何か
情報群を体系的にまとめ上げたのが知識だと常識的に定義されている
情報社会の捉えかた
評価の基準をきちんと定め
第三者からなる委員会などの機関を作り
できれば数値指標に基づいて正しく評価をし
結果を公表すれば世界をますます透明になっていくことは
情報共有のために不可欠な重要な手段であり
ネットを活用すればいくらでも知識を入手することができる
後は、市場での競争に任せれば、物事はうまく進んでいくはずである
いかなる知識も情報も
グローバルな経済秩序の中に立ちまち組み込まれてしまう
うまく組み込めないような知識や情報はあってもなきものとされてしまう
これらの捉えかたは生命体としての人間の活動における知の役割というものを根本的に捉え損なっているのではないか
公開された情報に基づいて外部機関が評価作業を行っても
非合理的な悲劇をもたらされる可能性は十分にある
客観的な世界が存在し
しかるべき評価作業を行えば
透明度が増して世界の様子がわかってくるはずだと言う単純な思い込み
この思い込みは客観的な世界の様子を記述する
知識命題が存在し
それらを上手に集めて記憶し編集すれば
世界より深く正確にすることができるようになり
さらには世界を操作できるようになると言う常識的な考えにつながっている
実際には知識命題とは
誰かが行った一種の解釈でしかない
大切なのは手際良く所与の知識命題を集めてくることではなく
自分が生きる上で本当に大切な知を主体的に選択して気づき上げていくことのはずである
もし専門知に代わる集合知と言う新たな知の枠組みを本気で求めるなら
単にネットから所与の知識命題を集めてくれば良いと言うわけにはいかない
誰しもが知の構築と言う困難な作業と向き合わなくてはならない
おもしろ引用
米国のオープンな市場主義を全面否定するのは間違いである
この国には伝統的な内向きで閉鎖的な風土があり
とにかく村を作って仲間内都合の良い談合をしたがる
だから、情報公開や外部評価の意義を叫ぶことの意義を十分にある
ただ忘れてはならない事は
情報公開や外部評価をご託宣のように信奉するのは
狭い村の内部規制を後世大事に信奉するのとまぁ五十歩百歩だと言うことである
手間も費用もかかるのは困るけど、村の弊害が深刻な問題には効果的な場合もある
所与の知とは
社会的に権威づけられた知のこと
人間社会ではこの所与の知が常に必要とされてきた
ライムンドゥス・ルルス
結合術
記号でイスラム教を改宗させる
論理主義が支配した20世紀
論理と実証を重んじる思考態度は
現代のあらゆる学問分野において圧倒的な影響力を持つ
論理実証主義
コンピュータとは論理的実証主義の潮流を踏まえ
人間の代わりに正確に思考を行う機械として誕生
事物を記号で表し
記号を形式的なルールに基づいて論理操作することにより
事物についての正確な知が得られる
形式主義はルルスの結合術やライプニッツの普遍記号学からきてるよね
自己言及パラドックスのような例外はあるにせよ
基本的には記号の形式的操作によって人間の思考活動をシミュレートでき
正しい知が自動的に求まるという考え方が普及
現代ではそれを人工知能的な技術の方向になっている。
西洋の知的伝統において思考機械とは
普遍的で有用で
正確な知識、命題を導出し
人間の代わりに問題を解決してくれる機械
PROLOGの失敗
機械の知と生命の知
AIからIA(Inteligence Amplify)知能増幅へ
コンピューターに問題解決を丸投げするのではなく
コンピューター能力を上手に使って人間の知力を高め問題を解決すると言う方向
二つの対話概念
人間がコンピュータとリアルタイムで対話しながら思考する
多数の人間同士が通信回線で相互接続されたコンピュータ群を介してつながり
情報を共有して互いに対話しながら問題を解決すること
人間の思考というものを
形式的ルールに基づく論理命題の記号操作と考え
それを実現する汎用機械としてコンピュータを位置付けるという考えに対する批判
人間中心主義や言語論理中心主義の敗北
並列論理マシンの失敗は
技術的問題に取り組む以前に
果たして人間の思考を形式的ルールに基づく論理命題の記号操作と捉える西洋流の発想が
ほんとに妥当なのか否かをきちんと考察すべきだった
所与の知は学校に通う年齢になってから勉強する
科学や外国語など
生きるための基本的な知識はもっと幼い頃に身につけることが多い
母語習得
そこに生命的な知の原点がある。
生命的な知とは
本能的身体的なものである
敵から逃げたり餌を探したりするための知が最も基本的なもの
つまり知は生物が生きるための実践的な価値と関わっており
真理といった普遍的・価値・超越的な価値を反映した所与の知は
むしろ歴史的・分割的・宗教的・所産である。
我々が信じている客観世界のイメージには
ホモサピエンスと言う生物種の身体機関の特性が色濃く投影されている
別に絶対的なものではない
生物ごとに住む世界のイメージが異なるのは生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが喝破している
エルンスト・フォン・グレーザーズフェルト
ラディカル構成主義
客観世界と言う前提なしに、幼児の母語学習を論じる
人間は、世界についての知識を外部から獲得するのではなく、世界のイメージを内部で自ら構成していく
つまり人間の認知活動とは
外部の客観世界の有り様を直接見出すことではない
思考錯誤を通じて周囲状況に適応することなのである
ここで適応と言うのは何らかの行動した結果を自分の世界イメージにフィードバックすること
自分の概念構造に基づいて行動してみて
うまくいけばそれでよし
失敗したら概念構造変更するのである
生物種ごとに構成する世界イメージは異なるものであり
それをフォン・ユクスキュルは環世界(Umwelt)と命名
第3章 主観知から出発しよう
クオリアと心
クオリア(Qualia 感覚質)とは
心の中に生じる一回限りの感じ
個々の人間の意識の中に特定の体験として出現する感覚イメージ
色の質感
同じ真っ赤な大輪のバラを見ても、その感じ方は個人によって千差万別である
主観的な感じやイメージは各人の興味や過去の体験その時の気分などに大きく左右される
そもそもある人が感じている赤と別の人が感じている赤とは一体同じなのか違うのか判定しようがない
心は徹底的に閉じた存在だ自分の似た身のようなクオリアは他人には決してわかってもらえない
ジェームズ=ランゲ説
自覚的な感情の体験より、末梢神経の生理学的反応が先行する
笑うから楽しい
泣くから悲しい
病徴不覚症
情動と感情が見当たらない
進化史を振り返れば視覚や聴覚と言った
リモートセンサーを持つ生物が出現したのを割合に新しい
触覚や味覚の方が生命にとっては基本
フランシスコ・ヴァレラ
行為の歴史に基づいて世界と心を行為から産出すること
身体化された心
心身問題にアプローチするには
3人称的な科学的記述からクオリアに迫るのではなく
逆に1人称的主観的なクオリアの記述から出発して
いかに客観世界と言う仮構が成立するかを問ていく必要がある
暗黙知
トマス・クーン
パラダイム理論
マイケル・ポラニー
暗黙知の理論は
単に非明示的な知があるということだけではなく
人間の知の本質的な構造を捉えた議論
単に語れない知識の存在を指摘した点ではない
ある対象の意味を把握するには
それより下位の要素的な諸細目を身体で感知しつつ
対象全体として包括的に捉える作用が必要
生命的な認知のダイナミクスの指摘
人間の知の本質的な構造とは
二項関係からなるダイナミクス
諸細目(particulars)
近接項
包括的存在(comprehensive entity)
遠隔項
例:誰かの顔の認識
ポラニーの暗黙知の定義
二つの項目の協力によって構成されるある包括的な存在を理解すること
語ることのできない知識と言うものは
こういった2項関係の構造における諸細目のこと
相手の目や鼻を意識的に注視することもできる
暗黙知と言うのは決して固定的に認識できない知と言うわけではなく
包括的存在を認識すると言うダイナミクスの中で
いわば意識から隠れてしまう知のことを指す
時間的な対象の構造
二人の人間が対話することにより
互いに通じ合う共通の意味(包括的存在)が生まれるのでは?
これが肯定できるなら
複数のメンバーからなる組織において
ある程度共通了解される三人称的な知識が認められる可能性がある
ポラニーは二人の人間のうち片方が潜入という努力によって
一方が発した知識をある程度会得できるという
包括的存在の擬似的共有
現実生活では
どの社会的組織においても3人称で記述される
何らかの擬似的客観知識がどうしても要請される
客観的知識とは
権威付けられた主観知識に他ならない
このことを念頭にネット社会の集合知の妥当性を考えていく
生命的な知識伝達
生命とは何か機械とどう違うのか
生命
設計図がなく自生する
生命体は勝手に自分で自分を作り上げる
生命体は自律的なシステム
細胞は外部から与えられる設計図無しに自分と似た細胞を作り出す
オートポイエーシスな存在
個々の細胞だけでなく
脳神経系も免疫系も自分で自分を作り出す
広く生物集団に着目すると
生殖行為により個体を再生産しながら集団を作り出している
自分で自分を作り出すとは
作動の仕方も自分で決めるということだ
機械
人間の設計図通りに
人間によって制作される
他の存在を作り出す
アロポイエーシスな存在
設計された通りに作動するから他律的
生命体は一種の作動するシステムとして捉えるが
作動原理が機械とは大きく異なる
ウンベルト・マトゥラーナ
フランシスコ・ヴァレラ
オートポイエーシス理論
自己創出と言う観点から
生命体を捉え
機械と峻別する
オートポイエーシス理論は
生命体がいかに世界を認知観察しているかを考察
我々の心の中では思考と言う出来事が
継続的に生成消滅している
ここで言う思考とは
主人公の1人称的モノローグを伴う映画のショットのようなもの
それは1種の自己循環コミュニケーションであり
クオリアから織り上げられる世界のイメージ
過去の思考に基づいて
現在の思考を自己循環的に創出していくのが心
オートポリエティックシステムの作動なのである
外界から刺激は到着するのだが
それらは心にそっくり入力されるのではない
あくまで思考は再帰的に心内部から創出される
心とは徹底して自律的な閉鎖系
心の閉鎖性は
社会的な対人コミュニケーションとどう関わるのだろうか
社会的組織において
コミュニケーションがコミュニケーションを作り出す自己循環的な作動が行われている
社会的組織には
特有の用語概念を持つ伝統や文化があって一種の知識として記憶されている
その記憶を元にコミュニケーションが発生し
またそのコミュニケーションの痕跡が組織の記憶となって蓄積されていく
社会組織のこういうダイナミクスは
再帰的に思考を生み出す心のダイナミクスと基本的に変わらない
したがって社会組織も1種のオートポエティックシステム
この社会的組織と
その構成メンバーの心という
二つのAPS(オートポイエティックシステム)は互いにいかなる関係をなすのだろうか
これが集合知や知識伝達を考える時の鍵となる
社会的組織のコミュニケーションは
構成メンバーの発する言葉を素材にして織り上げられる
一方構成メンバーは組織ルールなどの拘束のもとにある
社会的APSは構成メンバーの心的APSより上位にあり
両者はある種の階層関係をなしている
APSは自律的だから別のシステムからのコントロールされなくね?
作動の事実性とはあくまでそのAPSの視点から観察されるものだから
構成メンバーが心の中でどんなことを思考しようと原理的に自由
一方上位の社会組織の視点から観察すれば
個々の構成メンバーはまるで非APSのように一定の拘束を満たす言葉を出力する
この関係が通常の階層関係と違って
作動上の非対称関係であること
物理的な包含関係でないことに注意
こういったシステムを通常APSから区別するためにこれらを
階層的自律コミュニケーションシステム(HACS)と呼ぶ
続 基礎情報学
生命と機械を繋ぐ知
心は閉鎖系
知の原型は主観的で身体的なクオリアをベースとして一人称的なもの
その意味で閉じている知を簡単に伝えることはできない
それなのに社会の中で情報が伝達され三人称的な知識が構成されるのはなぜ?
個人と社会という二つのレベルのHACSの関係を考えると明確になる
AやBという個人の階層のHACSではなく
二人が参加している社会という上位階層のHACSにおいてコミュニケーションが成功し継続していくことになる
さらにその有り様を第三者が観察し記述する
小規模な社会的HACSでも第三者の記述はこのHACSの記憶であり作動とともに蓄積される
このダイナミクスは
AやBの心と言う下位のHACSの作動が諸細目となり
社会と言う上位HACSのコミュケーションと言う包括的存在を作る
そこでは新たな意味や価値が創出されておりそれがHACSの記憶に追加される
知識形成プロセスにおいて
コミュニケーションに加え
時空間で行われる意味伝播(プロパゲーション)
マクロな出来事が不可欠
コミュニケーションとプロパゲーションを通じて
クオリアのような主観的な1人称の世界認識から
擬似客観的な3人称の知識が創出
作られるのは1種の社会的な知識であり意味
このダイナミクスの基本的な有り様は
たった2人の社会的HACSから国家規模のHACSに至るまで原則として変わらない
ただし社会的知識の構成仕方は強くメディアに依存
メディアに機械的要素が入ってくると
複雑になる生命にとって
大切な意味や価値から離れてしまう場合も稀ではない
第4章 システム環境ハイブリッドSEHSとは
サイバネティクスの系譜
ネット利用して意見を交換したり知識を形成したりするには
いろいろな点を考慮してなくてはならない
単にTwitterを介してお手軽に集合知が得られ民意を結集できると言うわけにはいかない
ノーバート・ウィーナー
サイバネティクス
「サイバネティクス:動物と機械における制御と通信」
キルケゴールの実在哲学などから影響
人間をある高級な神経系を持つ有機体と言われるものの行動器官レベルに引き下げるような
権力者の野望に警告を発し
人間の機械化に反対
ノーバート・ウィーナーのサイバネティクスは
観察されたシステムを対象
機械のような入出力のある開放システムを対象
客観世界が仮定
ハインツ・フォン・フェルスター
2次サイバネティクスは
観察するシステムを対象
生物のような再帰的・循環的な閉鎖システムを対象
機能的文化社会理論
散逸構造
自己組織化
認知面に着目すると自己組織理論だけで生命の説明をできない
創発
ポストヒューマンはサイバネティクスじゃない
ネオサイバネティクス
マーク・ハンセン
システム環境ハイブリット
フランシスコ・ヴァレラ
主体的個人の自己は5レベルの閉鎖システムで定義される
生命体の最小要素は細胞
生物的自己
免疫は身体的同一性を与える
身体的自己
行為を行う人間が知覚器官を元に行動する
認知的自己
人間社会における個人
社会的自己
個人が組織化された
集団的自己
人間の想像力が上位レベルの創発の原動力
作動と観察とが同一領域で同時に行われるため
上位レベルの創発において常に観察者から見た一貫性が保たれる
マーク・ハンセンの反論
ヴァレラの理論では選択されるITエージェントへの制約が強い
人間の生物的な認知活動の枠内に収まるものが選ばれてしまう
自分とは全く異質な要素こそ
既存の自己を乗り越える新たな自己を作り出し進化を進める
創発現象は生物的レベルの自己によって拘束されるが決定はされない
ジルベール・シモンドン
周囲環境とは個人をダイナミックに変容させる原動力
上位レベルへの創発は新たな個体の発生
潜在能力を持った個体から新たな個体が生成されるプロセスの中に
複雑な周囲環境における人間主体の一貫性を認める
それを導くのがテクノロジーである
リアルとヴァーチャルの融合世界
リアルとバーチャルが重なる世界を人間がいかに認識し
知識を構築するのか
古典的ヒューマニズム
一般論として
現実と仮想が融合するネット社会では
首尾一貫した古典的な主体的個人という概念で全てを割り切ることは難しい
日本における主体的個人の不在
ジル・ドゥルーズ
平野啓一郎
分人の提案
多様な人格を抱え込んだ人間が作る社会において
人々がうまく共存できる社会的ルールを作り上げる努力が必要
心は
常に現在の時刻・現在の状況にリアルタイムに反応して作動
動的な時間の流れの中に投げ込まれる
機械は
壊れていない限り設計の通り作動
静的な時間に閉じ込められる
必ず予測できる
第5章 望ましい集合知をもとめて
二人称の知識
集団におけるリーダーの問題
リーダーとは独裁的個人ではなく
集団の秩序やルール
さらに知識を体現する役割を持つ存在
人間にとって基本となるのは
生命活動するための1人称的な主観知
それはクオリアによって支えられている
だが単独行動生物でない人間は
群の中で通用する何らかの共通の知識なしに安定した生活を送ることができない
この共通知識の延長線上に3人称の客観知が位置づけられる
一人称の主観知から三人称の客観知をいかに導くのか
二人称の知が基本となる
非同期コミュニケーション
Wikipedia
scrapbox
二人称の心身問題
対話における不確実性に注目すること
集団リーダーの出現
アサキモデル
西川アサキ
ITモニター
オープンにすればいいってもんじゃない
人間が自立性を失って開放システムに近づくと
社会が透明になりすぎ外部環境の変動に伴って
絶対敵リーダーへの一極集中
多極化
無秩序
といった諸状態の間をループする
閉鎖性が保たれていれば
自律的で唯一の価値尺度は存在しないにもかかわらず
社会の中に1種の慣性力が働いて安定したリーダーが生まれ
そのもとで一定の権威を持つ質疑応答が行われる
閉じた存在同士の対話協調が人間社会の安定性と動的適応性を支える
我々の体は無数の細胞からできている
個々の細胞は基本的に自律的でありその認知観察の作動は閉じている
しかしそれは集団として緩やかな秩序を作り
神経システムなど上位レベルの作動を暗黙のうちに支える
ネット集合知活用のためにどのような機能が必要か
多くの人々のコミニケーションを活性化
集合的な知を構築していくための補助ツール
暗黙知のダイナミクスを必要に応じて明示化するようなITモニター
ビジネス顕微鏡
ローカルな社会集団においてコミュニケーションの密度を上げ活性化するITが求められる
暗黙知や感情的な真相を掬い上げ
明示かする機能
マイコンに
リアルタイムOSとセンサーが組み込まれた
各種のヒューマンインターフェイスハードウェア
さらに全体としては
それらを連結するネットワークや分析、ソフトウェアシステムなどから構成されるものが必要
自分の心の中で何が起きてるのかはわからない
自分が何を考え・何を話してるか一応意識を把握しているが
それはいわば氷山の一角
社会的組織の構成メンバーが形作る雰囲気・文化に注目する必要
社会的組織のリーダーの言動
その組織が外部に発表する知的な成果には
この雰囲気が暗黙のうちに反映されている
だがそれらが明示的に表現される事はあまりない。
第6章 人間=機械複合系のつくる知
福島第一原発の専門家の例により
専門知への不信感は増えている傾向
学問研究への
無制限な市場原理の導入と
過度な専門分化により
研究者の視野が狭くなり短期的成果にとらわれる傾向が強まる
その一方で高等教育が普及し
web2.0が導入されネットを通じて誰でも自分の主張を公表し交換できるようになった
横断的な地の形成の場が徐々にひらけてきた
集合知へのアプローチ
1つ目
はっきりとした正解がある問題
この手の問題には、集合知が効果を発揮する可能性が高い
集団知定理
推定方法の多様性が影響
推測方法相互に独立にすること
独立したチームを作り
それぞれのやり方で推測作業を実行する
2つ目
正解がなく人々の意見や価値観が対立している問題
集合知の適応について深く考える必要
人々が独立した多様な思考を前提として
多数決を行うのではなく
むしろ多様な意見や価値観を持つ人々が
相互討論を通じて
妥協できる合意点を見つけていく努力が肝心
3つ目
達成する目標は明確なのだが、その手段を見つけたい問題
ベストの正解があるとは限らないが
最終的目標は参加者全員に共通している
1つ目と2つ目のアプローチの併用が有効
参加者はいくつか独立したグループに分かれ
グループ前にそれぞれネット討論等を通じて選択すべき案を練り上げる
そして最終的にはネット投票で決定する
ネオサイバネティクス
対象の内側からそのダイナミクスを観察し記述する
対象の主観世界の内部視点からその作動の有り様も捉えようとする
この時対象は閉鎖システムとして記述されることになり
そこには再帰的・自己循環的な作動だけがあって
入力も出力も存在しない
観察の観察が必要
閉鎖システムの効用
システム環境ハイブリットが常識的な情報システムのイメージに基づいて形成されていけば
21世紀の未来は明るくない
せっかくのネット集合知もそういう情報社会において逆効果
常識的な情報社会のイメージは間違えたサイバネティクスの理解からきている
ここでは人間の思考や行動が機械的作動に限りなく近いものとみなされてしまう
ITによって
グローバルな社会的大集団の中で透明な情報交換が容易に行われ
商品や意見が迅速に流通するフラットな社会になると予測
透明でフラットなグローバル世界を作り
ネット集合知を活用して効率よく意思決定をするというのはお粗末
中抜き理論
これは人間を1種の情報処理機械とみなす
単純な開放システムモデル
この単純なモデルがうまく適合するのは
商品の質が均等で
品種も少なく
選択肢がはっきり限定され
価格の高低だけがものを言う商品
規格品が大量生産され人々が争ってそれを求める発展途上国なら良いかもしれない
多種多様な商品が溢れる経済的先進国で
消費者が商品に求めるのは
微妙な品質やサービスの差による満足感である
大切なのは認知活動における暗黙知のような無意識レベルの社会的欲望
商品の選択購入は暗黙知を含む身体的コミュニケーション
ネオサイバネティカルな考察
人間を含め生命体とは閉鎖システムである
人間の心は本来閉じており
その主観世界を内側から捉える必要がある
ITによって明示的な記号は伝達されるが
それらは水面上に現れたほんの1部に過ぎない
水面下には
暗黙知を含む身体、社会的な認知の解消がある
相対的な主観世界の併存を許しながら
同時に集団内でほどほど安定した統合性やリーダーシップを認めること
ただし、必要に応じてリーダーを交代させること
それは千変万化する環境条件の中で集団生活を続けてきた人間の知恵
従来の情報社会のイメージを
ローカルな半独立社会集団の連合体のイメージに変える
個々のローカルな社会集団の中にはさらに無数の半独立社会集団や社会組織が入れ子になっている
それらは柔軟な階層をなしており最終的には個人/分人まで分割される
それらは閉じた存在
より上位から見れば開かれているかもしれない
だからローカルな社会集団を階層的自律コミュニケーションシステムにとらえその作動を分析する