日本における主体的個人の不在
個人とは明治以降に西洋から輸入された概念である。
古か日本社会でついていたわけではない。
江戸時代までの人々は、地域共同体に将来にしっかり組み込まれていたから、自分が原子のような特質した個人であって、主体的に社会に参加してと言う意識が低かった。
だから、そこでは守備一環とした態度というより、場面は、状況に応じて多様な自分をきちんと使い分けることが求められた。
主君 進化とか親子とかこの絆や村の人間とか言った様々な立場役割に応じて責任も果たすことが普通だった
また日本語において主語が曖昧で状況の有り様の記述に主眼が置かれる