オートポイエーシス理論
自己創出と言う観点から
生命体を捉え
機械と峻別する
マトゥラーナは生物の視覚研究者だった
ある時鳩の目にいろいろな波長の光を当てて
脳の視神経の興奮パターンを調べていると面白いことに気づいた。
波長によってどこの神経部分が興奮するかいくらデータをとってみても
因果関係がはっきりしない
同じ波長の光を当てても違った反応が現れる
もし鳩が機械なら作動の仕方が決められているので
はっきりした因果関係があるはずだ
同じ入力に対して、同じ出力が得られるはずではないか
ここで鳩にとって光は単なる刺激に過ぎない
鳩の反応は、過去の記憶に基づいて内部的に決まってくるのだとひらめく。
他律システムとは違って
自律システムの作動の仕方はその固有の歴史に依存している
外界から入力がやってくると
その時点でその個体特有のやり方で反応してしまう
再現性があるとは限らない。
生命体の反応に再現性があるように見える時もある
それは機械のように外部から与えたルールではなく
生命体が再帰的・自己循環的・自己創出的に作動しているためなのだ
修正に従って過去の反応を踏襲しているだけである。
マトゥラーナは、この時光に対する鳩の視神経反応には個体差があるといった
いかにも凡庸な結論で満足しなかった
光は外界
精神反応は脳の中の事象だ
両者の間の客観的関係を分析するのは
普通の科学者のアプローチに他ならない
だが、マトゥラーナは1歩進めて、いわば鳩の心の中に踏み込んだ
つまりクオリアの問題に取り組まざるを得なくなった
オートポイエス理論を通じて
マトゥラーナやヴァレラは
いつの間にか通常の科学研究の幕を超え
心身問題の領域に振り込んでいたとも言える
逆に言えば、1人称的なクオリアと3人称的な科学技術の間のギャップを渡るための1つの方策として、
オートポイエス理論を位置づけることができる。