私たちはどこから来て、どこへ行くのか
発行年 : 2014 年
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本書は、『日本の難点』 の続編 (『日本の難点 2』) として企画されたもの 内容メモ
まえがき
法が想定しない自体であるため、判例からかけ離れた解釈をせざるを得ない
社会変化の速度が速く、学習が追いつかない
卓越者が公の利益のために活動することが信じられるか?
同様の矛盾が、国民共同体の意識をエリート層が意図的に醸成しようとした後発近代化国には見出される
市民の責任は法令遵守だが、政治家の責任は社会の存続 (そのために必要であれば法令も踏み越える) 政治家が行うのは、行政官僚が行うゲームのプラットフォーム自体を社会存続のために変えること
いまや、平時と非常時を分ける思考が通じなくなっている ← 非常時の常態化
1 章 時代 <終わりなき日常> が永久に終わらないのはなぜか
その物語自体が自己現象に過ぎないことを描き出していることがポイント 全体に関する言説が、全て部分に帰属させられる
性体験人数に比して恋人がいる割合が少なくなっている → 愛のきずなを信じる度合いの低下 両親を含めて、愛し合うカップルのロールモデルを間近で目撃する体験が減っているのではないか
1986 年以降の 『ムー』 のブームは、性愛を含めた人間関係への巨大な期待外れからくるものではないか 2 章 心の習慣 震災で露呈した <民度の低さ> と <悪しき共同体>
想定を超えることが問題なのではなく、想定外の事態が起こった時に収拾可能かどうか 3 章 文化 平成のサブカルチャー史と、社会システムの自己運動
それ以降のサブカルチャーの変化として、1996 年と 2001 年に大きな変化
4 章 社会 若い世代の感情的困難と、それをもたらす社会的位相
「人を殺してはいけない」 というルールの社会はない
代わりにあるのは、「仲間を殺すな」 と 「仲間のために人を殺せ」 というルール
近代国家は社会秩序の維持のために、人々に価値規範を内面化させることに腐心してきた 現代になるに従い、そうした不確かでコストがかかる方法は後退し、より実効的な行動コントロールを志向
不特定多数への日記の公開などの、疑似プライベート空間の広がりが疑心暗鬼を生み出している
オンラインでだだ漏れになるのが怖くてオフラインで喋りたいことを喋れない
5 章 技術
IT 化や高度情報社会化による不安や不信の増大はどの国でも起こるが、それを埋める社会的リソースは社会の歴史性によって異なる 日本が一番脆弱
昔からあるものではない、という正当性問題を回避するには多様性を認める他ない ポストモダン的な公共性 : 教育を通して多様性に耐える人々を増やし、多様性実現により最大多数のまあまあの幸せを実現 後期近代では幸せが各人で分岐するが死や病気の不安は万人に共通 → 不安を焦点化した動員の効率性の方が高い 6 章 政治
背後に、広範な抑鬱感
グローバル化の下では、新興国に伍して企業が生き残るのは、労働分配率の低下に成功したということ 2 つの方法
行政官僚が与野党に中立的であることを誇りとしつつ遂行能力を競うようにする
「国家から市場へ」 でも 「市場から国家へ」 でもなく、「市場/国家から共同体へ」 が必要
国家も市場も必要だが依存しすぎてはいけない
期待を裏切られたことによるように思える = 依存の態度のように思われる
日本全体の救国はほぼ不可能
健全な社会の創出には健全な市民の創出が必要だが、健全な市民の創出には健全な社会が必要
7 章 全体
旧左翼 → 社会が良くなると人は幸せになる
新左翼 → 社会が良くなっても人は幸せにならない
生育環境の分岐により、社会成員の感情の働きが分岐
感情の働きが共有されない前提の社会の仕組みへ
規律訓練 (主体の制御) → アーキテクチャ (身体の制御)
妥当な民主制を支える自立した個人は、自立した共同体が育てる
日本には引き受けて考える政治文化がない
任せて文句を垂れる
日本には自治マインドの不在の問題があるため、それだけでは足りない