嫌儲はなぜ生まれたのか
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はじめは嫌儲と書いたけど、「インターネットで個人のクリエイターが作品を稼ぐことについて嫌われていたのはなぜか?」がテーマ
成功者(?)へのひがみを持つ人が一定数いるということは前提にして、それだけでは説明できないことを考察する
そしてなぜ消えていったのか
2019年の空気感はこれだと思う
自分のイメージだが、おおむねクリーンだがたまに権利関係が怪しいものが混じっていた時の対応が次のように変わっている
昔:「みんなー!こいつやばいことやってるぞ!あいつらみんな悪いやつだ!燃やせ!!!」
今:「次から気をつけてね」
この違いはかなり大きい
日本の個人創作の収益化は古くは「Web投げ銭」なんかがあった(爆発的に流行ったわけではない)
復習しておくと、これは各ホームページごとに、きた人が10円とか20円とか、ちょっとした額のお金を払えるようなシステムをつくろう、という話だ。これがうまくまわるようになって、ネット上で文章を発表したりしている人が、そこから直接お金を稼げるようになると、いまの紙メディアとはち がう形での著者・読者の結びつきができるし、そうなればいまは商業的に成立しないので本にならない文章でも(たとえば学術書なんかね)、お金がとれて、書く人ももっと出てくるようになる、という話だ。
これはうまくいかなくて、松本功はLinuxやフリーソフトをバッシングする 松本がものすごく反発しているのが、特にあの「ノウアスフィアの開墾」に出てくる、「フリーソフトに協力するハッカーたちは、生活の苦労がないので金銭的報酬がなくても名声を求めて協力する」という部分。 基素.icon金銭的に不自由のないハッカーがフリーソフトに協力した、ということが「Webでの個人の発表物は無料である」というイデオロギーを作り出した?
1985年にはストールマンがフリーソフトウェア財団を立ち上げ、1989年には GNU 一般公衆利用許諾書 (GNU GPL) を書いた。
基素.iconインターネットにおいてハッカーの発言力がつよかったなら、この仮設は成立するのではないか?(黎明期の人間はほとんどハッカーだろう)
1993ねんごろのLinux以後は反商業主義は息を潜めたのではないのか?
そしてお金を要求すること、されることについての心理的な障壁はある。昔コンピュサーブに出入りしていた頃には、プログラムをおぼえたてのガキがクズみたいな電卓ソフトを作って「シェアウェアです、気に入ったら10ドルください」とか書いてアップロードしてやがって、ふざけんなっつーの、こんなクズみたいなプログラムで、「気に入ったら」だろうとなんだろうと金とろうなんて、ふってえやつだ、と一部でかなりたたかれていた。別にぼくも、それにお金を払った訳じゃないけど、でもそれを、条件つきであっても要求されたことについては、むかついた。マッキントッシュ系のシェアウェアでも、シェアウェア料をあまりしつこく要求するものはかなり反発をくらっていた。小銭ではあっても、金をくれということ、言われることにはそれなりの心理的なハードルがあるようなのだ。いわゆる「さもしい」という感覚だ。
基素.icon金をくれ、よりもポップアップ?がうざい、みたいなことはなかったのだろうか
著しく品質に見合っていないと感じるなら打倒な感想かも
「もしこの文章が気に入ったら10万円ください!」といわれても「は?」となるだろう
もしある文章がほんとうにお金がとれるくらい価値があるものならば、「価値があると思うやつは5000円振り込め」というので成立しなくてはいけない。
小銭の要求に抵抗がある、というのと矛盾しないの?10ドルはむっとするけど50ドルならむっとしない?別軸の話?
どうもここからはお金を要求するということそのことではなく、10円とか送ってもしょうがなくね?という話をしているようだ
投げ銭運動というのは、本当に極端なことを言うなら、ある意味でそれができないのを自覚したloser文章が、「まあ10円20円くらいなら、もしかしたらみんな払ってくれるかもしれない」というさもしい根性をむきだしにしているのだ、という感じも、ぼくは持っている。投げ銭要求ボタンをつけたとたんに、なんかページがものほしげでさもしくなるような気分がある。
金額が大きければいい?
これがなんなのかはよくわからない。文化的なものも関係しているのかな。アジアやアフリカにいくと、とりあえず「くれ」と言ってみる、というような感覚があって、それはまああたりまえなことになっている。でもそれをやられると、欧米人やすでに西洋化した日本人は、かなりうろたえたり怒ったりする人が多い。それが正しいとかまちがっているとかいう議論はある。ほしいものをくれ、というほうが素直でストレートなのであり、それを隠す西洋文化のほうが偽善的で鼻持ちならない、とかね。まあそうかもしれないけれど……でもそういう感覚はまちがいなくあるのだ。
いまではパトロンサービスとか普通にあるのでこの感覚は海外でも変わっていったのかもしれない。個人創作が隆盛した結果、Webで稼いで生活という考え方が受容されていった?
あるいはハッカーはお金が要らなかったのかもしれないし、創作は利益目的から始まらないのだとしても継続して取り組むためにはやっぱり必要だったとクリエイターが主張すればそういうながれになっていくだろう。YouTuberも認識を変えたかもしれない 嫌儲はどう生まれたのか?そしてどう薄れていったのか? インターネットの嫌儲は、サブカルコンテンツによく見られたと思うのでこの記事の興味対象はその辺り
年表がほしい
個人間送金の法制度
2009年ぐらいは嫌儲が一般的だったので、なぜ生まれたのか?はその前の歴史を知る必要がある。パロディは同人文化と深いつながりがあるので、そのあたりの著作権がらみの大きなトラブルを調べていくのがいいだろう。
2019年ぐらいは嫌儲を見かけることが少なくなったので、10年で参加者の意識が変わっていったはず。
ただしニコニコ動画などはまだ嫌儲が少しいる印象(昔よりはかなり薄まった)
仮説
1980年以来、ハッカー(のうちの大きな勢力)は反商業的だった
初期ネットユーザーはハッカーなので、その先人に習った人々も反商業主義的だった
参考:日本でインターネットが一般に普及し始めたのは1995年ぐらい
2009年ごろのインターネットユーザはオタクが2019年より多く、ネット(のサブカル)コンテンツの中核はFlashなどのパロディだった
PCは87.2-%>74%で減っている。代わりにスマホやタブレットが爆発的に増えた。
スマホの普及率は2009年には計測していないほどだった(2010年には10%)2018年には79%
パロディは流行りやすい
みんなが知っていて、コンテンツを見てもらいやすい
二次創作や版権的に黒な創作(アニメーションを使ったMADとか)が多く、権利に疎い人が収益化しようとして全体のイメージが悪くなった これは多くの制作側は気をつけていると思う。大昔に2ちゃんねるで行われていたMAD合戦のときには(動画サイトではなく動画がアップローダーにあげられ、視聴時にはそれをダウンロードする形式の期限公開)、本当はよくないことをしている(意訳)ので取り扱い注意の旨が書かれていた
個人創作においてもハイレベルな創作をする人は本業でも動画制作をしていたりする
その後YouTubeが現れ、ニコニコ動画が現れてMADがライト層に知られることなり、そこから若手の作り手が現れると、ここに管理意識までは伝わりづらい
承認欲求とコミュニケーションの楽しさと自分のアイデアで相手を面白くすることができるのかという勝負ら技術的探究心とかそういうものがある中、権利者から言われなければ動画制作は進む
アフィリエイトブログがWebで稼ぐことのイメージを悪化させた
利益最大化のために「SEO + 記事の粗製濫造」をした
結果として検索体験が悪化した
欲しい情報が見つからなくなる
Googleの敗北
インターネットの発展に対応するため、平成11年に特定商取引法が改正されて、 インターネットで通信販売を行うものは販売者情報を公開することが義務付けられています。
なぜ薄れたのか?
薄れた要因
オタク人口の増加
オタクという属性は肯定的に扱われるようになり、広がっていった
いまの中高生でオタクと揶揄される人はいないらしい(現役中高生の伝聞。サンプル数は少ない)
コミケ(二次創作がたくさんある)の参加人口もずっと増加した
課金の正当化:キャラクター推しのソーシャルゲームの隆盛
アイドルマスター、FGO、その他たくさん
オリジナルIP
「推し」のイベントのために課金する構造が肯定される
ファン同士のコミュニケーションにもなっている
「推し」のクリエイターに課金するのは普通という意識につながる
「推し」という言葉で抽象化されて、適用範囲が増えた
ネットで金を稼ぐことについて肯定的になった
YouTuber(HIKAKIN)、ネットで稼ぐということが(視聴者にとって)当たり前になっていった 「応援したい対象」のグッズなどを買う
パトロンサービスなど、直接クリエイターを支援できるプラットフォームが増えた
全く権利上問題ないものは、批判しようがない
クリエイターが加齢し、生活のために収益化を考え出すようになった
学生のときや成長のときにはコンテンツは無償提供できた
本業ではない
扶養されていて生活不安が少ない
練習・知名度の無さから受容できた
年齢が上がれば上がるほど自分の時間単価を考えるようになるはず
自分で稼がなければ食っていけない
頑張って肯定的な雰囲気を作ったりコンテンツを作るようになる
権利関係が整備され始めた
クリエイター側が嫌儲に文句を言われても反論できるようになった
クリエイティブ・コモンズや商用利用可のフリー素材サイトの充実化によってホワイトな創作物の作成コストが下がり、収益化が増えた
配信プラットフォーム側で収益化の仕組みが整えられ、利用者が増えることで徐々に「あたりまえ」になっていった
「なんとなく反論していた人」がエンタメという自分へのメリットを享受することで心変わりしていった(空気が変わった)
VTuberに関してはキャラクター性を兼ね備えているのがオタクが乗りやすい一因な気がしている(仮説)
上記はインターネットで個人が稼ぐことに関しての嫌儲だった
生放送コンテンツでは、放送者を金でコントロールすることができることが嫌という場合がある
高額スパチャに反応しがち
これを「あたりまえ」と思える人がどれだけの割合かは放送による
あたりまえと思ったとしても楽しいと思うかは別の話
プロのアーティストでもこれを避けている人もいる
一方で認知されたい欲求を満たすものであり、お金を実際に出す人の一部はこれ自体が目的になっても不思議ではない
落とし所として配信最後に行ったり、雑談まじりに行ったりされている
僕はクリエイターとか、ネットでいいものを作った人は儲かって当然だと思ってるんだけれども、お金をもらうのは絶対許さないという人ってネットにいて、お金を儲ける仕組みを作ると、そういう人がみんな怒るんですよ。
昔、JASRACに登録をするのは悪だったんですよ。昔はクリエイターがJASRACに登録するだけで、今は当たり前になっているんですよね。これがどこで切り替わったかというとカラオケなんですよ。 2008年ぐらいからJOYSOUNDのカラオケベスト20のうち10曲ぐらいがニコ動の曲になったんですよね。初音ミクとかの曲になったんですよ。知らない人も多いと思うんですけれども、見てみるとニコ動の曲というのがランキングの中にすごいいっぱい入っています。
こういう人たちって最初はお金がもらえなかったんですよ、JASRACに入っていなかったから。そうすると今までお金をもらうのはずるいと言っていた人たちが、何でプロはもらえてネットのクリエイターもらえないんだというふうに怒り始めたわけなんですよ。
基素.iconブレスト
クリエイターが稼げなかったらその継続はしないということはクリエイター側も発言するので(YouTuberの中には収支を匂わせる人は少なくない)、2021年においては嫌儲的発言はアンチクリエイターとして反発を買うだろう
それ自体は単純な事実だから嫌儲も理解していたはず?
無償ですごいものを上げる趣味の人と区別して、趣味の人以外認めないという立場だった嫌儲もいるかも?
嫌儲はクリエイターが稼ぐこと
著作権に厳しすぎたのが嫌儲だった?
ひがみやっかみもかなりあだろうけれど