JASRAC
音楽の著作権管理団体
成り立ち
51 著作権管理は、音楽文化を生かすか、殺すか|雑誌『広告』
音楽著作権を専門とする東洋大学の安藤和宏教授
作り手
音楽は使われる場所や回数がとても多いので管理が大変
管理を委託したい
利用者
いちいち作り手に個別に許諾を取るのが大変
第二次大戦の直前にできた
ヨーロッパの著作権管理団体の代理人だったウィルヘルム・プラーゲが...日本のラジオ局が流していた外国曲に対して高額な使用料を請求したんですが、放送局側がそれを受け入れなかった。
その結果、1年間くらいラジオから外国曲が流れなくなり、聴取者からクレームが相次いだんです。そのため、政府は法律を改正して、外国曲のレコードを自由に放送できるようにした。
しかし、これだけで混乱は収まらなかったために、プラーゲを追い出す法律をつくった。
1939(昭和14)年に制定された仲介業務法
この法律により、著作権の仲介業務は許可制となり、大日本音楽著作権協会が政府から許可を受けて、音楽著作権の管理を開始しました。これがいまのJASRACです。
国が仲介業務の許可を与えたのは音楽著作権管理の分野ではJASRACのみ
JASRACがいちばん批判されているのは、「独占」だったために時代の変化に柔軟な対応ができていなかったところです。どんどん音楽の新しいメディアが生まれているのに、それにうまく対応できなかった。
仕事
https://otogeworks.com/blog/jasrac-learned-from-midi-hunt/#index_id1
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/1212/14/news129.html
ヤマハ音楽振興会らとJASRACの訴訟
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