境界知のダイナミズム
瀬名秀明、梅田聡、橋本 敬(2006)
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序章 “境界知”を見出すまで
第1章 違和であり続けること
第2章 境界を生みだす脳と心
第3章 “境界知”の現場を探る
第4章 ことばと“境界知”
第5章 共通感覚の勇気へ
終章 “境界知”のダイナミズム
序章 “境界知”を見出すまで
私たちの違和感は、日常で少しずつ習得していった<常識>という感覚とのずれによって生ずる。しかしその常識とはあくまでも自分の周囲から学習してきた規範であるから、別の常識にひとたび自らの立場を預けたとき、まったく別の違和感が立ち現れることになる。
p12
このような「違和」を感じ、そこに何かを見出そうとする私たちの「知」のあり方を、境界の知、すなわち<境界知>と呼ぼう。違和感を持つこと、それ自身を人間のひとつの能力だと捉えてみるのである。安寧な<常識>に浸かっている私たちが、ふとしたときに気づいてしまう違和感。それは私たちの心のなかに、それまで見えなかった境界(intangbleな境界)を浮かび上がらせ、私たちに新たな世界観を提示する。
第1章 違和であり続けること
p32
遠隔操作ロボットのカメラは視野角が非常に狭いので操作が非常に難しかったが、ロボットの後ろ側から撮影し、TPSのように操作者に見せるようにしたら操作性が劇的に上がった。
第2章 境界を生みだす脳と心
p68
「自分と違う」「ふつうと違う」というような異和感を覚えるとき、外はそこに「標準圏内」と「標準圏外」という境界を作っている。前にも述べたように、この境界はいわば無意識的なものであり、どんな境界であるかを言葉で表現することは難しい。
境界の構築
p71
違和感の認識は、過去の経験の捉え方を変えるだけでなく、その後に起こる出来事に対する捉え方にも影響を及ぼす。前項で挙げた症例の奇異な行動の例は、家族の自発的な気づきが異和感の認識のきっかけになっていた。しかし、気づき方は実際にはさまざまであり、職場でともに働いている人や専門家の指摘がきっかけになることもある。つまり、以前にそれほど違和感を覚えなかったものに対して、違和感を覚えるようになる背景には、なんらかの手段によって「知識」を獲得することが前提になっていると考えられる。知識を持っていれば、次に発生する類似した事例に対しては、迅速に気づきが生ずる可能性が高くなる。
知識を持つことは、人々の見方や印象を変える力を持っており、世界の内と外の間の境界を明確化させることを通して、違和感を生みだす
パニック症候群 p79
パニック症候群の人々の場合、通常は無視するような微細な心拍の変化を敏感に感知してしまう
違和感の感知のレベル(閾値)が高すぎても低すぎても、何らかの不都合が生ずる
第3章 “境界知”の現場を探る
第4章 ことばと“境界知”
第5章 共通感覚の勇気へ
隠喩の着地点 p201
私たちは無意識の働きによって、隠喩の文章をどこかにグラウンドさせようとする。物理化学の世界にはグラウンドできない。そうなったとき私たちは、感情によってその文章を読み解こうとしてつつも、自らの頭の中にある「社会」をグラウンドの場として選んでいる。
マージナル・マン p238
社会学者ロバート・E・パークによって提出された概念で、ふたつの文化・社会のどちらにも融合できず、マージン(境界・限界)にたたずむ人間のことである。
信じ込みとハラスメント p255
信じ続ける、というのは、固定観念に縛られ続けることを意味するのではない。私は盲信を奨励しているわけでもない。違和を感じ続け、常に修正を試みながらも、他者と何かを「共有している」という信念を持続させるということである。
経済学者の安富歩は著書『複雑さを生きるーーやわらかな制御』(岩波文庫)の中で、コミュニケーションの中での信じ込みは賭けなのだという話しをしている。専門用語の使い方が分野によってまったく違うように、共有できていると思って話していても噛み合わないことはよくある。だから相手と自分が何かを共有していると信じるのは賭けなのである。しかし私たちはとりあえずコミュニケーションを続けるために、次のアクションを起こすために、何かを共有していると信じ込む。そして修正を加えつつも、それを信じ続けることが必要となる。
これは賭けであるから、危険を伴う。そしてとうぜんうまくいかないこともあり、相手がこちらの信じ込みを悪用してくることもある。安富はそれを「ハラスメント」と呼んでいる。
「相手は自分と同じ世界を持っているだろう」という信念を持って、相手の行動を系統立てて理解しようと努力し、学習を続けている。そのダイナミズムを悪用する行為、それがハラスメントだ。
終章 “境界知”のダイナミズム