無意味の恐ろしさ
無意味の恐ろしさ
p195
チェーコフの戯曲は、一般にわかりにくいといわれる。なぜかといえば、各キャラクターの会話が微妙に噛み合っていないからである。言葉は発せられても、その意味が相手に届かない。長い台詞は舞台の上で積み重なってゆくのに、いつまでもセンスをなさないのである。居心地の悪さが膨らんでゆくだけだ。『三人姉妹』に次のような台詞がある。「意味がねぇ……。いま雪が降っている。なんの意味があります?」
若き日の中村雄二郎は、チェーホフの世界から「ノンセンス」を見出した。ノンセンス的状況とは、「絶対的な価値体系や倫理体系を欠くことによって人間と人間の結びつきが失われ、連帯が破れてばらばらになった状況」である。そして中村はチェーホフ最後の劇である『桜の園』について、「無意味のおそろしさと滑稽さとが裏原に結びついた劇」であると述べた。
やがて中村はチェーホフの中から、ノンセンスの対比として「コモン・センス」を発見してゆく。
私たちはときに、社会のルールに寒々しさや虚構性を感じ、自らが作り上げてきたテンプレートの退屈さに気づいて、すべてに「負け」てしまうことがある。そのとき世界から意味が消え去ってしまう。その退屈さから立ち戻る術は残されているのか。
出典