「新反動主義」Part 2 〜 ネオカメラリズム
以下では、カーティス・ヤーヴィンのネオカメラリズムのアイディアと民主主義批判 (というよりネオカメラリズムとの比較による民主主義・行政国家の分析・評価というべきか) について自分なりに紹介・検討する。
ヤーヴィンの考えをそのまま伝えるというよりも、他の論者の概念や議論などとも関連付けつつ主となる論点を再構成するようにした。
関連するテーマ・キーワード: 政治的所有権、プライベートガバナンス、competitive governance、公共選択論、残余請求者 residural claimnant、制度的エントロピー、定住型盗賊(マンサー・オルソン)、領土的財 "君主制が一番いい政府の形態なのは、王さまが国を持ってるからだ。家の持ち主と同じで、配線がおかしいとき、王は直す。"
――君主制主義の村人 (村人は、共和制だと借り家みたいなもので自分のじゃないからダメになっても気にしなくなってしまう、と続ける, p.26) (この村人の発言は、ヤーヴィンの政府についての考えの要約になっていると思う)
定義: ネオカメラリズム (新官房主義, 新官房学,neocameralism) とは、政府を、領土を所有する、税収による利潤の最大化が目的の株式会社にする (主権株式会社) という政体の案
これが本物の株主主権
株主には、株式の持ち分に応じて税収が分配され、CEOなどを選任する権利を持つ。権力の分立などはなく、CEOには、従業員 (公務員) を雇用・解雇する人事権や、財政に関する権限がある。
A CEO of a normal private organization (company, nonprofit, etc.) controls four aspects of the company’s operations: budget, policy, structure, and personnel. He or she sets the distribution of funds between units of the institution; tells its employees what to do and how to do it; configures lower-level management structures; and can hire and fire individuals at will.
普通の民間団体 (企業、NPO) のCEOは、会社の経営における4つの要素をコントロールしている: 予算、ポリシー、構造、人事。彼または彼女は、組織の単位間でのお金の分配について決めることができる。従業員に対して、何をしろ何をするなということができる。下層管理 (訳注: ロワー・マネジメント(ロワーマネジメント)とは? 意味や使い方 - コトバンク) の構造を調整できる。任意に個人を雇ったり解雇したりできる。 と言っているので、そのような権限を持つことを想定していると思われる
絶対王政
(そもそも三権分立のようなものはネオカメラリズムで保たれないだろうけど) 特に現在のアメリカの大統領制に比べてCEOには行政府に対する強い権限があるということを重視しているっぽい
都市国家として住民獲得競争を行う
東インド会社に似てる感じだけど、ヤーヴィンは歴史上の君主制との類比を強調する[2] 東インド会社も、君主制も、私的に所有された政府である
日本株式会社とは違って、ネオカメラリズムでは、国民からなる国が会社なのではなく、統治主体である政府が会社 しかし1国の経済全体が1つの株式会社によって指揮される計画経済、ネオカメラリズム的共産主義というのも、思考実験としては面白いかもしれない
この記事では正確には利潤 (税収 マイナス コスト) とすべきところを、単に税収と言ってしまうので注意
ヤーヴィンは、ネオカメラリズムが民主主義、および現在の行政国家 (政治家によるコントロールから保護された公務員が意思決定を行うシステム) より優れていると主張する。
そして、ネオカメラリズム政体が行う政策は、リバタリアニズムの観点から望ましい政策になるだろうと主張する。
主権株式会社が地価税を主な財源とすると仮定しよう。そうすると、主権株式会社が税収を上げるためには、領土内の地価を上げる必要がある。土地とその周辺の安全を保証すれば、その領土内の土地への需要が高まり、地価が上がる。よって、税収を上げるために、主権株式会社は安全を保証するだろう。また、土地が将来持つ有用さも含めて土地の値段( → 税収)に含まれることになるため、長期的な土地の価値を保証するインセンティブがある。
Fnargl は宇宙からやってきた、千年間で金(gold)をできる限りたくさん集めることを目的とする宇宙人。歩けないし、何もできないけど、人を一瞬で殺すことだけができる (自分自身は不死身) ので強制力を持つ。Fnarglが効率よく金goldを集めるためにはどうしたらいいか?
奴隷労働……だと誰に何をやらせなきゃいけないかを考えたうえで、命じる必要がある。必要なスコップの数とか食糧とか休息の情報をFnargl (あるいは脅して従わせた人間でもいいけど) の方で調べて、必要な数を計算しなきゃいけない (金goldだけを目指す計画経済を作る必要があり、社会主義計算問題に直面する) ため、難しい。 スコップを使うかブルドーザーを使うか、スコップ・ブルドーザーに使う原材料は何を使うか、etc.
社会主義の計画経済と違って、人々の欲求を充足すること自体は目的ではないので、金を掘ってもらうための報酬/罰を考える以外の理由では人々の選好を知る必要はなく、社会主義よりは簡単そう
奴隷制はうまくいかないはずなので、Fnarglは 金🥇を徴税する、という調達方法になるはず
絶対権力を持っているのだから、税率をx軸、税収をy軸としたラッファー曲線の最大値を取ることになるだろう 金goldで徴税するのか、おカネで徴税してgoldを買うのかどっちがいいんだろ
goldで直接課税した場合 徴税日前にみんながgoldを買うことになるから本質的な違いはないと思うけど
💰で徴税する場合、徴税で自分が得る💰の、人類にとっての価値を最大限にすれば、その分多くの🥇と交換できると言える?
💰の徴税額を一定とするなら、そうするしかないということになるが…
税を上げると生産量が減るとすると、1.「そこからの生産量の低下による税収減」が2.「そこから税を上げたことで増えた税収」を上回らない点まで税を取る額を上げることになりそう。
税率は、長期的観点からいま徴税を控えることで経済成長させて後で取る戦略があるのですごく高くはならないみたいなことを言っていたかもしれない("Magic of Symmetric Sovereignty" の 記事ではFnarglは経済全体の30%~40%くらい取るだろう、とも言っているけど)
東インド会社の税率は50%~60%らしい。30%~40%というのはどこから出てきた数字なのか分からない。
https://www.youtube.com/watch?v=LgeYJ9F4zTE
「経済成長は指数関数的なので」らしい
Remember that economic growth is exponential. The exponent is small, but anything that screws with it - overtaxation or oppression - is going to be extremely unprofitable.
経済成長が指数関数的であることを念頭に置いてほしい。指数の肩にのっている値は小さいが、それをだめにするもの――重税や圧政――はとても利潤を損ねる。
時間割引も指数関数的だよね (双曲割引というのもあるけど)
$ \int_0^{1000} (c \times a^t \times b^t) \mathrm{dt} = \int_0^{1000} c \times (ab)^t \mathrm{dt}
abが1を下回ると、減っていく。
転覆リスクにより将来の税収が自分が手に入らない可能性があるので将来の税収の価値は一定のファクターで割引いて計算するが、それもFnargl政が転覆される確率が各時点に一定の独立の確率として定まるなら指数関数的に割り引かれるだろう
いや、後で取られるとしても、それを払うために今貯蓄しなきゃいけないんじゃ?
には、税収最大化する政権が高税率にすると転覆されるというリスクがあったほうが税率は下がると言っているのでヤーヴィンとは反対することを言ってるっぽい?
これって労働のインセンティブを削ぐのは良くないってことなのかそれとも貯蓄とかをさせたほうがいいってことなの
Fnarglが税として取って、それをさらにFnargl自身が投資する、というようにしたらどうなるのか
これはFnarglが民間企業に投資するという想定以外にも、研究開発とかインフラとかは政府事業でも投資に入りそうだし
研究開発やインフラに投資する場合は別に悪いことではない気がするけど
税で労働が減ったら結果的に税収が減ってFnarglが投資する分も減る効果はその場合でもあるけど
労働や投資などのお金を得ようとする活動のインセンティブは減るのでは
税による労働のインセンティブを削ぐ効果が大きいと仮定しないと、Fnarglが重税を課すことは避けられない
しかし税による労働のインセンティブを削ぐ効果はそこまで大きくないという話もある:
Economists have established that income tax isn’t very harmful to the economy until you start getting to very high rates. The 39.6% rate of top income taxes in the 90s sure didn’t seem to make any rich people stop working. So if you want to tax the rich, income tax is a good tool. 税制はどうなるか (よく知らないので無視していい):
もし未来の税収ロスを一切気にしない場合は100%の所得税 (生産されたものをすべてぶんどる) で、めちゃめちゃ未来を気にする場合は死荷重のない人頭税? とすると、そのどこか中間になる?
奴隷制の経済学とかを参照する必要がありそう
ロールズが最も恵まれない人々のために再分配できるパイを増やすインセンティブになる限りでそれ以外の人が利益を得ることを認めてるのと同じような感じで、Fnarglの利益になる限りで地球人が利益を得ることが認められるという感じか(?
ハンス・ハーマン・ホップは民主政より王政の方が税が安いと思っているけどヤーヴィンはその点には同意してないか、時によって意見を変えてるようなので訂正
現状では税で公的サービスを提供してるのにそれがただFnarglのポケットに入って税率がそのままだったら国民にとって損だけど
ヤーヴィンは、奴隷制で儲かる額と同じ額徴収すればいいんだから (奴隷制において反乱を抑止するために費やすコストを無視できるならば) 徴税は常に奴隷化より儲かるみたいなことを言っている:
Moldbug: …
Slave labor is actually an excellent example of the Fnargl principle. If you assume security is not a problem, serfdom is always more profitable than slavery and taxation is always more profitable than serfdom.
The profit of slavery is equal to the difference between the price of slave labor and the price of free labor. This vig or rake-off can be replaced with an income tax without changing the economics of the game at all. And once this is done, why shouldn't the slave - now a serf - be able to change jobs? The more he makes, the more you make. -- "対称的主権の魔法" そして、Fnarglは地球人同士が争ってエネルギーを無駄になくすのを良しとしない。労働力が減るから
羊飼いが羊同士の争いを止めるのと同じ
プラトン?
プラトンの『国家』におけるトラシュマコスの議論が元ネタっぽいね
だから争いをとめるため、法律、刑罰を作る。
刑罰や徴税が予測不可能だと被治者が未来に対して計画をすることが妨げられてしまい、税収が減ってしまうため、Fnarglは、法の支配により刑罰や徴税を予測可能にするだろう。
これはあやしい。ちょっとあとで、Fnarglのような統治者が本当に 法の支配 を提供できるのかについて考察を行う
ayu-mushi.iconそれ以外は地球人の自由にした方が、(金Auが掘れるなら特定の手段を強要する必要など無いのだから) 分業の仕方をいちいち指図する必要がないというFnargl側のメリットがある
古代では奴隷制だったので技術革新をするインセンティブがなかったが、奴隷制が終わり中世になると技術がある程度発展したんだった気がする (朝倉書房? の世界経済史か何かの本にそう書いてあったような。うろ覚え)
厚生経済学の第二基本定理 (よく知らない) を使って、Fnarglが自分に最大限有利な所得分配を行ってパレート効率的な結果を実現しているとみなせる?
ayu-mushi.icon色々な娯楽なども許可したほうがAuを生産するような仕事に対するインセンティブになるためFnarglの利益になりそう
しかしあくまで有料の娯楽だけでは
無料のもの (空気などの) 質を良くするインセンティブはそれが将来の税収につながらない限りないし、快適さ・娯楽などというのは将来の税収につながるものでもないだろう
もう人間の限界まで働かせられたらそれ以上の娯楽を許可してさらに働かせる必要が生じることはないのでは
余暇の価値は税収に反映されない?
何も買わない余暇の価値は反映されなそう
地球人は同じお金に対してそれによって多くの買える選択肢がある場合のほうがそのおカネがもらえることに多くのAuを支払うインセンティブがある
いずれにせよ、禁止より有料 (大麻税率200%など) で許可するほうが利益につながる
もし生存に必要なだけのお金しか残さない場合、そうする必要はない(いくらそんなことをしたところで、有料のそれを買うお金は残ってないから)。あくまで労働のインセンティブを与えるために、報酬として選択肢を残す…ってことだよね?
では殺人を有料で許可したりはしないのか?
ある人が生み出す税収と同じだけの値段を払えば殺してもいいことになる?
しかし、そうすると今度は殺される側が、余分の税を払って殺されないようにしてくれという取引をFnarglに持ちかける可能性がある
…そのような理由から、税率が高いであろうことというのを除けば、ある程度リバタリアンにとって満足できるものになる (=Fnargl は自己所有権を (あまり) 侵害せず、さらには保護するだろう) だろうとヤーヴィンは予想する
ただし、この記事ではそれらの自由を列挙しているものの、これら医療、教育、知的財産権といったトピックについてヤーヴィンはそれ以上 詳しく論じることをしていない (金融については定期的に論じている)
経済的に資本主義経済になるという以上に、個人的な自由が保護されるという理由はあるのか?
しかし、Fnarglが各人の最大の限界を知っているなら、ちょうどその額を税として要求し、その額を払わなければ殺すとすることで、ちょうど生存に必要な程度の食料・休暇しか与えずに労働させるというのと同義になる課税額というのが存在するのではないのかな?
クッキークリッカーみたいなゲームにできそう
クッキーを最大化することを目的とする宇宙人
ヤーヴィンは、Fnarglの持つ主権を一次財産とし、統治者は完全に利己的な動機から地球人に (普通の財産権 & 及びその他の自由権である) 二次財産権を保証すると言っている
市民革命や政治運動なしに、上から権利を保証する
ヤーヴィンは、フランス革命のみならず、名誉革命やアメリカ独立戦争にも否定的
実際に歴史上そんなことはあったのかな
トルコ?
開発独裁とかは私有財産権、経済的自由は保証してそう。その他の自由権を保証してるかは謎
上からの近代化?
恩賜的民権
啓蒙専制君主を例にあげている
啓蒙専制君主の行動は利己的な説明で理解できる?
全部掘り尽くしたあとに、明らかにコストに見合わないのに海水から金🥇を抽出させられているみたいな状況だと嫌ですね…
税を払うために、やがて金🥇でできた文化財や個人の財産などを溶かしていくのか
問題点: 環境をわざと劣悪にしてそこから脱出するためには働いてお金でそれを除去する権利を買わないといけないという状況を作ることで働かせる可能性が指摘されている > コメント欄より Fnarglの思考実験は、権力が安定していて誰にとっても明確な (領土に関する) 所有権のようなものであれば、問題 (圧政など) は発生しないという理論の例示。
ヤーヴィン: 1千年のFnarglの思考実験――現実に起こることはたぶんないだろう――の要点は、もし主権というものが明確に定義され、安定したものであれば、我々が〔憲法などで〕制限されていない政府に結びつける全てでないにしても多くの問題は無くなるというものだ。
なぜなら、そういった問題の多くは実は「誰が政府を持つか」に関する不確実性から生まれているからだ。
Fnarglが登場する記事には、"Magic of Symmetric Sovereignty" (対称的主権の魔法) というタイトルがつけられている。この対称的というのは所有権と主権の対称性を指していて、「国家の持つ主権がまるで (通常の) 所有権のように、世論や権力争いなどによって左右されない、安定的な権利だったら」という状態を実現する魔法、という意味だろう
むしろ転覆リスクをあげて将来の税収を考えずに今略奪するインセンティブを増やしたり、反乱を防ぐために弾圧などの手段を使ってむしろ圧政を招いたり、貧しくとどめることで反乱する手段を奪ったりする みたいなことをいうのかな
以下のような言い方ができるかも:
Fnarglは、被治者を家畜として扱う。一方、金正恩は、自由経済にしたら豊かになった被治者が権力を脅かすことを恐れていると思われるので、被治者を半分潜在的な敵として扱っている。ーーと喩えられるかもしれない。Fnagrlは権力の安全性が保証されているので、被治者を敵として扱う必要はない。
権力が安定でも不安定でも統治者は被治者を資源として扱うと見ることができるが、どのような資源として扱うかが権力の安定性によって変わると考えられる (生産の道具か、武器か)
人間は自らが所有する動物をよく扱っているだろうか。もし所有されるのが人間と動物とで違いがあるなら、何がその違いにつながっているのだろうか。
動物は食べれるから?
ある人は非人道的な人体実験に参加することで最もFnarglに役立つ形で資源を活用するとしよう。そのとき、Fnarglはその人に人体実験に参加するように命じるか、そうでもしなければ支払いきれないほどの税金を課す。つまり自分の肉体の一番有効な活用方法が、人体実験などではない、という保証がないといけない
Fnarglにはおそらく税収につながる限りで、公共財 (研究開発や国防のように、お金を払っていない人が利用することを排除できず、また、利用者が増えても価値が下がらないような財) を提供するインセンティブもあるだろう。が、金銭につながらない公共財は提供できなそう 税率が30%だとすると、公共財から生まれる社会全体への経済的利益がb、Fnarglが支払うコストがcだとして、b × 0.3 > c ーーつまり費用の3.3333倍の社会への利益があるーーのときにのみ公共財が提供されるということになる。
一方、社会全体にとっては、b > cなら供給されることが望ましい (地球人社会全体にとってはFnarglが支払う費用cなんて気にしなくていいだろというツッコミがあるかもしれないけど、ここでは社会はFnargl自身も含むものと考えてる)。
だからやっぱり社会全体にとっては (経済的利益の観点から) 望ましい公共財でもFnarglによって供給されない状況も想定できるよね
つまりFnarglへの私的利益と他者を含めた社会全体への利益は同じではないので、まだ公共財問題が残っている。
ヤーヴィンはどんなパレート不効率性もFnarglにとっての税収損失になると言っている([12])が、これは嘘では? 騒音や悪臭の過剰供給など、金銭化しずらいようなパレート非効率性もあるのではないか? 譲渡可能な財でないなら、徴税できないから、そのパイを増やすインセンティブというのはない
騒音・悪臭の解決は、消費財・サービスの消費のようなもの (さらに譲渡可能じゃないので価格がついていない) で、それをしたからといって将来生産が増えるわけではないが、住民の幸福には影響する
「余分に税を払うことを受け入れる代わりに公害対策してくれ〜」みたいな取引を人間がFnarglに持ちかけられるならパレート効率になるかもね
そこで払われる余分の税からFnarglが得る収益が、騒音を規制したことで経済のアウトプットが下がり失われるFnarglの税収より仮に大きいとすれば、Fnarglはその取引を受け入れるだろう。こういうことを繰り返していけば、パレート効率になるというのはあり得そうな話。
でもそうすると今度は規制される側がFnarglに「余分な税を払う代わりに規制しないでくれ」っていうよね。
しかしそんな取引は、多くの人数を集めて交渉しなければならないから、無理だろうし、そもそもそんなことができるなら最初から騒音を出している企業に交渉を持ちかければいい話だし
ここでの問題を一般化してみよう。もし仮に人々の厚生が仮に分割可能かつ譲渡可能だとし――それを快楽子・効用子と呼ぼう――Fnarglが快楽子・効用子によって徴税するならば、問題は発生しない。そのときFnarglは、自分が快楽子・効用子を集めるため、まずは人々の幸福を最大にすることを目指すだろう。この場合は、たしかに税率以外は問題が生じないと言っていい。しかし、現実に分割可能かつ譲渡可能な厚生などというものはなく、Fnarglはお金もしくは何らかの物質 (あるいはサービス?) で徴税するしかないだろう。だからFnarglはお金に反映される範囲の厚生しか気にしないだろう。
ヤーヴィンは金銭で価値を測定するのには本来は反対しそうだけど、なぜかここでは金銭で価値を測定するのを前提しちゃってる気がする
ヤーヴィンは政府間の住民獲得競争の有無が税率にしか反映されないと考えているようにも見えるが、この理由から間違いだと思う
つまり住民獲得競争で騒音や悪臭がない場所が有利になるなら、税率以外にも影響しているということになる
つまり、ネオカメラリズム下で公害を防ぐには、公害が発生したら、住民は公害がないところに移動するという前提が必要
しかしそれができるなら、そもそも公害はあまり問題にならないだろう
→いや新規参入者の獲得にも公害対策は必要だから、既存の住民が逃げられないためだけではないか
公害は仕事の捗りに影響するかもしれないが、かならず そうと仮定できるわけでもないだろう
研究開発のような、生産につながる公共財であれば、Fnarglにも供給するインセンティブがあるのだけど。
(Fnarglも含めてのパレート効率性ということならFnagrlが全人類を支配する状態からFnarglの利益を消さずに何かを変えることはできないので自明にパレート効率だけどそのことは自明すぎる)
いやそんなことはない。Fnarglにとってはどっちでもいい2つの社会状態a, bについて、別の人々の行動を変えることでaからbにしたときパレート改善する可能性はふつうにある
もしFnarglが世界の状態について細かい好みを持っているならFnarglの機嫌を損ねずに他の人の厚生を改善できないのでパレート効率かもしれない
(この記事 (Magic of Symmetric Sovereignty) を書いたときの)ヤーヴィンはリバタリアンなので、厳密なパレート効率化を目指すというよりFnarglが取る楽な行動というのが偶然にもレッセ・フェールであった――となってくれさえすればよい、という気持ちだろう
レッセフェールというのは、雰囲気的に楽そうである
んー でもたぶんヤーヴィンはリバタリアンな政策は概ねパレート効率だと思ってたんじゃないかな
競争がない独占市場の場合、供給が需要より過少になると考えれば、十分な量・質の政府サービス (警備なども含め) が供給されず、ある種サボり政策になる?
暴力の独占者が暴力を提供する新規参入者を排除するという独占行為それ自体がここでの (警備という) サービスの一種だから、それが過少供給されるとは言えないか
一般的には、独占だと、価格 (税)は高く、コスト削減になるなら質を下げて、結果サービスは悪くなる
被統治者の損害が自分の損害につながることで、被統治者の利害関心も反映して統治者が意思決定するようになることが肝心なのだけど、被統治者が死ぬと統治者も死ぬわけではない。
Fnarglが政策を行うさい、その政策が被治者に発生させるコストの一部は、税収に反映される形でFnarglのコストにも反映される。しかし、すべての被治者へのコストがFnarglへのコストに反映されるわけではない (外部費用)。
政治家は自分の意思決定の社会的費用を国民に押し付けることができるため、外部費用を発生させる。
公害を出す企業が自分の意思決定の社会的費用を負担しないのと同じ
税収に反映される形で外部費用の一部は内部化される
被治者が100人死んだら100回死ぬというのも無理である。
だから、被治者が被る絶対的な損害の値が支配者の利潤に反映されるわけではない。
では被統治者の利害関心の間の相対的な順序関係や、比例関係は支配者の利潤に反映するのか。(例えば食事が趣味より大事など)
それも反映されないかもしれない。しかしそれでも、支配者でも被支配者でもそれぞれの利益が最大となる選択肢 が (偶然?) 一致してさえくれれば、順序関係、比例関係が厳密に反映される必要はないかも。
もし被治者を100人殺すことがFnarglの命を救うことをもたらし、他に手段はないという状況であれば殺すだろう(死ぬ人の遺族に徴税で得た金を払うことに合意する人を殺すという手段を取るにせよ)し、絶対的な損害の値も反映されるに越したことはない
税収と経済全体のアウトプットの間には比例関係が成り立つ (?)
それは税率を一定と仮定している
リスクのある決定を考えるとさらに被治者の利益とFnarglの利益が乖離しうるのでは。
10%の確率で人類が滅ぶが、90%の確率で金が大量に手に入る、みたいな
Fnarglだけが利益を大量に得ていて他の人は得ていないので、とても分配の平等に反する
Fnargl による徴税は上への再分配を行っているわけなので、(再分配は費用がかかるので) 経済にダメージを与えつつ平等も損ねている感じになる
再分配にともなう社会的コストとしては税の死荷重とレントシーキング費用がある。ヤーヴィンは王政では権力が安定しているのでレントシーキング費用が減ると考えているはず (節税のために弁護士雇ったりすることによる社会的無駄は発生すると思うけど)。また、死荷重に関しても、地価税などの死荷重のない税制を取ると考えているっぽい。
Fnarglが利潤追求ではなく効用追求をするとした場合
もし (オリジナルの思考実験と違って) Fnarglに怒りの感情があって、批判を言論弾圧することで自分の感情を守れるとしたら、言論弾圧するのでは?
支配者の利益のために被支配者が被害を被るという意味では広義の課税だけど
精神的課税
支配者の小さな機嫌のために被支配者が大きな損失を被る場合が考えられる
中世では初夜権は実際に行使されるのではなく新郎が購入していたというから、同様に、Fnarglが自分自身の細かな気分のために人々に大きな損失を与える行為をした場合、Fnarglがそれをやめるという約束をするのと引き換えに関連する人々がお金を払うという取引が成立するから結局全部お金での課税に押し込まれるだろうみたいな議論が可能?
ただし、生活にギリギリの可処分所得になるまで課税されているわけではないという前提が必要 (そうだとすればそもそもそんな取引を行う余裕はない)
Fnarglが快適に感じる温度が32℃くらいだったら
これは室内をその温度にすればいいような
自由主義者は単なる不快感は法律と刑罰で強制する理由にならないと文句を言うかもしれないが、不快感を感じているFnarglはそのような言い分を気にすることはないだろう
Fnarglが、人間にはこうしててほしいというような願望を持って介入を行う場合も考えられる
例: 地球人は全員緑の服を着てほしい
すでに絶対権力を持っているからわざわざ支配をアピールする必要はないのに、なんとなく人が服従してくれるというわかりやすいシグナルからよろこびが得られるため、色々なことを命じるとか
物理的に権力が維持されているため、威厳を見せつけるための強制力を行使する必要はあまりない
伝統的支配と違って、権力を繰り返し行使することによって権力を維持する必要はない
Fnarglはあくまで利潤追求的な政府がわるくないことを示すための思考実験だから、Fnarglが効用追求的な場合を考える必要はないかも
ある人が税収に対し生み出すであろう貢献に比例してその人の権利保護を行うインセンティブがあると考えれば、生産性の低い人の権利保護を行うインセンティブが低いのでは?
結果の平等や機会の平等だけでなく、法の下での平等すら守られる保証がないような気がする
人Aと人Bが税収に対し生み出す貢献に10倍の違いがあったらどうするのか。生産性の10倍高い人を1人殺すと、生産性が低い人を10人殺した場合と同じ刑期や、警備度合いになる?
税を払えない人の権利保護のインセンティブがないという問題もある
不死身でなかったら――というのは権力が必ずしも安定ではないということになるけれど――反逆罪の1つや2つは作って、身を守るだろう
言論統制とか
ヤーヴィンはそれゆえ、権力がもともと安定であるほど自由を保証できるという。いわく、権力が安定である支配者にとって、言論統制は不要
麻薬とかギャンブル、決闘なども生産性を下げる場合は違法なのではないか。いや単に麻薬に対し高額な税を掛けるだけか?
違法にすると競合がなくなって暴力団の収入源になることを防ぐために合法化しておくかもしれないけど
ヤーヴィンは、「現状の先進国の民主主義も報道機関が世論にコンセンサスを生み出すことなどによって、Fnarglに似たシステムに収斂している (= 現代先進国における民主主義は報道機関による支配の隠れ蓑に過ぎない)」「逆にそういう世論形成の仕組みがない純粋な民主主義だと、イラクに導入された民主主義のように内戦のような状態? に陥るのではないか」というふうに考えているらしい[6] (イラクに導入された民主主義がどういう感じなのかは私は知らないが)
しかし、それは報道機関の影響力をだいぶ大きく考えており、強力効果論的な気がする
「シンガポールのように報道機関が政府によってコントロールされているならそれは民主主義ではない」「報道の自由がないならその国は民主主義とは言えない」と言えるなら、報道機関の政治的影響力がそもそもかなり大きいということは言えるので、強力効果論というほど強力な影響力を仮定しなくても、報道の影響力は大きいと言えるかもしれない
Fnarglとしては人間を家畜化品種改良とかもアリ
自殺は合法でないかもしれない
"税収最大化"と"社会厚生の最大化"がラフに対応することが示されただけだと、「競争する株式会社による利潤最大化」のような前者の強力な最適化をした場合にグッドハートの法則のようになって、後者との食い違いがどんどん露見していくのでは、という反論が考えられる? To review, there's a general idea that strong (social) selection on a characteristic imperfectly correlated with some other metric of goodness can be bad for that metric, where weak (social) selection on that characteristic was good. If you press scientists a little for publishable work, they might do science that's of greater interest to others. If you select very harshly on publication records, the academics spend all their time worrying about publishing and real science falls by the wayside.
On my feed yesterday was an essay complaining about how the intense competition to get into Harvard is producing a monoculture of students who've lined up every single standard accomplishment and how these students don't know anything else they want to do with their lives. Gentle, soft competition on a few accomplishments might select genuinely stronger students; hypercompetition for the appearance of strength produces weakness, or just emptiness.
ヤーヴィンが主に嘆くのは政府の行動が政府全体としては合理的でないことから生じる問題であるが、これは合理的でありすぎると生じる問題
個々人の幸福を無視して人口を増やしまくる政策で税収が増えるとかだとかなり厳しくなる可能性
赤ちゃん工場?
「権力が完全に安定である場合は圧政にならない」という結論にはなるけれども、常にaがbより権力が安定ならaのほうがbより良いということが示されているわけではないので、権力の安定性をx軸、政府の良さをy軸としたとき非単調な (U字などの) グラフになる可能性が否定されていない問題
理想化された完全な権力の安定性は望ましいとしても、現実にありえる程度の権力の安定性は望ましくない、という可能性がある
単なる (水道などの) 独占企業がFnagrlと同じように消費者の収入自体をアップさせるインセンティブをもたない理由はあるだろうか?
独占だからといってラッファー曲線の最大値まで値段を上げることはできないのでは
必需品の場合は?
収入をアップさせるインセンティブがあったところでどうアップさせるのかはよくわからない。生産性がアップする水道水?
鉛などの有害物質はIQを下げるらしいので水道水にそういうものが入っているならそういったものを除去するといいかもしれない
自由を侵害するインセンティブがない、というだけでは自由を積極的に尊重するインセンティブがあるということにはならないという問題がある気がする
自由を侵害するほうが、わざわざなにかしなきゃいけないからコストがかかる、というならいいけど
コストを抑えるということのほうが他人の生活に介入したいという気持ちより大きいならいいんだけど
コミットメント問題・後ろ向き帰納法
1000年という期間が決まっているので、後ろ向き帰納法を使ったらどうなるのか?
もし全部Fnarglに徴税で取られるなら地球人は何も生産しないだろう。だから、Fnarglは「全部は取らないよ」と約束する。
もし一回でも破れば次からは信頼されなくなる (ので人類は生産しなくなりFnargl自身にとって損になる) とすれば、約束が本当であると信じる理由になりそうである
しっぺ返し戦略
table:fnargl_vs_mankind
Fnagrl / 人類 生産する 生産しない
約束通り一部のみ徴税 60 / 40 1 / 5
約束を破って全部徴税 100 / 0 1 / 5
同時に選択するわけではないので展開型ゲームにしたほうがいいかも
人類: 生産する
→Fnargl: 約束通り一部のみ徴税→Fnargl: 60 / 人類: 40
→Fnargl: 約束を破って全部徴税→Fnargl: 100 / 人類: 0
人類: 生産しない
→Fnargl: 約束通り一部のみ徴税→Fnargl: 1 / 人類: 5
→ Fnargl: 約束を破って全部徴税→Fnargl: 1 / 人類: 5
ところが、最後の日には、破って信頼を失う心配がないため、全部徴税で奪ってよい
なので地球人はそれを予想して、最後の前の日には生産をしない
いずれにせよ最後の日に生産しないと分かっているのであれば、「信頼」を取り付けるために徴税を約束通り控えても仕方がないので、Fnarglは最後の前の日にも全て徴税する
なので地球人はそれを予想して、最後の前の前の日にも生産をしない
…以下同様…
よって、――最初の徴税日であってさえ!――Fnarglが約束した税率どおりに徴税することは (そうしていたらFnarglの利益になるにも関わらず) ない
この議論はゲーム理論において、後ろ向き帰納法と呼ばれる
この議論は法律にも適用できる。まず、法律というのは自動的に人々を従わせる効果を持つのではなく、刑罰が起こると予想させる限りにおいてしか効果を持たない
刑罰を約束通り執行するということには未来の信頼を勝ち得る以外の価値がなく、最後の日にやる意味はない。
なら、よって地球人は最後の前の時には刑罰が起こると予想せず、いくらでも犯罪をしていいと推論するだろう
なら、Fnarglはいずれにせよ犯罪をされ(徴税できるパイが減る)ると分かっているのだから、「信頼」を取り付けるために刑罰をしても仕方がないので、最後の前の前の時に刑罰を約束どおり執行する意味もない
…以下同様…
そうだとすると、(絶対) 王制主義者のヤーヴィンにとっては都合の悪い話かもしれない
しかし利潤追求的な統治者がコミットメント問題を解決するために被治者側に何らかの権限を与えうるという話は、ポジティブにも考えられるかも
たとえば、政府が被治者に離脱の自由を与えることで、もし政府が約束を破れば被治者は出ていける、という保証を与えることで、自分の約束 (法の支配を行う、約束した通りの税を徴税する) が信頼可能であることをコミットメントできるようにするかもしれない (これはYoram Barzel(1999)に言及されてる)
無限繰り返しゲームとして、時間割引率を設定して捉えるといいのでは
一定の確率で権力が転覆されるとすると、一定の確率で終わる無期限繰り返しゲームになるのか?
ヤーヴィンは気づいていないと思うが、利潤追求的な統治主体がコミットメント問題に直面するということは、
The decreased political power too is beneficial for the king, since it allows him to credibly commit to lower and more predictable tax rates. (p.11)
(この論文では後ろ向き帰納法みたいなものに依拠しているわけではない。無限繰り返しゲームでも約束を破って事前に決められた税より多く税を取ることを防ぐのは不可能と論じてる。
なんで政府が事前に高い税に設定するよりも約束を破る方がいいのかはよくわからなかった
上で私が論じたのとは異なるが、ある種のコミットメント問題を指摘しているとは言えそう?
これはFnarglよりも、以下で説明するネオカメラリズムで解決されたかに思えたものが実は解決しない (領土からの離脱を制限することで高税率を維持する可能性) 問題かな。)
この論文のゲーム理論的分析は転職が難しい場合の雇用の状況と似てそう? (雇用の場合雇用契約でコミットメントができそうだけど)
においても指摘されており、統治主体を利潤追求的とみなす研究においてはよく指摘されることなのではという感じがする。
ヤーヴィンの主張は、通常のリバタリアンのように自由のために政府の権力を制限/弱め/分立するのではなく、逆に強い政府によって自己所有権を保護すべしと論じる。この点でヤーヴィンは、タイラー・コーエンが言うところの state capacity libertarianism と類似している?
強くて小さな政府
コーエンによると、state capacity libertarian には、ピーター・ティールの影響があるらしいけど、ティールとヤーヴィンには親交があるようなので、ヤーヴィン → ティール → state capacity libertarian という影響関係が考えられる? (原因と結果がどちらかは不明)
state capacity の重要性を説く他の論者:
ヤーヴィンには権力の弱さがかえって政府が大きくなることにつながっているというテーマがあるが、それはKludgeocracyが政府の能力と自由市場をどちらも損なっているという関心にも通じるかもしれない? Ezra Klein: vetocracy
批判的な立場:
I think I might’ve identified as a state capacity libertarian at the start of the pandemic, but I’ve grown increasingly pessimistic about governance to the point that I assume the state will always be stupid and oppressive and making it more competent will only allow it to be better at being stupid and oppressive. Things like civil rights law, the war on drugs, and covid restrictions are more tolerable than they otherwise would be precisely because of slack in enforcement. If you want a country with enough state capacity to actually fight covid, that’s China, and I don’t want that. It’s not just an American failure, as the universality of the extreme overreaction to covid makes me skeptical of state capacity at a more general level. European governments were still doing lockdowns at the end of 2021! If someone has an idea for making government better at cost-benefit analysis, I’d like to hear it, but aiming for competence before you’ve done that strikes me as the wrong path to take.
In fact, I believe the libertarian opposition to sovereignty, dating back to Locke, is a major cause of modern big government. Our present establishments, not to mention our tax rates, dwarf any divine-right monarchy in history. The attempt to limit the state, if it has any result, tends to result in an additional layer of complexity which weakens it and makes it more inefficient. This inefficiency gives it both the need and the excuse to expand.
じっさい、私はロックに遡るリバタリアンの主権への反対が、現代の大きな政府の重要な原因であると信じる。
我々の現在の既成秩序は、税率は言うまでもなく、歴史上のいかなる神授王政をも上回る。
政府を制限しようとする試みは、もしそもそも何らかの結果があるのだとすれば、その権力を弱めるさらなる複雑性の層を付け足し、それをさらに不効率にする。この不効率性は、政府が拡大する必要性と言い訳を与える。
この引用は現代国家より昔のほうがいいと言っているので、昔のほうがstate capacityが低かったことを考えれば、state capacityに反対しているというふうにも読めるかもしれないけど
// 強さ、弱さと言っているのは明確に言うと?
契約の履行と個人の財産権は、それを傷つけないくらい強力な政府に依存している (マンサー・オルソン)
そのような主張をする場合、そもそもの経済的自由の価値について再検討を迫られる気がする[11] ネオカメラリズムの目的: 株式により、政府という組織の所有者 (受益者, 残余請求者, 政策形成への影響力を持つ者) が誰であるかが誰にとっても明確で係争の余地のない安定した状態にし、税収の取り分や権力をめぐって改めて争うインセンティブを無くすこと。
ネオカメラリズムはどういう問題を解決しようとしているのか? →
悪政の分析: 非集権的/分散型の圧政
この説明はそんなにヤーヴィンに忠実なわけではない
ヤーヴィンはもっと政府内での権力争いという捉え方をしていて、囚人のジレンマみたいなゲーム理論的な捉え方をしてるわけではなさそう
あとで言及するハンス・ハーマン・ホップは共有地の悲劇にも言及してたはずだけど
説明: 政策に影響を持つ人 (公務員、政治家、etc) を権力者と呼ぶことにする。
1つの政府内に、権力者A氏と権力者B氏がいるとしよう。A氏とB氏は独立に政治的決定を下していて、利害を調停する手段はないとする。
ここで、A氏がある政治的選択α, βを迫られたとする (どちらか一方を選ぶ):
政策α: A氏に1000円、B氏に0円 の収益 (合計1000円)
政策β: A氏に100円、B氏に1000円 の収益 (合計1100円)
後者の方が総収益は100円大きいけど、A氏はαを選ぶだろう。利己的なら、B氏のことを気にかける必要はない (ただし[5]を参照) 結果として、コストがかかる行為であっても、自分がそのコストを (完全には) 負担するわけではないので気にせずやるということが起こる
政府全体のパフォーマンス (税収) は公共財であるため、各エージェントが勝手に行動した場合、全員が事前に約束して行動する場合の水準より過小に供給される
任期制と時間割引率: A氏とB氏が同じ時期に決定を下しているのではなく、A=今代の大統領、B=次代の大統領、と置き換えることもできる (これはヤーヴィンというよりハンス・ハーマン・ホップのモデル)
その場合、利己的に行動するという仮定から、任期が短い場合、時間割引率が高い利潤最大化行動を行うものとしてモデル化できる 政策βによるB氏の利益を時間的に後に生じる物と考えると、A氏とB氏の2人が相談したりせずにA氏が勝手に決定した場合に、短期的視野に基づく決定をしてしまうことが言える
つまり、
政策α: いま権力を持っているA氏に1000円、だれであれ1年後に権力を持っている者氏に0円 の収益 (合計1000円)
政策β: いま権力を持っているA氏に100円、だれであれ1年後に権力を持っている者氏に1000円 の収益 (合計1100円)
→A氏は権力を握り続けることに確証がないのでαを選ぶ
正確にはA氏は自分が権力を握っている確率が90%以下だと 1000 × 0.9 = 900 以下の利益しか得られないのでαを選び、90%以上ならβを選ぶことになる (ただし、ここで時間割引率は無視する)
(これは権力者が政敵に責任転嫁するのに使えそう: 「我々(A)が圧政的なのは、後で政敵Bに権力を取られるという危険を予想して、短期的な視野で行動してしまうからだ。だから政敵が権力を奪おうとしてくるのが悪いんだーっ!!!」)
このモデルだと、任期のあるシステムよりも、王政での方がインフラのような未来での経済成長に結びつく公共投資が増えると予想できる?
民主主義だと、集計して決定するって感じで、各自がばらばらに独立に決定するっていうイメージはあんまりないからこれを民主主義批判っていうのは違和感あるかも?
上の1000円, 100円などは税収の配分であることも考えられるし、(A氏、B氏が特殊利益団体などの場合) 政策によって受ける商業的な利益であることも考えられるだろう
ヤーヴィンは特殊利益団体の話はほぼしていないけれど、金銭動機だとわかりやすいので例にした
必ずしも金銭的と考える必要もない (主観的にその程度の価値を持っていればよい)
ヤーヴィンは、金銭の代わりに、権力の行使から得る快楽や、「自分の考えた政策が実現されるとうれしい」のような精神的な収益として払われている という側面についても言及している
権力者A氏B氏としては、政策に影響を与えてさえいれば、新規参入者の排除や関税の強化を求める特殊利益団体なども考えることができるし、(ヤーヴィンの例では) 予算を獲得したい省庁などを考えることもできるだろう
ここで、歴史上の徴税請負人などを考えてみても面白いかもしれない
// A氏, B氏を投票者と考えるとどうなる? (投票者は独立に決定をしているわけではないのでこのモデルに当てはめるのは無理そう)
デモなどの政治活動は各人が独立に行うのでこのモデルが適用できる
先のことを気にせず権力闘争に明け暮れることは、社会に副次的なダメージも与える (レントシーキングのような非生産的/有害な活動) 資源が権力を維持したり奪ったりするためにつぎ込まれることは、国際間での軍拡競争と似たようなものと言えそう?
ayu-mushi.iconいや、第三者に副次的なダメージを与えるかというのは、どれだけルールに則った競争が行われるかに依存する気がする
「恋人を巡る争いは、他人に副次的なダメージを与える」というのと、権力の場合とでの違いは? 権力者間の場合は法律などのルールを超えたものでありうるため被害が防ぎにくい、という違いか?
負の外部性のある競争が別のところにダメージを与えるのは経済的な競争でも同じですよね
権力争いが、副次的な効果として別のところで良い結果をもたらす、という状況も考えることができるのでは
民主主義における政党間の競争みたいなのは良い影響があるかもしれないし
個々の権力者の関心が、政府が得る税収のパイ全体を大きくすることではなく、(パイ全体が減ったとしても)自分の所に回ってくる取り分となるパイの比率を上げる、という関心になる
税収のうち自分が取る比率を二倍にするのと、税収自体を二倍にするのとで、個々の権力者自身にとっては同じ価値を持っているはず
もし勝者総取りなら、権力闘争にかけるコストが 勝利確率×総税収 を上回る限りで期待値的にプラス?
ここで権力闘争のための行動がのちの総税収を下げるということが考えられる
敗北した場合に死んだりするなら、「(1-勝利確率) × 敗北時のコスト」を引かなきゃいけないけど
// これはどちらかというと、権力の分立より不確定性から生じる問題っぽい
// 所有権でいうと、A氏とB氏の問題のような取引コストからくる問題ではなく、そもそもαかβかを決める人がA氏なのかB氏なのか定まっていないというような、所有権が不確定であることから生じる問題
こっちは取引コストの枠組みで分析できないので、どう分析するのがいいか知らない
タカハトゲーム?
このことが略奪的な統治に結びつくという考え
政府内の権力/税収というパイの取り分が事前に安定的に割り振られていない状況下では、政府全体の利害 (税収最大化) を考えれば敵であろう勢力 (犯罪者、テロリスト) に利益を与えたり、政府全体の利害を考えれば許さないほうが得であろう行為 (犯罪など) に効果的な対策をしない ことで政府内部での勢力が権力の維持・拡大を有利に進める、というインセンティブがあるということを主張している[7] ヤーヴィンは、ワイマール共和制時代に、プロイセン帝政時代の遺物が残っていた司法府の判事がナチスの突撃隊のような政治的志向が重なる武闘派右翼の暴力を野放しにする傾向があったことを例に挙げている
(非合法路線の連中を支持して政府内の勢力争いが有利に進むのか? という疑問を持った(社会主義者のデモを牽制できるとかなのかな?))
彼は王政の方が小さな政府になると言っているけれども、効果的な対策をしないことで利益を得るということは、民主主義の方がレッセフェールになることもあると言ってるということになる
彼が民主主義というのは本質的に治安維持に向いておらず、民主主義になってから (刑罰が軽くなるとともに) 犯罪が増えたと思っているのはこれが理由なのだろう…統計からすると実際には増えていない気がするけど[9] (彼はリバタリアンにもかかわらず厳罰派らしい)
彼のモデルは民主主義下での犯罪の増加を予測するが、観測事実はそれを支持していないので、彼のモデルのどこかに誤りがあることを示唆している、と言っていいか (モデルというほどのものでもないけど)
ピンカーらは殺人率が低下しているという統計を根拠に犯罪が減っていると主張しているけれど、医療の発展により、昔なら死ぬはずだった人が生き残っている (殺人が未遂になる) という効果があるので、かならずしも犯罪自体が減っているという根拠にならないという再反論がある[9] けど、(2つの勢力は別で、コミュニケーションもしないと想定しているにもかかわらず) 信頼できるコミットメントを形成できるのか という問題に直面すると思う
でもそれは判事が犯罪を許したり政治家が犯罪に効果的な対策をしなかったりというのとは違うからなんか違う話な気がする
もし民主主義でそういうテクニックが使えるなら民主主義では犯罪が増えるという理由にはなるかもしれないけれど
政策が採用された場合もされない場合も暴動を起こすなら、脅しとして意味がない。もし暴動がそもそも得な行為なら、どちらの場合にも起こすだろう。そもそも損な行為なら、どちらの場合にも起こさないだろう。脅しとして意味をなすには、得ではないのに暴動するか、得なのに暴動しないかのどちらかである必要がある。
そうではなく、政策が通ったかどうかによって暮し向きなどが変わるので、暴動が得になったり損になったりするという意味?
実際の人間は合理的経済人と違って怒りなどがあるし、繰り返しゲームの構造になってるかもしれないからコミットメントは成立するのでは
信頼できるコミットメントを形成できない場合、人々が将来の暴動を予期して事前に行動を変えることはないだろう
逆に暴力的な活動家がいると平和的な活動家まで悪印象になることもあるのでは?
「人は安全だと感じると政治的にリベラルになる」という結果を示す研究事例は3つ。
安倍首相の暗殺と統一教会批判は例外?
Sixth, there have been a lot of studies showing that peaceful protests may increase support for a cause, but violent or disruptive protests usually decrease it (1, 2, 3). It’s easy enough to analogize Trump to a “disruptive protest” – in the sense of an ideological cause getting associated with an unsympathetic proponent – and this would be compatible with any of the explanations above. But I notice that most of the research in this area was done on whites reacting to civil rights protests, adding an identity dimension: maybe disruptive racially charged protests by blacks increase the salience of race as a category for whites, causing them to shift their opinions more towards ones based on their race rather than based on other values. ヤーヴィンは公民権運動のときの暴動は公民権運動に政治的に有利な効果を持ったと考えているけど、実際はむしろ支持を下げたとする研究が多いっぽい?
逆に「社会運動は暴力を使うと成功しやすい」という結果があったとしてそれが公になるのかは知らないけど
のようなことからすると、(左派の) 活動家は暴力に走らない方が政府内で権力を獲得するうえでも得なのではという感じがするが
ヤーヴィンは多くの政策が明示的な意図された結果を達成しないと信じているのに、犯罪のような明らかにコントロールが難しそうなものを手段として用いるような行為による利益追求的な行為が可能と考えているのは奇妙ではないか
公の道徳的な目的は達成されないが、隠れた権力追求的な目的は達成されると考えている?
There is certainly no shortage of crimes that such a future (which I find improbable, but not impossible) could blame on the BDH alliance. For example, it is very easy to see today’s Dalit caste as essentially a cynical creation of the Brahmins, a weapon of anarcho-tyranny in the sense of the late Sam Francis, and a key aspect of the ethnic cleansing of the white Vaisya inner-city neighborhoods, which surely if they still existed would be Bushist bastions. From this perspective it’s shocking how Europe, in its slavish postwar imitation of the Brahmin system, imported its own Dalit class to fulfill the same essential political function of (often literally) terrorizing the Vaisyas.
この話は以下のThe Curley Effectみたいなことを指してる?
地方選挙において自分に反対してる投票者に不利な政策をあえておこなうことで、その地域から別の場所に自発的に移住させ、それにより反対票を減らすという選挙戦略
"imported its own Dalit class"というのは移民のことだろうから地方選挙の問題ではなさそうな気もするけど
彼はこの理論で犯罪だけでなく非対称戦争や外交についても論じている
非対称戦争 (ゲリラ戦など、両者の軍事力に大きな差異がある戦争) で軍事的に優位な側が一瞬で勝つということにならないのは、軍事的に優位な国の内部で自国軍の威信を下げることで政治的に優位を得る勢力 (interested third party) がいるからと考えているらしい
イラク、アフガニスタン、ベトナム
ヤーヴィンは、米軍の成果が上がると、国防総省の威信と予算が増え、国務省の威信と予算が減らされるため、国防総省と国務省は対立関係にあると言っている。
ヤーヴィンと似たような論調を取る (というか元ネタになっている) ハンス・ハーマン・ホップが、「民主主義での戦争では民間人を攻撃しないというルールが守られない ("巻き添え被害" をもたらす) から民主主義は悪い」と言ってるのと全く正反対の批判 (現代アメリカは民間人の犠牲に配慮 しすぎる) になっていることは興味深い
Democracy radically transforms the limited wars of kings into total wars.
In blurring the distinction between the rulers and the ruled, democracy strengthens the identification of the public with the State. Once the State is owned by all, as democrats deceivingly propagate, then it is only fair that everyone should fight for their State and all economic resources of the country be mobilized for the State in its wars.
And since public officials in charge of a democratic state cannot and do not claim to personally “own” foreign territory (as a king can do), the motive for war instead becomes an ideological one — national glory, democracy, liberty, civilization, humanity.
The objectives are intangible and elusive: the victory of ideas, and the unconditional surrender and ideological conversion of the losers (which, because one can never be sure about the sincerity of the conversion, may require the mass murder of civilians).
As well, the distinction between combatants and non-combatants becomes fuzzy and ultimately disappears under democracy, and mass war involvement — the draft and popular war rallies — as well as “collateral damage” become part of war strategy.
国務省と国防総省の代理戦争のようにして世界で戦いが生み出されているということも言っている。イスラエルvs.パレスチナなど。
ピンカーに対する新反動主義者 Foseti による応答。Fosetiは、ピンカーが20世紀の第一次世界大戦と第二次世界大戦は因果関係的にはつながっているのに別の戦争とし、13世紀の125年にわたるモンゴルによる諸征服戦争は同じ一つの出来事として死者数を多くして扱っているのは過去の戦争の死者数を多く見せるための恣意的な区分であると批判している。
関連?:
ヤーヴィンのinterested third partyの話はカール・シュミットに基づいているわけだしファシストと共通してもおかしくない?
ヤーヴィンは犯罪に対策しないことで政治的利益を得るという話をするけど、警察や軍隊などを考えればむしろ対策を過剰にすることで予算を獲得しそうな
(過剰だが効果的でない対策だとずっと予算が得られる?) (必要に応じて予算が分配されるとした場合)
国際関係論における realism では個々の国を合理的で利己的なアクターとみなして国際関係を分析している (unitary actor assumption)。一方、ヤーヴィンは政府内の省の方を合理的アクターと考え、国全体としては不合理に振る舞う (結果的に自国のために (すら) ならない悪い外交政策が生まれる) というモデルを用いて国際関係も説明している
そもそもネオカメラリズムにおいて国民概念とはなんぞや、という感じがするけど、ある時期から自国民第一主義的な要素を打ち出しているっぽい(謎)
まあその頃にはネオカメラリズムを捨てて王政に振れてた気がする
この辺は、ヤーヴィンが自分の反民主主義的な政治理論と、自分の関心のある政治的な問題 (犯罪、国際関係) を結びつけることで、自分の気に入らないことを民主主義のせいみたいにしているだけという面もあるだろう
なので、ヤーヴィンの議論全体から彼の政治理論の抽象的な部分だけを取り出すなら、ヤーヴィンがあげるのともっと違う問題について応用していくという方がいい可能性もあると思う
以上のような理由により、権力が分立していればいる (もしくは不安定である) ほど、圧政的な悪い統治が生じる……というのがネオカメラリズムの背景にある悪政の分析と思われる
「政府全体としての税収最大化のための (政府のパイ全体を増やすための) 行動よりも、個々の権力者が自分のパイ (権力、税収) だけを増やすためにおこるパイの奪い合いの方が危険ではないか?」 という観点がある。
進化医学では「感染菌にとっては宿主が死ぬと自分も困るので、生き延びさせたほうが自分にとっても良い。ではなぜ感染菌は有害な特徴をもつのか。他の感染体との競争で打ち勝つために (副作用として) 宿主にも害を為す特徴を進化させるからだ」と考えるらしいが、それに似ている気がする (権力=感染菌と考えると)
〔君主制においては〕国家が自国の領土において保護サービスを独占し、国民からの搾取を強化するけれども、それには限界がある。…また国民が疲弊し、かえって搾取する富の絶対量が減少してしまう。領土も領民も君主の「私有財産」なのだ。
君主も一般の人々と同じく所有している財産からできるだけ多くの利益を生み出そうとする。
よって君主は「明日に多くを搾取するために今日は少ししか搾取しないだろう」。[14]
ところが君主制から民主制に移行したことにより、その限界が消滅してしまう。
君主が財産を放棄し、その代わりに選挙で選ばれた政治家が、財産を任期の間だけ一時的に管理することになる。
政治家は財産を保護するのではなく、自身の利己心に従って財産を利用し、自分の利益を最大にしようとする。任期の後の事など考えない。
国民の財産は近視眼的に浪費されがちになる。
ヤーヴィンの政府理論は主に民主制っぽい政体の批判と、君主制っぽい政体の擁護からなるが、そのどちらにおいてもハンス・ハーマン・ホップの影響が大きいと思う
また、制度派経済学者マンサー・オルソンの定住型盗賊 / 移住型盗賊 モデルも近い議論である もし〔特定の場所で権力を保持し続けることのない〕流浪している盗賊が、合理的に振る舞い、一定の領域に定住し、窃盗行為をするときには定期的に徴税するという形にして、同時にその領域内で窃盗に関する独占状態〔他の人が盗まないようにする〕を維持できたなら、彼は徴税される被害者達に労働のインセンティブを与えることができるだろう。
合理的な定住型盗賊は、所得の〔全部ではなく〕一部だけを税の形で取ることにするだろう。所得を増やすインセンティブを臣民に与えることで、合計での所得をより多く得られるためだ。
もし定住型の盗賊が窃盗を独占できたなら、彼の被害者は他の人に窃盗されることについては心配せずに済む。
もし定住型盗賊が定期的な徴税という形でのみ盗みをするならば、彼の臣民たちは税を払った後にある比率の所得が残ることを知っているようになるだろう。
定住した盗賊にとっては全ての被害者が税収源なので、盗賊は臣民達を殺したり、傷つけたり行為を禁じるインセンティブを持つ。
窃盗行為の合理的な独占化によって、盗賊の被害者たちは課税後収入で手に入れた資本を蓄積できると期待できるようになるので、貯蓄や投資をするようになり、それによって将来の収入も税収も増える。
窃盗が独占化されることと納税する臣民が保護されることによって、無法状態から解放される。
軍閥〔オルソンは中国の軍閥を国家形成のモデルと考える〕は生産全体の一部を税という形で盗むので、税収が増える限りで他の公共財を提供するインセンティブもある。
移住型盗賊の世界ではどうせ盗まれるので、財を生産したり貯蓄したりするインセンティブが存在しないか少なく、したがって盗賊が盗むものも少ない。
そこで盗賊は合理的に考え、ある領域に固定し、自分自身を領域の支配者にして、平和的秩序や他の公共財をその住民に提供する。それによって盗んで去ることから得られたであろう収益よりも多くの利益を税収で得る。
これが「神の見えざる手の最初の息吹」だ: 合理的で自己利益を追求する盗賊のリーダーは、定住し、王冠を被り、アナーキーに政府を与える。
平和的秩序と他の公共財を与えることから得る膨大な利益は、盗賊に、政府を作らなかった場合よりもとても大きな取り分を与える。
マンサー・オルソンは、特殊利益団体のような経済全体のパイの少ない比率にしか関心を持たないため経済全体のパイの減少にあまり気を配らない勢力と、君主や、民主主義でも長期に渡り政権に関わる政党のように経済全体に "包括的な利害関心" (encompassing interest) を持ちパイ全体の大きさに関心を持っている勢力とを区別している
全然読んでないけど、McGuire & Olsonは、民主政におけるマジョリティも定住型盗賊として振る舞うとしているっぽい
そんなことありえる?
公共選択論における Brennan and Buchanan's Leviathan Modelsというのも税収最大化モデルらしい
ネオカメラリズムによる民主主義の問題点の解決策: (以下はayu-mushi.iconによる考察)
A氏とB氏の間で、命令か、取引かの手段で、協調を行える必要がある
ロナルド・コースの会社論的にいうと:
政治的アクターA氏B氏が独立に決定するのではなく、政治的アクター同士で取引ができれば「2人の合計金額 (税収全体) が大きくなるような政策にする契約に同意してよ。増えた分の税収をいくらかあげるからさ。」っていう取引を行えて、政治的アクターが複数人であっても、1人 (1匹?) であるFnarglと同じような税収最大化政策が取られるはず。
しかし、そのような約束に本当に従っているか確かめる手段がなかったり、従わなくても罰を受けなかったり、そのようなコミュニケーションができなかったりするため、そのような取引はできない
ここで代わりに政治的アクターA氏とB氏からなる会社が組織化され、C氏が全体の利益を考えて計画、命令を行い、A氏とB氏はそれに従うとすることによって、A氏とB氏とが協調を行うべきである。そしてそのような会社を組織するとネオカメラリズム政体になる。
つまりC氏は、総税収の大きい政策βの方を取ることをA氏に対し命令する
もちろん権力の分立がある国家でもA氏とB氏というのを省庁、政党、政治家、公務員とした場合は、全体としての「政府」という組織が観念上は存在するということになっているのだけど、C氏の統一された命令系統にA氏B氏が両方入っていなくて交渉とかもしないとすると、結局独立に決定を下すことになるだろう
つまりネオカメラリズムにおいては、政府内では、各エージェントが独立に決定するのではなく、中央からの命令にもとづくある種の計画経済になる
財 (インフラなど) の生産量を、政府内の官庁などの各主体が独立に決定するという場合と、中央計画者がいて、政府内の各主体の財の生産量を計画し、命じるとする場合を考えると、自由経済vs.計画経済とアナロジーが成り立つかな
たとえば各省庁は将来の税収が増えるインフラ拡充と、税収は増えないが人気を得て将来議会から予算を得るための財 (とは) の両方を生産することができるとする (政府について詳しくないのでこれが現実的な例かはわからない)。すると、各省庁がインセンティブに従って独立に生産量を決定した場合 予算を増やす方の財を多く、インフラを少なく生産するだろう。
いくら経済にいいインフラ投資をして税収が増えたとしても、それを行った省庁自身以外にも将来の税収は山分けされることになるため、税収が増えるインフラ投資は社会的に最適な水準より低くしか生産されない、みたいな
正確には利益の部分だけでなくインフラ投資の費用も考えないといけないけれど
価格理論で分析するとどうなるか
材料・人件費 (インプット) の値段: 材料・人件費の市場価格が予算の割り振り方によって適当な歪み方をしたもの。
ここから費用が決まる
生産物 (アウトプット) の値段: …は道路とかの場合ならゼロか。でも、省庁の利益は、値段と売上の積じゃなくて、将来にその省庁に割り当てられる予算かな。
……となるのかな。
ハイエクは国家というのは単一の組織 organization ではなく複数の組織からなる order だって言ってたらしいけど:
To employ Hayek’s (1978) terminology, states with multiple sovereigns are not organizations, but orders comprised of interacting organizations.
The former can be modeled as goal-oriented, meaning they have an objective function they seek to maximize, subject to some constraints. The latter, however, is not goal-oriented; it is a mistake to think of the state as a whole as having a teleology when it contains multiple sovereigns (Wagner 2016). Orders frequently have durable properties that can be analyzed using social scientific tools, however. But we must guard against the temptation of conflating those properties with any sort of intentionality.
「政府」という単一組織があるという記述は、政治的アクター同士の間に何らかの協調手段があるというような印象を与えるね
ロナルド・コースの会社論の文脈でも、各省庁が独立性を持っている場合 政府は組織化されているものとは言えない
ここでC氏は直接命令するのではなく、C氏が各政治的アクターへの予算の割り振り方や報酬体系を工夫することで、A氏とB氏の全体の税収への貢献と各々が個々にうける報酬を一致させるというのもありそう
これは〈計画経済vs.市場経済〉~〈君主制v.s官僚制〉アナロジーでいうと、政府が計画経済で直接生産量を決定するのではなくピグー税で価格を変えて生産量を微調整するのに対応しそう
// この辺がヤーヴィンが「マネジメント」と呼んでいるものだと思う
// ヤーヴィンがよく「責任と権限の一致」と呼んでいるものは、外部性/取引コストの言葉で定式化できそう
責任と権限の一致というのは、ファヨールの管理原則というのに由来するっぽい?
私のコースの会社論の理解があってるのかわからないけど
養蜂家の活動が果樹農家の利益に影響するので最適なのより蜂が過小供給になるため、取引コストが大きい場合は養蜂家と果樹農家が組織化して1つの企業になり、両方が (養蜂家、果樹農家双方の利益を考えて計画を行う) 中央 (上で言うC氏) からの命令に基づいて生産量を決定するという理解でOK?
あたかもボトムアップな利己的な複数のアクターの独立した意思決定のインタラクションから決めるのと、トップダウンな利己的な単一のアクターの独裁しかないような二項対立をしてしまったけど、「ボトムアップな意思決定から問題が生じます → 理想化された benevolent dictator、官僚神なら解決できます」という話があったからといって、「理想化された benevolent dictator、官僚神」 の部分を「利己的な王」に置き換えてうまくいくとは必ずしも限らない (トップダウンかボトムアップかだけで判断できるものではない)
C氏には全体の利益を考えた適切な計画を行うインセンティブがあると仮定してしまったけれど、じっさいそういう仮定ができるかは独立な議論が必要になる
まあ株式会社システムならC氏は政府全体の税収が上がれば自分の利益も上がるので
rational central planner(garden) vs. Moloch
官僚神 (bureaucrat-god)という言葉の元ネタ:
※官僚神(a bureaucrat-god)とは David D. Friedman がCh.15から導入したアイデア(キーワード)で、人々の選好と生産関数を知り尽くし、 人々に何でも命令できる慈悲深い神のこと。 その目的はマーシャルの意味で経済厚生を最大化することである。 たとえば関税廃止政策がある人々の犠牲で国民全体を豊かにするなら それはパレート効率ではないが、マーシャルの意味で効率的である。 〔関係ないけど、ここでのパレート効率は、パレート改善の間違いでは?〕
ヤーヴィンの議論では、君主が、政府内では、D.フリードマンのいう官僚神の役目を担わされているように思える (あくまで政府内であって、経済全体を指揮する能力があると思っているわけではない)
ヤーヴィンは君主を利己的だと仮定しているが、それでも官僚神のようになれる、という主張に依拠しているように見える
本当は、利己的/利他的、トップダウン/ボトムアップで4象限 考えられる。トップダウンかつ全体の利益を考慮しておりかつ計算能力・情報が完璧etc.etc. であれば、multipolar trap を回避しつつ良い統治を行うだろう
↑この文は共産主義を支持してるのか王政を支持してるのかよくわからない文だ
単に所有権を設定するというだけなら、A氏が影響を及ぼせる政策の範囲はここ、B氏が影響を及ぼせる政策の範囲はここ、というような「所有権」の設定方法もありえる?
そのような意味での「所有権」は上での例だと既に前提されているものだとも考えられそう (政策α, βのどちらを取るかを決められるのはA氏だけだと仮定しており、その権限について争いは生じ得ないとしたので)
任期というのは時間切片の所有権では
とすると、上のようなA氏とB氏の問題というのは、所有権の欠如というより、所有権の (その所有権の行使によって全体の税収に与えるコストが各政治的アクターの受ける利害に内部化されていないような) まずい分割法から来ているということもできるか
つまり、権力の分立から来る問題と、権力の不安定性 (?) から来る問題は厳密には別のものということか
ヤーヴィンは「権力と責任の一致」はフォーマリズムの原理であるということを言っているが、それは要は (個々の政治的アクターの行動が全体の税収に及ぼす) 外部費用が内部化されていることだと思うので、それはフォーマリズムの公式の説明にあるような「権力/所有権の分配について、その分配の内容がどんな分配であれ、係争の余地がないこと」ではなく、「所有権の特定の分配の仕方について、外部性/取引コストの問題が発生しないこと」という分配の内容面に踏み入った話だと捉えたほうがいいと思った
絶対王制と独裁制・全体主義との違い
ヤーヴィンは、「独裁制・全体主義は王制やFnarglと違い、独裁者が権力を転覆される可能性を考えたとき、上のA氏のように (転覆されたあとで上がる税収利益のことは考えずに行動するため) 短期的な視野にもとづく決定をしてしまう」みたいに考える[7] ここでは転覆した後権力を握る人間を、B氏と考えている
さらに、独裁者の場合、税収の最大化 (パイを大きくする) よりも権力の維持がその統治のもっぱらの目的になっている、と考える
権力の維持のための政策として、潜在的な権力への脅威を破壊するか、(利益などを与えて) 懐柔するための政策を行うことになる
ヤーヴィンの主張によれば、言論統制などは権力の維持のための政策であり、完全に安定した権力を持ち、税収最大化のみを気にかける統治者は言論の自由を保証することができる
これはカントの意見に似ている。
@kant1724_1804: みずから啓蒙されていて、わけのわからない不安におびえることのない君主、しかし同時に公共の治安を守るために訓練された多数の兵士を擁している君主だけが、共和国といえどもあえて語る勇気をもてない次の言葉を語れるのである。「好きなだけ、何ごとについてでも議論せよ、ただし服従せよ」。 たぶん似ている理由は、両方ともフリードリヒ2世が元ネタだから?
しかし、それはせいぜい権力が完全に安定な政府は言論の自由に対して中立的であるというくらいで、積極的に言論の自由を保証するインセンティブがあるかというとそういうわけでもなさそう (新規住民を獲得するためには、言論の自由があると有利かもしれない(あるいはPR的に都合の良くない意見を弾圧するかもしれない))
批判的な意見: Scott Alexander "The Anti-reactionary FAQ"の指摘によれば、エリザベス朝イングランドでは新聞は禁止され、秘密警察があった。ヘンリ8世は反逆罪を制定し、エリザベス1世はそれを強化した。言論の自由を保っていたのは、むしろ共和制のオランダなど。王政国家が表現の自由を保証するとは言い難い。 ヤーヴィンはプロパガンダを行うのは権力の維持・拡大のためだから、権力が完全に安定なら必要がなくなり行われないだろうと言っている。権力者が人を勤勉にさせるためにプロパガンダを行う可能性は考えていないようだ。
勤勉にさせるための宗教とかを強制する可能性はないの
経済成長すると (力をつけた市民の反発により) 政府が転覆されるという危機がある場合、安定でない権力は経済成長的な政策を行うことができない
もし王政が経済成長のインセンティブを持つというなら、キム王朝に支配された北朝鮮はどうなんだと言われることがある。それについてヤーヴィンは、北朝鮮は支配者が特定のイデオロギー (社会主義) を持って政策を行うことが、権力の正統性を保ち、他の潜在的な権力者から文句をつけ (権力の地位を追われ) られないための必須条件となってしまっており、なのでいくら税収で金正恩自身にとっても得になるだろうといっても市場経済化できない、という分析をしていた気がする
金正恩自身はお金持ちすぎる (確か日本の富豪と比べて10位以内には入る) のでそれ以上税収を増やそうとしてないという説明もありそう?
この説明の場合、ネオカメラリズムや王政も北朝鮮のようになる可能性が否定できない
でも株主がお金持ち過ぎて利潤追求をやめる会社なんてあるのかな。ドワンゴは川上会長のときは会長が株いっぱい持ってるから利潤にならないことでもやってたらしいけど。まあイーロン・マスクみたいな人が株式を買い上げて利潤にならないことをすることはありえますね(イーロン・マスクの場合は前のTwitterより利潤追求してそうだけど)
ヤーヴィン: 王制では相続が法により定まっており、権力争いをふっかけるインセンティブが小さい一方で、独裁制では、独裁者を殺した人が新たな独裁者になったりするため、わざわざ権力争いをするインセンティブが大きい[10] しかし、古代ローマの軍人皇帝時代、百年戦争、テューダー朝期イングランドなど、王制における相続争いは歴史上たくさんある
王政でも王を殺した人が王になることはある
スターリンは自分の権力が奪われることを恐れていたために大量粛清を行ったという (ヤーヴィンによると)
ayu-mushi.iconホッブズの自然状態における相互不信ゆえの暴力――相手に攻撃されたくないがゆえの先制攻撃――に似てる ヤーヴィンは名目上の権力と事実上の権力が一致しないことを (名目上は独裁制ではないが事実上独裁制である) 独裁制国家と (名目上民主制だが、ほんとうにみんなが権力を持っているわけではないので事実上は民主制ではない) 民主制国家に共通の欠点としている。
ayu-mushi.icon王政でもハプスブルク家は神聖ローマ帝国を事実上世襲していただけだった気がする
Gray Mirror of The Nihilist Princeで著述を再開したヤーヴィンは、Unqualified Reservations ブログで執筆していた頃と違って王制と独裁制の違いを強調していないように見え、独裁をも肯定するようになっているようだ
所有より経営を重視するようになったという変化とみなせる?
コースの会社論は特に所有権の重要性に関する話ではなく経営の重要性の話 (失敗する場合でも所有権は確定していると仮定している)なので、著述再開後のヤーヴィンは所有権を重視する「新反動主義」Part. 3 フォーマリズムではなく コース的な正当化に頼れるかも Bruce Bueno de Mesquita は独裁制においては独裁者が権力を維持するため少数の有力者のご機嫌取りをするだけで済むのがよくなく、よりたくさんの受益者のご機嫌取りをしないと権力を維持できない体制の方が優れているというようなことを言っていたと思う。一方、ヤーヴィンによれば誰が政府の (第一の) 受益者となるかが明確で、その地位についての係争の余地が発生しない体制こそが優れている
「権力者が誰にご機嫌取りをする必要があるか」が確定したものではなく、そこに係争の余地がある場合は、その地位をめぐって競争が起こるため、よくない
カストロはとても権力の地位が不安定な独裁者で、それゆえ彼はその党の「株主」に広範囲のフリンジ・ベネフィットを支払う必要がある。そして、カストロの反対者たちに、彼ら (=反対者自身) がキューバの圧倒的多数であるということを悟らせるようないかなる行為も弾圧する必要がある。彼の支配は主に軍事的ではなく、心理的なもので、そのため脆い。彼は、群衆に対して発砲できると信頼できるような保安部隊を持っていない。
ヤーヴィンの政府分析の特徴
政府の振る舞いを合理的なエージェントのインタラクションから説明しようとするところに公共選択論との類似性がある
全員の行動をがお互いに与える影響を考慮して全員の行動をまとめて決めるトップダウンな意思決定ではなく各自がばらばらにボトムアップに意思決定することから来る失敗として分析している点で、「市場の失敗」的な政府の失敗の分析と言えそう (逆に計算能力・情報の欠如による政府の批判 (社会主義計算問題、ハイエク) は、トップダウン型の意思決定の問題を指摘している)
上のA氏とB氏を共通の命令系統に入れようという解決策は、ある種 計画経済的と言えるのでは (一方、[5]は自由市場的な解決と言えそう) ヤーヴィンによる現状の政府の政策の分析は、誰のものか未確定な同一の希少資源を複数の勢力が争っているから悪い政策が生じるのだ、という構造を持っている
同一の希少資源というのは権力や税収 (予算、助成金) のこと
また、ヤーヴィンは、アカデミックエリート(バラモン)(と不可触民(黒人やヒスパニックの下層階級))というアクターが、アカデミックエリート以外のエリート、オールドマネー(オプティメイト)やヴァイシャ(白人労働者? プチブル?)というアクターとの間で[4]、政治権力という希少資源を争っていく過程で、権力を獲得・維持する手段の副作用として悪い政策や政治的に都合のいい偽情報が生まれていると言っている。 権力が誰のものか (戦ったら結局誰が勝つか) 事実上は確定していても、それが株式のように誰にとっても明確なものでないと、けっきょく「自分も権力を取れるかも」「相手に取られるかも」という間違った観念から無為な権力争い、政治活動をしてしまい、それが問題だ、ということも言っている
会社としての政府組織
ヤーヴィンはネオカメラリズムに限らず、現存する政府形態の分析においても、政府を利己的なエージェントたちがある程度の協力をして利潤 (税収など) 追求のために運営する、領土を所有する会社であるとみなして分析する
(ちなみに天皇機関説も、国家は法人であるとする国家法人説を取るらしい。ヤーヴィンの立場は、国民の役割を政府組織の一機関に過ぎないと考える国民機関説 (?) (適当に言った)) Auster & Silverは、政府組織全体としてのパフォーマンスは公共財なので十分に提供されず、フリーライドのインセンティブは残余請求者 (公務員/従業員に給料を払った後で残りを受け取る存在) の居ない民主主義で特に大きい、とヤーヴィンの主張を先取りする議論を行っている。 残余請求者にとっては、無駄を減らした分は自分のポケットに入るので、パフォーマンスを監視するインセンティブがある。
ただし、いくら無駄が減るといったところで、減った無駄の分が他人のポケットに入るのであれば、株主以外の人にとっては何も生活が良くなったことにはならない、っていう反論がネオカメラリズムへの反論としてはけっこうクリティカルなのでは。
株式を全国民に分配するとかではない限り、普通の人にとっての利益がない
加えて、Auster & Silver は、(政府には強い人事権のある人が居ないので) そのようなフリーライドをしたい人、する能力の高い人が自分から公務員に志願しやすいという逆選択の問題があり、結果的に公務員をくじ引きで選んだ方がマシな可能性も指摘した
ヤーヴィンは民主主義の中で、選挙で選任された政治家よりも官僚が強い状態を 官僚民主主義 (bureaucratic democracy)と呼び、選挙で選任された政治家が強い状態を 政治家民主主義 (political democracy) のような区別をしている?
ヤーヴィンは官僚民主主義を民主主義に含めていることもあるし、含めていないこともあるが、ここでは上記事に倣って、含めている
あとには官僚民主主義とここで読んだものは君主制・民主制と対比して寡頭制とも呼んでいる
この記事も寡頭制に直すかも
でもそれだとネオカメラリズムとの対比がわかりづらいか。ネオカメラリズムも寡頭制みたいなものだし。
ヤーヴィンは会社の所有権構造に注目して分析する (企業所有論)
「政治家が強い民主主義=消費者協同組合」分析
そうすると、民主制政府とは (客=国民とみなすと) 協同組合のような会社である
客によってコントロールされる会社は、協同組合と呼ばれる〔生協とは生活協同組合のこと〕。協同組合は、その客層が同質かつその経営 (management) が比較的混み合っていないような、小さな事業には適している。
しかし、規模が大きくなるとすぐ崩壊してしまう。なぜならば、客たちが味方に有利に助成しようとする複数の派閥に分かれてしまうからだ。
たとえばその協同組合が果物屋だった場合、さくらんぼが好きな人は、低い利ザヤ〔利ザヤ=原価と売値の差〕やあるいは負の利ザヤ〔つまり原価より低い値段で売る〕で さくらんぼが〔組合員に〕買えるようにするよう煽動する党を作るかもしれない。
これは〔さくらんぼによる収益を下げる代わりに〕桃の値段を釣り上げることでできるし、じっさい桃が好きな人よりさくらんぼが好きな人が多ければまさにそういうことが起きる。
結果として、人々はお互いにいがみ合いはじめ、事業全体が崩壊する。これが大抵の協同組合の末路だ。
(ペンドルトン法以前のアメリカのような) 政治家が強い民主主義では選挙で公選された政治家の、公務員を指名したり解雇したりする政治家の権限が強いため、猟官制 (スポイルズ・システム) が横行し、機能しないと考えているようだ
ジャクソニアン・デモクラシー? 金ピカ時代?
国民内の勢力同士が公職や税収を奪い合う争い
「民主主義 = ステークホルダー総会」分析
ヤーヴィンは株式と選挙権は何が違うのかという疑問 (ネオカメラリズムでも民主主義でも一緒なんじゃないのという疑問) に関して、「選挙権と株式の最も重要な違いは、株式により利益配分が厳密に決まる (配分に文句をつけることによる争いが起こらない)点」、「 株主が株を持っているからといって客としての利益は受けないという点」であるという。 "A Formalist Manifest" posted by: Mencius on April 24, 2007 12:43 AM ("But the biggest difference is …") // 以下はayu-mushi.iconの考察:
https://gyazo.com/65481c573269fac6aa1b1a7a2d323525
https://gyazo.com/804ab0c00d34e655fcf6ee58482054bd
あとで読む:
Jensen, Michael and Meckling, William "Theory of the Firm: Managerial Behavior, Agency Costs and Ownership Structure"
(ここは消費者共同組合という項目なのに、労働者協同組合の話を置いておいていいのか? たぶん似たような議論が当てはまると思うけど)
株式会社の場合、株主の会社に対する
会社の利潤への貢献は融資
会社の利潤から受け取るものは配当
として明確になっている。
従業員が所有者の場合だと「貢献」が、客が所有者の場合だと「受け取るもの」が金銭ではなくなるので、「貢献」から「受け取るもの」を決定するのが容易でなくなる (政治の余地が発生する)
客として受けている利益や、労働者として行った貢献は必ずしも客観的に測定できるものではない。
(そもそも貢献から受け取るものが決定されるのはなぜ?) (従業員であれば何かしら働きに対して報酬がないと働かないしその報酬が固定だと所有者というより被雇用者になってしまう)
所有者間の (貢献に応じた) 平等というのがなんか複数ありえるうちでシェリングポイントとして顕著だからなっているだけなのか、それ以上の理由があるのか
もし所有者間が平等でなければ損になっている方の人々は他の企業に移った方が得という理由?
株主総会 (ネオカメラリズム) は各々の取り分が確定してるから如何に利潤を最大化するかという共通関心で協力でき、言い争いも単にどうすれば利潤が出るか (= 全体のパイを増やせるか ) という事実問題でしかない
持ち株数が多い少数派と持ち株数の少ない多数派の間で利害が対立したりすることはあるかもしれない?
いま株主平等の原則が守られているが、それは政府のおかげだとすると、株式会社自身が主権を持っている場合には守られなくなるかも?
一方、ステークホルダー総会 (民主主義) ではパイの分け方自体操作する余地があるから全体のパイを減らしても自分の取り分を増やす活動にエネルギーを注ぐ (社内政治をする) インセンティブが大きい
たとえば株式を国民全員が1つずつ持っているというようなネオカメラリズムも想像できるけど、これはほぼ民主主義と同じだし、民主主義と同じ問題に直面することが想像できる(有権者が配当からだけではなく客としての利益も追求できてしまう問題、株主間のフリーライダー問題)。
だから、ネオカメラリズムの利点がつぶれないようにするには、
比較的少数の
外国人
が株式を保有するというようなスタイルの場合だろう(それならフリーライダー問題が抑えられるし、株主が同時に客としての利益をも追求することはできない(その国に住んでいないので))。
国内の経済的に得している人間や企業が、プレイヤーとしての自分らがさらに有利になるように経済を誘導するためレントシーキングするのを避けるためには、ほとんどの株主を (複数の国の) 外国株主にしたほうが良さそう
株主自身が国内のプレイヤーである場合、金権政治と同じ問題が生じうる。金権政治だと、マンサーオルソンのいう concentrated benefit と diffused costsの仕組みにより、特殊利益集団による利益誘導政治が出現すると考えられる。また、Vitalik Buterin "Quadratic Payments: A Primer" がいうように、金権政治は集団による協調がなくても、つまりオルソンとは違った理由で、concentrated benefitを優先するという問題がある。 違った理由ではなく本質的には同じかも (diffused interestはフリーライダー問題に陥るという)
住んでるのが外国でも、グローバル社会では国内のビジネスに経済的に関与している人が同時に主権株式会社の株式を持つことを排除できないのでは?
For example, it is generally unhealthy to have a large quantity of patron-subscriber overlap. When a sovcorp's patrons and subscribers are the same people, the conflict of interest is inherent. Actions which harm most or all subscribers may turn out to benefit some or many patrons.
たとえば、市民と株主の間にオーバーラップがあるのは通常不健全だ。市民と株主が同じ人の場合には、利益相反は明白だ。ほとんどあるいは全ての株主を害する行為が、少しあるいは多くの市民の利益になるかもしれない。
多くの市民の利益になるならいいじゃん(?)
これ市民と株主 逆になってる?
どういう仕組みで住民自身が株を持って政治的に影響力を持つことを止められるんだろう?
株式市場はリスクのある事業に融資するためのものであって、政府はそういう事業ではないので他の会社形態が適しているという可能性がある?
税収は不確実な要因によって変化するのではないか
株式投資による融通の仕組みがあることでリスクが取りやすくなって戦争などのリスクの高い決定をできてしまう (もしそれの期待利益が大きいなら) 可能性もある?
民主主義の方が政治家が自分でコストを背負わないのでリスクの高い決定をしてしまう可能性もある(戦争で負けて再選しなくなる という場合はコストを背負っているけど)
政治家は自分でコストを背負わなくても、国民は徴兵されたり、戦争のために徴税されたりするならコストを背負うことになるので、戦争する政治家には反対が集まるかもしれないけれど
行政国家の分析
移住型盗賊としての行政機関/官僚:
現代では (アメリカの) 選挙で選ばれる大統領はCEOと違って行政府の限られた部分しか指名できない (Plum bookと呼ばれるものに書いてある政治任用という職位のみ指名できる) ので、選挙で当選された政治家や彼らが指名する職員、有権者よりも公務員の方が強いという議論をしている permanent civil service: 政権が変わっても人員が変わらない官庁
公務員には猟官制 (スポイルズシステム) を避けるために強い身分保障があるため、他のエージェントのコントロール下にない
つまり、アメリカの公務員は年功序列や終身雇用という概念がなく、公務員ですら次々に転職をしていくことが慣例なのです。
…
アメリカの公務員は余程のことがない限り解雇されない
アメリカの公務員は民間企業のような解雇はありません。
人事評価において、実力主義や成果主義が原則のアメリカの民間企業では、ある日突然解雇を言い渡されることは珍しくありません。しかし、公務員の場合、担当の仕事をこなしていれば解雇されることは滅多にありません。
仮に、アメリカの公務員が解雇されるような場合、雇用側は法律に基づいて「能力・経験・勤務態度・勤務成績」といった明確な解雇基準を示す必要があります。
ペンドルトン法, Footnote Four, Chevron deference
ちなみにトランプ政権はSchedule Fという政策で公務員の身分保障をなくし解雇しやすくしようとしているらしい
強い人事権を持つ人がいないので、CEOが居ない会社のような状態にある
公務員が上位の経営に従うのではなく独立に動くものとして、労働者協同組合にたとえている
ヤーヴィンはアメリカ合衆国政府では最初判事と行政組織の公務員に実権があると言っており、それ以外の残りである大統領 (および大統領に任命された政治任用と呼ばれる行政府の職員) と議会の権力を小さく見積もっていたようだが、後に政府官庁は立法府に従属しているというようなことも言っており、議会の持つ権力に関しては彼の中での扱いが大きくなっているっぽい。
In theory, the civil service is part of the executive branch and reports to the President. In practice, as Woodrow Wilson himself pointed out in 1885, “the actual form of our present government is simply a scheme of congressional supremacy.” The strong Presidents of the 20th century—Wilson, FDR, LBJ—found ways to intimidate Congress, but only in alliance with a young and rising civic core.
The civil service (the actual government) is in the legislative branch. It reports to Congress. That is: it literally reports to Congress. Who testifies before the White House—or has their real budget set there?
ホワイトハウスが、建物ではなく組織の名前として使われているときの意味ってどういう意味?
大統領の持つ権力に関しては、一貫して (現代では) 小さいと言っている。
権力者 = 所有者 = 残余請求者 というフレームワークでいうと、公務員にお金が入っていたほうが辻褄が合う気がするけど、実際には公務員の給料は税収の用途のうち大した部分を占めるわけではないんだった気がする
「公務員は所有者である」「レントは所有者に入る」という仮説からすると、政府に競争がないことによって大きな独占レントが公務員に入る、と予測されるのでは?
ヤーヴィンはここで公務員だけではなく「公務員 + かれらを選挙で支持する福祉受給者」 という総体が所有者なんだと言ってみたり、公務員にいったん政府利潤が送られたあとその利潤を彼らが自発的にチャリティとして別の主体に譲渡するというようなモデルで所有権構造を分析するかもしれない
ヤーヴィンは福祉についてのゼロサム的・再分配的な見方を前提としていると思う
しかし企業所有論の文脈での所有と言ったときは権力を持つ人と受益者が一致していることが想定されているので、ここで企業所有論を当てはめるのは難しいということなのでは
官僚が政策策定を担う場合において、以下のようなインセティブの歪みを指摘している:
たとえそうすることで政府組織全体の税収が長期的には落ちるとしても、個々の行政機関は活動を増やすことで自分の部署に権力や予算を回そうとするインセンティブを持つ
この点については下で議論する、コーポレートガバナンスとのアナロジー ("官僚制の分析") も参照。
「省益あって国益なし」?
「構造的に、官僚は規制や支出を増やすことで利益を得るのだ」という議論である
公共選択論でも、官僚の行動の予算最大化モデルについて論じられているようだ (ニスカネンの予算最大化モデル)
ニスカネンの予算最大化モデルでは官僚は自分たちが自由に使える予算を増やしたがると仮定する。公共財の最適な供給をするには限界便益と限界利潤が一致する点 (それ以上増やすことのコストが便益を上回る点) で生産を止める必要があるが、予算最大化する官僚はそれよりもっと生産を行いたがる。
議会は情報を官僚より持たないので、最適を目指して細かく案を調整することはせず、やらないよりはマシという案である限りで承認する。
総便益が総費用より下回る点まで生産する場合は公共財を提供しないほうがマシなのでそこまでくると議会は予算案を拒絶する。なのでギリギリまで生産する。
これって最後符牒ゲームで999円 : 1円みたいな分配を提案するようなもんじゃないの?
ヤーヴィンの例: 国務省は外交を増やしたがる
予算最大化モデルへの批判として登場したモデル
省庁全体の利益を追求するというの自体がフリーライダー問題により難しいのでは? と、予算最大化モデルを批判する
ヤーヴィンは、省庁が自分の部署の必要性を宣伝するような研究に助成金を出すことで、省益を追求すると言っている
Other scientists of the same caliber are actually working on the same problem. Their funding comes not from Exxon, but NOAA. It is not corporate, but sovereign.…
の部分
ヤーヴィンはこれにより科学研究にバイアスがかかるという。
ayu-mushi.iconそれなら、文科省やアメリカ国立科学財団のような科学助成に専用の組織だけが研究助成を行えるようにすれば解決するのでは (アメリカ国立科学財団が、科学の必要性を宣伝する研究に助成を行う可能性はあるけれど)。
仕事が増えるの嫌だから、むしろ縮小してほしいという公務員もTwitterで見たけど
官僚民主主義では利潤を最大化する代わりに人件費を最大化する?
(コストを自分だけが負担するわけではないので) コストを減らすインセンティブが少ない
コストを減らすインセンティブが少ないということは効率的な作業を行う見込みが低い
一方、株主などの残余所得受領者 (人件費などを支払った後の残りの利潤をもらう人) が居れば、人件費を減らすインセンティブがあるし、従業員の自分の予算だけを増やすなどの振る舞いを止めることで自分の利益になるので止めるインセンティブを持つ
(Auster&Silverがヤーヴィンに近い話をしているので紹介すると:) shirking: スーパーマーケットに卸売業者から何を買って商品棚に置くか決める人が、仲良くしたいので性的に魅力のあるセールスパーソン (卸売の) から買っておく;その商品が仮に売れなくても自分が損するわけではないから気にしない、などの行為。つまり与えられた権限を与えた側 (雇用主) の目的以外に使用する行為。職権乱用など。雇用・解雇における権限など、マネジメントがないとshirkingが横行する。
雇用での採用基準がガバガバだと、shirkingがうまい人が職に応募するという、逆選択の問題も指摘される。
shirkingの拡大を制度的エントロピーという
疑問: 予算最大化行動をするのは省か庁か個々の公務員レベルか?
ヤーヴィンは、行政府を共和党側の国防総省(Red Goverment) と、民主党側のそれ以外の省庁(Blue Government) に分けて、それらの対立が働いているとみなしているけど、このような単位での分割は正当化されるか?
どっちの党が選挙で勝つかによってもたらされる省庁の利益の違いは合計ではなく個々で見てもかなりあるとすると正当化できるのでは
もし行政機関間に協力が成立していないというなら他の行政機関の予算を減らして取ってこようとするインセンティブも持つはず?
行政機関がn個あるとすると、自分に予算を増やすのがxの利益だとして、他の行政機関の予算を減らすのはその分が自分側に1/(n-1)の確率で回ってくるという仮定を置くとしてもx/(n-1)の利益にしかならないのでは
ヤーヴィンは、政府のその特定の部署に依存して生きる人を増やすインセンティブもある (自立させるインセンティブがない)、とも言っている
救済対象が死んでいるより生きていたほうが予算がもらえるので救済対象を生かすインセンティブはある、良いことじゃないか という考えも可能かも (from: @moriyaki)
もし予算が一定なら、もし誰かに送らなかったお金は他のことに使えたかもしれないお金なので、依存させないインセンティブがあるかもしれないけど。もちろんヤーヴィンがいいたいのは予算は一定ではなく依存している人の数によるだろう、ということだろうけど
mandatory spendingっていうのが、政府プログラムに受給資格のある人の数によって自動的に決定される財政支出らしい
ヤーヴィンは、予算最大化行動の結果として、現代の政府が大きな政府になってきたと主張する (政治的エントロピー、赤色巨星国家 red-giant state)
(政府支出が多くなっていることの他の説明: 福祉の政府支出の割合と経済成長との間には相関があるので、所得が上がっている間は税を取られても損失と感じにくい (参照点が過去に設定されることによる損失回避バイアス) ことによって、経済成長が進むに伴って大きな政府になってきたという説明) (もしそうなら、税収は税率×経済のアウトプットであり、経済成長は税率も経済のアウトプットのどちらも上げることになるので、政府は経済成長を促す強いインセンティブを持つことになる?)
工業などの生産性があがると同じ人員を雇うためにサービス業は前より大きな給料を払わなければならない ので政府支出がサービス業に偏っていて、かつ経済成長が生産性の向上によっているならGDPに対する政府支出の割合は今までと同じサービスを提供するのであっても増えることになる
ayu-mushi.iconモデルは、経験的な妥当性を持つと言えるためには、観測より大きすぎも小さすぎもしない予測を出さなければならない。もしモデルがアメリカが現に観測されるよりも大きい政府になるとモデルが予測しているなら、その観察はモデルに反する証拠となる。proving too much になってはいけない。政府が何をするか、だけではなく、何をしないか、についても、モデルは観測と一致する予測を出す必要がある (反説明) "悪い現状"という自分が持っているイメージをモデルが説明するように見せるだけではダメでしょう
そもそも観測データを見てからモデルを立てる場合、モデルを立てて新規な観測を予測する場合に比べ、モデルを支持する証拠として弱いが、ヤーヴィンは新規な予測みたいなものを出さないね
リバタリアンが「なぜ大きな政府になるのか」と問うとき、人が「なぜ犯罪があるのか」「なぜ汚職があるのか」と問うのに似たところがある。じっさいには「なぜ法律を遵守する人がいるのか」「なぜ汚職がないのか」も同じくらいに不思議なことだ。しかし、規範からの逸脱のほうが説明を必要とすることのように考えてしまう。
「歴史的に政府が大きくなったのはなぜか」とは問えるけれど
ヤーヴィンは省庁同士が調整しあわずにおのおのが好き勝手に予算最大化行動をするというモデルを取る一方で、政治的には公務員・学者・記者は協力し合うというように言っている。これに矛盾はないか。
もし後者のような協力が可能なら、公務員たちはある種のカルテルのようになって、公務員になれる資格 (学歴など) を新たに得る人を減らすように協力して働きかけを行うことなども考えられるのでは (つまり、医者会が医師免許を厳しくして、新規参入者を抑制するというような感じで)
だから、政府による国立大学とか、学費免除みたいなことに反対するかもしれない
公務員になるための資格を制限しても、どっちの政党が選挙で勝つかほどには、回ってくるお金は変わらないのでは
いつもはお互いに争っているが、国家に侵入されると団結して抵抗するアナーキー連盟みたいな感じにならないか
ヤーヴィンによると報道記者は民主党側の勢力だけど、トランプが当選してニューヨークタイムズの売上は2倍か何かに増えた (とヤーヴィンが言ってた) んだから私利で行動すれば記者は民主党応援する必要ないんじゃない?
予算の決め方によって政府支出が増えていると考えるなら、予算の決め方は国ごとに違いがある (議会なのか財務省なのか) はずだから、予算の決め方と政府支出の相関が出るかどうかを見ることでヤーヴィンの仮説をテストできないか?
@yukato_te: 財務省が嫌いな人、アメリカの予算編成のやり方は気にいるかも。フクヤマは規律がなくロビイングだらけな事を批判してる。だけどその上で民主的でオープンなアメリカ方式を好む人はいると思う。 ヤーヴィンは予算最大化モデルみたいなものの帰結として公務員や学者は政府介入に肯定的みたいなことをいうけど、ブライアン・カプランによるとむしろ一般投票者の方が反自由市場的
If public opinion is so socialist, why do we have markets at all? Why don’t government spending and economic regulation increase indefinitely until we’re the Soviet Union? This is the question we need to ask before we get into the topic of the likely impacts of demographic change. There several reasons, but I want to highlight four that I think are particularly important.
1. Experts have a disproportionate influence on public policy, and as Bryan Caplan points out in The Myth of the Rational Voter, economists, whether on the right or left, are more pro-market than the masses.
労働者協同組合
従業員が所有する会社は労働者協同組合と言われる
(1)付加価値の形成に最も貢献している者が会社の監視に当たることが適切とは限らない――従業員を球団の選手に例えれば、選手に監督(経営者)を選ばせると、選手はその監督の下で優勝できる可能性よりも「その監督が自分を使ってくれるか」を優先するインセンティブが働くため、外部からそれを監視する必要がある――
(b)また従業員の会社へのコミットメントが強いことは、むしろ過大なマーケット・シェアの拡大や多角化によるポスト増を求める方向に働き、一方で雇用確保のため不採算部門からの撤退を難しくし、企業変革を遅らせる
と似たようなことを言いたいんだと思うけど、
なぜ、従業員の力が大きいときにポスト増をするんだろう…自分の給料は人が少ないほうが上がるかもしれないのに
むしろ従業員所有の会社は全員の賃金が同じ場合、平均的な生産性より高い従業員しか雇用するインセンティブがないが、株主所有の会社はその人の生産性が支払わなければならない賃金を上回る利益をもたらす限り雇用を増やすインセンティブがあるから、株主所有の会社のほうが従業員は増やすのでは
ヤーヴィンは公務員が公職という形で職作りをしたがるというが、自分がすでに職を持っているならなぜ他人のために職を作りたがるのか謎。仲間を増やしたい?
At times, the line between Lind’s brand of materialism and crackpot conspiracies grows thin. In a 2020 column on the George Floyd protests for the “post-left” publication The Bellows, Lind wrote, “The slogan ‘Defund the police’ is interpreted by the bourgeois professional left to mean transferring tax revenues from police officers, who are mostly unionized but not college-educated, to social service and nonprofit professionals, who are mostly college-educated but not unionized,” meaning the seemingly heartfelt protests against police brutality were really a way to create more jobs “for members of the professional bourgeoisie in their twenties and thirties.”
This is absurd. There just can’t be many white police abolitionists who came to that position after thinking, “You know, my surest route to a cushy government job would be to march in support of radical criminal justice policies that have little hope of near-term passage, but which would, in theory, free up fiscal space for investment in social services.”
ヤーヴィンの話にはこれと似たような怪しさがある
ヤーヴィンは官僚制や民主制においてプロセス主義・ルール偏重の傾向があるとしており、それは 複数の勢力が競合していて、誰も裁量を与えられることができない状態をその原因と見ているようだ
これはヤーヴィン自身の例ではないが、戦前のドイツで階級対立が起こっていたことで、階級闘争が噴出することを防ぐために形式的法治主義が発展したようなイメージ (複数の勢力がお互いを信頼していない場合 形式的なプロセスを信じるようになる) だと思う
ヤーヴィンは、権力者が裁量を持ち、独断を行うことを肯定している
理念やルールなどにより集団をまとめるのではなく、個人の意志を重視
決断主義?
ヤーヴィンが、民主主義を批判している一方、現状も民主主義じゃない (あるいは有権者が強い民主主義ではなく、行政機関が強い官僚民主主義である) と言っている。でも現状が素晴らしいとも言ってない。これは変に思うかもしれないが、"ネオカメラリズム ≧ 君主制 > 官僚制(現状) > 政治家民主主義" という順に高く評価していると思われる
価値判断: 君主制 > 寡頭政 > 民主政 の順によい
現状認識: 現在は寡頭政であり、君主制や民主政ではない
しかし、なぜこういう変な感じになってるかというと、ヤーヴィンに影響を与えたマレー・ロスバードあたりが行政国家・専門家による統治に対しポピュリズムを支持していたのと、王制が良いという正反対の話がドッキングされた結果では
なので一方では現状のエリート支配を糾弾するポピュリズム的であり、一方では別の新たなエリートによる支配を求めている
疑問
ヤーヴィンは政府内の対立によって大きな政府ができると主張するが、逆に対立によって小さな政府できる例もあるのではないか、というかそっちのほうがありそうではないか
南北戦争で州権主義の南部が脱退後に戦時社会主義化して経済介入を始めたという話。
北部と南部の対立併存が小さな政府を保っていたのではないかという考え
民族・人種の多様性と政府の大きさに負の相関がある。これはヤーヴィンの理論 (対立が大きな政府を導くとする) が予測できないことではないか。ここからはむしろ、協調が大きな政府の原因になっているように見える
First, 86% of respondents greatly overestimate the share of welfare recipients who are Black, with the average respondent overestimating this by almost a factor of two.
Second, White support for welfare is inversely related to the proportion of welfare recipients who are Black — a causal claim that we establish using treatment assignment as an instrument for beliefs about the racial composition of welfare recipients.
Third, just making White participants think about the racial composition of welfare recipients reduces their support for welfare.
Fourth, providing White respondents with accurate information about the racial composition of welfare recipients (relative to not receiving any information) does not significantly influence their support for welfare
ヤーヴィンは大きな政府を選挙で選ばれた政治家によってコントロールされていない行政府の政府機関が強い状態特有の現象として説明しているように思うが、アメリカで年金制度・メディケア・メディケイド・軍隊が一般の有権者にも人気があることを考えると、有権者が強い民主主義だとしても説明できる現象ではないか (その結果として民主的にコントロールされていない公務員が必要になるかもしれないけれど、それは結果であって原因ではない説)
政府支出の主要なカテゴリーの全て――社会保障、メディケア・メディケイド、軍隊――は 〔有権者に〕 人気がある。――ブライアン・カプラン "リバタリアン・ポピュリズムという蜃気楼" (ayu-mushiによる訳) "大きな政府と高い税への反対にもかかわらず、国民は公的支出が 好き なのだ。それに触れた政治家は死ぬため、社会保障はアメリカ政治のThird railと呼ばれてきた。" (p.109, ピンカー Enlightenment Now, ayu-mushiによる訳) ヤーヴィンはそれを報道が政府機関の利益を擁護していてそれが世論に反映しているからとみなすかも?
主権株式会社
パッチワーク: たくさんの小さな領域の都市国家をそれぞれ主権株式会社がおさめれば、住民獲得競争が働いてよりよい統治をするものが選ばれるだろうという構想
もし移動が完全に自由でノーコストだとすると、教育しても他のところに移住されてはリターンが見込めないし、将来の健康に資することをしてもリターンがないし、財の移動も自由なら、富を増やすインセンティブもないことにならないか?
またヤーヴィンはネオカメラリズム企業が公的保険を提供するなどとは考えていないだろう (犯罪被害保険を国家が提供することで犯罪率の低さをアピールするといい、ということは言っていたけど) が、もし提供した場合を考える。
移動がノーコストだとすると、ハイリスク群とローリスク群を区別できない場合、ハイリスク群が保険が充実した場所に移住してくるだろう。そのため、支払うために必要な社会保険料が上がり、ローリスク群の人は損になるため出ていく。それによりさらに必要な社会保険料が上がり、ローリスク群に適した公的保険制度を提供できない、という逆選択の問題が発生しそう。
提供できなくても、リバタリアン (だった) のヤーヴィンにとっては問題ないかもしれないが
これらは移動がノーコストなことの問題であって、ネオカメラリズム自体の問題ではない
犯罪以外でも、安全性とか、何かしらのアピールとして保険を提供することはあるかも?
その地域における民間保険の値段を紹介すれば、どれくらい安全かをアピールすることは可能では
ある人が死ぬ場合と、ある人がその都市から出ていく場合とで、予想される税の支払いの減る量という点ではほぼ等価である。ではネオカメラリズム政府は、ある人が都市から出ていくということを、その人が死ぬことと同じくらいに嫌うということになるが、それはやばくないか。
移動コストの低い身軽な人に有利な政策が行われ、移動できない人には不利になる可能性がある
主権株式会社は完全なレッセ・フェールを施行するのではなく、自然独占の場合などには主権株式会社が提供する (アウトソースではなくインソース) こともあるだろうと言っている
世襲の貴族院が、(公務員に対する強い権限を持つ) 総理大臣を選ぶという仕組みなら、(株式は譲渡できるという違いを除けば) 株主がCEOを選任するのと同じような議会制の仕組みになりそう
いちおうネオカメラリズムにおけるCEOは絶対権力ではあるが、ヤーヴィンが特に重視しているのは行政府に対する人事権だと思うので
「いくらお金を積まれようと、こいつは政治的感覚が信用できないから株式を売らない」「こいつは政治的感覚が信頼できるから無料で株式を譲る」のようなことも可能だろうから、liquid democracy とも似ている (有償での票の譲渡を認める liquid democracy と言える?)
quadratic votingでも有償での票の譲渡を認めてた気がする
外部性について何かしらのピグー税を設定するインセンティブを持つことになりそう もし誰かのある行為が別のところに影響することにより、税収をx円下げると予想されるなら、その行為にx円のピグー税を課すようにするのではないか
つまり、税収を損なう行為を行う場合、行為者は政府に対し補償する
その「影響」には公害によって他の住民が出ていって税が払われなくなる、というようなものも含まれるかもしれない
なのでこれからトータルでx円の税収を生むと予想される人間を殺害するときはx円を政府に支払えば認められる…?
領土的財: Fnarglには金銭につながらない公共財を提供するインセンティブがなくても、主権株式会社は競争が働けば公共財を提供するインセンティブを持つはず (領土的財) ある財 (ないしサーヴィス) の消費・利用が,主として一定の地域定期領土内に限られており,この領土への出入りが統制可能であるとき,この財は領土的財である。地域への出入りが統制できるからこそ,その財は「排除不可能性」を帯びるようになり,市場による供給が可能になる。
人事が株主の利益を考えて行われることにより、解雇や雇用時の決定などによってshirkingを防ぐ
Blogger George Weinberg said...
It seems to me that the whole argument for neocameralism is in a sense putting the cart before the horse. If the world were divided into many small countries with free trade, easy travel restrictions, and relatively low barriers to migration, then it shouldn't matter much what form governments take. It will become obvious that, in order to keep their productive citizens as citizens, it will be necessary to keep them satisfied.
ネオカメラリズムを支持する議論は私にはどうも馬の前に馬車を置くという話に見える。もし世界が自由貿易、入国のチェックが容易、移住の障壁が少ないなどの条件が成り立つなら、そもそも政府がどのような形態を取るかということはあまり問題ではないだろう。明らかに、生産的な国民を国民として保持しておくためには、彼らを満足し続けなければならないので。
ただし、利潤動機がない政府では国民が国外へ出ていったところで権力者は大して損しないので、「もし十分に住民獲得競争が働くならば 政府は利潤動機の方がいい」という主張は成り立ちそう
歴史との関連
ネオカメラリズムという名称は、カメラリズム(官房学)に由来する。英仏では重商主義があったが、神聖ローマ帝国ではそれに対応するカメラリズム(官房学)という学問があった。 ヤーヴィンはプロイセンのフリードリヒ2世に体現される考え、としている
1648年ウェストフィリア条約後の神聖ローマ帝国内の主権が認められた領邦の統治では、国は会社であり事業であったという
封建的な移動の制限はあったものの、ある程度の住民獲得競争が働いていたらしい
当時税を取る手段はあまり効率化されていなかったため、官僚であるカメラリストは国有資源や国有事業を有効活用して領主の収入を上げるようにアドバイスしていた
ヤーヴィンは、君主制をネオカメラリズムの家族経営会社版として位置づけている
逆に言うと、絶対王政から所有と経営の分離をしたのがネオカメラリズムかもしれない
ネオカメラリズムは、日本株式会社と違って、政府組織を株式会社としようという話であり、国全体を会社とみなす話ではない。が、もともとのプロイセンのカメラリスムは、重商主義なので、国全体を1つのビジネスと考える日本株式会社的な面もあるのかもしれない(要出典) このことは,言葉にも表れています。たとえば,アメリカの州知事は,英語で governor といいます。イギリス東インド会社などの業務執行者のトップ,日本語では総督と訳されていますが,これが governor と呼ばれていたのと同じ言葉を受け継いでいるのです。
株式会社としての政府というのはある意味アメリカの伝統的な考えと言えるのか (?)
(上の浜田pdfには、むしろそれらが株式会社であったことがアメリカの立憲議会制民主主義の起源になったと書かれている)
昔は株式会社という会社形態は、もっぱら公的な企業に使われていたそうだ (イングランド銀行 など) 余談だが、ローマ帝国において帝位が競売にかけられたことがあったらしい (これはヒューム『原始契約について』で言及されていた)
193年、コンモドゥス帝が暗殺され、更に帝位を簒奪したペルティナクスが元老院と近衛隊の支持を失い、僅か3ヵ月で暗殺されるなど不安定な情勢が続いていた。ペルティナクス死後、適当な皇帝候補が見つからなかった事から、元老院に相談なく近衛隊主催による前代未聞の「帝位競売」が行われた。
これは異教復興をした有名なユリアヌスとは別人
ヤーヴィンの政府理論への反例っぽいもの:
イギリス東インド会社、北朝鮮、コンゴ自由国、王立アフリカ会社
アダム・スミスの東インド会社批判
プリンシパル・エージェント問題
東インド会社統治下のインドのGDPは減少していた: https://youtu.be/677ntR39R1c?t=236
https://www.youtube.com/watch?v=LgeYJ9F4zTE
50%~60%の高い税を課した。
神聖ローマ帝国はヤーヴィンの理想 (パッチワーク) に近いが、でも領邦都市より自由都市の方が経済的に繁栄したイメージがある。
英国は植民地インドに様々な土地にかかる徴税制度(直接住民から徴税する制度,旧来の領主を通じて徴税する制度に大きく分かれる)を敷いたが,それは制度構築時期の本国における政治的流行によるもので,ちょうどうまい具合に自然実験の条件を満たしている.
そして分析の結果その後の経済成長と最初の土地制度の間に強い相関が見いだされている.おおむね領主システムだったところは独立後40年以上たっても経済発展が遅れているのだ.
民主主義と経済成長についての既存の研究
先進国での民主化の是非についての議論はだいぶ古いのしかなさそうだけど、発展途上国の民主化や、開発独裁の是非などに関しては現代的な議論の累積があるだろうから、民主制の是非に関してはそこを参照するといいかも
アシモグル
Google Scholarで"democracy economic growth"で検索して出てきたやつ:
現代の事例
シンガポールやドバイ (と香港) の政府が現在のものとしてはネオカメラリズムに近い組織構造を持っていると、ヤーヴィンは主張する 経済的自由指数の計算方法とは
ドバイが属するアラブ首長国連邦も、18位にランクインしている。
(しかし独裁国家は経済成長を誇張してデータを改ざんしている場合が多いらしい:
@whyvert: Autocracies exaggerate their economic growth. Democracies tend to tell the truth. Reported growth vs growth estimated from night lights
https://pbs.twimg.com/media/Fd7EYx2XwBY5rLn.png)
彼がシンガポールの組織構造に詳しいわけではなく、単に民主主義でなく、かつ成功している国を持ってきて、たぶん組織構造の故なんだろうと言っているだけでは
チェリーピッキングを避けるためには、国を全部調べ、それについて成功しているかどうかとは独立に、「安定性」「組織構造」のようなものを明確に定義したうえで、その順序で並べて、そのあとで豊かかどうかを調べてみる必要があるのでは
たとえばそれがシンガポールかサウジアラビアかコンゴ自由国とかいうことは知らされずに、その国の組織構造・権力構造の記述だけ渡された人が、ヤーヴィンの権力の安定性に関する理論に基づいて、その国が豊かになるかどうかを予測できるか? どういう予測成績になるだろう?
彼は民主制を導入したイラクや議会制君主主義のクウェートが上手くいかない一方で、これらの国が成功していることを民主制への反対材料の1つとして上げている。
ドバイには税あんま無いんだから、ドバイが税収最大化してるのかは怪しいような? (企業や労働者を獲得するために必要なので税が低いだけ?)
喜捨?
首長である行政長官は職能代表制として職域組織や業界団体の代表による間接、制限選挙で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院が行う。香港の立法機関である立法会の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接、普通選挙によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体を通じた選挙によって選出される。
しかし、ドバイ、シンガポール、香港の例だけだと、それらの国が成功しているのは、地理的な大きさが原因なのか、意思決定構造が原因なのかが分からず、条件がコントロールされてない。スケーラビリティの問題がある。シンガポールと香港は同じ東アジア系でイギリス支配の影響のある国なので、あまり独立の根拠に数えられないかもしれない。
入国時の麻薬検査で死刑とか
シンガポールの扇動防止法は、「異なる人種や階級のシンガポール住民の間で悪意および敵対感情をあおること」を違法としている。
1989年には、人種統合を推進するための政策、民族統合政策 (Ethnic Integration Policy, EIP) が導入された。これは社会的葛藤(英語版)を引き起こす可能性のある社会階層化を防ぐために、様々な民族が一棟の、そして一つの街区に混在するようにするものである11。EIPでは、各街区単体と隣接する街区との纏まり単位で、居住する民族比率の上限を定めている12。 シンガポールではPornhubはブロックされている。
pornを禁止したほうが税収が増えるなどの可能性
リバタリアニズムは経済的自由だけではなく、個人的自由も含むもののはずである。なら、シンガポールに個人的自由はなさそうなので、シンガポールを根拠に君主制がリバタリアニズムを実現できると主張することはできないのではないか。Fnargl政も経済的自由を確保するとしか言えなくて、個人的自由を保証するとは言えないのでは。
民族融和のために言動や住む場所も含め色々な政府介入を行うシンガポール政府の政策は、とてもヤーヴィンの価値観にそぐうものではないように思える
税収最大化
つまり現在ラッファー最大値より低い税から恩恵を受けているひとは、最大化政府では、税収を分割支払いされる権利をもらうことで代わりとする
どんな民主主義政府についても、それと同等か上位互換であるような主権株式会社政府を構成できるということを主張する議論になっている
上位互換であることは分割支払い権は税が低いことと違って譲渡可能な権利であることから来る
要らないなら売れるというのは改善
株式は株主総会での投票権でもあるので、分割支払いとイコールではないが、似たような意味
株式と違って実権に対応してるわけではないので、分割支払いを受け取る権利を守るインセンティブがない気がする
金銭的でない効率性も無視している気がする
税収最大化しなかった場合より損する人を特定するのは経済予測を行う必要があり、ややこしい話では
税収最大化前に比べ税収最大化後の税率が高くなる人に株式を配布するだけじゃん
格差・貧困
ピンカー『暴力の人類史』によれば、ジニ係数 (格差を表す) は暴力が起こることと最も相関があるらしい。なぜなら、貧困層の犯罪の阻止は税収に繋がらないから(ピンカーはもちろんネオカメラリズム国家の話をしているわけではなく、普通の国家活動も税収を増やしたいということである) いやむしろ主権会社に再分配のインセンティブを与えるからいいのか? いやダメか、それで税収は上がんないし…普通の国家でもそうだな。
ネオカメラリズムだと、意思決定コストが大きくなりすぎないくらいには少数の株主の集団に富が集中してしまうという問題がある
株主数が多すぎると、フリーライダー問題に陥り、利潤を増やすために株主総会でちゃんと貢献するインセンティブが減ってしまう。逆に少なすぎると、平等の観点から問題になる。
ジョージストは普通の土地からくるレントが平等の観点から問題だというわけだが、ネオカメラリズムでは都市大の大きな領土から来るレントがそれらの少数の株主に集中して分配されてしまう レントはインセンティブとしては働いていない収入なので、それを取るのが少数の人々に集中してしまうことは純粋に平等が損なわれているだけであり、それに見合ってパイの大きさが増えたりするわけではない。
権力の安定性
ネオカメラリズムでも権力が完全に安定とは言えないのではないかという問題。CEO自身が (株主たちに謀反して) クーデター(自己クーデター)を起こす場合の可能性や、それをほのめかすことで株主に対し非合法に優位に立つ (そのほのめかしと引き換えに税収の一部を取るという取引を行うなど) 可能性がある CEOは自己クーデターを起こせば国を手中に収められるのだから、自己クーデターを起こすインセンティブはかなり強いだろう
ヤーヴィンはそれに対し、国の武器 (ロボット兵器?) を暗号認証式にして株主の許可が無いと使えないようにすることで、経営者に対する株主のコントロールを保証しようとしている
ITと王権
コメント: As for cryptographic weapons locks, they won't work. For the same reasons that DRM won't work. Weapons with easily circumventable crypto-locks are cheaper to produce and they fetch a higher price in the free market. Thus, manufacturers won't put much effort into making them work, because the asymmetrically informed customer can't verify them anyway. There is some evidence that PALs haven't worked particularly well for nukes either.
かんたんに迂回できる暗号ロックの武器の方が、ちゃんとした暗号ロックの武器より安く作れる。どうせ消費者はロックの安全性についてわからない。だから武器作る会社はちゃんとした暗号ロックのある武器を作る必要がない。
本物の革命とは言わないまでも、 (熟語としての) 経営者革命のように株主がフリーライダー問題に陥って実質的に経営者が強い権力を持つようにならないかという問題はある気がする
ネオカメラリズムに関係するヤーヴィン以外の意見↓
政治的所有権、企業としての政府、競争する政府、 プライベートガバナンス、という観点からのアラブ首長国連邦 (※アラブ首長国連邦の首長国の1つがドバイ)、シンガポール、プライベートシティという論文 (!!)
上までに見た伝統的企業と企業的政体の相違は、具体的な予測を示唆する:それは、 政体が(その背後にある所有権配置において)伝統的な会社に似たものであるほど、政治的所有権の保持者が賢く統治する可能性が上がるということだ。
もう一度言っておくと、この文脈における「賢く」というのは、政治的所有権の保持者が繁栄することを意味しており、つまりそれは略奪的国家の振る舞いを避けられるということ。
ある意味では、企業的政体は仮説上責任ある (responsible) 政府であるけれも、領土内で確定的な権利の集合に対し最終的なコントロールを主張する (主権) という意味で略奪的ではあって、そのような主張を通すために強制力の使用やその仄めかしをしているわけだから、オルソン(1993)が言う定住型盗賊〔定住するので長期的な視点に基づいて略奪する盗賊〕に似ていると言える。 でも、コモンズ的国家〔つまり、民主主義国家のこと〕における、オルソンが言う流浪型盗賊〔流浪なので、短期的な利益に基づいて略奪する〕に似た状態に比べると、〔企業に似た政府の〕状況は、富を生産する統治をできるという点で顕著な改善である。(p.8) シンガポールが統治を提供するビジネスにおけるコングロマリットなら、アラブ首長国連邦は同種のサービスを提供する家族経営のビジネスとしてモデル化できるだろう。(p. 11)
クウェートはイギリス宗主下の国としての長い経験があって自由民主制に似た政体を取る顕著な政治的伝統がある。一方アラブ首長国連邦の首長国はほぼ絶対王制である。この違いは、それらの政体間での政治的所有権〔の構造〕の重要な違いを示唆する。
立憲議会制君主主義のクウェートでは、国はコモンズだ。いっぽうアラブ首長国連邦の首長国では、政府の税収に関する権利が明示的になっていて、国は私的に所有されている。”アラブ首長国連邦では、議会がないので、主として民間セクターの成長に関心を持つものの手に政治権力がある。” (Herb 2009: 384)
だからクウェートでの政治がかなりの量のレントシーキングで占められているのに対し、首長国では特に社会に対しコストを要求する行動が統治家族〔王室〕の制度によって強くチェックされているのは驚くには当たらない。(p.13)
植民地主義の遺産(※)により衰退するクウェート
(※ 立憲議会制)
他の条件が同じならば、携帯電話では他のケータイにチェンジできるから、携帯電話ビジネス会社でヒエラルキー的・権威主義的な会社の意思決定構造が効率的になっているのと全く同様に、〔政府でも〕ヒエラルキー的・権威主義的な意思決定構造が効率的であることを示唆する。(p. 19)
この論文、著者はヤーヴィンの理論をパクってるのか?という疑いが芽生えた。(2016年なので、ヤーヴィンのブログ活動より後)
"Earth, Inc."というFnarglに似た話も登場する。とはいえ、著者サルターはその場合(つまり競争が働かない場合 = 外部費用が高い状態)では株式会社に似た政府ではなく立憲連邦共和国の方がいいだろうと言っている (これはTiebout modelに基づくらしい)
He said, "Monarchy is the best kind of government because the King is then owner of the country. Like the owner of a house, when the wiring is wrong, he fixes it" (p. 26). The villager's argument jarred against my democratic convictions. I could not deny that the owner of a country would have an incentive to make his property productive. Could the germ of truth in the monarchist's argument be reconciled with the case for democracy?
村人は言った。「君主制が最高なのは、王が国を持っているからだ。家の持ち主と同じく、配線がおかしくなれば王は直す。」この村人の議論は私の民主主義への確信にショックを与えた。
私は国の持ち主がその財産を生産的にするインセンティブを持つということを否定できない。
この真理の芽生えを、民主主義と和解させることはできるだろうか?
ヤーヴィンの記事(左)、なろう小説(右)と設定がだいたい同じだ。
Fnarglと似た思考実験
ネオカメラリズムと似た提案。
上の記事にあるヘンリー・ジョージ的都市の作者の日本語訳: エベネザー・ハワード「明日の田園都市」 が、パートナーシップは契約なので営利企業が残余請求者というわけではなさそうだ。
サンデイ・スプリングス市
Much of the world's territory has been carved up into sovereign enclaves, each run by its own big business franchise (such as "Mr. Lee's Greater Hong Kong", or the corporatized American Mafia), or various residential burbclaves — quasi-sovereign gated communities.
ほとんどの世界の領土は主権を持った包領に細切れにされ、それぞれは巨大ビジネスのフランチャイズ(Mr.リーの大香港、会社化されたアメリカン・マフィア) によって運営されているか、居住用の郊外居住地 (擬主権的ゲーテッド・コミュニティ)になっている。
ホンジュラスの Próspera
Honduras Próspera Inc.による経済特区
評議会は5人が選挙、4人がHonduras Próspera Inc. によって選ばれるので、5/9 民主主義、4/9 ネオカメラリズム?
元々無人の土地を買い上げる
プロスペラ上の土地は3次元のボクセルに区分され、住人らはボクセルを購入することができる
公式サイト
参照ソース・出典