アレクサンダー・ウィリアム・サルター「領域への権利: 西洋の政治的発展を再検討する」
最初、君主が税率をいつでも変える権利を持っているとする。
被統治者が財を生産する前、君主は被統治者に対し、税率は (生産する気を無くさないくらいには) 低くて安定であると約束し、財を安心して生産させるという戦略を取りたい。
しかし、被統治者は君主が財の生産後には気を変えて、税を高くする可能性を考え、生産しない。
そこで、(生産前に) 君主は、貴族の評議体 (council) に対し、増税に対する拒否権 (veto right) を与える。
これにより、君主の「税は低くて安定」という約束が信頼可能なものになり、財を生産してもらえるため、君主にとって得である。
この取引は未来の自分が税をいきなり変えないよう自分で自分を縛るためのコミットメントである。 評議体側としても、増税に対する拒否権がもらえて得だ。
これは君主と貴族評議体というエリート間の取引であるが、この場合は被統治者も税が安定して利益を得ている。
コミットメント装置としての権力の分立。
中世では増税に対する拒否権のみが主な議会の権利だった。
(では絶対王政はどのように説明されるか)
全能のパラドックス: 「全能な神は自分が持ち上げられないくらい重い石を作れるか」「全能な神は彼の言うことを聞かない妻を作れるか?」
主権のパラドックス: 「主権を持った君主は自分が破ることができないくらい拘束力のある約束をすることができるか?」
「主権を持った君主は彼の言うことを聞かない評議体を作れるか?」
というのがありそう。
Congletonは (イギリス・スウェーデン・オランダなどで) 革命ではなくこのような交渉・取引の過程によって自発的に民主化が進んだと主張した。
戦争に協力してくれる代わりに選挙権を与える (アテネのペルシャ戦争とペリクレス民主政治、銃後の守りと女性参政権)というのも交渉・取引による民主化か?
Congletonは革命だとヒエラルキー的な軍が勝つので民主的にならないので交渉による民主化を考えるといいというが、戦争の場合はどうか?
Congletonは譲渡可能なpolitical property rightsという概念に言及している。
取引と言えば、教皇権
純粋君主制の問題: コミットメント問題、独占問題(高税率)
民主主義と経済成長についてのメタ分析はそれらの間の明確な関係を示してはいない:
Doucouliagos, Hristos and Mehmet Ali Ulubaşoğlu. 2008. Democracy and Economic Growth: A Meta-Analysis. American Political Science Review 52(1): 61-83
民主主義に対し指摘される合理的無知・合理的無関心と、多数派の専制は全く別の話だと思う (後者は無知でないことを前提にしているように思う) のだけど、どちらへの対策かを章とかの単位で区切って書いていないので、やや面倒な構成になっていないか
国家が独占だから問題というのも別の話
(1648年以降の)神聖ローマ帝国のような政府間の競争を保証するため、連邦制が大事
中世: 経済的利益権(土地所有)が政治的権利を決定
現代: 政治的権利が経済的利益権を決定
リヒテンシュタインでは今も君主が法案・憲法改正に対し拒否権がある。
シンガポールでは公務員の給料が民間と同期するようになっているので、民間の経済を成長させることで自分の給料も上がると公務員は期待できる。良い政策をするインセンティブがある。