カーティス・ヤーヴィンの「新反動主義」――王制主義リバタリアンとは何か
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はじめに
この記事で行うこと:新反動主義という政治的イデオロギーを紹介する。
この記事で紹介するカーティス・ヤーヴィンは2007年から2013年頃にかけて、彼の考案した政治思想について、Mencius Moldbug というハンドルネームで発信していたブロガーである。
その政治思想はリバタリアニズムにインスピレーションを得たものであり、また極右と近いともされるが、ヤーヴィン独自のイデオロギーとなっている。
彼のブログでは、政体 (民主主義 vs. 彼が提案する株式会社が政府を運営する政体) と、アメリカにおける政治的権力の構造についての議論が主に行われていた。
また、それに加え、外交政策、金融・マクロ経済、歴史といったトピックも論じられていた。
ヤーヴィンの分析の特徴は、彼の分析がマキャベリ的なシニカルな世界観に基づいていることである: 政治において人間は利益と権力を追及するものであり、高尚なお題目も権力追及に奉仕するものに過ぎず、世界を究極的に支配するのは力であり、道徳ではない。それもあって、彼はしばしば政治に対するある種 経済学的な (= 政治活動を利益追求のようなものとして見る) 分析を行う。そして、彼はシニカルな世界観を前提とした上で、「良い統治を行う政府はどのように作れるか」という問題を、ある種 工学的問題として扱い、「制度をどう設計すべきか」について提案を行う。
私のこの記事では、政体 (民主主義 vs. 彼が提案する代替案) についての彼の議論を主に扱う。
ヤーヴィンは2019年頃からインターネットでの著述活動を復帰し、現在は Gray Mirror で発信している。 ちなみに、ヤーヴィンはUrbitというソフトウェアを開発していたエンジニアでもあった。 この記事では、彼の提唱した政治理論であるネオカメラリズムやフォーマリズムについて、経済学やゲーム理論の観点から紹介・分析し、類似する議論をした他の論者とも関係付ける。
ヤーヴィンは主流派経済学やアカデミックな社会科学には懐疑的だが、このシリーズではあえてヤーヴィンの政治思想をアカデミックな社会科学 (公共選択論、ゲーム理論、ロナルド・コースの会社論、企業所有論、地方財政論など) ・政治哲学 (分配的正義論) と接続することを目指している。
この文章では、彼の議論を、それらの社会科学の理論に基づいて再構成することを試みた個所が多い。
この記事の信頼性: 私は特に政治や経済学について詳しくない (日本の政治家について何も知らないくらいのレベル。アメリカの政治史は多少知っているが) ので、あまり信じないほうがよい。
主張の要約: 政府を、領土を所有する、税収からの利潤の最大化が目的の株式会社にする (主権株式会社) という提案
また、ヤーヴィンの分析では、既存の政府も企業とみなし、所有権構造 (企業所有論) の観点から分析する。
キーワード: 政治的所有権 (political property rights)、プライベートガバナンス、公共選択論、残余請求者、制度的エントロピー (institutional entropy)、定住型盗賊モデル、企業所有論
"君主制が一番いい政府の形態なのは、王が国を持ってるからだ。
家の持ち主と同じで、配線がおかしいとき、王は直す。"
――君主制主義の村人 (村人は、共和制だと借り家みたいなもので自分のじゃないからダメになっても (政治家が) 気にしなくなってしまう、と続ける, p.26) (この村人の発言は、ヤーヴィンの政府についての考えの要約になっていると思う)
Part毎に番号がふってあるが、あまり依存関係は無い
ayu-mushi.icon
ヤーヴィンによる宇宙人Fnargl 👾の思考実験を紹介し、
加えて、ヤーヴィンは政治権力を所有権とみなして考察する上で、所有権の欠如から来る問題と所有権の分配のまずさ (外部性/取引コスト) からくる問題を区別していないが、区別したほうがいいのでは? という指摘をした
キーワード: 主権、所有権、徴税、再分配、分配的正義、レントシーキングモデル、戦争の交渉モデル (ジェームズ・フィアロン)
ネオカメラリズムの根拠と思われる理論
けっきょくフォーマリズムにもとづいてネオカメラリズムを正当化するより、地価最大化モデルや、コースの会社論にもとづいて正当化するほうがいいんじゃないの、って気がした。所有権がそもそも明確ではない状況では、コースの議論が適用できなくなるので、そこではフォーマリズムの方が適用できるかもしれないけど
主張の要約:権利者 (所有者) が誰かが明確に決まってないと、(ゼロサム、あるいはマイナスサム的な)"政治"が生じるので、誰でもいいから権利者が明確に決まっていることが重要。
→現状の占有者 ――つまり対象からの受益者, 残余請求者, 対象に影響力を持つ者―― にそのまま権利を保証するのが、更なる争いを生じる可能性を無くすために良い (時効取得)。 →その帰結として、主権も (領域に対する) 所有権の一種と捉えるべき (記述的主張)。また、政治権力の所在も、普通の所有権のように係争の余地がない明確なものにしていくべき(規範的主張)
(主権の対称的理論)
(= 誰が権利や権力の担い手であるかを、曖昧性がなく明確にすべき)
ヤーヴィンに関連する思想家・研究の紹介。
ハンス=ハーマン・ホップ、ニック・スザボ、スペンサー・ヒース、Alexander William Salter、Richard Auster & Morris Silver、Andries Kerpestein、Edward Stringham など。
関連トピック: ティボーモデル(ティブーモデル)、地価最大化モデル、地方行政サービスの資本化仮説、私有コミュニティ、地方財政論 (local public finance)、足による投票、Homevoter Hypothesis (William Fischel)、地方公共財、territorial collective goods (Fred Foldvary)、領土的財(アスキュー・デイヴィッド) 地方財政論の領域での議論を参考に、ネオカメラリズムにおける公共財供給を、数理モデルで考察。
さらに、他の競争的ガバナンス構想の色々 (バラジ・スリニヴァサンのネットワーク国家など) を列挙した。
1.ヤーヴィンは人種差別主義者なのか?2.能力主義なのか?3.中世に回帰しようとしているのか?について扱った。
結論:
1. 人種差別がモチベーションになっているところはありそう。
2. (人種間のIQ差を根拠に植民地主義肯定しているなど、能力主義的な箇所もあるが)全体的にはそこまで能力主義ではなさそう。
3. 中世というよりは近世の絶対王政を理想としている。大して中世の話はしない。
ヤーヴィンの大聖堂論の紹介と検討
記事の指針: formal / informal, security, responsibility, powerといったヤーヴィンの語をできるだけ別の言葉で説明すること (なので言い換えに私の解釈が入ってる)
(元の言葉も示したほうがいいのでは)
批判
非常によく論じられていている。
君主制の安定性についての疑問
ヤーヴィンは王政は民主政に比べ権力が安定的だから良いとする。
〔But some of my smarter readers…〕しかし、より賢い読者の中には、「あなたの権力はあなたを殺すことでしか奪えない」という〔王政の〕状況が、実際にはあなたをより安全にするわけではないことに気づくかもしれません。それは単に、不安定な状況になった場合に選挙で敗れて田舎の別荘に引退するだけで済む場合〔民主主義の場合〕と比べて、権力の安全性の重要性がはるかに大きくなるということにすぎません。
しかし、(たとえばエリザベス女王の前には何人もの可能の王が殺されたし、)王を殺せば権力を奪えるという点で君主制は別に安定的ではない、という批判
ayu-mushi.icon王位継承権持った奴がいっぱい居るのはなるほどやばいね
ただ、ヤーヴィンの主張は、」王政では、後継者は継承法という法によって定まるので、王を殺したからといって (自分が継承権を持たない限り) 次の王になる わけではない (殺すインセンティブが小さい。その点で、インフォーマルな徒党争いによって後継者が決まる独裁制とは違う」ということだけど[10]。 しかし、殺害者自身も継承権を持っている場合は、次の王候補になれてしまうので、その違いは (継承権を持った人がどれくらい限られているかという) 程度の問題にすぎない、というのが指摘の内容。
これに対する再反論として、ミハエル・アニシモフによるMonarchy FAQでは、13世紀~20世紀のプロイセンとオーストリアについて調べ、その地域において継承争いは少なかったと結論している。手動で。たしか家系図データベースとかあるし、自動化できそうなものだけど。 ネオカメラリズムは長期的な観点から統治するというのは本当か?
ホップの議論の「君主政」の部分は「主権株式会社」にも置き換えられる、というのがヤーヴィンの主張だ。(ヤーヴィンは長期的視点の話を特にしているわけではないけど)
スコット・アレクザンダーはこの見解に反論する。
いわく、
リーマンブラザーズは長期的な視点を持っていなかった、
長期的には石油燃料はオワコンになるはずなのにも関わらず、その代替となる核融合や電気自動車の研究開発は、(民主主義である) 政府によって行われているか、補助金をもらっているものばかり。
→ayu-mushi.iconそれは研究開発が正の外部性を持つ (研究から得られる利益は他の人々にも及ぶのでその企業自身が利益を回収できる部分には限界がある) ことによるものでは?
〔But why would a CEO…〕しかし、CEOやその他の企業統治者が、なぜそのような(引用者注:長期的な視点を持った)構造を作ろうとするのでしょうか。よく、反動主義者たちは選挙で選ばれる政治家の任期が4年しかないことを嘲笑しますが、平均的なCEOの在任期間はわずか6.8年にすぎません。これは2期務める大統領よりも短いのです。そしてCEO等自身のインセンティブもまた、短期的な収益性に連動したボーナスに基づいていることが多いのです。
平均的な民間企業のCEOの在位期間は6.8年で、これは2選の大統領 (8年) より短い。
理屈上は長期的なパフォーマンスは株価に反映されることになるはずだけど、それについても反論してる。
その反論の内容を、私が自分で再計算してみた (計算結果が違うが…)。
株式の値段は現在価値という式で考えられる。
加重平均資本コストというのが利子+配当を表す値で、それを割引率として現在価値を計算する。
加重平均資本コストを6%とする。
WACC(加重平均資本コスト)はおおむね5%から7%でとどまりやすいと言われています。業種によって様々で株主資本がしっかりと入っている業界ほどWACC(加重平均資本コスト)は下がりやすい傾向にあります。
現在価値(present value) = 将来の価値(FV) ÷ (1 + 割引率)^期間
$ = 30年後の利益 \times \frac{1}{ (1+0.06)^{30}}
$ ≒ 30年後の利益 \times 17.4\%
となるため、企業の30年後の利益は17.4%にした分しか現在の株価には反映されない。(Scott Alexanderの計算とはなぜか計算結果が違う…)
ayu-mushi.icon現状の政府の意思決定における費用便益分析でも時間割引は使われているが、割引率は市場割引率より小さいっぽい?
社会的割引率とは、時間軸上の価値を補正するもので、同じ財に対しての現在と将来との価値の換算比率。04年の技術指針で、国債(10年もの)の実質利回りなど参考に全事業において当面4%を適用するとされて以来、変動はない。
さらに、上の計算はあくまで理想的な場合であり、CEOが株主をうまく騙して長期的な利益につながらなくても短期的に株価を上げることもあるため、長期的な視点を持つという希望は薄い。
ayu-mushi.icon民主主義でも、政治家が投票者をうまく騙すことはあるけれど
今研究開発に支出しておけば、後で税収になって帰ってくる可能性が高いけど、現状の政府はあまり研究開発に投資してない。
未来の人は現在の政治に物理的に影響を及ぼせない以上、どのような政治経済システムを考えようと、未来の人の観点を反映させるのは難しいけれども。
そもそも、どの程度の時間割引率を取るのが良いのか、長期的な視点を取れば取るほどいいってものなのか、ということ自体、難しい規範的な議論があるわけだけど:
https://www.youtube.com/watch?v=GgWylA7SmCo
長期主義 vs. 人格影響説
https://www.youtube.com/watch?v=7WotnoBVF-s
環境問題との関係で、時間割引率の話をしてる
未来の1円の価値と現在の1円の価値を完全にイコールとして最大限長期的な視点を採用する場合、(投資したほうが富を増やせるので) 資源をほぼすべて投資に回さなければならず、現在世代が楽しむ余裕はなくなる。
によると、市場が理想的な条件を満たしている場合には、政府が費用便益分析するさいの時間割引率として市場割引率を使うのが望ましい。
しかし、市場割引率は、現在世代の人々の主観的な時間選好から決定されており、世代間にまたがる長い期間の問題を考えるときには適切ではないかもしれない。
Cathedral 論に対する反論
Scott Alexander は ヤーヴィンの Cathedral 論についても反論する。
ヤーヴィンは「New York Timesを代表とする報道機関が社会を左派方向に進めていっている」としているが、昔のニューヨークタイムズは同性愛にネガティブな記事を出しており、(左寄りの権利運動の一例である) 同性愛者の権利運動は、報道ではなく当事者から進んでいったのではないか、とスコット・アレクザンダーは反論する。
同性愛者の権利運動はドイツなどから始まっており、左派の運動は アングロサクソン系の報道やアカデミアから始まっているというヤーヴィンの説には当てはまらない という指摘
Anti-Reactionary FAQ へのミハエル・アニシモフによる応答:
その他の応答
スコット・アレクザンダーによる再応答:
ポーランド共和国、アイルランド共和国、ベルギーの議会制、ノルウェー王政など、歴史上の事例から、Hans-Hermann Hoppeの主張を検証、批判
Mauro F Guillén, Symbolic Unity, Dynastic Continuity, and Countervailing Power: Monarchies, Republics, and the Economy, Social Forces, Volume 97, Issue 2, December 2018, Pages 607–648, https://doi.org/10.1093/sf/soy037 記事/資料
以下は一次文献。
フォーマリズム
最初の記事にして個人的には一番良い記事
フォーマリズムの応用
この記事の理論の応用として彼のいろいろな話が発展するので、非常に重要な記事だと思う
「圧政は政府/領土の所有権が不確定・不安定であることから生じる内戦のようなものである」「(省庁や政党などの) 競合しあう勢力が政府内部の競争でアドバンテージを得るための行為によって、政府外に犯罪や代理戦争が生み出される」と考える。
犯罪、対ゲリラ作戦、外交政策など彼の好きなトピックについての出発点となる理論
リバタリアンであるNick Szaboと、フォーマリストであるカーティス・ヤーヴィンとの意見の違いがわかる論争。
リバタリアンとフォーマリズムの違い
合衆国国務省のフォーマリズム的分析
ヤーヴィンは行政国家について語るが、具体的な行政組織について語るときは、国務省ばかり。
The interests of government and governed are never perfectly aligned. A government is the owner of valuable human and geographical capital, and the profits from this capital must go somewhere.
――のあたりまでスクロールする
その前の部分はフォーマリズムと関係ないし、私は理解していない。
ネオカメラリズム
宇宙人Fnarglが出てくるやつ
ネオカメラリズムの解説と現状の政府の分析がまとまっている
いったいどうなっているのか。ヤーヴィンは、でたらめを言っているの?
ネオカメラリズムと民主主義の比較、消費者協同組合と民主主義の類比、がある
ネオカメラリズムの解説、ネオカメラリズム下での貧困への対策についての言及あり
//ayu-mushi.icon政府が行うプロセスが公開されている場合、その行動が公益にならない場合に、報道などで非難を受けることになるのだから、「公益のための組織である」とすることはなんの機能も果たしていないわけではない気がする
//各アクターはそれぞれの動機を持って文句をつけるかもしれないが、それはあくまで名目に従って文句をつけているのではないか
ネオカメラリズムと現代民主主義の分析
その他
ヤーヴィンがどんな政府もやるべきと考える原理原則を10個まとめている
彼の現在の政府への不満がどこにあるか、がまとまっている
文化戦争問題 (人種関連) への重点が大きいように見える (2,3,4,5と4つあるので)
ayu-mushi.iconこれは2021年のだが、昔のリバタリアニズムに基づく現状の政府への不満と比べると一貫性という点では欠如している印象もうける(昔のが一貫性あるかもそんなに明らかではないが)
(1)は民主主義のように聞こえるが?
(2)と(4), (3)と(5)はそれぞれ整合するのか?
(2)政府や学術は差別してはいけない (4)民間はその雇用の根拠に国籍、宗教、人種、性別などを含めても許されるべき ということ?
まあ営利企業は差別してると競争で損するので政府がわざわざ罰しなくてもいい (ゲイリー・ベッカー) けど、学術は損したとしても採用の意思決定をする人にはそこまでダメージが入らないので差別を防ぐインセンティブがない、という理由で整合させることができるかも
"The private sector must be free to use examinations as well, and any form of discrimination must create liability."という部分からすると民間企業が雇用差別するのも法的に措置できる状態にあるべきと言っているように見えるが、(4)連合結社の自由とはどういう関係にあるのか
もしかすると差別すると (違法ではないが) 損するという意味で liability と言ってるのかも??
(2)は平等を唱えてる。よく考えるとヤーヴィンは平等が悪いとは言っていないのか。
equal protection of the lawsは法の下の平等に当たるものだろうからリバタリアンも擁護するか(これを書いたときのヤーヴィンにリバタリアン要素はもうないが)
しかし、フォーマリズムは「権利について重要なのは明確に定まっているということで、権利が平等かどうかはどうでもいい」という立場に思える
平等にするというのは1つの定め方ではあるけれども
(10)のように政府が雇用を生み出すために消費者の効用を損なっていいなら、(2)(4)の(政策としての)アファーマティブアクション反対というのは弱くならないか?
アファーマティブアクション政策が悪いと、消費者の効用に訴えずに主張できるのか?
結社の自由を自然権的にとらえたうえでそれに基づいてアファーマティブアクション法に反対するとかなら、消費者の効用に訴える必要はないけど、結社の自由に基づいて雇用主が好きな人を雇う自由があるなら、なぜ外国人を雇うことを政府が禁じる? という問題にやはりなると思う
人種に基づいてその雇用に優先することを強制するのはダメだが、自国民の製品を優先して買うことを強制するのはいいんですかね。どちらも取引/契約の自由を制限しており、消費者に悪い影響を持つ可能性があるという点では同じ問題に見えるが
(10)
自国民の雇用を優先
(そもそもこの時のヤーヴィンはすでにネオカメラリズムをそんなに推してないけど) ネオカメラリスト政府は、そのインセンティブに従えば、より高い税を払う移民を入れることを現在の国民が失業したりすることより優先するはずだが、ヤーヴィンの要求はそれに反している
ネオカメラリズムのもとで国民というのは単にテナントに過ぎないんだから、自国民中心のようなことはあまり意味がなくなるはずなのに?
特に、現在のテナントと、潜在的なテナントの効用について、どっちを優先するとかいうことはないのでは?
企業が新規顧客とリピーターのどちらを優先するかという程度の問題でしかない!
参照用: