井戸端の何を書いても大丈夫はもう古いのでは?
井戸端ページにでかでかと書いてるなんでもの下には何でも書いていいと書かれている ※規約違反は例外としてダメ
でも本当に何でも書いてもコミュニティとして成立するのか
後述の問題項を参照
また、昨今ではモラルの発達などにより、公共の場では憚られる話題が増えてきている
そのような時代の流れも踏まえて、現状の「何でも書いていい」は不適切ではないか
という建前を踏まえて何でも書いていいの形を今一度見つめ直すのが目的
何を書いてもの拡大解釈という意見が来そうな気もするが
そもそもが拡大解釈しようが無いレベルで広い言葉である
現状の問題
何でも書きすぎた結果、色々と問題が挙げられている
それに不快感を示す人がいること
公共の場(誰が見ているかわからない場)で一部の人に配慮が無い文を書くのは問題があるという指摘があること
トラウマを呼び起こすような文章など
ことページタイトルに関しては(本文と違いしばしば変更するものというシステムもあり)穏便なものに変えないかという流れにしてくれる人たちがいてよかったと思ったはるひ.icon
+1 custard.icon
具体的に問題とされるものは何かを挙げてみる
不特定多数の閲覧者の中の一部の人(何かの被害者や被災者など)のトラウマを呼び起こすようなもの
具体的には以下が該当する
性被害に関するもの
災害に関するもの
地震
津波
噴火
その他もろもろ
殺人に関するもの
交通事故に関するもの
人間関係に関するもの
その他誰かのトラウマを呼び起こすもの全般
トラウマの程度で区分すべきという意見はあるかもしれない
しかしながら、トラウマを抱えた人に優劣は存在するだろうか
全ての人に配慮すべきではないだろうか
震災にのみ配慮して交通事故には配慮しないなど、言語道断である
不特定多数の閲覧者の思想や信条に反し、反感を買いかねないもの
具体的には以下の通り
政治
宗教
文化
その他思想主義に関するものもろもろ
精神的ストレスに直接結びつきにくいかもしれないが、受け入れ難い人もおそらくいるだろう
その人らにも配慮すべきではないだろうか
井戸端民の不快感を買うもの
不快感のある(もしくは精神的に受け入れがたい)文章を書いた人に対して強い怒りを示す人が出てくる場面は最近多くなった
大抵の元凶はこいつ→Mijinko_SD.icon
という説もあったとしてもみんなMijinko_SD.iconさんを1井戸端メンバーとして変わりなく受け入れていると思いますはるひ.iconinajob.iconkana.icon
きゅん…………Mijinko_SD.icon
コミュニティメンバーに配慮できない時点で、正常な人間関係を続けるのは難しいのではないだろうか
対策の例Mijinko_SD.icon
不快感を買っても気にしない
これをやった結果、度々論争が発生してしまっている
その人達を放置すればいいか?
見ている人はヒヤヒヤしてしまう
コミュニティを萎縮させることにも繋がるだろう
また、何か(規約違反以外で)問題のある文章を書いた人がいて、指摘にも全く従わないとしよう
その人が周りに出している不快感は放置してもいいのだろうか?
今後モラルの無い人が入って来ないとも限らない
そうなった時、誰が何を根拠に止める?
井戸端民にのみ配慮する
これは狭いスコープで考えた場合の対策案
お互いに配慮を持って接していれば、良好な関係を築けることだろう
しかし忘れてはならない。井戸端は公開プロジェクトであり、不特定多数が見ることができる場所であるということを
井戸端民の間では良くても、不特定多数の誰かにとっては良くないことがあるだろう
例えば配慮に欠けるコンテンツを作成(もしくは共有)して、誰かのトラウマを呼び起こし精神的苦痛を与えた場合
井戸端民にのみ配慮するということは、言い換えればそれ以外の人には配慮しないということである
苦しみは分かち合うべきである
したがって、配慮すべきであろう
不特定多数にもしっかり配慮する
まず、井戸端は不特定多数が見ることができるWebページであるということは意識すべきである
つまりそれらの人々にも当然配慮すべきであり、そうではない言動は憚れて然るべきである
ルールを細かくして規制を厳しくすることもできるだろう
そうすれば健全なコミュニティを運営できるだろうか
しかし、複雑なルールに適用できる人間ばかりではない
(そもそもだれが取り仕切るのかって問題もある)Mijinko_SD.icon
守れないルールを作っても意味はない
従って発言の場としては崩壊しているも同然であり、これ以上存続すべきではない
井戸端を閉鎖すべきではないか
(下に他の意見も書いていってね)
誰かが常識から外れたことを書いて、怒り怒られ(不快感をあらわにされ?)で盛り上がってしまうというのもとんでもなく悪いことではない説はるひ.iconkana.iconcustard.iconGattxxa.icon
Scrapboxならそこまで問題ない
井戸端ならそこまで問題ない
自分もこう思うkana.icontakker.icon
議論する土壌があるなと今回(まあ以前から思っていましたが)思った
最初は感情的であったとしても、Mijinko_SD.iconさんは対話の姿勢がすばらしかったし、それにxbczLsg2YtD2.iconさんも応えていたと思う
特にそれを踏まえたわけではなさそうだし関係なさげはるひ.icon
これまでもそこそこ自制を効かせているタイプの人は多いのではなかろうかはるひ.iconinajob.icon
多いはその通りだけど、強い衝撃が当たるとたまに自制が壊れる感Mijinko_SD.icon というのが仕事中に考えてたことMijinko_SD.icon
敢えて悪い部分だけに着目してそれを主軸に偏った主張をしました
適度に良い部分も誰かが挙げて(人任せ)、代替案も考えつつバランスを取れたらなと
あと問題に対して見ないふり続けてたら本当に焼け野原になるぞという脅しも若干含みつつ… 時代によってコミュニティメンバーが変わっても以前のままでいられるか、それとも変わるべきか、考えてみるのもいいかなと思った
それはそれとして、暗黙のルールみたいなものがあるとそれを軸に喧嘩が起こるので、個人的には嫌ですMijinko_SD.icon 他人に求めたいことがあるなら、初めから明示してくれた方が個人的にはより配慮しやすいです
井戸端民の殆どが共通認識として持っているモラルがあるなら、言語化してもいいんじゃないだろうか
もう既にページあった気がする
その方が新しく入ってくる人にとっても雰囲気を掴みやすくなってより参加しやすくなると思います
自分がROMりはじめたころ(いつだよw masuiさん等が活発に活動していたころ)は同質性が高めのコミュニティではあったと思うkana.icon 相対的なものなのでそう思う人も思わない人もいるだろうけど
だからこそ(そうではない自分は)ROMってた
肌感覚だけど現状はそれほどでもないように思う
同質性が高いときの「なんでも書いてOk」と、そうでもないときのそれは変わってきそうではあるなあと感じる wakaru.iconSummer498.icon
これあるはるひ.icon
だれかがつまらないな息苦しいなと感じるよりは、まずはなんでも書いて、そこから議論を発展させるほうが面白いとは個人的には思うkana.iconcak.icon
なんでも書いて変なこと書いたら誰かしらが指摘してくれたりバトっててもわりと相手を信用して?話し合いでなんとかしようとする感じが井戸端っぽさかなと思っている
このために「何を書いても良い」となっているのであって、上の方に書いてあったトラウマを抱えた一部の人などを故意に傷つける発言を書くのを控えた方がいいのはどの公共の場でも同じなのではないかと思う
解決はワンチャンできたらいいねくらいだけど、お互いに相手を理解出来たらいいと思っているtakker.iconkana.icon
折り合えなくても相手の考えや行動原理がわかればまずOK
仮に理解できなくても、理解しようと行動してる時点で偉業
Scrapboxを使ってて井戸端の参加リンク辿り着くまでで約束された民度ってあるよなあとはるひ.icon その上参加するハードルもあるSummer498.icon
みんなもとは井戸端したくて入ってきてるわけではるひ.icon
コミュニケーションにおいて本当に最低限必要なものって他人へ故意の「悪意」や「敵意」を向けない事かなぁと思うnyarla.icon
この二つさえ守っていれば「何を書いても」それほどは揉めないと思う
ただしこの二つは「誰かと揉めない」「誰かを傷付けない」ことを保証しない
慈悲的差別のような文脈だと「悪意ではなく善意からくる差別」があったりするから自身の対応が難しい
日本人にとっては全く問題ないけど、中国人はかなり怒ったやつ
(中国で売ってなかったはずなのに何故中国人がその名前知ってたのかは謎だけど)
あれはかなりの騒動になってた記憶
悪意と敵意の定義が微妙だから意外と難しいね。これSummer498.icon
A氏が悪意なく言った発言がB氏にA氏は悪意を持って言ったんだと受け取られることがままある
確かにそう言うことはありそうですねnyarla.iconcak.icon
たくさん見てきた(古参アピール)inajob.icon
これを履行しようとするとシンプルに「気をつける」に落ち着きそうだSummer498.icon
故意の立証も大変だし
もう少し踏み込んで言うと「害意」を向けないと言うことになるのかなnyarla.icon
人間、無自覚に「悪意」や「敵意」を向けてしまう事はままある
ただ故意に相手へ「害意」を向けないよう意識するしかないのかなとnyarla.icon は個人的には思う
これが出来ずになぐりかえして揉めてる気がする
ただ、場合によっては本当に相手から「悪意」や「敵意」を向けられている事もあるので厄介nyarla.icon
ここの感度が鈍いと自分が一方的にやられる事になる
nyarla.icon はそうなりがち
なんでそんな殺伐とした環境にいるんすか……Summer498.iconinajob.icontakker.icon
今は殺伐とした環境には居ませんが、過去の人生経験ですnyarla.icon
念のため補足しておくと近年の話ではなくて小学生から中学生辺りまでの話ですnyarla.icon
似たような境遇を経験してて共感を覚えたMijinko_SD.icon
なんかこの辺の話で(inajob.iconから見て)過度に自衛するのがそもそも問題なんだよなと思うinajob.icon+1Summer498.icon
ジェネレーション(or something)ギャップとかありそうだがinajob.icon
ギャップがあったとして「問題である」ということに変わりはなさそうSummer498.icon
ギャップによって生じるのは「じゃあどないせえっちゅうねん」という考えが出るかどうかじゃないかな
この場では過度な自衛がマイノリティかなと思いますが、逆の環境もすでに結構ありそうだなと思って、その場合うまくふるまえるか自信がないinajob.icon
性善説に則って行動するか性悪説に則って行動するかというのもありそうMijinko_SD.icon 周りは自分に対して友好的もしくは中立ですと考えるか、周りの殆どが自分に敵対する可能性があるかもしくは無関心ですと考えるかで取るべき行動が全く変わってくる
人の悪意や無配慮な行動にばかり触れていると性悪説が強くなる気もする
過度に自衛させる環境のほうが問題なのではyosider.icon
井戸端にそのような気配を感じない、そうする動機やメリットがないinajob.icon
まぁ感じ方は人それぞれ
+1 custard.iconkana.icon
であってましたっけ,同意のやつcustard.iconOKinajob.icon
丁度よい事例があったのでSummer498.icon
なんか邪推してるみたいですけど、ここで言いたかったのは「できるけどやらない選択を取った」って話ですMijinko_SD.icon ほうほうSummer498.icon
ちなみに邪推と言うより例の剃刀に対する疑義が生じたという感じSummer498.icon
君も僕を過剰に悪人にしたいのかな?(邪推返し)Mijinko_SD.icon
存在しない悪意を見出して返したらキミが純粋な加害者になるんやでSummer498.icon
このやりとりはまあ、解釈がムズいが
お互いが被害妄想を抱えて殴り合ってるように読むのが素直だろうか
確かに良識を信じる風土はありそうですcustard.icon
僕は特にそうかもしれません
周囲の人々はそうではないので,エピソードはそこそこ吸収している
井戸端はそういった悪意蔓延るコミュニティではないだろうと思っている
いわゆる荒らしが入るには二の足を踏むかな,というのもあります
人やコミュニティの歴史を鑑みれば,もっと考える必要がありそうにも思えます
僕はそこまで深刻に感じませんでした
割と楽観的です
最悪,追求すればいいかな,というのもあるかも
編集履歴として,活動の痕跡が残る...と思います
改ざんと否認を防げれば,最悪の事態は避けられるのでは?と考えています
何か決めても履行が難しそう,とかがあるかもしれません
どこかのページに,ルールで縛らない的なのがあったような...
別のプロジェクトかもしれません
とりあえず,思ったことを素直に書いてみました
なんとなく敬語
静かな感じを表現したかった?
各所,もっと深化できそうですね
人を傷つけかねない発言に故意も過失も関係あるのかなってちょっと思ったMijinko_SD.icon
傷ついた人にとっては発言の意図よりも傷ついたという事実の方が重要になるかなって
あくまで傷つけられた人の側に立った際の視点だけど
トラウマとかは(言い方悪いけど)本当に厄介で、多種多様だから何がトリガーになるかは結構勉強してないとわからないと思う
日本人は原爆を忌避するけど、海外の人は普通にネタ感覚できのこ雲を使ってるみたいに、温度感や問題の認知の差も人それぞれ
人を傷つけた発言に故意も過失も関係がないと言うのは被害を受けた側から見たらそうかもnyarla.icon
(一通りは書き終えたけど)↓ は色々と書きすぎたかもしれないnyarla.icon
上手いこと推敲できてないから解りづらかったらすみません……nyarla.icon
書いてて思ったけど元々のMijinko_SD.iconさんの意からは外れてるかもしれない
あと意見を練りながら文面を書いていたので文体が固いかもnyarla.icon
1. まず事実だけを見たら、傷つけた側の言い分は関係がない
人とぶつかって相手が怪我をした と言う状況で 相手が怪我をした という事実に変わりがないと同じ
2. ただ人を傷つける発言をしてしまった側の落ち度 には関係があるのではないか
1. 一般論として、発言の過失で人を傷つけてしまう事は誰にとっても起こり得る話
nyarla.icon であってもこれは回避できてないと思います
2. そうであるなら、過失を殊更に責め立てられるケースはそう簡単に容認されないはず
誰もが起こし得る事故なら、他人の振りみて我が振り直せ、と言える
3. ただ、昨今のネットでは人を傷つけた ことを理由に糾弾会が起こされがち
nyarla.icon はこの手の話でこれが一番の問題だと考えてます
この手の糾弾会では、 人を傷つけた側に弁論の機会を認められない構造がある(nyarla.iconの主観では)
この弁論の機会を認められない、という話は加害が起きてしまった事実を盾に、
言い訳してるんじゃねぇよ
という形で加害してしまった側が黙らされてしまう、という意味合いです
そのため、糾弾の対象となった者は自身の身を守ることが出来ず、サンドバッグ状態になってしまう nyarla.iconはこの状態を 謂れある迫害と呼称しています 裁判でいうと、被告人から弁論の場を奪ったり弁護士をつけさせないようなものかtakker.icon
やっちゃだめなやつだ
4. 上記の性質からnyarla.iconはこの手の謂れある迫害を絶対に認めてはならないと考えている 理由は、
他人への加害を問題視しているのに、人をサンドバッグにする行為が加害ではないなら何なの?
という一言に集約されるためです
落とし所として素晴らしいと思いましたMijinko_SD.icon
問題はこれを多くの人が納得するかに尽きるMijinko_SD.icon
3. 無論、これは悪意を持って故意に人を傷つける行為を認めてはならないと言う前提の元での話
これを許すと善良な関係や心理的安全性が損われてしまう
とは言え、だからと言って上記で述べた謂れある迫害を使ってやり返していいとnyarla.iconは考えていない yuki_minoh.icon
もうちょっとシンプルに、他人がいやでも目に入る部分は「気をつけよう」ね、という議論の方向性はどうでしょうか
cak.icon
今さらだが、井戸端に参加する時にこのテキストを読み、「なんでも」は「どのような話題でも」という意味と取っていたことを思い出した
井戸端でよく話されているような話題でないアイドルの話なんかもして良いんだな〜と思ってうれしかった記憶がある
もちろんそういう意味のものだろうはるひ.icon
同じく「どのような話題でも」の意味と取っていますtakker.icon
「何を言っても言っても良い」という意味ではないだろうとは思っているものの、厳密に線引を行うと難しい感じMijinko_SD.icon
どのようなコミュニティであっても人を意図して攻撃すると廃れるので、そういう意味でも一定のモラル的なのはあるでしょうが
そして今では「どのような話題でも」話すのがまずいのではって話になっていた感Mijinko_SD.icon
それが「不特定多数が見ている場所だから」という前提からの提起
上記に関連付けるのであれば、見ただけで傷つく人がいる→意図していなくても攻撃になる という話になる