説明しない限り自分の考えは伝わらない
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という考え方
nyarla.iconはこの考え方の元に普段から自分の考えの説明を心掛けている
これは自身が抱いた感情も同じことで、自身の感情が誰かの感情と似ているからと言って、同一の考え方をしているとは限らない
人は他人の振る舞いを見て相手の事を推察しているけれど、本当のところは説明しないと誰にも伝わらない
この推察が外れたり機能しなかったりすると、他人と揉めたり喧嘩になったりする
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人間、その説明を理解したくても能力が足りてなくて理解しきれない事はままある
学問だとこれを実感しやすい気がする
対人関係においても、経験の差などからこれが起きることもある
nyarla.iconは他人の感情に対してこういうことが起きがち
多分発達障害に根差しているんだろうけど、相手の感情を理解したくてもできない時がある
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また説明したくても上手くできない・言語化がつらいという問題もある
特にそれが負の感情や記憶と結びついている場合、他人に伝えるには憚るという性質もある
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3行まとめ
自分の考えは説明しなくても相手へ伝わるはず、という考え方は単なる思い込みnyarla.icon
+1Mijinko_SD.icon*3kana.icon
厳しい言い方にはなるけど、事実として思い込み・錯覚に過ぎない
恐らく健常者(定型発達者)同士は感情移入によってこれが機能している、と感じ取っている つまり「なんとなく察している」が機能する前提があるからこそ限定的に成立する事に過ぎない
そして「なんとなく察している」に誤解が含まれていたりすると喧嘩になる
思いが上手く伝わらずにすれ違う、という事柄はここに起因していると思うnyarla.icon
恋人同士の関係を歌った曲によるあるやつnyarla.icon
思いが上手く伝わらずにすれ違う歌、実際の例何かあるかなqwerty1234.icon
あるあるkana.icon
しかし発達障害のように他人への想像力・想定力に支障がある場合、これが機能しない
つまり「なんとなく察している」という前提がそもそも無い
発達障害は他人への想像力・想定力に難がある場合が多いので、相手への感情移入は抱きづらい
発達障害者同士だと感情移入が機能する、と言う話もある
ただこの辺りnyarla.iconには経験がない
定型発達者と発達障害者との意思疎通が難しい場合があるのは、恐らくこれのせい
定型発達と発達障害は意思疎通の前提が異なる場合が多いので、それ故互いに戸惑うことが多いのだと思うnyarla.icon
↑は例示として発達障害の話を使ったけど、これは下記のような事例でも同じことが起きると思うnyarla.icon
異なった文化圏の者同士の交流
例えば同じ極東地域でも日本と中国、韓国では文化が違うという話
異なる宗教観での話
例えば大乗仏教とイスラームは偶像崇拝の文脈で非常に相性が悪いと感じているnyarla.icon
異なるジェンダー間での実感・体験の話
ネットで話題になるのは男女間の問題が多いけど、男性と女性では共有できている前提が違う
気が向いたらあとで書きたいとnyarla.iconさんが書いていらしたシンパシーとエンパシーの違いとも繋がってきそうな話だなあ、という感想をもちましたterang.icon