説明しても理解されるとは限らない
nyarla.icon
自分の考えは説明しなくても相手へ伝わるはず
という考え方は単なる思い込み
人間は雰囲気や仕草などの非言語的情報で相手の意を察するという行動をしているが、これは相手の考えのシュミレーション、推察に過ぎない
そのため実際に推察と現実が食い違うことがあり、これが他人とのすれ違いに繋がる
nyarla.icon
しかしそれと同時に、説明すれば理解されるという事もまた思い込みに過ぎない
何故か
説明を受けとる側の問題
人間の読解力には限界がある
例えば学問やITだと分かりやすい
nyarla.iconも分からない
スマホの使い方を親に説明しても理解が追いついてないとか良くある
nyarla.iconの家族もそう
数学や量子学とかになってくると、専門家でも分からないとか良くある
nyarla.iconの印象
そもそも相手が理解するつもりがない
説明を理解する気のない相手へ説明しても相手は説明を理解しない
話を聞いてくれない相手は当然自分の説明を理解してはくれない
qwerty1234.iconさんの話とも近そうだけど、人間、体験してない事は実感として理解できない
また傷病の体験とかも同じことが言えそう
これはnyarla.iconはうつ病などの諸々の疾患で似ている症状を何度も経験したため
説明する側の問題
身体的感覚などを言葉に翻訳し伝えるのはとても困難qwerty1234.icon バック転をやったことのない人が、できる人からコツを言語的に伝えられてもすぐさまできるようになるとは限らない
似たような動きを既に習得している場合はできることもあるだろう
どこで言ってんだろこれqwerty1234.icon
説明する側の理解が誤っていることもあるかもqwerty1234.icon
この場合、自分の考えを説明する能力が足りない、という話になりそう
説明する側が相手に理解させる気がないqwerty1234.icon
良い例はあるか?
禅の逸話はこの傾向がある気がする
説明する側にやる気がない
このページの本旨からはずれるようにおもうqwerty1234.icon
ティール組織論の元(の1つ)になったキーガンの成人発達段階説も、先の段階でないと認識できない事象があるという考え方をとるので似ているなと思ったterang.icon