説明しても理解されるとは限らない
from 説明しない限り自分の考えは伝わらない
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説明しない限り自分の考えは伝わらないにも書いた通り、
自分の考えは説明しなくても相手へ伝わるはず
という考え方は単なる思い込み
人間は雰囲気や仕草などの非言語的情報で相手の意を察するという行動をしているが、これは相手の考えのシュミレーション、推察に過ぎない
そのため実際に推察と現実が食い違うことがあり、これが他人とのすれ違いに繋がる
ref. 思いがうまく伝わらずにすれ違う歌
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しかしそれと同時に、説明すれば理解されるという事もまた思い込みに過ぎない
何故か
説明を受けとる側の問題
人間の読解力には限界がある
例えば学問やITだと分かりやすい
哲学だとアリストテレスとかデリダが云々とかあるけど、門外漢には良く分からない
nyarla.iconも分からない
スマホの使い方を親に説明しても理解が追いついてないとか良くある
nyarla.iconの家族もそう
数学や量子学とかになってくると、専門家でも分からないとか良くある
nyarla.iconの印象
そもそも相手が理解するつもりがない
説明を理解する気のない相手へ説明しても相手は説明を理解しない
話を聞いてくれない相手は当然自分の説明を理解してはくれない
もしくは体験のないことは実感できないと言う面もある
qwerty1234.iconさんの話とも近そうだけど、人間、体験してない事は実感として理解できない
これは例えば男女間の経験の差とかも関係がある
また傷病の体験とかも同じことが言えそう
新型コロナの後遺症にブレインフォグという症状があるけど、nyarla.iconにとっては割と容易に想像が付く
これはnyarla.iconはうつ病などの諸々の疾患で似ている症状を何度も経験したため
とは言えブレインフォグとうつ病などの諸症状が完全に一致しているとは限らないけど
説明する側の問題
身体的感覚などを言葉に翻訳し伝えるのはとても困難qwerty1234.icon
バック転をやったことのない人が、できる人からコツを言語的に伝えられてもすぐさまできるようになるとは限らない
似たような動きを既に習得している場合はできることもあるだろう
故長嶋茂雄の打撃理論に、「スーッと来た球をガーンと打つ」という話がある
どこで言ってんだろこれqwerty1234.icon
そこで腰をグッ!と構えてバッ!といってガ―ン!と打つ
説明する側の理解が誤っていることもあるかもqwerty1234.icon
これは常に自分の考えを説明できるとは限らないに近い話かもnyarla.icon
この場合、自分の考えを説明する能力が足りない、という話になりそう
説明する側が相手に理解させる気がないqwerty1234.icon
良い例はあるか?
禅の逸話はこの傾向がある気がする
説明する側にやる気がない
相手の考えが常に説明されるとは限らないと言えそう?nyarla.icon
このページの本旨からはずれるようにおもうqwerty1234.icon
そこに立ってみないと見えない風景と呼んでるやつだinajob.icon
ティール組織論の元(の1つ)になったキーガンの成人発達段階説も、先の段階でないと認識できない事象があるという考え方をとるので似ているなと思ったterang.icon