眞なる事の特徵
眞の話と、眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るかと云ふ話とが有る
過程
table:不可避・不可能。一義・數多。絕對・被關係
眞 仲裁 否僞
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眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るか
眞に於いてこれは自己言及ではない
ディルタイは、その解釋學において、「全體の理解は部分の理解に依存し、部分の理解は全體の理解に依存する」といふことを指摘し、何かを解釋する際には、全體の理解と部分の理解が、どちらが先でどちらが後であるとは言へない、循環的な關係にあることを問題にした。 ハイデッガーは主著『存在と時閒』で、この循環を時閒性として捉へ、先行理解 (先入見 Vorurteil) と新たな理解との閒の循環は必要不可缺である、と考へた。
ガダマーは、ハイデッガーの思想を發展させつつも、この循環を「地平融合」として理解した。すなわち、この地平融合において、元著者のテキストと解釋者のテキストはどちらが優位といふことなく、融合して一體化するのだといふ。この發想は、その後のポスト・モダニズムのなかの一つの契機となった。
これに對しリクールは、ガダマーが解釋における理解 (了解) だけを重視して說明にしかるべき位置を與へてゐないことを問題にし、理解と說明とが解釋學的循環をなしてゐると考へた。說明を排除しない點でリクールの解釋學は、ガダマーのそれに比して、歷史哲學を嫌う實證的な歷史学者たちにも廣く受け入れられた。例えばロジェ・シャルチエがそこから影響を受けた。 Microcosm principle: Certain algebraic structures can be defined in any category equipped with a categorified version of the same structure.
問の不可能性
「眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るか」は問ひではない
解の不可能性ではない。解は可能。解は容易い
眞に關して問を立てられない
結果
過程
變化
創造
分散
眞に就いて書き終はる事が出來ない。眞に就いて中斷し作品とする (a.k.a. 完成する、振り返る、斷言する) 事が出來ない。だから眞に就いて書き始める事が出來ない。眞は汎ゆる所に汎ゆる仕方で、である (c.f. 存在するとは別の仕方で)。眞は根源ではない。だから眞は出發點ではない 書き始められないし書き終はれないが書く事は出來る
「經驗」とした事から、〈永遠極限〉を「癖である」とした 不可能なのは〈此の〉である
眞の形態は眞の阻止の形態と等しい
「普通には」
曖昧、幅
半根據
眞であらうとする事は避けられない
table:表
眞 解 問
私 自覺 對 (對自、對他、對幻想)
善 味方 敵
美 ? ?
汎ゆる立場が「眞を理由とする事を認めるべきだ」と云ふ事では全くない。眞を否定し拒絕するのは正當で有り得る
言明の「斷言」の觀念を完成の槪念に置き換へてはどうだらうか? 完成とはそれ迄の事柄達を振り返って全體として眺める視點に立つ事を云ふ。「これで完成である」と宣言するのがそれだ。區切りの一種でもある。常識的な「完成」の像を槪念へと仕立てたものだ 不可能な事への不可避性 (象徵的同一化$ \phi\to I(A)\leftarrow\Phi) 「眞であるとは如何なる事か」の解を述べる事に對する眞は既に在る
常に既に在る眞
超越論的論証
段階的眞
超越論的 / 超越的
無根據な斷定
循環論法
無限後退
存在論浮動
閒理論性
有限性
有限の適用用途を持つ有限個の、互ひに有限にしか區別されない眞
有限な原子論
←→究極的差異・一性の原子論
有用性
進化論
pragmatism
共同性
習慣
斷片
眞に meta level は無い
被媒介
被制約
單獨
「眞」と「眞に就いての觀念」との違ひを、不可避な解と不可能な問との違ひに移す 眞善美の系列と眞私今の系列とが有る
眞と善と美は同時に定まる、或いは定まってゆく
「眞に於ける眞と眞に於ける善と眞に於ける美は同時に定まる」ではない
眞に於ける眞と善に於ける善と美に於ける美は同時に定まる
然し眞善美は互ひに互ひを定めない部分が有る
眞と善とは同じ問題ではない。善は誤謬の名である→四諦 眞は價値體系ではない。善美は價値體系である。善美は價値體系としての眞である
善は政治である。善はニ極であるが眞は 3 である。善は 2 としての眞である
善→眞$ \simeq2→3 : 調停、欲望
眞→善$ \simeq3→2 : 第三項排除、充足 眞は善惡の第三極を見せる
美
理論的美德 (theoretical virtues)
美的選擇、凝結
無明的美←→恩寵的美
單純性 (simplicity)
構文論的單純性 (syntactics simplicity。elegance)
原理の個數が少ない
存在論的單純性 (ontological simplicity。儉約 (parsimony))
質的儉約 (qualitative parsimony)
範疇の個數を儉約する
量的儉約 (quantitative parsimony)
例化されたもの (instance) の個數を儉約する
說明力 (explanatory power)
整合性
直觀との整合性 (coherence with intuitions)
他の諸理論との整合性 (coherence with other theories)
數學哲學者と數學者の閒に生じる緊張關係の一因は、雙方が相手側から無視されていると感じてゐる點にある。日常的な數學の實踐は、哲學者が考察してゐる問題からはほとんど影響を受けてゐないやうに見える。本講演では、數學の實踐に直接的な影響を及ぼす問題と、實際に數學を實踐する硏究者の著作に見られる數學に對する哲學的立場について論じる。
議論を呼ぶことになるかもしれないが、私はこの問題を「道德性」と呼ぶことにする。ただし、この用語は私が考案したものではない。實際に世界中の數學者たちが、私的な場で「道德的に」といふ表現を效果的に用ゐてをり、私は彼らがこの言葉で何を意味してゐるのかについて公的な理論を構築すべきだと提案する。この問題が生じる背景には、數學的真理の根幹として崇められる證明が、數學者の理解に實際に貢獻してゐる度合ひが極めて低いといふ事實がある。一方で、「道德的」な考察は數學者の理解に多大な影響を與へる。まず、これらの「道德的」考察がどのやうなものであるかを明らかにし、なぜ數學者がこの槪念に「道德性」といふ言葉を當てはめたのかを說明したい。ただし、すべての數學者がこのやうな槪念に關心を持ってゐるわけではなく、「道德主義的」數學と「道德主義的」數學者の特徵を定義するとともに、個人レベルおよび數學全體における「道德性」の發展過程について考察する。最後に、數學的道德観の體系を標準化あるいは普遍化するための理論を提案し、これがいかにして優れた數學の發展に寄與し得るかについて論じる。
美學
眞卽善卽美、僞非卽惡非卽醜、眞具惡醜、善具僞醜、美具僞惡
絕對 : 眞、善、美
被關係 : 否僞、否惡、否醜
眞と私と今は同じ構造を持つ
意味の構造
遠近法 (perspective)
價値體系としての私 (holism)
善 / 美