假に宇宙の未來が有限ならば、宇宙自身が自然法則を誤解してゐるかもしれない
「誤解」はおかしいかも
比喩 : 低 energy での四つの力の分離
假に高 energy のまま宇宙が終はったら、宇宙は弱い力と電磁氣力との區別を知らない
宇宙が知らない自然法則を人閒も知らない
蓋然性と蓋然性の支え (慣習、常識、topos←→chola)
←→macro 經濟學の micro 經濟學的基礎
機械
資本主義的經營そのものが初めから機械のように信賴し得る法律の存在を條件としてのみ可能なのであって、裁判や行政のような國家機能が法治的でなければならない主な理由もここにあると考へることができる。
先ず第一に、現代社會の特徵としてそこには軍隊・官庁・企業・工場等の「大量成員團體」が多數存在して、そのいずれもが「組織の力」によって、「機械のやうに」秩序正しく「合理的運營」を行っていることである。そしてそのために、一方では学校という特殊な敎育機關に「大量の人閒が身分・出生を問うことなく收容され、一定年限の閒、專門的知識と規律に對する服從能力とを集團的に敎育・陶冶され、やがて一定類型の專門的勤務能力をもつものとして大量的におくり出される」。同時にまた、かかる「專門的勤務能力」は、「しばしば、大衆が理解・習得でき、しかも內部に喰ひ違ひのない無矛盾・斉合的な體系(例えば『敎科書』『法典』『操典』など)に編緝され、敎育はこれにもとづいておこなわれる。實際の勤務にあたって勤務者がこういう無矛盾・斉合的な行爲規範にしたがうことが、集團全體のあの「一糸みだれぬ」運營の基礎となるわけである」。このやうに集團的訓練を身に着けた專門的勤務者によって「事務的に」businesslike 萬事が秩序正しく合理的に運營される機構組織を、マックス・ウェーバーは「官僚制」と名づけている 次に、近代社會の特徵である資本主義の合理的經營は、一面合理的資本計算を基礎としてのみ可能であるように、同時に近代國家の行政・司法における「官僚制」もまた、その必須の前提條件をなしている。「近代國家がその「官僚制」的中央集權によって廣い地域にわたって持續的に治安を確立し、大規模生產に不可欠な市場を形成すること、近代國家が種々の経済秩序(例えば商法・統一的貨幣制度など)を創設・保證・維持すること、さらにまた、專門家としての近代的『官僚』が國家の計劃的・合理的な經濟政策(たとえば財政・金融政策など)を可能ならしめること、などその顕著な場合である」。そして「近代國家の國家活動は、あらかじめ國民に公示された成文法秩序のもとに、專門的かつ無私的な官僚によって、計劃性と安定性とをもって執行される」。かくして國家活動が「偶然性・恣意性を脱し、あらかじめ計算しうる(豫見しうる berechenber)ものとなる」によって、「企業は安心して國家活動をその企業活動に織りこむことができ」、「近代的工場經營に特徵的な固定投資はこれによってはじめて可能となるのである」。 (4) しかし、同時に注意すべきことは、以上のような法的秩序はあらかじめ不動的に定立された法規範の自動的作用によってのみ成り立つのではなくして、特に法學的の訓練を受けた專門家がその運用に當ることが必要なことである。いかに精密な法規範體系を用意しても、それの自動的作用のみでは法秩序の圓滑な運用を期することはできない。法には一面、機械のように正確な規整作用を行う非情的な面があり、それこそまさに法の特徵であるけれども、同時に個々の場合の具體的事情に應じて具體的に妥當な處理が行はれなければ、全體として圓滑に動かない面を持ってゐる。だから、裁判所はもとよりその他の官庁や企業團體等にも、必ずかかる具體的處理を擔當する專門家が必要であって、これあるによってのみ法の機械は圓滑に動くのである。彼らは既定の法規範體系の單なる法字引でもなければ、見張人でもない。法學的訓練によって特に習得した法學的のものの考え方を活用して法秩序の圓滑な動きを保障すると同時に、ひいては、社會の進展變化に應じて法秩序を成長せしめてゆく働きをするのである。
必然性 : Johannes Duns Scotus の、明證性に依る眞理推論
學的認識
感性 : 範疇
悟性 : 論理
理性 : 訓練
蓋然性の論理
人閒の學的認識の限界は人閒の有限性に依るものではない。人閒の有限性に依るならば宇宙は無限でなければならないが、その制約は要らない。學的認識の限界はもっと複雜な限定に依る
判斷素材の部分性
判斷 (日常的判斷ではなく學的判斷) の非完全性
非完全性は實踐性か?
言表の稀少性
文明の蓄積には限度が有る
宇宙年齢が宇宙內の energy で記述不可能な數に成ったら、宇宙の歷史の全體を有意味に記述できない