學の四角形
$ \begin{array}{c} 大地 & 天空 \\ 死すべき者達 & 神的な者達 \end{array}四方界 (Geviert) 學の四角形$ \begin{array}{c} 理 & \xlongequal{性} & 理學說 \\ _心\| & & \|_{配分} \\ 理學者 & \xlongequal{訓練} & 理學會 \end{array}性卽理 / 心卽理。配分的正義 (應益。交換樣式 B) / 匡正的正義 (應能。交換樣式 A) 理學 : 儒學に依って世界の理を解明する。訓詁學に對して考へられる 朱子學 : 心は性 (生まれ乍らの性質) と情 (氣、現象) が有り、性は一木一草の天理、情は人欲。經書を讀み情を抑へ一切物の理を知るに到る 陽明學 : 心の性も情も天理。心は無善無惡。意 (心の働き、行なひ) は有善有惡であり、心素直に經書を讀み善惡を良く知るに到る。後に意も亦理であり無善無惡と考ふ 配分的正義 / 匡正的正義
配分的正義
匡正的正義
修復的正義
報復的正義
理は理に退隱する
理學者は理學者に觸れ得ずただ隣接する
學への沒頭は人生への沒頭と同じく普通の沒頭であるが、全人生が一つの學的成果として我々の前に現はれた時、普通の人生が一つに外化して現はれたのを我々は知る。普通は全人生が一つに外化して現れる事は無い。專門性と理學者との關係がこの、一つに外化される事を得易くする
理は理學者に沒頭する
科學である事と科學者である事はよく混同される (二重性)
科學と科學者は異なる
醫學と醫學者 (醫者) は異なる
工學 (技術) と工學者 (技術者。engineer) は異なる
資本と資本家は異なる
$ \begin{array}{c} 資本 & \xlongequal{性} & 金融 \\ _心\| & & \|_{配分} \\ 資本家 & \xlongequal{訓練} & 市場 \end{array}$ \ne 商人
理は理學說を縮約する
理學者は理學會を發出する
科學の非賢人性
discours$ \begin{array}{c} a,\Phi,S(\cancel A) & \cancel S \\ S_1 & S_2 \end{array} māhīyā
本質
何性 (quiditas)
性
huwīyah
もののあはれ
何 (quid)、どのやうな (quale)
心
これ性
究極的差異 (differentia ultima)
無駄無き創造
時閒、空閒
眞、善、一
類・種・種差・個體・本質・有・偶有・質料・形相