オオタキラジオ_2405
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早起きしてポストすることから私の一日は始まるのですが、7/19まで控えます。「アマチュア無線の魅力を向上するアイディア」に応募する提案書を作成するためです。この二つのカテゴリーこそ #R16FR や #電波文化祭 が目指していることだから。A / B それぞれで応募します。 240530
演奏者の顔の傾きに連動して、駆動部がペダルを踏み込むバリアフリーピアノペダル。プロの演奏者のニーズに答えられるために開発している「bFaaaP Pro」。あまりにも普通に動作してくれて、感動よりもまず安堵した。ここに到達するまでにかかった6年は、まさにAi技術の進化と同期した6年だった。
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開発を始めた6年前の2018年、私は閉局していたし「この先も再開局することなどない」と思っていた。なのに3年後の2021年、10年ぶりに再開局した。電子回路・駆動部のハードウェア、マイコン制御・Ai技術のソフトウェアなど多岐にわたる知見を、開発者JE1DLCは無線から得たことだと気づいたからだった。
アマチュア無線から学べることは、電波の性質を活かす通信技術だけではない。無線運用に必要な機材を自ら制作する技術も必要だ。自分がわからないことを調査し解決する力、他者とのコミュニケーションする力もだ。私が思う優れた無線家とは、無線を目的とするのではなく、無線を手段としている人だ。
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bFaaaPプロジェクトのメンパーとして、開発者JE1DLCに一番近いところにいる者として、私には責務がある様に思えた。古希を迎えたこの開発者の知見を「見える化」しなくてはならない。私がJE1DLCから学び、私から子どもたちへ伝えるつもりだったが、挫折した。私には受け皿としての技術が足りなすぎた。
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開発者JE1DLCの技術を私を介さず、共感してくれる技術を持つ無線家たちが引き継げばいい。その無線家たちが子どもたちへと技術を伝承すればいいのではと考えた。コミュニティーが必要になり R16 Friendship Radio #R16FR と名付けた。毎週日曜日の勉強会が必要になり #もくもく会 と呼ぶことにした。 https://scrapbox.io/files/665782d1973acb001dc7915e.png
6/2(日) #狭山ヶ丘寺子屋 にて #もくもく会 を開催します。「つくる」ための #もくもく会 です。無線家にとって「モノを作る」とは、完成させることが目的ではない。そのモノを使って「自分のメッセージを誰かに伝えることができること」が目的です。 https://scrapbox.io/files/664264106d45b8001cefebb8.jpeg
https://gyazo.com/0bb0ae330ed08f7f7f1afc7adca89eb2
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240529
2地点間の見通し距離(km)を計算式がある。自局・相手局とも「標高70m地点でアンテナ高さ2m」とした場合、見通し距離は 「69.9(km) 」となる。だが現実的には、70km離れた地点間に山やビルなどの障害物があり見通せず、交信はできないだろう。(4.12とは、大気中での屈折を考慮した等価地球半径)
$ 2地点間の見通し距離(km)を計算する
$ D=見通し距離(km)
$ h1=自局のアンテナ標高(m)
$ h2=相手局のアンテナ標高(m)
$ h1=自局は標高70m地点でアンテナ高さ2m=72(m)
$ h2=相手局も標高70m地点でアンテナ高さ2m=72(m)
$ D=4.12×(\sqrt{h1}+\sqrt{h2})
$ D=4.12×(\sqrt{72}+\sqrt{72})=69.9(km)
自局は「標高70m地点でアンテナ高さ2m=72(m)」、相手局が山岳移動し「標高800m地点でアンテナ高さ2m=802(m)」だとした場合、見通し距離は 「151.6(km) 」となる。433M/FMで山岳移動局相手との交信で私にも経験がある。では双方とも「標高70m地点でアンテナ高さ2m」の交信はできないのだろうか・・・
$ 2地点間の見通し距離(km)を計算する
$ D=見通し距離(km)
$ h1=自局のアンテナ標高(m)
$ h2=相手局のアンテナ標高(m)
$ h1=自局は標高70m地点でアンテナ高さ2m=72(m)
$ h2=相手局は標高800m地点でアンテナ高さ2m=802(m)
$ D=4.12×(\sqrt{h1}+\sqrt{h2})
$ D=4.12×(\sqrt{72}+\sqrt{802})=151.6(km)
433Mハンディトランシーバ同士の交信は、どちらかが山などの高所に移動するなら、70km以上の交信も難しいことではない。この様な「見通し距離」での交信ではなく、「途中に障害物があり見通しがない 70km以上の交信」となると、そのハードルは高くなる。これが #433over70km プロジェクトだ。 https://scrapbox.io/files/66558bf13df904001c07103e.jpeg
・433Mハンディトランシーバ(FM 5W以下)と、
・手持ちのアンテナ(5ele八木アンテナ以内)で、
・どちらも車を使わずに行ける市街地(や郊外)から、
・途中に障害物があり見通しがない「70km以上の交信」に挑戦する。
https://gyazo.com/2cb4fbe3113cf82a357cd34ff9dd2b2f
#433over70km の挑戦に #R16FR は二つ成功した。ひとつめは筑波山(標高 877m)山岳回折伝搬を使った「水戸市・大塚池公園」から、117km先「青梅市今井」との交信実験。ふたつめは丹沢山塊・蛭ヶ岳(標高 1,673m)山岳反射伝搬を使った「相模原市緑区」から、75km先「川越市八瀬大橋」との交信実験だ。 「水戸市↔青梅市/入間市/東松山市」433over70km(230621)
「狭山 ↔ 丹沢山塊反射 ↔ ︎相模原」70km通信実験結果(240526)
430DXer局から聞いたことがあった。「HFに比べれば 430Mは、電離層を活かしたダイナミックな伝搬は期待できない。これは短所だろうか。違う、長所だ」「どうしたら交信距離を伸ばしていけるか。電離層の、いわば神頼みの伝搬ではなく、求められるのは『仮説・仕掛け・実験』に基づく伝搬なのだ・・・」
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240528
2024/5/24(金) #狭山の朝練 は、私のロケーションの特徴が現れる交信だった。JN1GGZ(埼玉県狭山市)標高 74m(GP 12mH)アンテナ標高86mHの無指向なGPアンテナだが、南東から西にかけアンテナよりも高い隣接建物が並び、信号はブロックされてしまう。この方向の東京や神奈川局とは交信しにくい。 https://scrapbox.io/files/6654e37da72227001cb33091.jpeg
南東から西にかけ信号はブロックされてしまうが、北関東に向けては良好だ。特に北東にかけて標高は下がっていくので、シャックの窓からも筑波山(標高877m)も見えるほど。女体山山頂付近を通過する山岳回折により、水戸市局とは毎朝、ほぼ安定した交信できる。筑波山が芽吹くこの時期の信号は弱いが。
https://gyazo.com/288b33d514cbc71f1737fe3baa989cfe
初めての交信は横浜市神奈川区局。神奈川方面は交信しにくいが、神奈川区方向だけは隣接建物の影響を受けない。それにしてもこの局は強力だ。尋ねると「50mH 10ele八木」とのこと。「GGZさんは狭山市に直接向けるよりも、奥多摩に向けた方が強く入感します」。私のGPアンテナは無指向ではないのだ。
https://gyazo.com/e6b0d814b7849499d518cc1ff76bdb68
「アンテナよりも高い隣接建物が並び、信号はブロックされてしまう」これはデメリットではない。もしこの隣接建物がなければ、隙間のない混信により平日朝の交信などできない。デメリットをメリットして捉えなおし、自分ができることで楽しみ方を探せ。
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240525
#狭山の朝練 昨日交信した方は、1973年(S48)5月に開局した「JA9K」。当時、9エリアでも50M開局だったとは。開局年月日を覚えている方、教えてください。「ムセンライフ」更新しています。 当局は「1980年(S55)11月 JN1G 21S-50S_TS-660」です。
https://gyazo.com/96d8d4409e601b837c1fcb2b25271e36
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240523
東京工業大学 すずかけサイエンスデイ(2024/5/12)プラタナスの会主催のバリアフリー補助ピアノペダルを用いた演奏会。開発者の宍戸さんに続き私も少し説明させてもらった。学生たちの演奏が素晴らしい。動画を見ながら寝てしまったのだろう。昨夜は音楽の夢を見たようだ。
https://youtu.be/B820ctNblJE?si=3IYGFQq86mVjt3qP
https://scrapbox.io/files/664e4d15bc83ae001c7da089.png
「足に障害があるひとでもピアノを楽しめるようにしたい」思えば宍戸さんからこの構想を聞いたのは、6年前の2018年元旦だった。この歳になり「お年玉」をもらうとは、思わず笑った。宍戸さん車いすユーザーの研究者だ。彼の家を造ったのはさらに10年前の2008年だった。縁とは不思議なものだ・・・
「レレレー ドドドー レレー シシー」C → GonC → FonC → FmonC。工業高校を卒業し設計事務所に入所、家に毎日は帰れなかった。深夜ひとりになるとHound Dog「ff フォルティシモ」を聞いた。今でも私の力を与えてくれる名曲だ。ボーカルの大友康平は建築科の10年上の先輩だ。
https://youtu.be/_QUCBp6Bo7U?si=bPpkjb2W2ml84p3P
今朝目覚めた時に閃いた。 #FTR102 光モールストランシーバは、850Hzの「ラ」の音に固定されている。次は「光ミュージックトランシーバ」を作りたい。この #FTR104 には、みっつの「ラ」220Hz, 440Hz, 880Hzにまたがる2オクターブを音色を持つ。電子工作、Arduino、音楽とをつむぎたい。 https://scrapbox.io/files/664e511bd52fbd001c32254f.jpeg
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240519
ルイス・I・カーン。最後の巨匠と呼ばれるアメリカの建築家。「あなたにとって『都市』とは何か」とカーンが問われたとき、こう答えたという。『都市というのは、少年が朝に出かけて行き、帰ってくる時には、彼が一生かけて取り組む仕事を見つけられるような、そんな場所のことだ・・・』
https://scrapbox.io/files/664911667356b9001db28478.png
いつもの御茶ノ水駅の手前、初めて下車した本郷三丁目駅。第97回五月祭、大学全体がオーケストラの演奏の様だった。演奏会の余韻を残しつつ、いつもの秋葉原に向かいながら思った。大学に都市を思ったのは間違ってなかったことを。まさに大学も『一生かけて取り組む仕事を、見つけられる場所』なのだ。
第97回五月祭、初めて「赤門」を見た。「安田講堂」を見た。大学の広大な敷地に点々と校舎が建っていると想像したが違った。初めて歩く本郷キャンパスは、さながらトウキョウの中の独立した一つの「都市」の様だった。「工学部2号館はどれだろう」私は学生になった気持ちで歩こうとした、が失敗した。
https://scrapbox.io/files/664915af7356b9001db28a3f.png
午前中足早に「近未来体験2024」をまわりたかった。電子工作教室・プログラミング教室・アマチュア無線クラブ、どれも素晴らしかった。自分たちの研究や活動を単に発表するに留まらず、「きみもやってごらんよ」とささやている様だった。発表する学生自身の楽しんでいる様子も嬉しかった。
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午後は家内の希望に答え、室内管弦楽団の演奏に包まれた。学生たちの演奏を聴き、これほどの演奏をするためにはかなりの練習量が必要なのだろう。日々たくさん学問と学生たちは向かいあっているはずなのに。休憩時間「私もそれを思った」と家内も笑った。
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オーケストラ・室内管弦楽団・アンサンブルは、演奏者の個性を尊重しながらも、全体を通して一つの響きを生み出す。互いに心を通わせ、異なる音色や表現が融合させることで、私たちに新しい感動を与えてくれた。ホールを後にした時、第97回五月祭、大学全体が一つのオーケストラの演奏の様だと感じた。
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240518
これから、東大五月祭の電子工作教室に行ってきます。
「モールス光信器(こうしんき)キット」楽しみ。
https://youtu.be/YO3XWNE_Zrw?si=2gb72uzdrkVsnD22
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240517
「永く愛されてきた町内会館を改装したい」友人から誘われたランチは、この依頼が目的だったらしい。彼の町内会では子どもたちが多く、高齢者が集まるだけの利用ではないとのこと。子どもたちから現役世代、そして高齢者世代、みんなが喜んでくれる設計をしてほしいと。それならばと私は答えた・・・
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「私が設計をしない方が面白い。子どもたちから現役世代、そして高齢者世代、住民の皆さんこそ建築家だ。私は皆さんのアイディアを作図して、工事をする職人たちに伝えるための連絡係となるに留めましょう」「モノづくりに子どもたち自らが参加すること、それこそが一番のモノづくりの学びとなる」
「スケッチ→モデル→コンストラクション」いつからか身に付けていた設計手法だ。スケッチ:まずは描くこと。モデル:そして模型を作り確認すること。コンストラクション:多くの職人たちによって、いざ造り始めること。自分の中にある不定形なアイディアをカタチとし、いち早く他者と共有させること。
https://gyazo.com/f27309b12a0b463d1ae6069065d138d8
#光トランシーバ_プロジェクト やbFaaaP、JE1DLCの開発手法は私の建築設計手法と全く同じだった。たくさん思い浮かぶアイディアのうち、筋の良さそうなモノをまずは作ってみる。イタリアの現代作家、イタロ・カルヴィーノはいう『私の書く話の起源(もと)には必ず何らかの視覚的なイメージがある』 イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ』
『ところが、そのイメージが心のなかで十分に明確なものとなって来ると、たちまち私はそれを一つの物語に展開させ始めます。というよりも、むしろそれらのイメージそのものが物語を展開させてゆくのです・・・』
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『私が物語に与えようと思っている全体的な願いと、両立できる意味は何であり、できないのは何かということを見定め、またその際には必ず何かしら、別の選択の余地を残すように心がけること、これが私のすることになります』
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『想像力とは潜在的なもの、仮定的なもの、かつて存在したこともなく、またおそらく今後も存在することがないだろうが、それでもその存在は可能であるかもしれないようなもの、そういったもののすべてのカタログなのです』
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イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ』朝日新聞社 1999
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240516
「言葉は誰かを傷つけるために存在しているのではなく、明日を生きる勇気を与えるものであってほしい」「どうやら世の中には傷つくような言葉ばかりじゃないらしい」
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240514
どの無線イベントも大勢の人に来場してもらうために、だれからも「70点」もらうことを目指し、結果「60点」に留まっている様に見えた。 #電波文化祭 は違う。ある人には「0点」だとしても、ある人からは「100点」をもらえるイベントにしたい。99人の胸に届かなくても、たった一人の胸に届いてほしい。 https://scrapbox.io/files/66426e9e4d9508001cc58af2.png
「漠然と大勢を相手にするのではなく、一対一の関係をもって声を届けようとしている。それが、ラジオという媒体の性格でもあるような気がした。」
ドリアン助川『新宿の猫』より
#電波文化祭 の完成は「来場者・出展者・発表者・主催者の境をなくし、だれもが対等になり、だれもが『発信者』となる」ことです。できるだけ早くそこに到達したい。けれどもそこへは一足では行くことができない。階段を1段だけ上りたい。そのために年2回の開催をし続けたいのです。 https://scrapbox.io/files/66426cda947248001d04c250.jpeg
たくさんの無線家が集う無線イベントは、単なるアイボール会にしたくない。参加者はお客様意識を持つのではなく、発信者となりたい。アマチュアは、進歩的であること、受信だけでなく発信し続けること、「自らの考え・大切にしていることの発信」が、創造の第一歩となっていく。
#電波文化祭 ⚡️サイクル3、10月に開催します。来場者へのお願いです。来場者は「お客さま」として参加するのではなく、出展者・発表者・主催者をサポートしてください。「自分なら何ができるだろうか」と思い描きながら参加し、いつかは「自らが発信者となること」を目指していただきたいのです。 https://scrapbox.io/files/6642717d2d4233001c4de853.jpg
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240513
「ひとりひとりの多様性を認めていくと、みんなの一体感が失われていくのでは」と悩んでいた高校生は、会う人会う人に訊ねた。フルートの先生からの答えが全てだった。「オーケストラを見てごらん。ひとりひとりの演奏者が自分の演奏を追求する。その先にこそ、オーケストラの一体感が生まれるんだよ」
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アンサンブルは演奏者の個性を尊重しながら、全体を通して一つの響きを生み出します。互いに心を通わせ、異なる音色や表現が融合することで、人々に新しい感動と驚きを提供します。
そんな言葉を処理できない時に手にする一冊。ドミニク・チェン「未来をつくる言葉」
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わかりあえなさを互いに受け止めて、なお共にあることを受け入れる技法が、コミュニケーションなのだ。お互いが向かい合い議論をする時間があるのなら、それぞれが望む未来を語ればいい、望む未来へと進めばいい。どの無線家もアマチュア無線が、いつまでも継続してほしいと思っているのだから。
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アマチュア無線の魅力は、災害時にはとか、電子工学に詳しくなれるとか、世界と交信できるとかではない。人と人との隙間を埋めていくのでなく、その隙間を超越していくこと、高周波のように。この令和の時代に必要なコミュニケーション、アマチュア無線ならできるはずなのに。私はそこを目指したい。
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240512
https://gyazo.com/f5c13d548bbea58babee7cbbfe59eff3
山形県西村山郡の山々に囲まれた集落の、父が10代まで過ごした実家は今はない。私の永遠のライバルである父は、この茅葺き屋根の下で暮らしながら大工修行した。大工なのだが山々に囲まれた集落では、「家を建てるだけが依頼ではなかった」と父はいう。
https://gyazo.com/740cc3bc74671b084aabbca929fd44ec
父から聞いた昔話の中で私がもっとも脱帽したのは、集落の林業を営む人たちから「伐採した木を運搬する方法を」と相談された話だった。伐採した木を滑車に釣り上げ滑走できるよう、谷をまたぎワイヤーを架けたという。さぞ喜ばれたのだろう。この話をする時の父はいつも自慢げだった。
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それから60年後、こんな装置を作るとは何かの因縁なのだろうか。重しを載せた怪しげな白い箱。バリアフリーピアノペダル第1号『bFaaap-1』。「ピアノペダルを電動にし、頭の動きに連動させ踏み込める様にしたい」この未知なる依頼に答えるために、どんなものでもいい、まずは動く装置を作ることから。
https://gyazo.com/05fa3491182e1b2d16ee85535b64c675
もし父がこの依頼を受けたならと想像してみた。演奏者の頭とピアノペダルとを結ぶワイヤーを、ピアノ上の天井に取り付けた滑車を経由し、ペダルを頭の動きに連動させただろうか。だが60年後には、ジャイロセンサとマイコンボードで頭の動きをセンスし、モーターへと伝える手段があるのだ。
https://gyazo.com/52e9a7e0cb9592052cbfbea98f5c4c8b
演奏者の意思ではなく楽譜に合わせ自動的にペダル操作する、AI(人工知能)技術により楽譜に合わせて自動演奏する装置は、すでに商品化されている。たとえ便利で上手に演奏できるにしても、その様な装置は私たちの目的ではなかった。演奏者の苦手なことだけをアシストしてくれるだけでいい。
https://gyazo.com/8a28866ef2c0aeef37c23af26c335b40
子どもたちや車いすユーザーがピアノを楽しめる、バリアフリーペダルシステム。「barrier-Free assist as a Pedal」から、「bFaaaP(ビーファープ)」と名付けた。ダイバーシティ&インクルージョン「あたり前のことが、あたり前にできる」様にしたい。bFaaaP開発当初からの一貫した思想だ。
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240511
20代前半、多くの建築家を訪ね歩いた。「建築家になりたいのなら、何でもいいから楽器をひとつ始めなさい」ある建築家から言われた。「歌うことでもいい。声もひとつの楽器だから」その『声』には心あたりがあった。10代後半に熱中してたアマチュア無線。その後普及するネットでの情報発信でもあった。
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20代後半、インターネットが普及し始めると、師匠 JE1DLCに尋ねてみた。「なるほど、無料で色々な情報が手に入るのか」と私は言うと、「少し違うな」とJE1DLCは言い返した。「自分が伝えたいメッセージを世界に向けて発信できるんだよ」「情報の発信者になれることこそ、ネットの本当の価値なんだよ」
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建築家・無線家ふたりの師匠から学んだことを受け入れ、『情報の発信者』になることを心掛け始めると、自分が変わったことに気付いた。仕事をしている時、誰かと会話している時、家で食事をしている時、ベッドで横になっている時でさえ、常に取材する気持ちで、自分の考えをまとめるようになった。
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声は繊細で正直だ。その人の発する音は、その人の気持ちや生き方をも搬送している。何かに対してどれほど真剣に向かい合っているのかは、その人の声を聞けばすぐにわかってしまうことだ。その声を眼の前の相手だけにではなく、遠く離れた相手にも伝えられる無線機、無線機もまた『声という楽器』だ。
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ピアノ越しに観客席を見た時、ピアノでさえ無線機に見えた。「無線でしかできないこと」ってなんだろう。コンサートの様な「動的」ではなく、「静的」な無線でしかできないこととは。それは自分の思いを相手に伝え、相手の思いを受け取れる双方向のコミュニケーションだ。それも未知なる人ととの。
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240509
「すずかけサイエンスデイ」が、東京工業大学すずかけ台キャンパスにて開催されます。ピアノ&アンサンブルサークル「プラタナスの会」コンサート「プラタナスすずかけコンサート with bFaaaP」は、12日(日)14:00 より開催、音楽が大好きな皆様ぜひいらしてください。
「プラタナスすずかけコンサート with bFaaaP」は 12日(日)14:00 - 16:00、大学会館 3階 多目的ホールでの開催です。コンサート終了後、ピアノ補助ペダルシステム bFaaaPを、皆様にも体験していただく時間を作ります。 ピアノペダルを右足で操作するのでなく、顔の傾きで操作してみてください。
「ピアノ&アンサンブルサークルのプラタナスの会です。ピアノをはじめとする室内楽器の演奏をお届けします。また、ピアノ補助ペダルシステムbFaaaPを用いた演奏・体験もございます。午後のゆったりとした時間に優雅な音楽を皆様と共有できれば幸いです」
私は開発者の一人として、少しだけ開発の経緯をお話しさせていただきます。「アンサンブルは演奏者の個性を尊重しながら、全体を通して一つの響きを生み出します。互いに心を通わせ、異なる音色や表現が融合することで、人々に新しい感動と驚きを」この文化を #電波文化祭 にも取り込んでいきたい。 iPhoneとペダル駆動部とをBLE接続し、演奏者の意図するペダル操作情報を、Faceカメラで検出した頭の傾き角度から計算し転送する。ペダルは踏み込むことよりも「開放すること」が演奏では重要だという。顔をわずかに持ち上げると譜面たての iPhoneはセンスし、駆動部はペダルを開放する。
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2018年の開発当初、メガネに取り付けたジャイロセンサでユーザーの意図をセンスしたが、翌年公開された iPhoneのAI技術に移行した。それに対応する高性能なサーボモータをクラウドファンディングで見つけ、注文から3年待ち納品されたこのモータに換装した。現在開発中のモデルはこれとまた異なる。
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bFaaaPは無力だ。挑戦しない者に対して何もできない。
bFaaaPは力を持つ。挑戦する者の追い風となり応援する。
bFaaaPは車いすユーザーのためのプロダクトではなく、子どもから大人まであらゆるピアノが好きなひとのために、あらゆる挑戦者のために開発した。
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240508
#駅前QRV に続く #放課後QRV 、素晴らしい。ここ狭山市からは交信は難しいですが、来月、日立市までいく用事がありますので、繋がったら嬉しい。 See you on the Air !
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240507
アマチュア無線でよく言われる「多彩な楽しみがある」とは、限られたメニューから選択することでなく、「メニューに新しく追加していく」ことだ。これこそアマチュア業務だ。アマチュア無線の伝統とは、何十年も前から行われていたことを今も行うのではなく、常に進化し続けることだ。
https://gyazo.com/4de030e43e972af62d766814d80638d4
他者を批判することも嘲笑することも、アマチュア業務ではないはずだ。何もせず批判するのではなく、「我々だったらこうしたい」と考え、仲間と協力し実現させる。未完成でもいい。実行していこう。
『永久の未完成これ完成である』 「迷いの跡」を恥じないで、書き残すこと
https://gyazo.com/deba10f747a6146a398567dcea30fd82
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240506
読書感想文の選定を学生局から相談されたとき、ドリアン助川の『あん』を薦めた。ハンセン病がテーマになっている本だということを彼も知っていて、読み進めていくうちに、町の小さなどら焼き店「どら春」の、周りの人々の交流や暖かい雰囲気に惹かれていったという・・・
https://gyazo.com/bb462155d768e81fb20e059dcd27eb14
町の小さなどら焼き店「どら春」の店長の千太郎は、ある日店に訪れた客の徳江のしつこい説得により、徳江に製あんを手伝ってもらい始めるところからこの物語は始まる。
徳江がまるで会話をするように光る小豆を炊き上げ、その小豆のお陰で「どら春」の売上は上がっていったが、ある時から売上が落ちて行った。その理由は徳江の湾曲した指、引きつった右頬にあった・・・
https://gyazo.com/5406d660f363e450932fa44dbcffdc72
後日彼に感想を聞いた。読み始めた時は自分と徳江とは共通点もなく、徳江のことを他人事のように感じていたそうだが、徳江がハンセン病になり家族と離されて施設に連れてこられた年齢が、同じ 14才だったと知ったとき、自分のことのように感じ始めたという。
家族や友達と離れて、たった一人で生活することなどあり得ない。一人で本を読んだり音楽を聞いたりすることは楽しいけれど、一番に楽しいと感じたり幸せだと感じたりする時は、友達と遊んでいる時や家族と夕食後に会話する時だからと・・・
https://gyazo.com/03e26b56283bd83c8b3192b174269352
学生局からの質問に答えた。この物語の中で私が一番好きな所は、徳江が生きている意味を感じなくなっている時に、夜空の月を見上げ回想する場面だと。
私はあの森の道で、本当にただ一人で
月と向かい合っていたのです。
すると、私はたしかに
聞いたような気がしたのです。
ドリアン助川『あん』ポプラ社 2013
https://gyazo.com/f630589bd365dc4cb2ad7266b51fc0d1
月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。
お前に見て欲しかったんだよ。
だから光っていたんだよ、って。
ドリアン助川『あん』ポプラ社 2013
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やさしいお月様のような、どら焼きを前にして、千太郎や徳江のことを思い出した。読み進むうちに涙が出てきてしまうような、限りなくやさしい魂の物語。ドリアン助川『あん』を、みなさまにもお薦めします。
光モールストランシーバ #FTR102 の開発経緯や動作原理を説明する同人誌を書き始めた。私はいつも「あとがき」から書き始める。本業のバリアフリー住宅で4冊書いたが、その時もそうだった。書店で本か買うか買わないか悩む時、「とがきを読む。あとがきには執筆を終えた著者の本音が垣間見えるからだ。 書き始めたとはいえ、途中で挫折してしまう可能性が高い。本日開催の「福生deはむハムフェア」会場のポプルスガレージの同人誌印刷所「ポプルス」へ、はたして入稿できるのか。ハムフェアに向け執筆中の方いらっしゃいましたら、お互いに励ましながら入稿目指しませんか。 #ハムフェアまでに一冊書く https://gyazo.com/38c254abf7d7447c462ab4583cc7cf37
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240505
JK1MQZさんと初めてお会いしたのは2年前、ふたつの目標を聞いた。ひとつはカード交換の負担を軽くするための自由な電子QSLサービス #だれでもQSL の開発。もうひとつは自由に空を飛ぶためのライセンス取得、航空留学だった。自分が進むべく目標を打ち立て、迷わずそこへと進んでいく。素晴らしい・・・ https://gyazo.com/f12559b45d98caf36c0e203075e82d74
めーさん、初めての交信にお相手できて嬉しかったです。交信後に思い出しました。当局の初運用は中学3年(1980年)堂平山からでした。QSLカードは手作り、受験を控えるクラスメートたちが描いてくれたのですよ。送るのをためらってしまうカードを、巣鴨のJARLまで持っていきました。
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5/6(月・祝)開催「福生deはむハムフェア」に出展します。 #やぎうだ5エレ アンテナ FYU4355と、 光トランシーバ #FTR102 , #FTR105 を頒布します。RG58U(1.5m)の両端に好きなコネクタを選び、同軸ケーブルを自作できる「同軸ケーブル自作体験」もお楽しみください。 hr.icon
240504
#もくもく会 本日開催します。今日は参加者が少ないのでIT学習室です。3Dプリンタだけでなくプロジェクターも持って行きます。前回、光トランシーバー #FTR102 の開発経緯とどの様に動くのか、設計者 JE1DLC 成沢さんに説明してもらい動画に残しました。見たい方は #もくもく会 にいらしてください。 https://scrapbox.io/files/66355a39a12bef0023f5ff5a.jpg
改めて見るとこれが原点だ。 #もくもく会 の。私が #もくもく会 という言葉を初めて聞いたのは6年前の2018年。訪ねた先は赤坂見附のYahoo! LODGE。一番の驚きは、IT業界のエンジニアたちが持つ自由なコミュニティーだった。 https://gyazo.com/b7c0d853705bccd6344dd43d01062e6e
平成も終わろうとしているこのご時世、その時代の先端にあるIT業界に部外者の私が感じたのは、古き良き昭和の近所付き合いにも似た「暖かさ」。2018年、無線に何の魅力を感じず、再開局などないと思っていた。Arduino, iPhoneのプログラミングを目指すはずが #電波文化祭 へと進路が変わっていた。 hr.icon
240503
#もくもく会 開催の日曜日、会場のサンパーク奥富に一番近い私には責務がある。機材を持ち込み会議室の準備をしておくこと。「今日は誰が来るんだっけ」机を移動しながら窓の向こうの駐車場に目をやり、モービルホイップの付いた車を待つ。そうだ。毎日の小学校終えての草野球もこんな心地よさだった。 https://scrapbox.io/files/6633f612761b6f0023aaae7c.png
ほぼ毎日、学校が終わると草野球だった。給食を食べ終え昼休みになると、どこの広場に集まろうかと仲間を募っていった。1975(昭和50)年頃は、草野球をする場所はたくさんあった。何より時代はおおらかだった。それぞれの広場には「○○球場」と名付け、それぞれの球場には独自ルールが必要だった。
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誰もいない所にボールが飛べば2塁ベースで止まる。塀を越え隣りの庭にボールが入ればファール。そして、年上の者が守るべくルールもあった。常に年上の者は、年少の者を主役にしなければならない。このルールに私が気づいたのは遅かった。私は本当に先輩よりも野球がうまいと思っていた。
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野球は1チーム9人だが小学生の草野球、半分もいればこと足りてしまう。厳密なルールを持ち込まず、必要なルールをその都度作り出していった。今思うと野球そのものも面白かったが、仲間とルールを作りあげ守っていくこと、自分たちが「開発できる余地」に、私たちは惹きつけられたのだろう。
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その「球場」の主役は王や長嶋ではなく、私たち自身であった。いつもの仲間がいた。私たちみんなの居場所だった。自分たちが今どこにいるのか、何をしているのか、どこに進もうとしているのか迷うことはなかった。再開局したアマチュア無線が、そこに再び私を連れ戻してくれるとは期待してなかった。
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「君も私もここには役割がある。ここは私たちの居場所だ」いつからか #もくもく会 には、そんな空気ができていった。私はそれを文化と呼びたい。この10人足らずで共有している空気・文化を、もっと多くの人たちと共有していきたい。そのための方法を考えだし、未完成だとしても実行していきたい。 https://scrapbox.io/files/6633f3e67938d600242db039.png
5/3(金)今日は #もくもく会 はお休み、明日の5/4(土)に開催します。明日は参加者が少ないので初めての方もぜひいらしてください。私たちのコミュニティー R16 Friendship Radio #R16FR の、「心理的安全性」の高さを体感してみてください。 「心理的安全性」とは何か? チームや職場へのメリットを紹介
#もくもく会 の『もくもく』とは、『一同集まりながらも、もくもくと自分がしたい作業をすること』。 #R16FR が毎週日曜日の開催している #もくもく会 は、まもなく100回を迎えます。「もくもく会のいいところ」はこんなところです。 hr.icon
240502
大学は、確立した知識をただ学ぶところではありません。なぜなら学問は、未知なるものに挑む試みだからです。
令和6年度東京大学入学式 総長式辞
https://youtu.be/GVrULVDQSDI?si=YJayDL0aOjmOpIHZ
まず、好奇心を持って新しい一歩を踏み出し、感じ、学んだ経験を大切にしてください。私にとってはヨット部に入部したことが、大学生活での新たな一歩でした。
令和6年度東京大学入学式 来賓祝辞(米田 あゆ 様)JAXA 宇宙飛行士候補者
https://youtu.be/4K080TX-pAM?si=7WL3hAFtZJgGyrGv
21歳の秋、勤め始めてわずか2年半の設計事務所を退職する決意し、社長に伝えた。「そうか、それで大瀧君。この後どうするんだ・・・」社長の返答に私は答えた。「大学に行かなかった私には『4年間』の時間があります。日本各地を歩き建築を独学しながら、自分の設計事務所の設立を目指します・・・」
https://gyazo.com/ac380f5c0ecfdad915ca532b22963b4c
「そうか・・・」社長は笑いを浮かべた。嘲笑だった。私は嘲笑には敏感だった。子どもの頃からずっと嘲笑されてきたからだ。そして私は知っていた。嘲笑する人は私に対して嫉妬、羨望していることを。優れた経営手腕を持つ社長ができずにいた「建築を愛する」ことを、21歳の私ができたことを。
https://gyazo.com/99c041d744f973efdd78d794cdbde5d2
ファイト! 闘う君の歌を
闘わない奴等が笑うだろう
嘲笑は、誰にも誇れる勲章だ。
https://youtu.be/lGMzQR8g7dE?si=00T8tjzZHg8dU4eS
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240501
高校3年生となった頃、私は働かざるを得ない状況となった。早朝の新聞配達に加え、夕方コンビニでアルバイトを始めた。いざ働きだしてみると「働くこと」は意外にも楽しかった。42年後の今ならわかる。「働くこと」とは、先生や父以外の人から学ぶこと、外に師匠を持つことだったのだ。
https://gyazo.com/cb4ea079109836d853ebe74b2b09451a
コンビニでのアルバイトは、設計事務所に通い始めるまで続いた。コンビニ店長からたくさんの事を学んでいたことを、その時の私は気づけなかった。3年も経たないうちに、自ら設計事務所を開設することになるとは思っていなかった。いえ、この店長から学べたからこそ、私は設計事務所を開設できたのだ。
https://gyazo.com/8ca3de91f27c3f65264cab4f5dfdf539
まず最初に挨拶の仕方から教わった。朝だけでなく夕方でも、挨拶はいつでも『おはようございます』。『手はお客さまに見えるように、前に置きなさい』、いつでもなんなりと、お申し付けくださいの姿勢だ。『商いはいつでも、お客さんのために待機していること』が、大切なのだからと教わった。
https://gyazo.com/69fdad46322149df4b62eec078c0577a
父以外の人が働いている姿を目の当たりにしたのは、思えばこのコンビニ店長が初めだった。いつでも『お待ちしていました』と、レジでお客さんを迎える店長も、一方、お客さんの目の届かない机に戻ると、目を閉じて休んでいた。ずっとこんな仕事を続けてきたのかと、レジに立つ私は店長を見つつ思った。
https://gyazo.com/24c75a413edfa3c6f854f73660a06bc9
大工という父の仕事を私は尊敬していた。『家を建てる』という、かたちのある見えやすい仕事だ。対して店長の『コンビニの仕事』も何かをつくっているのだろうか・・・。高校3年生の素朴な疑問の答えは、今となっては自明だ。それは、私たち家族の毎日の暮らしの『安心感』だったのだ。
https://gyazo.com/fc7c7b8a07366289ef1fc3ae3f9b0ce7
「今必要な物がコンビニには必ずあるのだ」という安心感を、我が家だけでなく地域の方みな同様に持っている。この『安心感』には既視感があった。当たり前だ。私はその安心感を作りだすために、日々住まいの図面を書き、かたちとしているのだから。その源流を遡っていくと同じ源へと繋がっていたのだ。
https://gyazo.com/0f5d99bc23edd4e9cdf4a11bd0cdca7c
大きな声で主張したり、他者を批判したり問い詰めたりすれば、大勢の人から容易に注目される。一方、「いつでも当たり前のように、静かにそこにある」ということ。私たちの日々の暮らしに欠かせない『安心感』は、気づきにくいものになってしまった。けれども私は、この安心感こそ大切にしていきたい。
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240430
私の大切な住まいてさんのひとり、星合之代(ほしあいゆきよ)さんの「こどもたちが自分の好きな道を歩んで、夢を叶えるための一端を担いたい」という強いご意思から創設された、星合之代奨学基金。たくさんの学生さんたちがこの奨学基金により、自分の道を歩み夢を叶えるために勉学に邁進している。
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https://gyazo.com/44babdc374a789cb832f8eed2734bd95
徳島県内の児童施設等の児童が高校卒業後に大学などへ進学する場合、学費や勉学などに要する生活資金に対して給付型奨学金の助成を行うことにより、こどもたちの夢の実現及び社会的自立への支援、並びに本県の児童福祉向上に向けて活用される制度です。
https://gyazo.com/aeec6599276bd7864dd29f415975f233
星合さんのお住まいを初めて訪ねたのは 2001年。天寿を全うしたお母様を看取り、自身も80才を迎え「終の棲家を頼みたい」と、バリアフリーリフォームを依頼されたのが始まりだった。その後、介護付き高齢者マンションに入所した時も、自宅同様にリフォームするなど、お付き合いは永く続いていった。
https://gyazo.com/285d559bcdcd8cfe927f1f11913292b0
高齢者マンションというよりはリゾートホテルの様な星合さんの部屋を訪ねる時、仕事というよりは頭の上らない叔母を訪ねる様な気持ちだった。「今だれのどんな家を造っているのか」と出向くたびいつも尋ねられ、進行中のプロジェクトを説明した。星合さんはいわば、私のバリアフリーのご意見番だった。
https://gyazo.com/bbad0c87776febcca9ae91c54ad739d2
星合さんとの雑談の中で、時折、故郷の徳島の話が出ることがあった。ロープウェイで眉山(びざん)に昇り、徳島市の町並みから遠く紀伊半島までの美しい景色を眺めに、「徳島に行ってらっしゃいな」と。その眉山の山麓にある寺が菩提寺なのだと聞いた時に、その寺にも行くことになるとは思わなかった。
https://gyazo.com/cff24bc2fda003c7a415dff20a1b7173
そんな星合さんの訃報を聞いたのは 2014年6月18日だった。泣いた。その頃とても多忙で星合さんの所へなかなか訪問できずにいて、とても悔やんだ。東京の斎場で、ご住職様と高齢者マンションスタッフと私とでお見送りした。私は心の中で「必ず徳島に行きますから・・・」とつぶやきながらお見送りした。
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2019年12月8日、この日徳島は微笑む様な晴天だった。星合さんの菩提寺を訪ねた。手を合わせ、梵鐘(ぼんしょう)をひと突きした。阿波おどり会館からロープウェイで、標高 290mの眉山に登った。美しい景色を堪能するというより、5年半を経てようやく約束を果たせたことの安堵感の方が大きかった。
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山頂に到着し展望台を歩いた。この真っ赤に紅葉した樹に目を惹きつけられた。「こどもたちが自分の道を歩み、夢を叶えるために」星合之代奨学基金に色を付けるなら、私ならこんな赤を選ぶだろう。住まいのリフォームで色を選んでもらう時、星合さんはいつも赤を選んでいたからかもしれない。
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私の仕事というより、私の人生の意味である「住まいづくり」を学ぶために、星合さんから機会頂いたという点では、私も学生さんたちと同じだ。そして私は先輩として「だれかの夢を叶えるための一端を担うこと」を実践しなくてはならない。私でもできることが必ずあるはずだと、展望台でひとり誓った。
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