西洋法思想史
西洋政治思想史とは何か
西洋政治思想を、古典(クラシック)の系譜と捉え、西洋政治思想の歴史的理解を追求する政治学の一分野。古典の精読を通じ、政治思想を検討する立場を『政治的人文主義(シヴィック・ヒューマニズム)』とも呼ぶ。
日本の政治思想史研究の傾向として、従来は古代ギリシャの価値が高かったが、近年は古代ローマの共和主義(レパブリカニズム)を再評価する声が高い。
西洋政治思想史(古典)
西洋法思想史
西洋政治思想史とは何か
西洋政治思想を、古典(クラシック)の系譜と捉え、西洋政治思想の歴史的理解を追求する政治学の一分野。古典の精読を通じ、政治思想を検討する立場を『政治的人文主義(シヴィック・ヒューマニズム)』とも呼ぶ。
日本の政治思想史研究の傾向として、従来は古代ギリシャの価値が高かったが、近年は古代ローマの共和主義(レパブリカニズム)を再評価する声が高い。
西洋政治思想史(古典)
世界はロゴスである。
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ストア派、ストア哲学の発想。
重要ポイント
ロゴスは人間にはどうにもできない
西洋政治思想史、国民主権、ソブリン
用語:古代ギリシャ哲学の用語
人物:古代ギリシャの哲学者
思想
キュニコス派
懐疑派 > 西洋哲学史:ギリシャ哲学(懐疑派)
/prarpla/理性
『自省録』に出てくるストア哲学の専門用語。
指導理性は宇宙を支配する理性の一部、すなわち神的なものの分身であって、これが人間のこころなかに座を占めるダイモーンであり、人間の人間たる所以のものである。 全て理性を持つものは同胞であるから、我々人間は一人残らず宇宙国家の市民であって、互いに睦み合うべく創られており、宇宙的な仕事に協力すべくできている。
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ストア派(ストアは、希: Στωικισμός、英: Stoicism、ストイシズム)は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。
自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている。
#名言
『自省録』第6巻のニ。
君が自分の義務を果すにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。また眠かろうと眠りが足りていようと、人から悪くいわれようと賞められようと、まさに死にしていようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである。
「私は人間のつとめを果たすために起きるのだ」と関連する。
悲劇の誕生 - Wikipedia
『悲劇の誕生』(ひげきのたんじょう、Die Geburt der Tragödie)は、フリードリヒ・ニーチェによって19世紀(1872年)に書かれた著作。『音楽の精髄からの悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik)が初版での正式なタイトル。その後の1886年の新版時には『悲劇の誕生、あるいは、
ドストエフスキー『地下室の手記』の第一部7章に書かれていることがポーの『黒猫』の天邪鬼のくだりに似ているという話を書こうと思ったらすでにあった。確かに似ている。
『天邪鬼』と『地下室の手記』
ちなみに、ポーの言う「天邪鬼」という性向については次のようなこと。
>私は、自分の魂が生きているということと同じくらいに、天邪鬼が人間の心の原始的な衝動の一つ――人の性格に命令する、分つことのできない本源的な性能もしくは感情の一つ――であるということを確信している。してはいけないという、ただそれだけの理由で、自分が邪悪な、あるいは愚かな行為をしていることに、人はどんなにかしばしば気づいたことであろう。[*_ 人は、掟を、単にそれが掟であると知っ
『精神現象学』関連論文
「ヘーゲル『精神現象学』における知覚の考察——知覚の思い違い——」千葉薫
『精神現象学』のオススメ解説書
Discord
理性の使用は、経験的対象(現象)を持っているときにのみ、有効?である。
理性の使用:理性という能力の使用。推論であったり、合理性でもって異なるものを結びつけたりする働きであると思われる。
実理35:あるものを理性によって認識するとは、そのものが経験に実際に現れなくても、そのものを知ること。
ここでの「有効」って客観的妥当性を持つって意味かな?
感性論のところでは、空間は現象については実在性(客観性)を持つが、物自体については観念性を持つ……みたいなことが書かれていた
とは?
「Aだから、Bだろう」という形のもの
reasoning、またはinference
「Aだから、Bだろう」のような論理的な推論はreasoning
参考
/villagepump/「理性」の対義語って「感情」だっけ?
哲学領域だと理性を語る人(哲学者)によってちがそう。
本能とか人間本性とか言うけど……
哲学自信ニキ頼む
#理性
#dailynote
パリピってなんだろう
クラブに参与観察だ
自分とは違う人種
『パリピ孔明』を観てからパリピってなんだろと考えてました
この言葉に断絶を感じないこと。むしろ具体的諸可能性を開く天啓ですらありうる。
啓蒙と寛容を信仰するリベラリズムの徒であるかどうかのテスト。
啓蒙=理性による正解への接近可能性を認め、寛容=他者の接近した正解への敬意を持つ。
端的にはイスラム的理性=別の理性の光がありうることを認めること、それは西洋-キリスト教社会においてはじめ侵略的な狂気として認識されるだろう。
現代日本にそのような風潮が見られるという話。
反自然の西洋近代思想と自然随順の日本の思想の対立構造を強調している。
理性に基づいて自然を支配していった結果、こんにちの自然環境破壊、経済格差の拡大、戦争や紛争が絶えないなどなど、現代文明の諸問題の根源にあるのは西洋近代思想なのだ、という主張。
私達は一度、伝統に立ち返って自然に従い、自然とともに生きるべきなのではないだろうか。
里山とかですか
#写経
『100分de名著 カント 純粋理性批判』から。
アプリオリ
アポステリオリ
アンチノミー
毎日は企画の連続
毎日私たちは個人的な、あるいは共同的な企画に参加している。
関連ページ
カント道徳論を諫言で説明できるか
(プレゼンテーションモードで閲覧を想定)
第3回 宇宙は無限か、有限か
「究極真理」の探究に終止符を打つ
純粋理性批判の後半戦に突入
純粋理性批判の後半のタスク
カントの道徳論における断言的命令(定言命法)について考えるとき留意したい2つのこと
ひとつは、
その命令が「理性命令」であるということ
例えば、軍隊における命令は、仮にそれに断乎として従うとしても、それが全て道徳的に善いわけではない。
(心の傾きではなく)理性によって強制される行為をなすことが道徳的にgoodとされる。
「みんながそれをやったらどうなるか」を考えること。
カントはいう。
汝の意志の格率が、つねに同時に、普遍的立法の原理に妥当しうるように行為せよ。
格率・・・意欲の主観的な原理。自分がどうしたいかという個人的な信念のこと。
普遍的立法・・・つねに、そうあるべしという普遍的な道徳的命令。
他律の状態から脱却して自律の状態へと移行すること。
他律と自律
他律・・・自然法則や、親や教師の命令に服従すること
自律・・・自分自身が立法者であること
カントが言うには
三位一体とは、3つのものであると同時に本質的に同じ1つのもであるということ。
自由であるということは、自分の理性に服従するということ。
自分の理性に服従するということは、道徳の命令に服従するということ。
生物的な本能に逆らうこと(=理性に従うこと)は人間にしかできない。つまり人間であるということは、自由であり、道徳的であることと同じ。
まず、「理性が普遍的」という表現が意味わからないので、そこを解説しないと、理解されないだろう。
理性を持つならば、そしてその理性の力が何者にも邪魔されないならば、誰だって同じ行動をするだろう……というような意味である。
まず、「理性」というのは各人にとって共通なものという前提がある
本当か?ソースは?せめてそれを示唆する箇所を出せたほうが説得力が出る。
まあ、「理性が各人にとって共通ってどういうこと?」というふうに、理性の普遍性を疑うこともできるかもしれませんが、カントはそこを疑っていないので、それをカントの論立ての帰結とするのは、いかがだろうかと思いました。
西洋政治思想史、主権、国家(state)
西洋政治思想史、国民国家、主権
#書きかけ
参考:『近代政治哲学──自然・主権・行政』
封建国家は、主君と家臣の契約関係が網の目状の統治機構を実際に形作っていた。
王権は広い範囲を支配の対象としていたために実際には実効的な権力を有していなかった。
そして家臣は多くの主君と複数の契約を封建的契約を結ぶことが可能であり、契約は(支配と服従の関係といえども)対等に近いものだった。
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