封建国家から近代国家までの概観
封建国家は、主君と家臣の契約関係が網の目状の統治機構を実際に形作っていた。 王権は広い範囲を支配の対象としていたために実際には実効的な権力を有していなかった。
そして家臣は多くの主君と複数の契約を封建的契約を結ぶことが可能であり、契約は(支配と服従の関係といえども)対等に近いものだった。
また封建国家はキリスト教への信仰を秩序内の規範の拠り所にしており、こうした微妙なパワーバランスによって成り立っていた。 宗教改革などによって人々の信仰心が揺らいだことで宗教戦争にまで発展し、封建的秩序は瓦解した。 こうして次に求められたのは、強大な権力が一領域内を上から統括する政治秩序の形成だった。
そしてそれは絶対主義国家(絶対王政)の形をとり、これは一般に「16世紀から18世紀のヨーロッパに現れた、君主が絶対的権力をもって支配する専制的な政治形態」などと定義される。 絶対君主制により、それまで実効的な支配を為し得ずにいた君主に絶対的な権力が与えられた。
もちろん、そうしたことが簡単に実現するはずもなく、近代初期の君主は常に廃位の可能性に怯える脆弱な存在だった。
近代初期の君主のそのような地位を、理論的にバックアップしたのが「主権」の概念である。 君主は主権者であり、主権という絶対的で永遠の権力を持つ。
主権が行使されるのは戦争と立法というフィールドである。
「臣民全体にその同意なしに法律を与える」ためには、「臣民」というメンバーを確定させなければならないし、主権が戦争の権利であるならば、主権を持った国々は、互いに他国の領域内では権力の行使をさし控えねばならない。ここから国家の「領土」を確定するという必要性が生まれる(封建国家にはなかった「領土」の概念の登場)。
国王が官僚組織と常備軍制度をもって「国民」を一元的に直接統治する主権国家の形成期の政治形態が絶対王政だった。
また絶対王政を理論づける思想が王権神授説であり、典型的にはイギリス・フランスで展開された。