封建国家
封建国家とは、封建的主従関係の下で組織された国家。近代国家と異なる点は主に、明確な領土という観念を持つものではなく、契約に基づく個人の人的結合から成る点である。
國分功一郎『近代政治哲学──自然・主権・行政』によると、「一般に、多数の独立権力が、国王を最高封主とする封建的主従関係の網の目を通じて組織化されている国家と定義され、最も典型的な形でみられるのは九世紀から一三世紀までの西欧においてである、と言われている」。 封建国家を考える上で避けて通れない書物にフランスの歴史家マルク・ブロックの『封建社会』があり、上記國分の書籍ではこの『封建社会』を参考に「封建国家」について論じられている。 上の定義をよく読むと、封建国家には国王がいるが、にもかかわらず封建国家には多数の独立権力があったと書かれている。
これは、封建制が成立する以前から王権は存在していたが、王権は広い範囲を支配の対象としていたために実際には実効的な権力を有していなかったからである。
封建国家の網の目状の統治機構を実際に形作っているのは契約関係である。主君(封主)は家臣(封臣)に対し、土地や官職、金銭や徴税権などの封を授与するとともに、その保護や養育を約束する。それに対し家臣は、主君を裏切らないなどの消極的な義務の他、軍事的奉仕など積極的義務を約束する。
また、あくまでも二人の間の契約だから、封主が義務を遵守しているかどうかは封臣たち自身の判断によって判定される。
つまり封主が契約に違反したと判定されれば、封臣たちは封主に対する一切の義務から解放され、封主に対して実力で反抗することも可能だったという。
封建的契約関係とは、確かに支配と服従の関係だが、そこには、封主と封臣の対等の関係があった。
さらに、家臣は多くの主君と複数の契約を結ぶことが可能だった。
実際、12世紀のバイエルン伯は20人の主君を持っていたという。
また、一人の家臣が同時にイギリスとフランスの国王や貴族に仕える、などということが可能だった。
つまり、封建国家には領土の概念がなく、あるのは契約による人的結合だけである。
(※日本の封建制では複数の封主に仕えることは許されなかった。ブロックはこれについて日本の封建制は西洋のそれよりも厳格であったと指摘している。)
さらに、封建国家には新法の制定という意味での立法の観念それ自体が存在しない(立法権の概念が存在しない)。
既存の秩序の変更は、利害関係者たちの契約上の合意によってのみ可能であり、いかに強力な支配者でもこれを一方的に変更することはできなかった。
そのため、国王が新しい法を制定してそれに国民が従うといった秩序も存在しない。つまり、国王の支配は国王と直接に契約している直属の封臣のみに及ぶのであって、一般人民との直接の関係は存在しない。
だから、一般人民が従うのは、直属の首長たる諸侯だけである。
もう一つ重要な側面として宗教的側面がある。ヨーロッパの封建国家はキリスト教への信仰を政治秩序内での規範の拠り所にしていた。
これは、キリスト教国では皆がキリスト教を盲信していたのではなく、キリスト教が権力と結びついていたがゆえに、教会の教義が一つの社会的な規範として作用していた(社会的な建前を教会が担保していた)という意味である。
逆にこれは、信仰の揺らぎが封建的秩序の崩壊をもたらすきっかけにもなりえるということである。