指導理性
指導理性は宇宙を支配する理性の一部、すなわち神的なものの分身であって、これが人間のこころなかに座を占めるダイモーンであり、人間の人間たる所以のものである。 全て理性を持つものは同胞であるから、我々人間は一人残らず宇宙国家の市民であって、互いに睦み合うべく創られており、宇宙的な仕事に協力すべくできている。 ダイモーンは注釈によると、「神的存在を指す一般的な語だが、哲学では理性、人間の内なる神的部分」を指す。
この私という存在はそれが何であろうと結局ただ肉体と少しばかりの息と内なる指導理性により成るにすぎない。(二巻のニ)
第6巻の八には次のように書かれている。
指導理性とは自ら覚醒し、方向を転じ、欲するがままに自己を形成し、あらゆる出来事をして自己の欲するがままの様相をとらしむることのできるものである。
注釈には5巻の十九と書かれており、そこには「物事自体は我々の魂へ近づくこともできなければ、その向きを変えたり動かしたりすることもできないが、ただ魂のみが自分自身の向きを変え、身を動かし、自分にふさわしく思われる判断に従って外側から起ってくる物事を自分のために処理する」というようなことが書かれている。
つまり指導理性とは、「自らが望むままに物事を処理して自分自身の方向づけをし自己を形作るもの」といった意味合いになるのかもしれない。