ムカつきの話
取り敢えずものすごい雑に切り出してものすごい雑にタイトル付けたSummer498.icon
多分更に切り出せる
biwa.icon
ムカつく事例もしっかりと集めなきゃな
基本的には、それは絶対にやったらいけないことだ、と思う言動を相手が取ると、ムカつきが発生する
この、やってはいけないことについては、その人の立場によって大きく変わる
自分の感情をメタ的に捉えるなあ
これはムカつきだな、これは楽しいだな、これは悲しいだな、みたいなのを思う瞬間がある
脱線: ステレオタイプの田舎訛りのアクセントで脳内再生された。特に「これは楽しいだな」Summer498.icon
自分の感情に素直に行動せよ、ということなのかな?inajob.icon
自分はメタ的に捉えることは良いことと感じているので、この主張が気になっている
単に、捉えるなーという事実の確認なだけで、主張は何もないbiwa.icon
否定に見えた、なるほどinajob.icon
捉えてはならない という標語のように読めたという話
なるほど、紛らわしかったbiwa.icon
末尾に"あ"を追記した
GJinajob.icon
呟きの「するな」が否定の「するな」に見える問題
あるあるbiwa.icon
つぶやきを「するな~」にすれば解決しそうSummer498.icon
明治あたりの書き方だと、末尾の感情語 (?) をカタカナで書くことで区別ができる
具体例欲しいbiwa.icon
ちなみに、これの良し悪しについては、色々と考える必要はあると思っているbiwa.icon
ここ最近でまずいなと思ったのは、、、
パッと思い出せなかったので、思い出したら書きます
主張の裏には、感情が隠れていることが、多いと思う
書き出した時点ではともかく、なるだけ事実と、それに対する当時の感情と、当時の事実と感情のセット についての今の考えは分けることを意識しているbiwa.icon
inajob.icon
+1nishio.icon
ムカつき、という言葉の認識の問題かもしれないが、、
モヤモヤ、とか?
ムカつきはきっかけとしては良さそうだが、議論するときに「ムカつく」のことは脇におきたい
議論においては感情も大事だと思いますbiwa.icon
素直にムカついていることを表明することによって、その人の主張の文脈がわかる
ムカついてることを隠した状態で、変な主張を繰り返すと、話がこじれる
どこかにつながりそうだと思った
アレは1回こじらせた後で解きほぐす過程まで書いてある良いサンプルだと思うSummer498.icon
ムカついていることを隠して議論すると拗れる経験則から、ムカついてることは表明するほうが良い気がする (1)Summer498.icon
全く同じですbiwa.icon
『CONFLICTED』の第13章「怒るときはわざと」で関連することが書かれていたような記憶がある久住哲.icon (1)だがムカつきの理由を分析して、ムカつきを縮小した後で議論することを脇におくと表現してるなら、賛成Summer498.icon
これはムカつきから詭弁を弄さない状態になってから議論しようよっていうSummer498.iconの主張
議論をするときは、感情も含めた十分に大きなコンテクストをしっかりと共有しておくことが大事biwa.icon
自分は感情は極力議論から廃したほうが良いと思っている節があるなinajob.icon
カウンセリング的な側面も感じる
感情は感じている人の内面を想像しないといけないので議論が難しそうだ
難しそうだからやらない、というのは逃げているだけだが
感情は~難しそうだだから積極的に自分の感情を表明すれば相手が自分の内面を想像する手助けになると考えて感情を表明する方が良いと思ってるSummer498.icon
これ。書いてくれないと、むしろ感情を想像する必要が出てきて、非常に面倒くさいbiwa.icon
「あなた今怒ってますよね?」「怒ってないよ!😡」
「あなた今怒ってますよね」「お前の発言の刹那前までは怒ってなかったけど、今怒ったよ!」Summer498.icon 感情を議論に持ち込むことが悪いとは思っておらず、単に自分がそういう行動に慣れていないだけだと思うinajob.icon
感情論
うん、これっぽいなinajob.icon
感情が高ぶっている人が苦手
解像度が低いな、上と一緒かも
観測しづらい
感情というものは不安定なものなので、議論を理詰めで進めにくくなる
感情を廃することが可能ならそうしたい
感情が高ぶっている人に以下を要求する
頭を冷やす
論点を整理する
そう思う。これは今まで個人の内面で行われる作業だったように思うが、井戸端ではそれをみんなが見える空間で共同でできるinajob.icon
これは面白い
感情の整理を人に見えないところでやることが美徳とされていた(言い過ぎ)が、それが変わるかもしれない気配を感じる
今はLLMもあるし、感情を吐露する補助輪みたいに使えそう
出来ない人に感情の整理を人に見えないところでやることを要求すると性格の悪い人が爆誕する、みたいな経験則が熟成されてそうSummer498.icon
感情が高ぶってる人の問題点は、コミュニケーションに必要な資源を独占してしまう点じゃないかなSummer498.icon
だから音声コミュニケーションとかでは頭を冷やして欲しい、という気持ちになると見た
slack とかの文字ツールでも感情的に書くと、文章量が増えて領域を専有する
Scrapbox ならページで切り出されるので資源独占の問題が小さくなる
むしろコンテンツが増えて面白いnishio.icon
ここの意見対立あるよなーSummer498.icon
todo:行リンク復元takker.iconDoneSummer498.icon
とはいえ、じゃあどうすればいいかと言われても何も答えられないな……
感情をまな板の上に置いて、双方冷静に議論できるならありかなーinajob.icon
まな板の上においた瞬間にメタ認知で冷静になりやすくなりそうSummer498.icon
自分の感情をまな板の上に置かれた時点で大部分の人が怒り狂って手がつけられなくなる説nishio.icon
ここ2つ逆の意見が出てるの笑うSummer498.icon
感情についての議論のケースは除く
これは議論じゃなくてカウンセリングでは?という気持ちもある
ムカつき、を自分が観測した時は、まずそれが自身の不調なのでは?と疑う
これSummer498.iconswawa_yu.icon
あと、周りの人にムカつくことが多いなと感じたら不調を強く疑うSummer498.icon
そんな一斉に周りの人間が変な行動するわけ無いから
自分も基本的にはそうで、ムカつくことはあまりないbiwa.icon
が、ムカついてしまう時はムカついてしまうので、その感情はしっかりと記述しておきたい
ムカつきも大事な事実だから
感情ログをしっかり記録することかな
感情ログを出力するメリットとして、次に同じ感情が湧いた時に、メタ認知が作動しやすくなって感情の沈静化が速くなるというのがあるSummer498.icon
Summer498.icon
何かにムカついてる時って、多分以下のような構造になってる
1. ムカつきの対象の核(コア)がある
ムカついた瞬間のから時空間的に近いところにコアがあると思ってる
でも、コアを自己分析して、まとめた結果としてより抽象的なコアを発見できるかもしれない
2. コア周辺の事象に対してもムカつきを正当化するために論証しようとする
3. 結果として主張が大きめになる
コアに近いほど論が固まっているイメージがある
反例を出しにくい
biwa.iconのムカつきコアはあの学生の人生はもう終わりだじゃないかな
そうだと思うbiwa.icon
書いている途中でそれに気づいたので、そこの部分については詳しく書いた
もちろん、教員がその立場で生徒に嘘を言うことについてもムカつくが、この事例においてはそれほどクリティカルなものではないbiwa.iconここ読みが当たってたSummer498.icon
それ↑とは別の話で、ムカついてる時に2 をして主張を大きくするとボロが混ざって論破されやすくなる
そうすると論戦に強くはなれるが嫌な思いをすることにもなる
逆に1のコアをダイレクトに伝えると共感か無視かの 2 択になるので共感しか集まらないんじゃね
無視は共感はできないが、発言者の感情周りの主張しか無い文なのでそれ以上議論もできないから
あー、その主張を膨らませてより一般的な結論を得る方向に議論を持ってくこともできるか
例
コア: Summer498.iconは電車で座った時に隣の人が足を広げる人だとムカつく
隣じゃないと、ムカつきはせずに「アイツ足広げてるなー。◯ねばいいのに。あーでも、足広げないとシンドい骨格なのかもしれない。足を閉じると金玉が挟まって鈍痛がするのかもしれない。痛い思いをせずに足を開く方法を知らないのかもしれない。」と考えている
◯ねばいいのにはムカつきから来るようなニュアンスではなく、「アイツが 1.5 人分占領してるから、アイツが消えたら 1.5 人分浮くなー」という感じ
「去ねばいいのに」の方がニュアンスとして正確か
このあたりの表現の解釈は十人十色なので、このようにニュアンスまで説明してくれると誤解がなくなりありがたいtakker.icon
ちなみにtakker.iconは「◯ねばいいのに」からは殺意・他者の存在の極端な軽視を感じる
裏組織のボスが「アイツら要らないから殺しといて」みたいに素っ気なく言う感覚
その感覚にも近いかもSummer498.icon
「◯んでくれたら1.5 人分浮くなー」って人を人として見てない感あるし
このコアに何か正当化のための理由をつけても、「それ多分違う話だと思うけどなー」ってなる
その場から消えてほしいことを指して◯ねばいいのにと思うことがあるが、「去ねばいいのに」の方が正確な上マイルド
そうなのかtakker.icon
解説のためにcFQ2f7LRuLYP.iconさんを召喚したい
多分その場から居なくなることを去ぬって言ってたはずSummer498.icon
個人的に小学校、できれば低学年で議論の方法と議論に耐えうるメンタルを習得させたほうが良い気がする
小学生時点で習得しておけば、中学以降の教員とかがアホでも学生にボコボコに論破されることで変わっていく
同様に低学年で習得しておけば高学年の教員がアホでも (ry
小さい子の方がすぐに飲み込んでくれそう
議論に耐えうるメンタルは自尊心を育んだり、議論外に感情を引きづらないように訓練したりしよう
takker.icon
「感情を害した」という「客観的な評価ができない基準」を根拠に意見を撤回してしまうと、有益な結論から遠ざかってしまう
腹が立つ意見だったとしても実は有益な情報を含んでいるかもしれない
相手が真剣に議論をしているかぎりまずは腹を立てずに理解をしてみるべきだ
ということが述べられている
しかし、井戸端でのやりとり・議論(今回のだけでなく今まであったものすべて)を読んで、そう単純な話ではないことを知った
cman.icon
話題にもよるが基本的に論理と感情は切り分けた上で考慮するのがよい
混同してるとどうにもならなくなることが多い
それ思ってたやつだSummer498.icon
上の方のムカついていることを隠して議論すると拗れる経験則から、ムカついてることは表明するほうが良い気がするにも出てる
全部を感情の問題にすり替えることになる
/icons/わかる.iconSummer498.icon
このぐらいのテンション感でキレると楽しい
一人称の怒りはハラハラとかヒヤヒヤを生むことがあるが、表出の仕方のどっかに質が変わるとこがあり、その鍵は一種のメタ認知だと思う
怒ってることを認知した上で、怒ってる演技をするから面白いのかなSummer498.icon
逆にキレ芸になってる所あるSummer498.icon
経験からすると、キレる琴線が不明かつ細かい状態で、過剰にキレてると芸っぽいようだcman.icon
「食用菊に“食用”と名付けておきながら食べない人類のことゆるせない」とか
あと表現が規模がでかすぎて現実感が無いとか?Summer498.icon
「殺す」とかだとワンチャン本当に殺せるのでダメ
「そんなわけなくない?」というのが可笑しみなのかもcman.icon
けっきょく教養悪口本にもあったけど、悪口にユーモアを混ぜるのが必要ということなのかもcman.icon すぐに引用できないが……
最初かあとがきに書いてそうSummer498.icon
単に怒るよりもユーモアを交えたほうがいいよねーって話してるのをゆる言語学ラジオで聞いた nishio.icon
この「苦手」は「嫌い」ではなく「うまくできない」の意味 感情を排することを是とした行動を繰り返していると、自分が感情的になった時にそれを認めることが難しくなるのではないか?
僕「男性更年期とかで感情的になりやすくなった場合に本人や周囲はどうしたらいいと思う?」 妻「病院に行けばいいと思うよ」
正論だった
(現代の医療レベルで)病院に行くことで改善するのだろうか?takker.icon
結局「自分が男性更年期によって、今までけなしてきた『感情的な人』になったときに、それを素直に認めて病院に行くこと」が必要か 「俺は感情的な人なんかじゃない!」みたいな主張を繰り返してしまう危険性biwa.icon
ウケる🤣nishio.icon
こわいなーinajob.icon
受診拒否、難しい問題yosider.icon
似たような事例としては、うつ症状の患者がその症状により病院の予約をできない、ADHDの方が病院に遅れる/薬をなくす問題があるbiwa.icon
seibe.icon
何かを考える際、自他の感情という要素を考慮に入れるということ 自分にも相手にも感情が含まれていることを思い出させてくれるので、メタに見れる 議論以外でも、マーケティングやPRでも大事だと思う(むしろこれらは感情のほうが重要そう)
あらゆることを自分を勘定に入れずに
知らぬ間に宮沢賢治にケンカを売ってしまっていた(?)seibe.icon いやでも雨ニモマケズの静かでやさしい境地は好きです
言い回しからインスパイアかと思いましたinajob.icon
独立して思いつきましたseibe.icon
でも言いたいことはマジメ側なので使いどころに困ってる