「傷つけたなら謝る」マン
すべての問題を「気遣い」や「感情」の問題に帰着させる人間。 論理的な誤りや、当然こうすべきだという社会規範・行動規範に則っていないなどという、本質的な問題からは目を背ける。
とにかく「気遣いが足りなかった」「傷つけたなら謝る」などと繰り返し、どこが悪かったかわかっていない。
自分の問題は傷つけてしまったことだけにあると思っている
本当のところは間違っていなかっただろうと思っている。
言葉遣いやら態度の問題であり、主張は間違いではないと確信する。
謝れば済むと思っている。
改善が出来ずとも、謝れば許されるだろうと思っている。
謝ったのにまだ追求されるということが理解できない。
「謝っただろ!なんでだ!」「迫害だ!人格攻撃だ!」 改善が必要ということには気づいていない。
同じことを繰り返す。
他者に対しても「傷ついたから」などという理由で意見していいと思っている
自分が傷ついたのだから、当然謝って、誤りを認めるべきだと思っている。
傷つくような文言があった意見は、当然すべてが間違いだろうと思っている。
論理的な正しさやその人が何を言いたかったには全く思い至らない。
興味がないし、重要なのは自分が傷ついたことである。
訂正されても、謝罪がないなら許さない。
論理の誤りや言葉遣いがどうこうというのは主目的ではない。
謝罪をさせること、誤りを認めさせることが目的である。
どのように正しいか、というのが道徳的正しさ……それよりももっと使えない、主観的な「感情的正しさ」に限られる。 ポリコレ棒のように、こういう人間に配慮しているとあらゆる創作が行えない。