眞なる事の特徴
眞の話と、眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るかと云ふ話とが有る
無數の mathème を展開する非 mathème
過程
table:不可避・不可能。一義・數多。絕對・被關係
眞 仲裁 否僞
特徴 眞 現實 自我 特徴 否々眞 否々現實 無意識 (Ubw)
-- -- -- -- -- -- -- -- --
不可避 眞 統一 自我理想 法 S 不可能 否僞 虛構 無意識 (Ubw)
一義 善 全體 超自我 市 R 數多 否惡 假象 眞空
絕對 美 明晰 理想自我 組 I 被關係 (隨緣) 否醜 乖離 暗默知
現實に就いての一般三角形
眞僞の平等性と否々平等性
界 : 法・市・組
不可能であるから
眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るか
眞に於いてこれは自己言及ではない
自己検証理論 - Wikipedia
無からの創造
享樂
解釈学的循環 - Wikipediaではない
ディルタイは、その解釋學において、「全體の理解は部分の理解に依存し、部分の理解は全體の理解に依存する」ということを指摘し、何かを解釋する際には、全體の理解と部分の理解が、どちらが先でどちらが後であるとは言えない、循環的な關係にあることを問題にした。
ハイデッガーは主著『存在と時閒』で、この循環を時閒性として捉え、先行理解(先入見 Vorurteil)と新たな理解との閒の循環は必要不可缺である、と考えた。
ガダマーは、ハイデッガーの思想を發展させつつも、この循環を「地平融合」として理解した。すなわち、この地平融合において、元著者のテキストと解釋者のテキストはどちらが優位ということなく、融合して一體化するのだという。この發想は、その後のポスト・モダニズムのなかの一つの契機となった。
これに對しリクールは、ガダマーが解釋における理解(了解)だけを重視して說明にしかるべき位置を與へてゐないことを問題にし、理解と說明とが解釋學的循環をなしてゐると考へた。說明を排除しない點でリクールの解釋學は、ガダマーのそれに比して、歷史哲學を嫌う實證的な歷史学者たちにも廣く受け入れられた。例えばロジェ・シャルチエがそこから影響を受けた。
集合論的宇宙
microcosm principle in nLab
Microcosm principle: Certain algebraic structures can be defined in any category equipped with a categorified version of the same structure.
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手本の循環
Giorgio Agamben「事物のしるし」2008.iconGiorgio Agamben「事物のしるし」2008
問の不可能性
「眞を論ずるのに如何にその論ずる事は眞であり得るか」は問ひではない
解の不可能性ではない。解は可能。解は容易い
「現實界は書かれる事を止めない」
眞に關して問を立てられない
にも關はらず眞は不可避
結果
過程
變化
創造
分散
眞に就いて書き終はる事が出來ない。眞に就いて中斷し作品とする (a.k.a. 完成する、振り返る、斷言する) 事が出來ない。だから眞に就いて書き始める事が出來ない。眞は汎ゆる所に汎ゆる仕方で、である (c.f. 存在するとは別の仕方で)。眞は根源ではない。だから眞は出發點ではない
方法的蒐集 (集藏。識史)
〈永遠極限〉$ S_2
書き始められないし書き終はれないが書く事は出來る
問の不可能性は〈疑問提示不可能性〉ではない
〈此の經驗〉の「經驗」は〈此の〉から議論を進める方便であった
「經驗」とした事から、〈永遠極限〉を「癖である」とした
不可能なのは〈此の〉である
公案集
眞の形態は眞の阻止の形態と等しい
移行 (migration) の三種の阻止
「普通には」
曖昧、幅
半根據
「素朴」の槪念
不可避であるから
眞であらうとする事は避けられない
解の不可避性
解は單に可能であり不可避ではない
table:表
眞 解 問
私 自覺 對 (對自、對他、對幻想)
今 立ち現はれ 時閒
善 味方 敵
美 ? ?
眞の結果である事の不可避性
汎ゆる立場が「眞を理由とする事を認めるべきだ」と云ふ事では全くない。眞を否定し拒絕するのは正當で有り得る
言明の「斷言」の觀念を完成の槪念に置き換へてはどうだらうか?
完成とはそれ迄の事柄達を振り返って全體として眺める視點に立つ事を云ふ。「これで完成である」と宣言するのがそれだ。區切りの一種でもある。常識的な「完成」の像を槪念へと仕立てたものだ
これは手本の事後性ではない。手本は破局の意味で區切りなのであって完成ではない。根源でもない
眞理述語「「」は眞である」/ 言語行爲
主體の不可能性 / 自我の不可避性
不可能な事への不可避性 (象徴的同一化$ \phi\to I(A)\leftarrow\Phi)
「眞であるとは如何なる事か」の解を述べる事に對する眞は既に在る
常に既に在る眞
共通感覺
超越論的論証
數多であるから
段階的眞
二諦 - Wikipedia
眞諦 / 俗諦、方便身 (應身。方便) / 法身
不二中諦、報身
二元論の爲に
超越論的 / 超越的
現實に就いての一般三角形
無根據な斷定
循環論法
無限後退
存在論浮動
閒理論性
有限性
有限の適用用途を持つ有限個の、互ひに有限にしか區別されない眞
有限な原子論
←→究極的差異・一性の原子論
假に宇宙の未來が有限ならば、宇宙自身が自然法則を誤解してゐるかもしれない
有用性
進化論
pragmatism
pragmatism と法華經の德
共同性
學の四角形
習慣
大森荘藏の無意味論と現象學
斷片
一義であるから
眞に meta level は無い
John Duns Scotus「存在の一義性: ヨーロッパ中世の形而上學」1308.iconJohn Duns Scotus「存在の一義性: ヨーロッパ中世の形而上學」1308
存在槪念の眞理の最小主義
被關係であるから
隨緣
被媒介
被制約
緣起 / 性起
絕對であるから
單獨
「眞」と「眞に就いての觀念」との違ひを、不可避な解と不可能な問との違ひに移す
眞善美の系列と眞私今の系列とが有る
眞と善と美は同時に定まる、或いは定まってゆく
「眞に於ける眞と眞に於ける善と眞に於ける美は同時に定まる」ではない
眞に於ける眞と善に於ける善と美に於ける美は同時に定まる
然し眞善美は互ひに互ひを定めない部分が有る
眞と善とは同じ問題ではない。善は誤謬の名である→四聖諦
眞は價値體系ではない。善美は價値體系である。善美は價値體系としての眞である
善は政治である。善はニ極であるが眞は 3 である。善は 2 としての眞である
政治の二つの力
原理の個數 : 1, 2, 3, 4, 5
善→眞$ \simeq2→3 : 調停、欲望
眞→善$ \simeq3→2 : 排除、充足
眞は善惡の第三極を見せる
美
理論的美德
美的選擇、凝結
無明的美←→恩寵的美
美學
眞卽善卽美、僞非卽惡非卽醜、眞具惡醜、善具僞醜、美具僞惡
絕對 : 眞、善、美
被關係 : 否僞、否惡、否醜
眞と私と今は同じ構造を持つ
意味の構造
大森荘藏の無意味論と現象學
Jürgen Habermas「後期資本主義における正統化の問題」1973.iconJürgen Habermas「後期資本主義における正統化の問題」1973
遠近法
價値體系としての私 (holism)
善 / 美