情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論
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自分の固定概念を打ち壊す本を読むになったので、再読してメモる
目次 amazon ページより
序 2000年来の前提
第1章 情動の指標の探求
第2章 情動は構築される
第3章 普遍的な情動という神話
第4章 感情の源泉
第5章 概念、目的、言葉
第6章 脳はどのように情動を作るのか
第7章 社会的現実としての情動
第8章 人間の本性についての新たな見方
第9章 自己の情動を手なずける
第10章 情動と疾病
第11章 情動と法
第12章 うなるイヌは怒っているのか
第13章 脳から心へ――新たなフロンティア
情動を単純化している現代科学の理論を古典的情動理論(claasical view of emotion)と著者は批判する
例
同僚に攻撃されたから「怒りのニューロン」が反応して怒りの情動が発生したんだ
悲劇的なエピソードを聞いたから「悲しみのニューロン」が反応して悲しみの情動が発生したんだ
著者は「構成主義的情動理論(theory of constructed emotion)」を主張する
それまで育ってきた文化、経験、記憶が総動員し、脳が予測した結果、情動経験を構築する
「情動は引き起こされるのではなく、構築されるもの」
著者が行った実験の失敗から「人は、不安の感情と抑うつの感情を区別しないことが多い」という発見
情動をどう感じるかは、人によって違う
同じ「怒り」などの感情ラベルでカテゴライズしすぎているのではないか?
客観的に他人の情動を判定できることなんて、本当にできるのか?
自分が感じる「怒り」と同じ感情が、他の人たちの「怒り」でも同じ感情なのか?
同じ顔写真を見せ、どういう情動が発生しているかを推測する実験では、事前に与えられた情報によるコンテキストによって予測が異なった
情動反応は、画一性ではなく、多様性が標準である
特定の脳の部位と機能を紐付けるのは、単純化しすぎの危険性がある
語彙が豊富な人と、貧弱な人とでは情動の分類が異なってくる
極端な例でいえば、全てのネガティブな情動を「不安」と分類したり、全てのポジティブな情動を「幸せ」と分類する人もいるかもしれない
「今どんな気持ち?」と本人に答えさせる実験は、本人の分類能力に依存する
P54 の 謎の白黒の画像
初見では、何なのかさっぱり分からない
巻末の答えの画像を見ると、認識が変わる
p55
過去の経験は、現在の感覚情報に意味を付与する
この構築は自動的に行われる。自分の努力でどうにかなるものではない。
脳や目は、ただ外界からの情報に反応する器官ではない
むしろ人間の全ての世界は、その人間の脳が予測して作り出しているものに過ぎない
脳は「外部世界の実際のデータ」よりも、むしろ「内部世界のイメージング」に頼って “生きている”
p116
要するに、脳は外界からやって来る刺激に反応するだけの単純な機械なのではなく、内因性脳活動を生成する無数の予測ループとして構造化されている。
脳が予測して、シミュレーションし、実際の結果と比較して、違った場合はエラーとして処理する
予測シミュレーションと結果が違う場合に、すり合わせを行うのが学習
予測が外れたら、それは喜ばしいことなのは、学習になるから
この予測は、それまで過ごしてきた環境・文化や、学んできたこと・経験の積み重ねをベースとして、その場のコンテキストに応じてアドリブで生成される
その時の体調も加味される
しかし、"私自身"が、「今ちょっと肝臓の胆汁の分泌量が多いな〜」などの細かい体内調整のことは感知しない
感知していない細かい体内調整不良が、不安や興奮などの情動インスタンスとして発揮している可能性がある
このとき、「今私が不安に感じるのは、例の件のことが気になっているからだ・・・」と勝手に解釈しがちである
複雑な世界では「原因」という概念そのものが疑わしいの一つ
ずーっとネガティブな感情を感じている人は、長い体調不良を患っているのかもしれない
身体予算管理領域(body-budgeting regions)
状況に応じて、心拍を早めたり、呼吸のペースを落としたり、グルコースの代謝を高めるなどして、体内の環境をコントロールする仮想の領域
身体予算管理が崩れることが、不安定な情動の発生に繋がるという仮設
だからこそ、毎日のメンテナンスを大事にする
自分の身体は道具だから大切にする
食事の前後で裁判の判定傾向が変わる研究結果
身体予算が影響していると考えられる例
日常生活において見るもの、聴くものが何を感じるかに影響を及ぼしているように思えるかもしれないが、通常はその逆
「人々は合理的な意思決定者である」ことを期待する経済学のモデルは、人が身体予算管理によって影響される不安定さを考慮していない。
情動は世界に対する反応ではなく、私たちが築いた、世界に関する構築物なのである
類似性より差異性に注目するほうがエネルギー効率が良い
Youtubeなどの動画圧縮技術と同じ
目から入った情報の処理は、視点が変わらない限り類似の方が多い
知識は引き算
誰もいない森のなかで木が倒れたとき、木が倒れる音はしたのだろうか?への解答
ダーウィンを隠れ蓑とした反証が難しい理論を信憑しすぎないこと
p276
ダーウィンという名は、科学的な批判という悪霊の攻撃を免れるための格好の隠れ蓑として機能することがある。
ダーウィンの考えに異を唱えれば、進化を否定することを意味したからだ。
第9章 自分の情動をてなづける
ここから、日常で使える実践的な提案が出てくる
p292. これまでのまとめ的な1文
第4〜8章から読者にぜひ学んで欲しかったのは、
「身体と心は固く結びついている」
「行動は内受容によって駆り立てられる」
「文化は脳を配線する」
という三点だ。
まず、情動をてなずけるもっとも基本的な手段は、身体予算管理を良好な状態に保つこと
睡眠
運動
SNS耐性
健康な食事
いわゆるライフハック系のテクニックが多く当てはまる
概念の補強。情動粒度を得る。
できるだけ多くの新しい言葉を覚える。
小説を読んで語彙を増やす
新しい行動をして、新しい経験を得る。
新しいことに挑戦することは、脳の筋トレ
情動を再分類、リフレーミングができるようになると、より適した行動をとりやすくなる
ストレスは体に良いと思うと、無意識によくなるとか
虚構の自己を強化することは黄金の手錠、栄光の落とし穴の罠への道
著者は、仏教徒の考えに賛成している
富や名声などは、不快な情動のインスタンスの生成を導いている。
反脆弱性にナシーム・ニコラス・タレブも同様の主張していた
病気や侮辱によって苦痛を感じたとき、「自分は、ほんとうに危険にさらされているのか?それとも自己という社会的現実が脅かされているだけなのか?」と自問してみるとよい
他者の心を知ることは不可能
痛みも予測によって生み出されている説
偽物の手を自分の手だと認識して触覚を感じてしまうラバーハンド錯覚の実験
プラシーボ効果、ノシーボ効果も予測によって影響が発生しているのでは?
最大の防御手段は好奇心と著者は述べる
p468
私は学生に、何かを読んでその内容を気に入ったり、嫌ったりしたときにはとりわけ注意せよと諭している。そのような感覚を抱いたことは、おそらくはそこに書かれている考えが、自分の感情的ニッチの範囲に確実に入ることを示しているからだ。だから、オープンな心を持って読むようにしよう。
好きor嫌いという感情を持ったからには、何かしらそれまでの蓄積的経験による予測や、身体予算管理バランスが影響していると疑おう。
p472-473
構成主義は私たちに、もっと懐疑的になるよう教えてくれる。経験は現実に通じる窓ではない。脳は、自己の世界をモデル化するよう配線され、身体予算に関わる事象によって駆り立てられる。そして私たちは、このモデルを現実として経験する。一瞬一瞬の経験は、一つの画然とした心的状態が数珠つなぎに結ばれているかのごとく、断続的に続いているように感じられるかもしれない。だが、本書で学んできたとおり、脳の活動は、コアネットワークの働きを通じて切れ目なく連続している。経験は、頭蓋の外側に存在する世界によって引き起こされているかのように思われるかもしれない。だが実際には、次々に発せられる予測と訂正によって形成される。皮肉にも、私たちは皆、自分を誤解する心を生む脳を持っているのだ。
構成主義が懐疑を擁護するのに対し、本質主義は確実性に深くコミットしている。
目に見えるものが正しいのではない。予測によって作られている。
だからこそ確信こそ、退けなければならないもの、予測した世界であって、予測エラーから学習する。