認識解像度
現象を描写する
細部を認識する能力、またはその度合い
能力を主張するのであれば、解像力のほうが的確
必要な解像度
どれくらいの解像度が必要なのかはどれくらい明確だろうか?
対象を直接、間接的にコントロールできる程度
解像度の上げる種類
加速、原則(スローモーション)
拡大、縮小
感覚の拡大
https://gyazo.com/271d1898d2ebcd23e390107857282e7b
拡大されることによって、ペンのインクがどのように紙に浸透するのかが分かる
PA
仮説を表現する言葉の解像度が一人だけ突出しても役立たない
チーム全体で解像度を上げたり、維持する
解像度を高めることよりも、解像度を維持する方が難しく重要
危険な会話
タクソンレベルがふにゃふにゃ
高い解像度の体験には「推し」や「オタク」になることがある。ところが、「推し」や「オタク」は解像度の維持と相性が悪い。自分の好きな対象にだけ饒舌になっても、無関心な対象には言葉数が少なくなったり、雑な表現になってしまう。
プロダクト開発においても、自分のこだわりたいところだけ解像度を高めてしまいやすい。自分の評価に繋がることや、自分の部署やチームに関係することはなおさら。
https://gyazo.com/e2f669d1e42f9cef7c6a59893ca3cf8e
言葉の解像度をあげる
テーブルでどれくらい書けるか書いていく
解像度 定義 良い例 ダメな例 制御する方法 練習する方法 知らない人に説明する方法 適切なメタファー どのようなコンテキストで用いられるのか ないとどうなるか あるとどうなるか 高まる過程でどのような変化があるか 類語は?
要は意味ネットワークの明示化する
why, what, howの問題
whyは目的や存在意義、ゴールを指し示す言葉ではないのに、いつのまにか同義語として使われてしまっている。
「why, what, how」に頼るのをやめる
たとえば「何が結果を引き起こしたのか?」は原因を明らかにする「なぜ」に相当するけど、whyではなくwhatを用いている。why, what, howを使っても、明らかになるとは限らない。
https://youtu.be/gXSo9qRLo8k
国語辞典は一般教養解像度であり、専門家には足りていない。ひとつの専門用語の説明に500ページが必要な場合もある。
世界を見る解像度
解像度とは何だろうか。解像度の解像度を上げてみよう。
解像度とは「細部を認識する能力、または解像された度合い」であると私は考える。
顕微鏡 拡大
ハイスピードカメラ 時間軸
異なる光を当てる
新しい知識を構築する
言葉と解像度の関係
家の中を見わたせば、自分の周りには人工物で溢れていることが分かる。人工物にはそれぞれ名前が付いていて「コップを取って」だったり「洗剤がなくなってしまった」という形で、名前と私たちの生活が結びついている。家の中には名前の付いていないものはほとんどなく、人が理解できるもので溢れている。自分の部屋を見わたして、自分が理解できないものはほとんどないはずだ。私たちはプライベートな空間に近づくほど理解が容易なもので囲まれている。
この自分の部屋から出たとして考えて見よう。まず近所。みなれたものが多いはずだ。街から山のほうへ近づいていこう。山が視界の中で大きくなるにつれて、ひとかたまりに見える緑が増えていく。自分の部屋ではコップやキーボードなど、一つ一つに名称がハッキリと付いていたのに、緑が眼前に広がるほど一つ一つに付けられる名前は減っていく。
目の前にうっそうとするしげみがある。もう名付けられるものは無くなってしまった。
さて、この世界はもともと人間が認識しやすいようにはなってはいない。あるがままの自然に近づくほど認識しにくくなる。
以下の写真は薮に見える。薮とは草木が入り組んで密生していることをいう。私にはひとかたまりの連続した植物のように見えてしまう。ところが知識のある人が見れば、密生の中から多様な個体を見極めて的確な名前を結びつけられる。
https://gyazo.com/18f2d026d70225bc8fcfa5e3fa2f8118https://gyazo.com/c4ce55d6d289080d3d13e5c985019097
https://gyazo.com/7691d9bf3ebd1e041508205ec12b6049
「連続したひとかたまりの中から一つを見分ける過程」を識別という。見分けるときに鍵となる特徴的な刺激をシグナルという。この「世界の連続したひとかたまりから一つの要素を切り取った枠」を認識という。
すこし脱線。これは言葉遊びだが理解の字体から考えると覚えやすい。理はことわりとよめる。事を分けること。解とは牛から刀を用いて、角を切り離す行為になっている。どちらも一体となっているものから分けている。
さて、解像度という言葉がよく使われるようになってきている。解像度とは、なんとなく漠然と感じているものごとから、一つ一つを認識して切り出して構造化したり新たに解釈したりする行為の巧みさを表すことが多い。
解像度という言葉は写真や出版などいろんな業界で使われるが、広まりはじめの出所はコンピューターだと思う。2000年代に入ってからコンピューターの性能向上ともに、画面に表示される微細な点の数は急激に増えた。
20年前にスタンダードだった1024x768の76万画素が、フルHDの1920x1080、4Kの4096x×2160の800万画素へと20年間で10倍以上向上した。特に著しいのがスマートフォンで、解像度の急激な増加は一般の人も含めて多くの人が体験しただろう。初代iPhoneはたった320×480の約15万ピクセルだったのが、12 Pro Maxでは2778x1284の350万画素となっている。約23倍だ。
これらの急激な変化と共に「解像度」は、私たちのものごとを見極める鋭さにメタファーとして用いられるようになってきていると思う。
観察とは物事に認識の光を当てて実態を明らかにしようとする行為である。
実際の照明で考えてみよう。光の当て方によって見え方は変わる。
博物館の恐竜の展示を想像してみよう。エンタメのように見栄えのするところにスポットライトを当てれば印象深くはなるが全体の正確性は損なわれる。一方で、光をまんべんなく当てる科学的な照明は印象深くはないが骨の一本一本や凹凸の正確な数を数えられる。
エンタメ的証明と科学的照明は状況によって使い分ける必要がある。たとえば専門家が一般の方に入門として説明するときはエンタメ的証明を用いて話したほうが興味を持ってもらえる。専門家の高い解像度をそのまま伝えても、聞いている側は分からなすぎて疲れてしまう。正確性を犠牲にしても面白くした方が社会貢献につながる。印象に残るように面白い、分かりやすいと評価される専門家はエンタメの光を用いて話している。
一般の方から分かりやすいと評判の専門家の方々も、自分の仕事や学会では正確性の優れた科学的照明を用いている。正確性が価値だからだ。
この連続したひとかたまりと、そこから切り出された要素は人の理解の仕方の根底となっている。車の運転席にある速度メーターを考えて見る。アナログのメーターは速度と連動するが、その動きは滑らかで連続している。速度と共に針が滑らかに昇っていく。一方で、デジタルメーターは切り出された表現をする。50キロから速度が増すとき、50.1…50.2とはならず、50の次は51、52と進む。
解像度を高めるテクニックが増えてきている
使えるものも使えないものもいろいろある
存在するか
見極め方
方法論の自己適応検証
MECEにしましょう
その方法論をMECEにしてみるとまったくMECEでないことが分かる。
高い解像度
カエルを見たときに、どの種なのか判別できること。またその種の典型的にくらべてどれくらい解離しているかの度合いを正確に推定できること。年齢、健康の度合いなど、個体として見分けられること。たとえば名付けて見極められること。
解像度を高めるために
解像度が高いとはどのような状態か。
解像度を高める
・定義固定的
・観察
機能、構造、発生を説明できること
ラベリングの正当性
解像度が低い行為
・観察しない
・恣意的な解釈
・面白さに逃避する
深いという言葉の低解像度
深いという言葉を捨てる。
「深い」というコトバはよく使われるが言葉遊び(物事の文節を恣意的に分割してしまう)になりやすい。また検証できない。たとえば「これは深い」という主張に対して、それはなぜ深いといえるのか、というシンプルな検証にたいてい応えられない。
主語がデカくなるタイミングが認識解像度がずれるとき
「ツールの使い方を教えてほしい」←自分で調べよう
「調べ方がわからない」←適当にお絵描き解説動画みよう
「みてもわからない」←みてもないのに断言するな
「つーかモチベがありません」←無理するな
「人は何のために絵を描いてるんでしょうか」←主語でかっ!!!
タクソンレベルが変わる時、解像度も下がっている。抽象レベルの維持が重要。
人は1日3万回、判断している
判断の質と密度
判断における解像度の違い
一般的な人と専門家
・ ・ ・ ・ ・ ・
・・・・・・・・・・・
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事例
https://gyazo.com/fe9d98eaa552ebc8ae31c08254c90400
https://gyazo.com/87e34271966718f983b712d2686793e1
https://gyazo.com/10bbace3b055fac09c7b6cb053d6d6d6
安井さんの公開コメントに対するコメント
もしかしたらですが、光を当てるところが少し違うような気がしました。
解像度の元の意味合いはデザインや出版になります。そこでは解像度は実態を表現するものの密度のことで、そこには「視野と詳細度をコントロール」のような意味合いはありません。ディスプレイではDPI(インチ当たりのピクセル数)になります。言い換えると、正確に表現できる度合いでしょうか。
言及されている解像度は近年の概念のものだと思います。デザインや出版の意味合いは次のようなものです。たとえばA4サイズの写真集に印刷するときは350DPI以上が必要ですが、ポスターのような大判A1サイズにプリントするときは175DPIでも事足ります。なぜならA4では手元で見るのに対して、A1では1m離れてみるといった距離が必要だからです。ここまでは安井さんの話ともそれほどズレはないのかなと思います。
おそらく違和感のタイミングは「視野と詳細度をコントロールしたい」時なのかもしれません。そこで意識される品質が解像度なのかなと思いました。
手元で見るA4の写真集なのに、印刷がA1のポスターレベルになっていた…。具体的には手元で写真集を見ていたらCMYKの網点が目立ってしまっていたとき、解像度が足りないと感じたりするかなと思います。身近な例ではwebであれば圧縮率が高すぎてブロックノイズが目立つjpeg画像を、450DPIの超高精細表示可能なスマホで見たときの「解像度の足りなさ」でしょうか。
このような意味合いだと世間の「解像度が足りない」という表現も私は納得できます。
顕微鏡で例えると倍率の話は「視野と詳細度をコントロールしたい」で、ピントの話が「解像度」の違いかなと思いました。
カメラの解像も出版の解像とはまた違う。解像力は物事を歪み無く正確に解像する能力みたいな感じなので、出版の解像度とは意味合いが違うのですが、ぐちゃぐちゃ。
プリンタの解像力
https://gyazo.com/b48fbd9ef56aef6143eaff2c9fcf8fff
カメラの解像力
https://gyazo.com/f2313847465eee128d92154e88a06a99
解像度の水準
・思い込み (素朴理論、手癖)
・辞書の定義
・ブラックボックス 教授主義(インプットとアウトプットが分かる、学校教育の水準)
・ガラスボックス 真正な実践(インプット、アウトプット、インプットがアウトプットを引き起こすメカニズムが分かる、科学の水準)
解像度の方向性
拡縮
境界の識別
変化(時間)
時間軸に対する解像度の低さ
くるくるがずっと続く動画
https://gyazo.com/0280b1209b9313ffcc92ea29dba99112
時間軸の解像度
定義の解像度
多くの辞書は科学(構造・機能・発生)によってなされていない。コスパのよい定義の方略が使われている。
コンテキストでの例
コンテキストというような表現も、同語義(トートロジー)の説明ばかりで役に立たない…。
「コンテキスト」とは、日本語に訳すと「文脈」や「前後関係」のこと。「このコミュニケーションが何であるか」を示すものである。コミュニケーションが行われている「場」や「空気(雰囲気)」のことといったら分かりやすいだろうか。メッセージの内容は、コンテキストの中に置かれることによって、明確な「意味」を持つことになる。
ベイトソンの精神の生態学でのコンテキストの表現
有機体に対し、次に行うべき選択の選択肢群がどれであるかを告げる出来事すべてに対する集合的総称である。
信頼の例
信じてたよること。
広辞苑
相手が裏切らないという意図に対する期待
相手の能力に対する期待
高い解像度
自覚性と随意性が高まる。学習に働く。
解像度が低くなるとき
解像度が低くなるとき
動作レベルの解像度が低い描写
https://gyazo.com/3c2defa285f19cb66def3f3be32f774a
『覇王愛人』 新條まゆ
連載時は担当編集がとなりで完成をまっているような状況があったらしい
https://gyazo.com/6148e8cc82e88e740c56cc8fb3524b8chttps://gyazo.com/2d13f452a1b1e353145e0f58dc7add5f
ドラゴンボールとドラゴンボール超
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なるほどー、ざっくり感想を言わせていただきますとデジタルは天才ほど扱いが難しいとおもいます、アナログという無限の情報を泳げる能力がデジタルだとその能力がすっぽ抜けてしまうと云うような RT @NEBU_KURO: デジタルに手を出した今、改めて自戒しとかないとヤバい。
なぜ天才の「描く」能力をデジタルがスポイルするかというと、自然現象である抵抗勢力「紙」に対して天才は華麗な制御で何かを描きます、そしてそれは無限の情報を持っている事でしょう。しかしデジタルは現状かけない人のためのサポートツールなので
何故デジタルが天才キラーかというと天才は絵が「早くて良い感じ」だからです。良い感じは自然現象である紙の抵抗との戦いによって自然に獲得されたものだとしましょう。デジタルではそれが出来なくなるので良い感じを「プラス」しなければ行けません。それは天才にとって無駄な時間なんです
週刊漫画家はお客さんの気分が残っている間に新作を出すという、極めて理想値に近い事をやっている点が正しいです。僕には出来そうにありません。そのへんが天才なんだと思います
お客さんは忘れます、しかし忘れる前に新作を出すと忘れません、それって絵描きの人が求める永遠性に対する一つのアプローチでしょ、ずーっとたくさん続けて早いうちに絵がどんどん出来るというのが天才の最低条件じゃないですかね、まー俺ではないですね
俺がデジタル絵でけっきょく今やっているのは「図鑑のように描く」ってことですね。雰囲気の良いフィルターもただ使ってしまうと情報が欠損するばかりか情報を開けるための鍵にすらならなくなるけど、図鑑のように描くと図鑑を見るときの気分になるんですよ、図鑑最高だよなー
あきまん氏が漫画家・村田雄介氏に語った「天才ジャンプ作家がデジタル絵に移行する場合の問題点」
ゲームに転用した例
https://gyazo.com/95ae0e6fe7404bc027b3bcd5ff4a1f21
「死にゲー」ならぬ「死に見ゲー」──死の向こう側を見せてくれる怪作『Return of the Obra Dinn』が傑作すぎてやばい
社会認識
https://gyazo.com/bf39f6f5cb0910d0975e585b3db4ac2e
ランキングによる人気の可視化など
解像度を高めるヒント
カテゴリー思考
辞書は解像度が低い
定義不足
外縁をなぞって定義しない。
仕事で「解像度」という言葉をこれから使いにくくなりそう
マンガ
https://gyazo.com/0f895d4222d3cc8e0805a71a30568a0c
https://gyazo.com/2dd28a7915cd64e07ba1f04d28ea6fb8
解像度がふにゃふにゃ
恣意的な判断が無意識に行われる解像度の操作
相手の話がよく分からないけど、相手は権威性のある人なので、何かをいうのもめんどくさいしメリットもないので適当に合意しているふりをする状況がたびたび起きて悩んでいて、結構しんどいと感じている人に向けた話です。
解像度がふにゃふにゃとは
自説に有利になる場合は個別具体の話をして、不利になるときは解像度の荒い話(主語がでかかったり、レッテル貼り)をすること。
個別具体の話「あのとき○○は遅刻してきた」
でかい話「日本人だったらさー」「時間厳守は常識でしょ」
話の流れで言葉の解像度の突然の変更があるが、その変更には正当性が貧しい。
要は、自説に有利になるように、解像度を操作してチェリーピッキング(いいとこ取り)する。結果、解像度がふにゃふにゃしているように聞こえる。
要は連想ゲームなので言葉は流暢にできる。そのため相手を言葉数で言い負かすこともできる。語彙の解像度を維持すると、言葉の連想は極めて難しくなるので、言葉数はそんなに増やせない。
解像度がふにゃふにゃの特徴
・語彙の水準を無意識に操作している
・論理的に飛躍していることに気付かない
・口パクパクが快感で直せない
・そのため議論や対話が成り立たせるコストが高い
起きやすい状況
・自分の意見を通すことにこだわりを持っている
・押し切る成功体験が多い
・分からないことに分かっていない
・確率と事実を混同する
・他人の意見と事実を混同する
問題となる状況
・意思決定による結果が大きく変わるとき
ふにゃふにゃだと気付く先行シグナル
・主張に比べて、話の量が多い
・自分の話にエピソードをたくさん盛り込む(量だけはあるが、主張そのものは限られてる)
・相手の言葉の解像度を引き取れない
・例えば自分に不都合なコメントを「批判と」とラベリングする
・バイネームで話し続けることができない
・すぐ一般化してしまう/すぐ個別具体化してしまう(その抽象度合いの操作のタイミングが恣意的)
これを反転して、語彙の解像度を維持しながら話ができる人はめちゃくちゃすごい。
マジで凄い。
解像度を維持できない
何か言ってきた人の発言を「批判と」とラベリングする
バイネームでしゃべれない
自分の話にエピソードをたくさん盛り込む。ところが話の量はあるが、主張そのものは少ない。
いつのまにか、こちらが知らない人とラベリングして、請うてもないのに教えてこようとする
タクソンレベルがふにゃふにゃ
事実を混同する
確率と事実を混同する
他人の意見と事実を混同する
日本人はいつもコメを食べる(レッテル
丸々さんはいつもコメを食べる(レッテル
丸々さんはコメが好きだ(レッテル
まるまるさんは昨日のお昼にふりかけでご飯を食べた(観測
外部
https://www.youtube.com/watch?v=qiu6jvFTvk4