対話
表現し合うことが重要。
表現する内容が重要。
「あなたの関心事に、私は関心がありますよ」の表明
会議がうまくいかないときの四つの視点
1.テーマが気に入らない
2.進め方が気に入らない
3.感情(なんか嫌だ)
4.DとD`の両立のできなさ
アンチパターン
・自分の話をいいきった満足感に溺れる
・口が軽快に動く満足感
口が達者だけど、面白くも納得も薄く、何も生み出していない。
行動
相手の関心事に関心をもつこと
相手の言葉のくずかごにされること。
共通理解
自分の理解と相手の理解を結び合わせること
応答すること
結果
意味をつく出す
相互理解を作り出す
相互主観性を作り出す
モノローグ
自分に関心がある
多くの会話はモノローグである。他人の話を聞いているとき、自分が次に何を話そうかと、自分と話をしている
対話ではないこと
・他人を理解しない
・共に創らない
・他人事である
・定型的な言葉で締めくくる
「他人の話を聞いてばかりでは、自分の面目が立たない」という考え。
「その考えは間違っている。正したい」という考え。
あなたの観点には価値がある/私の観点には価値がある
様々な対話の定義
・理解の共同制作をする
・文脈を捉え直す
・理解に影響を及ぼす
・条件として
・対話は意図的な行為である
・関わりのある当事者である
・結果として
相互的理解を生み出す
独自の言葉を作り出す
その後の思考や行動を支える新たな理解を獲得することを目指す
双方向のコミュニケーションを通して、人々の間に意味が流れるような話し合い。当然と考えている前提を、対話を通して探求することで、新たに意味づけがなされ、自分達がもつ前提を発見していく。
言語表現は、しばしば不適当、不十分であり、一貫していないことが多い。そのようなイメージと表現の不一致やギャップはしかしながら、我々人間の思考や相互作用を促すのである。
対話すなわち共同思考
複数視点からの認知
出典 Graumann, C. F. (1990). Perspectival structure and dynamics in dialogues. Sonderforschungsbereich 245.
対話について考えてみよう。対話では、人が何かを言った場合、相手は最初の人間が期待したものと、正確に同じ意味では反応しないのが普通だ。というより、話し手と聞き手双方の意味はただ似ているだけで、同一のものはない。
だから、話しかけられた人が答えたとき、最初の話し手は、自分が言おうとしたことと、相手が理解したこととの間に差があると気づく。この差を考慮すれば、最初の話し手は、自分の意見と相手の意見の両方に関連する、何か新しいものを見つけ出せるかもしれない。そのようにして話が往復し、話している双方に共通の新しい内容が絶えず生まれていく。したがって対話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作ると言ったほうがいいだろう。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ。
だが、そうしたコミュニケーションで新しいものが想像されるのは、人々が偏見を持たず、お互いに影響を与えようとすることもなく、また、相手の話に自由に耳を傾けられる場合に限られる。まずは話し手の双方が、真実と、一貫性のあることに関心をもつことが大事だ。古い考えや意図を捨てて、これまでとは異なったものに取り組もうという心の準備ができるように。しかし、話し手のどちらも、それがまるで情報の項目であるかのように、考えや観点を伝えることだけを望むなら、失敗は免れないに違いない。というのも話しを聞くほうは、語り手の考えという、一種のふるいにかけられたものを聞いているからである。それは話が真実か否か、首尾一貫しているかどうかという点と無関係に、語り手が維持したい、守りたいと思う内容になっているのだ。その結果、当然ながら混乱が起き、先に指摘されて論じられたような、解決不能な「コミュニケーションの問題」へとつながる。
ここまで述べたような意味で、コミュニケーションが生活のあらゆる面で不可欠なものなのは明らかである。人々が協力し合おうとする(すなわち、文字通り「ともに働く」)なら、何かをともに想像できなければならない。お互いに話し、行動する中で、具体化されたものを作り出さねばならないのだ。受動的な道具となって従う人々に、一人の権威者が物事を伝達するという形は望ましくない。
科学者の自然との対話 p39
科学者似たような「対話」を、自然を相手に行っている(人との対話もだが)。たとえば、科学者がある考えを思いついた場合、それは観察によって確かめられる。観察されたものが(よある話しだが)科学者が心に描いたものと似ているだけで、正確には同じと言えない場合、その相似性や相違性を考慮すれば、新しい考え方が生まれる。そして、その新しい考えもやはり確かめられることになる。こうして科学者が思いうかべたものと、自然界で観察されるものとに共通した、新しい何かが絶えず生まれていく。このような状況が発展してさらに実際的な行動へ続き、人と、その環境全体とに共通する、新たな構造の創造へとつながっていくのだ。
対話で勝利を得ようとするものはいない p45
対話では、勝利を得ようとする者はいない。もし、誰かが勝てば、誰もが勝つことになる。貸与にはディスカッションと異なった精神がある。対話では点を得ようとする試みも、自分独自の意見を通そうとする試みもみられない。それどころか、誰かの間違いが発見されれば全員が得をすることになる。これは、お互いに満足のいくゲーム、と呼ばれる状況だ。一方、対話以外のゲームには、勝者と敗者が存在する——私が勝てば、あなたが負けるというように。しかし、対話には、ともに参加するという以上の意味があり、人々はお互いに戦うのではなく、「ともに」戦っている。つまり誰もが勝者なのである。
対話とは あとがき
対話とは、共通理解を探す出す行為
デザイン
分からない言葉は人々のリソースになり得ない。
自分が言おうとしたことと、口から出たことの違い
思考の言葉から話し言葉へ
口から出たことと、相手が聞いたことの違い
話し言葉から話し言葉の理解へ
相手が聞いたことと、相手が理解したことの違い
話し言葉と、思考の言葉へ
理解の確認が重要なのは、いたるところで誤解が生じるから
辞書的言葉と、意味的言葉の混同
対話ではないもの
交渉
取引
勝敗のある議論
対話の条件
対等な関係
ところが日本は階級社会
支援する人、支援されるという上下関係ができてしまう
1on1on1による簡易リフレクティング・プロセス
愚痴とは、話の中身よりも、相手の気分が晴れることに気が向いている。話はないがしろにされている。
デザインにしても対話にしても
それが行為を示すのであれば、しっかりと○○できたと実感できる定義が必要だ。
確かめに基準が必要。上達にも評価基準が不可欠。