観察
観察とは現実世界で起きている出来事のあるがままを注意深く捉える知的活動
観察のシグナル
観察して事実情報を集めるとき、面白すぎたら意見が入っているかもしれない。
人目を引くために面白くしてはならない。
複数人で観察するときの注意点
観察はうまいことをいう競争ではない
面白さで評価してしまいがち。受ける話をしがち
たどたどしい話、自分からするとつまらないかもと思う話が重要
観察チート
ドラクエ
ダメージが分かる
ステータスが一種で分かる
ルカニといった状態以上の魔法の効く効かないが分かる
「ルカニを唱えた」で終わらず「守備力を○○値、下げた」まで分かる
デッサンは観察の練習
ヘタなのは見ていないから。想像して書いているから
https://gyazo.com/ff9b4ea927f8c77f1d59a3937661afab
トウモロコシの一粒一粒を書き分ける
新聞紙をそのまま描く
難易度
https://gyazo.com/1b37216fdf3db34d3fc8233e948930a1
https://gyazo.com/cdc13dd836753560e99b2d076290a117
https://gyazo.com/f0822b2b747a5c5245afdf67458bb4fe
新聞の束
https://gyazo.com/b218b5da1c8a32b5b8f06cca77a92c0b
ワークショップ
専門家によるリバースエンジニアリング
ガンプラ
ほどよい難易度の観察のワークショップはどうしたもんかなと考えてる。
「素組みのガンプラは安っぽく見える。それはどのようなメカニズムによってか?」
「その観察から推測した仮説を元にして、簡単な解決策を提示してみよう」
メカニズムの特定と印象の関係を明らかにし、その関係の理解を用いて簡単な解決策を考える…。難しすぎかな…。
画像は典型的な「安っぽさ」が現れている実例。
https://gyazo.com/74629c5c31c9f8d80052bcde32c14b73
マンガ観察
1コマ1コマが印象に与えるメカニズムを推測する
作者の意図とは別にすること
あくまで自分が得た印象の原因を探る
1コマ1コマの作者の意図を考える
漫画家はなんとなく直感で書いたようなところも明らかにして、もし漫画家がきいたら「そういうことかも!!」となるような
絵を書く
何かを題材にしてかく
絵のうまさではなく、要素が配置されているか
マザーボードとか、炊飯器、洗濯機とか
自分のしっているところが大きくなる傾向がある
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観察
パイドロスは怒りを隠せず、「しっかり 観察 しないからだ!」と怒鳴った。
事実はその一つ一つに無限の仮説を含んでいる。見れば見るほど、それだけいっそうよく見えてくる。彼女は実際何も観察していなかったのだ。なのになぜかそれすらも分かっていなかった。
翌週複雑な表情で授業に出て来た彼女は、モンタナ州ボーズマンの大通りに建つオペラ・ハウスの正面玄関に関する五百ワードのエッセイを提出した。「オペラ・ハウスの向かいにあるハンバーガースタンドに坐って書いたんです」と言って、彼女は言葉を継いだ。「一枚目の煉瓦から書き始めて、二枚目、三枚目と書いていったら調子に乗り始めて、もう止められなくなったんです。みんなにおかしいと思われて、からかわれたけど、やっとできたんです。自分でもよく分からないんですが」
パイドロスにも分からなかった。しかしその後、街の通りを長い間歩きながら考えてみて、教師として初めて教壇に立ったときに呆然として何も話せなかった自分と同じ壁にぶつかってしまったことが分かった。彼女はすでに聞きかじって知っていることをエッセイにそのまま書き表わそうとしたのだ。だがそれが障害となって逆に何も書けなかった。ちょうど彼が前もって初日に話そうと心に決めていたことをその場で繰り返そうとしたように。
書くべきことが何ひとつ思いつかなかったのは、かつて聞いたことで繰り返すに足ることはまったくなかったからである。不思議なことかもしれないが、初めから前に聞いたことにとらわれなくても、自分で新たな視点が開けてくるということに、彼女は気づかなかったのだ。>一枚の煉瓦に焦点を絞ったことによってその壁が崩れたのは、はからずもそれによって自己本来の見方を迫られたからにほかならなかった。その後パイドロスはある試みを行なった。あるクラスの授業で、学生全員に丸々一時間を費やして自分の親指の甲について書かせた。最初はどの学生も妙な顔で見ていたが、「何も書くことがない」と文句を言う者は誰一人なく、みなそれぞれにペンを走らせた。
もう一つのクラスではテーマを親指から硬貨に変えた。ここでも不平を言う者は誰一人なく、全員が時間内に書き上げた。ほかのクラスでも試してみたが、結果はやはり同じであった。なかには「両面に書いてもいいですか?」と訊く者までいた。いったん自分本来の目で物を見るこつを把握してしまえば、その表現には限りがない。パイドロスの試みを通して学生たちはこのことを知ったのである。それは学生に自信を持たせるのにいい課題であった。というのは、学生が書いたものは、たとえそれが一見つまらないものであっても、まぎれもなく自分自身で書いたものであり、他人をまねたものではないからである。
模倣は絶対悪であって、それは真の修辞学を教える前に断ち切ってしまわなければならないという結論を下した。模倣といっても、ここで言う模倣は外部からの強制によって身についたもので、いわゆる小学校に入る前の子供にはなかったものである。おそらくその後の学校教育の結果生じたものだ。
パイドロスはそうに違いないと思った。考えれば考えるほど正しいように思えた。学校では模倣を教える。教師が望むとおりに模倣しなければ、評価は悪くなる。もちろん大学ではもっと巧みなやり方が要求される。模倣していると悟られないように模倣すること、そしてなおかつ教師の根本的指導に従い、そのうえで自分自身の道を切り開いていくことが必要なのである。そうすれば評価はAである。これに反してあまりにも個性が強すぎたりすれば、AどころかFにだってなりかねない。制度とは名ばかりでとても信頼できる評価の仕方ではなかった。
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《ストロークの長さは視野の広さ✏️》木を描けなかった頃の自分は単純に木を見てなかった。「描けないものは大抵見てないだけ」
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