「ムーンシャイン」
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『日本SFの臨界点〔恋愛篇〕』、『年刊SF傑作選 超弦領域』収録
前年に発表された作品から選ぶ傑作選に書き下ろしで収録された異色作。
円城塔の作品の中では一二を争うド直球のSF。
元も子もないことを言ってしまえば、本作は非常にわかりやすい作品。あからさまに元ネタが見えるし、学部レベルの標準的な物理学の知識とある程度の慎重さがあれば解読可能。
今見ると、これポジショントークじゃない?
まあ使ってる数学自体は簡単なんだが、読み解くのは相当難しいと思う
全体的に仕掛けは少なく、かなり理解しやすい。
さすが、初期作品なだけはある。
題名は、有限散在型単純群で最大の位数をもつ群(モンスター群)の既約表現と、j-不変量のフーリエ展開の係数の間に(よくわからんけど)なんらかの関係があるっぽい、ということに言及した仮説、ムーンシャイン予想(1978、ジョン・マッカイ)に由来する。
一般に、無限よりも有限の値の方がタチがいいのだが、時に無限よりもタチの悪い有限というものがある。 それこそ、対称性がこれにあたる。位数が小さな有限の値であるならいいが、馬鹿でかい有限の値をとる場合は無限より制限がある分非常に面倒。群の分類が事実上不可能になる。
ムーンシャインなどという名前がついているあたり、非常に馬鹿げたものとして受け止められたようだ。
moonshine: (1)密造酒 (2)馬鹿話、法螺話
ただ、馬鹿げた発想が真理であることもままある。
ビッグバンとかね
ムーンシャイン予想は肯定的に証明され、モンスター群を対称性としてもつ場の理論なんかが構築されているらしい。
何が何だかわからないが、なんか量子重力にも関係があるらしい。
共感覚とムーンシャインはどのように接続するのか、また少女の超常的数学力はいかにして得られるか
共感覚はある感覚を入力にとり、それを他の感覚に出力する構造として考えることができる。これは集合と写像に相当し、代数構造を成す。そして、共感覚を記述するなんらかの群や圏が存在し、それが一種のニューラルネットワークになっている、あるいは未知の数学的関係によって共感覚が直接数学力にリンクしている、というのがひとつの考え方。
数に関するなんらかの多重共感覚をもつ少女が存在し(確定)、共感覚を表すネットワークは十分複雑であり(確定)、その代数構造はモンスター群で記述されている(類推)。十分複雑な構造はチューリング完全である(厳密には断言出来ないが作中では確定事項。ウルフラムのテーゼ)。ゆえに、少女はUTMである(確定)。17や19は少女の上を走るUTMであり(確定)、現実世界とのインターフェイスでもある(確定)。 モンスターで記述できる、というところで一旦数学的には停止していて、そこから一歩踏み出す結末は物理学的な発想。
2種類の自然言語(日常語、理系学術語)、プログラミング言語による共参照 人類は、古来より目に見える世界を具体的に記述し、科学を発展させてきた。しかしこの方法で完全な記述を得ることが困難であると判明したのがいわゆる“科学の危機”。量子力学と相対論に基づいて考えれば、われわれの古典的な直感はあくまで古典的極限においてのみ適用可能であり、真の自然はわれわれの直感に反する。この直感を排除するために、自然科学は数学という抽象的論理を用いる手法をさらに発展させた。 しかしながら、人間の処理能力をはるかに上回る巨大数を扱う分野(ここでは特に有限群論)では、共感覚による直感的把握が必要かもしれない。
この時点で、本作に登場する少女は、われわれの理解可能な数学的抽象空間を超越している。それにもかかわらず、少女は数に関する直感的理解を捨て去り、まったく未知の数学的構造に足を踏み入れる。
原理的にギリギリ理解可能な範囲から一歩踏み出す様を、原理的に記述不可能な世界を選び取るというプロットを用いて描くことで、理解不能ながら清涼な読後感を生み出している。
Gödel を引き合いに出すのはまずい。
Gödel なのかもしれないけれど、自分が理解出来ていない概念を持ち出して論ずることはしたくない。もしGödel をもちだすのが許されていたとしても、正しい解説であるならば結局は等価な表現になっているはず。
【追記】(不完全性定理と数理論理学を勉強してきた上で)本作は別に Gödel じゃない。不完全性定理については一切出てこないし、そもそも本題はそこではない。不完全性定理によって原理的に問えない部分じゃない範疇で、人間が持つ生物学的特性によって既に理解を狭められてしまっている数学や物理があるかもしれず、それを飛び越えていったのが少女。本作において、不完全性定理が出てくる余地は一切ない。それ以前の問題。
抽象はあらゆる具体の上に立つ。しかし、本作ではその具体の上に立つ抽象を、さらに具体によって越えようとする。
71「千九百十一という数について〜」
タクシー数の紹介の直後に1911はバーンサイド予想が提唱された年が1911年であり,コルト・ガバメント1911が印象的に登場したりと,1911について何も知らないという割に饒舌に語る.これは,本作の語り手の一人である“僕”が数学的な能力に優れていることを示唆しているか.数について具体的に知っていることが(現実における)数学の能力に秀でていることには直結しないが,小説内の描写であることを考慮すれば,妥当であると認めてもいいだろう.
なお,“少女”は十分強大な数学的能力を有するため,1911よりも遥かに大きなモンスター群の位数について具体的に知っていることが後々示唆される.モンスター群の位数は1911より遥かに大きいため,“少女”の数学的能力もまた“僕”より遥かに大きいことが示唆される.
同「千七百二十九とかであれば話は別で,〜」
証明など公理的な手続きに従わず、直感によって数学的主張を行なった異端の数学者
結果として合ってるからいいが、間違ってたらただの狂人
まあ、一応正規の高等教育を部分的には受けており、正規の数学者に師事してもいるし、完全な邪道数学者というわけではない
本文にある通り,1729は$ 1729 = 12^3 +1^3 = 10^3 + 9^3と2つの異なる正の立方数の対の和で2通り書けるような自然数の中で最小である.
72「バーンサイド予想」
これも文中の通り
Abel群でない有限単純群の位数は偶数である
非可換有限単純群の位数は偶数である
ファイトとトンプソンにより拡張され,ファイト-トンプソンの定理として証明を与えられる
同「ファイト-トンプソンの定理」
すべての奇数位数の有限群は可解である,という群論の定理
その主張は極めて明解だが,証明が極めて困難なことで知られる
同「大多数の人々にとってそんなことは暮らしに活かしようのないこと〜」
事実ではあるが,本作を精読するにあたっては,大多数でない人について考えなければならない.
具体的にいうと,私は暮らしに活かせる人だった.有限群の一つ,モンストラスムーンシャインを対称性にもつ量子重力理論を構築する試みがあり,標準模型を超える新物理を専門とする私にとっては身近な存在だった
他にも,超弦理論の一部に関係があるのではないかとされるマシュームーンシャインというものもあり,未完成のままである超弦理論への数学側からのアプローチとなっている
とはいえ,あまりに複雑であり,学生時代に手を出す余裕はなかった
異常に強大な数学力をもつ人間が登場する本作において,ここで思考停止してはならない
同「現在の僕の手の中には,何故か千九百十一がある.」
コルト・ガバメント1911のことだが,後々“少女”が数を実体として扱えている描写と対になる
同「マシュー群」
散在型単純群であるような有限群のうち,マシューによって最初に発見されたより簡単な5つの群のこと.
モンストラスムーンシャインも有限群かつ散在型単純群なので,マシュー群にごく近い仲間であるのだが,あまりにも複雑であるという点において一線を画している感がある
73「群の定義」
作中の記述がそのまま正しい.群は対称性を司り、対称性を重んじる物理学で非常によく多用される。しかし,記法が書かれていないので,実用上は不十分である.
保存則・保存量は対称性に起因し、対称性は必ず群論で記述出来る。
実際の具体的な数学的記法は小説には不要であるとの判断のもと,意図して書かれなかったものと思われる
そもそも,本作は,一見主題のように見えるムーンシャインも語の雰囲気だけを間借りしているだけという,本来数理的概念の本質を深く理解した上で相当程度数理的に正しい法螺を吹く円城塔作品において極めて特異な作品なので,このことからも,群の定義をあえて書かなかったことが読み取れる(ムーンシャインの使い方が適当なので,数学を導入する必要はないし,導入しないことで暗に示唆している)
同「バーリン」
同「死んでしまうとは情けない」「ああ、窓に、窓に。」
前者はドラクエ、後者はクトゥルフ。
17と19の双子
これらは双子素数であり、モンスター群の位数の素因数でもある。
74「歩いているうちに井戸に落ち込む間抜け野郎」
「空から降ってきた亀に〜」
古代ギリシアの悲劇詩人、アイスキュロスの死因とされるもの。
プリニウス『博物誌』などで言及され広まったもの
同「テュルプ博士の解剖学講義」
レンブラントの絵画の題名。
同「僕はどちらかといえば〜」
“僕”がいわゆる一般的な読者に近いことをも示唆している
76「ファイト-トンプソンの定理の証明」
事実.
ちなみに,この証明が発表された当初,正しそうではあるが飛躍が多く含まれていることもまた認識されていたものの,あまりにも煩雑で人間による証明過程の精査ができなかった.のちに定理証明支援系の一つ,Coqを用いて千ページを超える長大かつ精密な証明が提出され,仕事は完遂された 同「証明ギャップ」
数学用語.現代数学は十分難解なので,プロの数学者であっても証明の過程で理解できない操作に出くわすことがあり,これを証明の飛躍とか,ギャップという.
これを回避する方法が定理証明支援系の活用である.機械支援を得て,照明を一段ずつ分解し,間隙を埋めていく.
78「無慈悲な夜の女王」
特に意味はなく,適当な引用だと思われる
同「なあ,やっぱりモジュラス側からムーンシャイン経由で」
ムーンシャイン理論から耳障りのいい単語を適当に散りばめたものと思われる
79「正確には,〜」
モンストラスムーンシャインの位数に一致する.ここに書かれていることは数学的真理である.
同「もう,地球を構成する全ての原子の数よりも多い塔.」
確かめられる.地球が全て水素からなると仮定してよいだろう.何故なら,MMの位数の方が十分大きいので
(あとで上記の計算をすること)
同「それでも私は,塔の数を正確に把握している.」
語り手である“少女”の数学的能力が異常に強力であること,またその数学的能力は直感的な把握能力であることを明示している.
同「聞こえるように。〜」
共感覚でもあるだろうが,より直接的に,数を感得できる“数覚”というべき感覚があるということだろう
同「剣によって薙ぎ払われた草原は〜」
記紀にある日本武尊の逸話
80「十七と十九,双子の兄弟と〜」
17と19はともに素数であり,双子素数である.
モンストラスムーンシャインの位数の素因数でもある
つまり,モンストラスムーンシャインに比定出来る“少女”の構成要素である
80「私が見ていない間も月はある.私が見ていない間も,月は私を見つめている.」
彼は突然立ち止まって私にふり向き,月は君が見ているときにしか存在しないと本当に信じているかね,と尋ねた.
81「いかなる細部を記そうとも.細部はまた別の細部と繋がった緊密な網目を形成しており,〜」
82「こうして見,触れることができるものに対して.」
直感的理解ができる”少女”からすれば,まあ当然の反応といったところか.
83「異国の言葉」
この異国の言語こそ、われわれが日常で用いている自然言語(学術語ではなく、特に日常言語)である。 ここでは、双子は要するに「”数覚”を捨てて、通常の五感と通常の数学的能力程度しか可能でない認知機能が標準的に持つような一般的な日常言語を身に付けよ」と言っている。
さもなくば、われわれのいるこの一般的な世界に戻れなくなるぞ、とも。
84「これ以上多くを望みたくなってしまったら,〜」
ラストシーンの示唆.
85「偽アポロストス・ドキアディス「全異端論駁」」
「全異端論駁」は対立教皇ヒッポリュトスの著作『全異端反駁』が元ネタか。キリスト教的グノーシス主義を論難した書。
同「ペトロス・パパクリストス」
もちろん、上記のペトロス伯父に由来する
同「奇妙な石蹴り遊び」
86「ロンディニウムのダニエル」
タメットはロンドン出身,ロンドンの古名がロンディニウム
タメットは数字と視覚の共感覚を持つ
87「無理数の存在を認めていなかった」
ピュタゴラスは偉大な数学者だが,数学カルトの教祖としての側面ももつ
88「驚異的記憶能力」
同「シモニデスの編み出した記憶の技」
建築物の配置と記憶したい事項を結びつけ、思い出したい時は記憶の中の街を歩いて建物に結びつけられた事項を引き出す。古代ギリシアの詩人,シモニデスのエピソードに由来
90「怪物的戯言」
既に登場しているが,モンストラスムーンシャインのこと
文中ではモンスタラスムーンシャインと表記されているが,発音表記のブレの範疇であり同義である
91「数を数の持つ性質として直感できる人間」
直後に説明があるが,サヴァンのことである
92「サヴァン・コンピューティング」
強力な計算能力を持つサヴァン症候群の脳を並列接続し,生体コンピュータとして利用するというSFガジェット その悍ましさがSFガジェットとしての魅力に寄与する部分もあるが,現実の社会を考えると,場合によってはギャグやSF的放言ではなく,ガチ発言に取られかねない危うさがある
SFをそのまま社会実装しようという妄言が大手を振っている現状において,振る舞いを考えるべきかもしれない
SFが社会に与える影響は,たった今始まったものではない.前世紀後半から既に,人民寺院やブランチ・ダヴィディアン,オウム真理教などのカルト宗教に都合よく用いられた過去があり,宇宙開発などの生の側面と共に,これらの負の側面も引き受けなければならないという指摘があった(20世紀SFの中村融の巻末解説など)
同「現代の暗号理論の基礎部分は、〜」
94「白と黒の斑点が〜」
イギリスの心理学者,リチャード・L・グレゴリーによる認知心理学の有名な教科書『脳と視覚』に掲載された,ゲシュタルト心理学における実験のこと.
94-95「5と2」
おそらく元ネタは2で2って書いてある素数
あとはネイヴォンテスト(Navon test)
SでTって書いてある図形を見せた時、定型発達者はTと答えるのに対し、ASD者はSと答えやすいことが知られている
96「非能力者が圧倒的に遅れをとる〜」
97「多重共感覚者」
99「君は誰だ」「十七」
”少女“の強大な計算能力の上を走る十七という計算機である
同「ユニバーサル・チューリング・マシン」
日本語では万能チューリングマシンとも。任意のチューリングマシンを再現できるチューリングマシンのこと
同「チューリング完全」
計算可能な計算全てを計算可能であるような計算機であること。つまり、普通の計算機。
100「平常の人間の認知過程が多重に暴走している〜」
101「孤立して虚空に浮かぶ巨大な万華鏡」
円城塔作品に頻出するモチーフ
他から切り離され、独立して存在するもの
同「群論と,コンピュータの間に直感的な関連なんて〜」
十分複雑ならチューリング完全である
102「不動点とか安定性とか,〜」
複雑な系を探索する手掛かりとなる数理的な概念
102-103「彼女の把握する十七に関する記述の束が、〜」
双子素数
ブロス素数
フェルマー素数
整数への分割の仕方
ジェノッチ数
多分ジェノッキ数のこと.こっちの方が一般的な表記らしい.数セミ57(7)に関真一朗による,ジェノッキ素数が17しか存在しないことの証明がある
壁紙群
同じパターンで平面全部を敷き詰められるような図形を司る群.17個だけ存在することが知られている.
結晶学で使われるので,キッテル固体物理を確認したが(キッテルは立体形状を扱うので)記述がなかった.普通の結晶学の教科書か,結晶学の数学の教科書にあたるべき
103「中国語の辞書を与えられ〜」
103-104「どういうなりゆきなのかは知らないが、〜」
ここの記述は少女争奪競争の顛末
この小説のここまでの内容はここに書いてあるとおり
105「誰かにとって黒い2は、〜」
106「セントラル・コンピュータ」
要確認
一般名詞すぎて検索不能
107「そっちに行くんだ」
これの意味はわかる
同「これは手じゃないわけじゃない」
六本指の手についての言だが、どういう意味なのか不明瞭
109「一つ一つの数字が、計算機としての性質を持ち,相互に作用する網目。〜」
共感覚のネットワーク,複雑なものはすべて計算機である 同「頂点作用素代数」
Vertex Operator Algebra
なんかよくわからんが、ムーンシャイン予想を証明するときはこの手法を使ったらしい。
110「計算機をいくら積み重ねてみても、ただの計算機でしかない」
これこそUTM
計算機を積層したところで,計算不能な計算を計算可能な計算に変えることはできない
同「計算機ではありえない」
”少女“は計算機ではない
ここまで、少女の能力を数学的能力・計算能力といってきたが、正確な表現ではない
本質的には,計算機による能力とはまったく異なるという説明が随所でなされている
少女の持つ能力は,すべての数を平等に負荷を少なく扱えるような,原理不明の生得的能力である
335頁~ 塔の破壊
(e) 塔のひとつを除くことによってチェスをより豊かなものにする可能性についての技術的考察。メナールはこの改良を提案し、推奨し、議論し、そして最後にしりぞける。
文字通り、塔を破壊しているとだけ読むだけでいいかもしれない
円城塔による答え合わせ。
Conway's Prime Producing Machine はとてもじゃないけど手に負えない。ここから先にもう一段階読む余地があるかもしれない。
ちょっとだけだが理解出来た。再挑戦を試みる。
謎の数列に見えるが、これはれっきとしたプログラム。
入力、ラベル、内部演算、出力、そしてそもそもの言語自体などすべてが自然数・分数で記述されるのが難解さの原因。適当に分子分母が互いに素な分数を列挙しても機能しない。つまりプログラム。
訂正、『数の本』には記述がないみたい by 円城塔
実際に読んでみたところ、確かに記述がなかった
一種のレジスターマシンとして機能する
FractranをPythonで実装しました(事後報告)
配布予定は特にないです
そもそも実装は簡単だしね
この読解をしていた2020年から4年経って,日本語文献がネットで気楽に読めるようになっていい時代になったものだと…
作って配布しました
このまま素朴に回すとメモリオーバーフローで死ぬので注意すること
素数は無数に存在するので,素数を求める計算は(多項式時間ないでは)当然停止しない
Conway's Prime Prducing Machine (FRACTRAN) についてのメモ
入力内容によっては無限ループする。(入れてはならない入力が存在する)
ごく単純な仕掛けだが、メモリは事実上可算無限
それぞれの素因数の冪指数で管理している(=冪指数は整数で表され、整数は可算無限なのでメモリは可算無限)
高々14個の分数で制御出来るのはこのため
なので、多分すべての素数を求めることが理論的には可能だが、実際に計算機として実装することはできないだろう(計算量が爆発的に増大するため)
実際、このPrimegameはレジスターマシンの一種である
難しそうに見えるけどやってること自体は難しくない。ただ単に順繰りにかけていって、ある条件で停止させるだけ。
実際に順番にかけて行った時の挙動を計算すると構造がよく見えるようになる。
ただし、これを自分で作れるかというのは別問題。なぜこんな複雑な構造を思いつけたのか理解出来ない。
このPrimegameと入力を含めた大きな系に対して、それぞれの素因数の組みをそのまま入れ替えてやる操作を行なっても同じように動く。
エラトステネスの篩の方がはるかに使い勝手がいいと思う。
少女は有限群論的世界にいる(299頁)
共感覚に基づく言語である一般の自然言語は少女に馴染まない(電磁気力と弱い相互作用が混交していて本質的に不可分であるように)
魔法陣は代数学における核(Kernel)のようなもの?
違うな、多分魔法陣は固有ベクトルとかそんなやつで、17は固有値
おお、おお、真のテーマは生命。生命現象は必ず物理法則によって記述され、物理法則が数学的構造を用いて記述される。数学を、数を知ることは、生命を知ることにほかならない。
これは用例調査に近いが,いい資料である
イーガン的アクロバットを利用した論理構造
イーガン的アクロバット:AならばB、BならばC、CならばDという論理構造が仮定される時、実際にDが観測されればAからCも実在するという類のやつ。『万物理論』『ディアスポラ』あたりに顕著。 数という数学的構造が存在する場合、生命が見えなくなる(335頁)
数の存在するこの宇宙から、数が誕生する以前の新しい宇宙へと移動し、温度が低下して宇宙が相転移するときに私と数のどちらが生き残るのか、というのが最後のシーンの数学的・物理学的意味。もし首尾よく私のみが生き残って数が存在出来ない宇宙になれば、数をもたない数学的構造に依拠した生命を見ることが出来るかもしれない。
本作におけるムーンシャイン理論が,言葉だけを借りてきたものであることは,単行本のあとがきで書かれている.
この問題観はまだしっくりこない
レベルを下げて,相対論とか量子論とかで言葉の表面だけで浅い物語を書かれたら確かに自分の不快なラインに踏み込まれた,という感じがするが,ムーンシャイン理論までいけばいいのではないか
と書いたところで,やはりまずい気がしてきた.ムーンシャイン理論を正しく我がこととして扱える人間がいることを忘れて,ムーンシャイン理論だから適当に使っていいでしょ,とはならない
AdS/CFT対応とか,ホログラフィック原理とか,そういうのを都合よく扱った作品を読まされて,怒りを越して脱力したことを思い出した
それでもやはり考えすぎなような気もするが,物語に登場させる全ての物事に,それくらいの神経を張り詰めさせなければならないのかもしれない
苦しいね
とはいえ,この作品の美しさは毀損されないと考える
確かに,ムーンシャイン理論は結局あまり活用されていないのだよな
思わぬ物事同士が思わぬ関係性によって結ばれている,という事例としてムーンシャイン理論が例示されており,ムーンシャイン理論の中身を利用しているわけではない
ただ,ムーンシャインという言葉でなければ,ラストシーンのイメージは出ないものだと思う
語感だけの物語進行であるという自己批判はその通りだと思えてきた.しかし,円城塔らしくない,論理ではない,語感とそこから連想されるヴィジョンで押し切る様が,破綻として美しく映る
また,”数学の天才”表象として,自閉症やサヴァン症候群が使われてしまっていることは,確かに「若気の至り」であろう 数学者や物理学者は変わり者というのが世間からの評価として実在するのはそうなのだが,数学者も物理学者も同じ社会を構成する者であり,分かり合えない変わり者,少数の異常者であるとするのは違うだろう.
精神科医ハンス・アスペルガーによる”有能”かどうかを基準とした精神障害者の選別の延長であることを否定できない 物語を作る上で,キャラの役割として数学者と物理学者は変わり者である,と設定するのは楽なのだが,「数学や物理を生業とする人間が少数ながらも実在することを自覚せよ」と主張する円城塔が,しかも数理系の研究者であった立場でこれを行うというのは,考慮不足だったかもしれない.
私自身,物理をやっていた人間であり,物理・数学の文化にどっぷり浸かっていた人間なので,この辺りの態度には慎重にならなければならない.
数学的・物理学的に結構面倒な「文字渦」のコンメンタールがそこそこの分量程度で済んだんだからウルフラムの提唱でゴリ押す「ムーンシャイン」も同じようになんとかなるだろ,と思ったが完全に失敗だった
初期作品の方が遥かに数理的に濃度が高くて任意の描写にコメントつけなければならず作業量が尋常ではない
その代わり,初期円城塔と現在の円城塔の振る舞いの差は身に染みて理解できたので収穫もまた大きい
物理に円城塔の態度が見えるのではなく,円城塔の態度が物理の態度に一致しているので,円城塔が遍在しているように見えるのだろう
集合の上の自然数がペアノの公理,型なしラムダ計算の上の自然数がチャーチ数 つまり,数がなくても,他の数学的構造から数を構成することができる
魔方陣について,朝日新聞のインタビュー
題名はロートレアモンの詩にある,解剖台,ミシン,蝙蝠傘の偶然の出会いに由来する
109「既知宇宙最大の複雑さの果ての向こう側」
巨大基数であるとする解釈は有力である
巨大基数の存在はZFC公理系からは証明不可能,しかし少女はその能力によって巨大基数を直接把握している,つまり既知の体系であるZFC公理系にそもそもいないことがわかる
一方,これをグロタンディーク宇宙であるとする解釈もある
グロタンディーク宇宙とは,平たくいうと,通常の集合論で使い得る数学的対象全てから成る“集合”である
グロタンディーク宇宙を用意すれば,その中で通常の数学全てが構成できるので,なんの問題もない
もっと簡潔にいうと,通常の数学一式を全部まとめたお徳用環境パックがグロタンディーク宇宙
グロタンディーク宇宙には階層があり,最も小さな自明なグロタンディーク宇宙は$ \{ \varnothing \}である
次に小さなグロタンディーク宇宙はすべての遺伝的有限集合$ V_\omegaであり,このグロタンディーク宇宙で通常の数学はすべて表現可能
遺伝的有限集合とは,以下の条件を満たす(有限)集合である
空集合は遺伝的有限集合である
遺伝的有限集合の冪集合は遺伝的冪集合である
グロタンディーク宇宙とは,以下の条件を満たす“集合”である(公理集合論を採用するため.これは集合ではない)
1. $ x \in U, y \in x \to y \in U
2. $ x, y \in U \to \{ x, y \} \in U
3. $ x \in U \to P(x) \in U
4. $ \{ x_\alpha \}_{\alpha \in I}がUの元の族でI \in U \to \bigcup_{\alpha \in I} x_\alpha \in U
強到達不能基数の存在公理と,グロタンディーク宇宙の存在公理は同値である
グロタンディーク宇宙は,歴史的には圏論における歴史的経緯によって登場することが多い
参考になりそうなもの
A short introduction to Monstrous Moonshine
Monstrous moonshine: the first twenty-five years
調査用文献
社会科領域における誤ルール形成の実例が多く載っている
これ、俺が実際に教育心理学の講義でハメられた質問がそのまま載っている
標準的な教科書、天才についての話題もある
絵画的サヴァンが言語を獲得したら絵画能力を失った事例が書いてある
誤った学習の修正のための方策を多数挙げている本
主に理科教育を中心に論じた本
理科教育法で聞いた話が大概ここにある
必要なし
面白い本だと思うが求めているものではない
専門がやや違う人であり、歴史上の天才に発達障害的傾向を見出すアスペルガー的選別をしており不適
いい本だが、噛み砕かれた本なので今回の研究の参考文献としては不適
悪くないが、この新書ではなく金子書房のやつの方でいい