『ムーンシャイン』
何がそこに書かれているのか,虚心坦懐に受け取り,グッと睨んで本質を得ることが重要
難しいと言って,取り組めば理解できることを投げ出さないこと
取り組んだ先の最終的な応答が”わからない,難しい”になると思うが,分からなさの線引きはより高度になっているはず
そもそも,小説を読むこと自体,分からないことなのだ
伝えたいことを正しく記述できる保証はなく,記述されていることを正しく解釈できる保証はない
そんな砂上の楼閣を何個も積み重ねる行為が,読書という行為なのである
しかも,円城塔作品は作品の内容自体が,原理的に語り得ないことを語る,という主題を扱っている
「ムーンシャイン」は,人智を超えた少女が,その超常的な知性を捨て,より高いステージへ一歩踏み出す様を,比較的読み手に近い立場の少年の視点を通じて描く
「パリンプセスト」は,そこに置かれた“全て”が書き込まれた◼️からある物語を読み出す話
小説はそこにあるのだが,誰かに読まれるまではないも同然であり,読まれて初めて小説として振る舞う
SREなどで見せた,系の外部に影響を与えないような系は,いくらでもその存在を許される,という事実に基づく
存在を許されるが,物理学的にナンセンスである
宮廷道化師が王に皮肉を言っても許されるのに似ているかも
スターリングは,SFを宮廷道化師で例えた
読者-テクスト間の相互作用としての読書体験,またテクストの上を走る小説-肉体の上を走る意識の相互作用としての読書体験を暗に提案し,またテクスト-肉体からなるアーベル群の上を走る“計算”としての読書体験を示唆する
「ローラのオリジナル」は,そこに“在らしめられてしまった”ものの来歴や祖先について思いを馳せる
「考速」で明示された,目の前にある現象の数理モデルを構築し,数理モデルが自然現象を適切に説明することを示すことによって,自然現象を定式化しようとする試みとしての物理学が象徴的に示されている
少ない要素から徐々に要素を増やし,全体を記述しようという試みが,実に円城塔らしい
「遍歴」は,統計力学の黎明期にその指導原理であると信じられていたエルゴード仮説というものを直接題材にとった作品
十分長い時間が経過した系において,その系の時間平均と,位相平均が一致する,という仮定をエルゴード仮説という
エルゴード仮説から発展した数学,エルゴード理論は,時間的無限遠で全ての状態が再現されることを主張する
ロシア宇宙主義への影響が指摘されている
扱う題材自体はあまり変わっていないのだが,文章のパイルの仕方と,最終的に書きたいものが変わった結果,受け取る印象がかなり変わった
何か明確にオチがあるわけではなく,『文字渦』収録作のようなぐるっと回って様々な視点を描写して帰ってくる,みたいな話の類例を感じる
これ,エルゴード仮説の文学的実装か?
のちの『去年,本能寺で』収録作に繋がっている感じがする.明確なオチがないながら,様々な視点を紹介して歩いていくという感じ
明らかに,初期二作に対して,「遍歴」は変化の途中,「ローラのオリジナル」は変性後である
「ムーンシャイン」のラストのように,全てを壊し,それでもまだ残るもの.それを読むのが本書なのではないか?
それを意識してはいなかっただろうが,一つの本になり,関連をつけられることによって,そこに立ち現れてくる物語というものは,あると思う.