「遍歴」
遍歴,と書いてエルゴディックと読む
個人的に,田崎晴明の「統計力学」(通称: 田崎統計)の導入部にある,統計力学の公理をエルゴード性に求めることへの批判の影響を強烈に受けてしまっているせいで,このようなエルゴード性の称揚に対して批判的姿勢をついとってしまいがち 正直,このエルゴード仮説を好かないタチなので,他に比べてこの作品の解像度が悪い
生活基準や思想を同じくする者の等質的集団である宗教勢力は,その性質上容易に政治に結びつきやすい
逆に,政治的性質を無視して宗教を論じることは適切でない
しかし,諸事情により,政治に関する言及を禁じられているため,政治に関しては言及出来ず,本作の根幹を成す宗教も私は論じることが出来ない
他人に属することを,我がことのように冷静かつ寛容に受け止めるためには,余裕が必要なのではないか
p.124, l.1「何かを治すことはできるのだが,何かを治し続けることはできない.」
西田啓治の著作に宗教と政治に関する文献はあるが,かなり古い上,その立ち位置を(私にとっては)判断しづらい人なので,依拠するのはやめた方がいいかもしれない
もうちょっと最近の宗教と政治に関する教科書を探した方がいいかもしれない
いっそ,ホッブズ『リヴァイアサン』くらいまで遡るのもいいかもしれない
一向一揆が守護による支配統治を打破し,事実上一向宗が支配者となった事例として,戦国期の加賀が挙げられる
笠原一男『一向一揆の研究』, 山川出版社, 1962
井上鋭夫『一向一揆の研究』, 吉川弘文館, 1968
北西弘『一向一揆の研究』, 春秋社, 1981
ピタゴラスが無理数を発見した弟子を殺害したというエピソードの出どころははっきりしない
文献で確認出来るのは,無理数の発見はピタゴラス学派の者だったこと,その発見者は溺死したことであり,これ自体も数百年下った後の記述なので相当に疑わしい
パップス,無理数の発見はピタゴラス学派の者であると伝える
イアンブリコス,無理数の発見者は学派を追放されたと伝える
イアンブリコス,正十二角体の作図者は海に沈められて殺されたと伝える
イアンブリコス,正十二面体の作図者であるヒッパソスが海で溺死したと伝える
イアンブリコスによる伝聞は相矛盾しているが,少なくともピタゴラス自身が殺害したという説はない
詳細については要確認
テイヤール・ド・シャルダン
ウラジーミル・ヴェルナツキーとともに叡智圏(ノウアスフィア)の概念を構築したカトリック司祭.キリスト教の立場から進化論を論じた『現象としての人間』を発表し,北京原人の発見・研究に携わるなど,司祭でありながら古生物学者・地質学者としての多大な業績がある
ヴェルナツキーについては大妻女子大の電子書籍で何冊か邦訳が出ている
テイヤール・ド・シャルダン研究史
伝記
他者に完全になり切ることができたとき,社会は真にリベラルで寛容な社会になるのではないか
$ 山二 \{ 山一_1(山口_1, 山口_2, 山口_3, \cdots), 山一_2, \cdots \}
p.155. l.1「本質的に散らかった部屋」
エントロピーの世間向けの説明によく使われる
p.155, l.9-10「人間A,B,Cがいた場合,その人生を追体験する順番は,3!=6種類ありうる.」
p.156, l.4「その体験はN!通りありえ,これは明らかにNより大きい.」
Nが十分大きい時,スターリングの公式からlog N!=N log N - Nと近似される
スターリングの公式は,統計力学の計算で頻出する近似
p.158, l.1-2「人類の総人口が〜」
ラストシーン
異なる時空を生きる,ほとんど同質なもの同士が,同じようなことを独白する構成は,明らかにエモを意図的に生成することを狙ったもの
エルゴード仮説とは,位相平均と長時間平均が一致することを主張する.本作は,エルゴード仮説を仮定する宗教の周囲を巡りながら,様々なトピックを語り,長い時間をかけた読書の末に.元のカフェに戻ってきて同じような話をする.位相平均と長時間平均が一致する物語を展開しつつ,その内部で複数の人生を巡り,無限遠方の未来を語り,元の場所に回帰する
そもそも,円城塔の初期作品には,最初に命題を示し,それがいかに正しいかを順序立てて説明し,最後にその命題から導かれる最も驚くべきだが自明な事実を提示する作品が多かった.本作では,最初と最後の結論と場所が全く一致しており,上記の展開とは異なるにもかかわらず,なぜだか感情を動かされるし,成長した気分になる
対象の周囲をぐるっと回ってきただけにもかかわらず,なぜだか成長した気がするし,実際に読者は心を動かされる.周回積分のような気配もする(一周回って集めて元に戻ってきただけなのに,なぜだか手元には数字が残っている)