「エデン逆行」
https://gyazo.com/69c6db14631fcf881d681549d3c333d3
『バナナ剝きには最適の日々』収録
キーワード:相対論、相対論的量子力学、量子力学、フラクタル、時間SF、時間反転対称性
全体のモチーフは樹形図か?
辞典(バイナリの樹形図)も、反粒子(カスケードシャワー)も、家系(家系図)もすべて樹形図的なイメージをもつ
やはり樹形図も自己相似(フラクタル)
螺旋も自己相似
最終的に自己参照の方向に行き着く
作品を読み解くことは素粒子物理学におけるReconstructionに似ている
残された手がかりから元となるアイデアを遡っていく
真理木
タブローの方法
タブローの方法はレイモンド・M・スマリヤンが広めたことで知られる
前半は相対論、後半はホルヘ・ルイス・ボルヘス
舞台となった街は、相対論が極端に見えやすい都市
ジョージ・ガモフ「不思議の国のトムキンス」
「シェルピンスキー=マズルキーウィチ辞典」
シェルピンスキー=マズルキーウィチの定理というものが存在する
https://manabitimes.jp/math/1295
主張は以下の通り。
平面内の部分集合$ Sで、以下の条件を満たすようなものが存在する。
$ Sの分割$ {S_1 , S_2}が存在して、$ S_1を平行移動すると$ Sと一致し、$ S_2を回転すると$ Sと一致する。
この定理は、バナッハ=タルスキの定理を証明する途中、選択公理を導入する直前で止めて、それまでの証明をモジュールとして抜き取ってきたものに等しい
気持ちとしては、バナッハ=タルスキから選択公理を抜いても、なお逆説的で面白い主張があるよ、という感じか
なお、選択公理は無限人の場合の帽子のパズルに繋がる
帽子のパズル:「後藤さんのこと」、「店開き」
シェルピンスキーの弟子がマズルキーウィチ
ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」
シェルピンスキーといえば、シェルピンスキーのギャスケット、シェルピンスキーのカーペット
フラクタル図形(シェルピンスキー図形)
家系がフラクタル
セル・オートマトンとも関わりがある(セル・オートマトンとしてシェルピンスキー図形を生成可能)
セル・オートマトンの用語にエデンの園というものがある
エデンの園:他の様相から生成することの出来ない様相
http://www.f.waseda.jp/moriya/PUBLIC_HTML/education/classes/infomath6/2003/CA.pdf
祖母の記憶を引き継ぐ
過去に戻った自分の先祖が自分自身という、SFではよくあるパラドックス
広瀬正「マイナス・ゼロ」
「烏有此譚」にも同様のアイデアが登場する
「パラダイス行」と対を成すのかも?
パラダイスとエデンで似通っていて、行と逆行で対になる
ジョン・ヴァーリイ「逆行の夏」
ヴァーリイの傑作選『逆行の夏』(復刊の方)の帯文は円城塔(「ヴァーリイを読んだことがない? 失ったものがないのなら、それでいいのだけれど。」)
80年代海外SFの象徴たるヴァーリイを好んでいるのは、年代なんだなと思う(われわれ世代でヴァーリイに親しんでいるSF読みをあまり聞かない)
逆行する時間のなかで家族の秘密を知る、というのは似ているかもしれない
やっぱり「烏有此譚」じゃないか
マーク・ヴォネガット『エデン特急』
マーク・ヴォネガットはカート・ヴォネガットの息子で医師。
『エデン特急』(あるいは『エデン直行』)は、自身が学生時代に受けた精神治療を記したもの。
ヴォネガットだったか。
この作品を理解しようと読み直すたびに、物語はエデンへと逆行する
この作品もまた、自己言及機関である
時間逆行する物語
反物語
相対論的量子力学のディラック方程式から導かれる反粒子
ある意味で、量子力学SFである
エデンの園定理より、時間逆行を許す系なので、エデンの園配置は存在しない(エデンの園は作中世界に存在しない)
エデンの園定理:エデンの園配置をもたないとき、かつそのときにかぎり、そのセル・オートマトンは可逆。
あるいは、エデンの園定理より、初期配置に戻ることは許されず、時間逆行のようだが実は世界はあるアトラクタに閉じ込められていることを示している
実は時間逆行ではなく、似たような状態をぐるぐる回っているだけではないか、ということ。
時間反転対称性をもつ傑作
最後二つの段落の意味
「あなたの手にする〜」
おそらく第一不完全性定理。全てを書き尽くそうとも、そこから溢れる要素が存在する
つまり、読者が構成したシェルピンスキー=マズルキーウィチ辞典には含まれていない要素が存在し、それこそが本作の語り手
「こうしてわたしは〜」
おそらく一階上の論理体系に移ったことを示唆している
元の体系Sに第一不完全性定理を公理として認めたS'と推定される
一階上の論理体系S'であったとしても、そこで再度不完全性定理を構成可能であり、以下同様
かくして、創生の過ち(完全かつ無矛盾な体系を構成出来なかったこと)は繰り返される
エデンの園定理から、初期配置に戻ることは許されない
時間逆行のように見えて、実はアトラクタなのではないか
アトラクタからの脱却には、高階からの観測が必要なのではないか