「ムーンシャイン」
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『日本SFの臨界点〔恋愛篇〕』、『年刊SF傑作選 超弦領域』収録
以下、頁数などは『日本SFの臨界点』の文庫版に依拠する。
前年に発表された作品から選ぶ傑作選に書き下ろしで収録された異色作。
円城塔の作品の中では一二を争うド直球のSF。
元も子もないことを言ってしまえば、本作は非常にわかりやすい作品。あからさまに元ネタが見えるし、学部レベルの標準的な物理学の知識とある程度の慎重さがあれば解読可能。
今見ると、これポジショントークじゃない?
まあ使ってる数学自体は簡単なんだが、読み解くのは相当難しいと思う
全体的に仕掛けは少なく、かなり理解しやすい。
さすが、初期作品なだけはある。
題名は、有限散在型単純群で最大の位数をもつ群(モンスター群)の既約表現と、j-不変量のフーリエ展開の係数の間に(よくわからんけど)なんらかの関係があるっぽい、ということに言及した仮説、ムーンシャイン予想(1978、ジョン・マッカイ)に由来する。
一般に、無限よりも有限の値の方がタチがいいのだが、時に無限よりもタチの悪い有限というものがある。 それこそ、対称性がこれにあたる。位数が小さな有限の値であるならいいが、馬鹿でかい有限の値をとる場合は無限より制限がある分非常に面倒。群の分類が事実上不可能になる。
ムーンシャインなどという名前がついているあたり、非常に馬鹿げたものとして受け止められたようだ。
moonshine: (1)密造酒 (2)馬鹿話、法螺話
ただ、馬鹿げた発想が真理であることもままある。
ビッグバンとかね
ムーンシャイン予想は肯定的に証明され、モンスター群を対称性としてもつ場の理論なんかが構築されているらしい。
何が何だかわからないが、なんか量子重力にも関係があるらしい。
共感覚とムーンシャインはどのように接続するのか、また少女の超常的数学力はいかにして得られるか
共感覚はある感覚を入力にとり、それを他の感覚に出力する構造として考えることができる。これは集合と写像に相当し、代数構造を成す。そして、共感覚を記述するなんらかの群や圏が存在し、それが一種のニューラルネットワークになっている、あるいは未知の数学的関係によって共感覚が直接数学力にリンクしている、というのがひとつの考え方。
数に関するなんらかの多重共感覚をもつ少女が存在し(確定)、共感覚を表すネットワークは十分複雑であり(確定)、その代数構造はモンスター群で記述されている(類推)。十分複雑な構造はチューリング完全である(厳密には断言出来ないが作中では確定事項。ウルフラムのテーゼ)。ゆえに、少女はUTMである(確定)。17や19は少女の上を走るUTMであり(確定)、現実世界とのインターフェイスでもある(確定)。
モンスターで記述できる、というところで一旦数学的には停止していて、そこから一歩踏み出す結末は物理学的な発想。
2種類の自然言語(日常語、理系学術語)、プログラミング言語による共参照 人類は、古来より目に見える世界を具体的に記述し、科学を発展させてきた。しかしこの方法で完全な記述を得ることが困難であると判明したのがいわゆる“科学の危機”。量子力学と相対論に基づいて考えれば、われわれの古典的な直感はあくまで古典的極限においてのみ適用可能であり、真の自然はわれわれの直感に反する。この直感を排除するために、自然科学は数学という抽象的論理を用いる手法をさらに発展させた。 しかしながら、人間の処理能力をはるかに上回る巨大数を扱う分野(ここでは特に有限群論)では、共感覚による直感的把握が必要かもしれない。
この時点で、本作に登場する少女は、われわれの理解可能な数学的抽象空間を超越している。それにもかかわらず、少女は数に関する直感的理解を捨て去り、まったく未知の数学的構造に足を踏み入れる。
原理的にギリギリ理解可能な範囲から一歩踏み出す様を、原理的に記述不可能な世界を選び取るというプロットを用いて描くことで、理解不能ながら清涼な読後感を生み出している。
Gödel を引き合いに出すのはまずい。
Gödel なのかもしれないけれど、自分が理解出来ていない概念を持ち出して論ずることはしたくない。もしGödel をもちだすのが許されていたとしても、正しい解説であるならば結局は等価な表現になっているはず。
【追記】(不完全性定理と数理論理学を勉強してきた上で)本作は別に Gödel じゃない。不完全性定理については一切出てこないし、そもそも本題はそこではない。不完全性定理によって原理的に問えない部分じゃない範疇で、人間が持つ生物学的特性によって既に理解を狭められてしまっている数学や物理があるかもしれず、それを飛び越えていったのが少女。本作において、不完全性定理が出てくる余地は一切ない。それ以前の問題。
抽象はあらゆる具体の上に立つ。しかし、本作ではその具体の上に立つ抽象を、さらに具体によって越えようとする。
インドの魔術師ラマヌジャン
証明など公理的な手続きに従わず、直感によって数学的主張を行なった異端の数学者
結果として合ってるからいいが、間違ってたらただの狂人
まあ、一応正規の高等教育を部分的には受けており、正規の数学者に師事してもいるし、完全な邪道数学者というわけではない
17と19の双子
これらは双子素数であり、モンスター群の位数の素因数でもある。
292頁、群の定義
これはそのまま数学的に正しい群の定義。群は対称性を司り、対称性を重んじる物理学で非常によく多用される。
保存則・保存量は対称性に起因し、対称性は必ず群論で記述出来る。
293頁「死んでしまうとは情けない」「ああ、窓に、窓に。」
前者はドラクエ、後者はクトゥルフ。
294頁「空から降ってきた亀に〜」
古代ギリシアの悲劇詩人、アイスキュロスの死因とされるもの。
同「テュルプ博士の解剖学講義」
レンブラントの絵画の題名。
298頁「無慈悲な夜の女王」
299頁〜「聞こえるように。〜」
304頁「異国の言葉」
この異国の言語こそ、われわれが日常で用いている自然言語(学術語ではなく、特に日常言語)である。 ここでは、双子は要するに「共感覚を捨てて、互いに独立した五感と、それに基づく一般的な日常言語を身に付けよ」と言っている。
さもなくば、われわれのいるこの一般的な世界に戻れなくなるぞ、とも。
306頁「偽アポロストス・ドキアディス「全異端論駁」」
「全異端論駁」は対立教皇ヒッポリュトスの著作『全異端反駁』が元ネタか。キリスト教的グノーシス主義を論難した書。
同「奇妙な石蹴り遊び」
309頁「驚異的記憶能力」
同「シモニデスの編み出した記憶の技」
建築物の配置と記憶したい事項を結びつけ、思い出したい時は記憶の中の街を歩いて建物に結びつけられた事項を引き出す。
315頁〜「5と2」
おそらく元ネタは2で2って書いてある素数
あとはネイヴォンテスト(Navon test)
SでTって書いてある図形を見せた時、定型発達者はTと答えるのに対し、ASD者sはSと答えやすいことが知られている
321頁「ユニバーサル・チューリング・マシン」
日本語では万能チューリングマシンとも。ざっくりいうと、すべての計算を実行可能なオートマトンのこと。
323頁「平常の人間の認知過程が多重に暴走している〜」
325頁「中国語の辞書を与えられ〜」
326頁「どういうなりゆきなのかは知らないが、〜」
328頁「誰かにとって黒い2は、〜」
333頁「頂点作用素代数」
Vertex Operator Algebra
なんかよくわからんが、ムーンシャイン予想を証明するときはこの手法を使ったらしい。
335頁~ 塔の破壊
(e) 塔のひとつを除くことによってチェスをより豊かなものにする可能性についての技術的考察。メナールはこの改良を提案し、推奨し、議論し、そして最後にしりぞける。
文字通り、塔を破壊しているとだけ読むだけでいいかもしれない
円城塔による答え合わせ。
Conway's Prime Producing Machine はとてもじゃないけど手に負えない。ここから先にもう一段階読む余地があるかもしれない。
ちょっとだけだが理解出来た。再挑戦を試みる。
謎の数列に見えるが、これはれっきとしたプログラム。
入力、ラベル、内部演算、出力、そしてそもそもの言語自体などすべてが自然数・分数で記述されるのが難解さの原因。適当に分子分母が互いに素な分数を列挙しても機能しない。つまりプログラム。
訂正、『数の本』には記述がないみたい by 円城塔
実際に読んでみたところ、確かに記述がなかった
一種のレジスターマシンとして機能する
Conway's Prime Prducing Machine (FRACTRAN) についてのメモ
入力内容によっては無限ループする。(入れてはならない入力が存在する)
ごく単純な仕掛けだが、メモリは事実上可算無限
それぞれの素因数の冪指数で管理している(=冪指数は整数で表され、整数は可算無限なのでメモリは可算無限)
高々14個の分数で制御出来るのはこのため
なので、多分すべての素数を求めることが理論的には可能だが、実際に計算機として実装することはできないだろう(計算量が爆発的に増大するため)
実際、このPrimegameはレジスターマシンの一種である
難しそうに見えるけどやってること自体は難しくない。ただ単に順繰りにかけていって、ある条件で停止させるだけ。
実際に順番にかけて行った時の挙動を計算すると構造がよく見えるようになる。
ただし、これを自分で作れるかというのは別問題。なぜこんな複雑な構造を思いつけたのか理解出来ない。
このPrimegameと入力を含めた大きな系に対して、それぞれの素因数の組みをそのまま入れ替えてやる操作を行なっても同じように動く。
エラトステネスの篩の方がはるかに使い勝手がいいと思う。
少女は有限群論的世界にいる(299頁)
共感覚に基づく言語である一般の自然言語は少女に馴染まない(電磁気力と弱い相互作用が混交していて本質的に不可分であるように)
魔法陣は代数学における核(Kernel)のようなもの?
違うな、多分魔法陣は固有ベクトルとかそんなやつで、17は固有値
おお、おお、真のテーマは生命。生命現象は必ず物理法則によって記述され、物理法則が数学的構造を用いて記述される。数学を、数を知ることは、生命を知ることにほかならない。
イーガン的アクロバットを利用した論理構造
イーガン的アクロバット:AならばB、BならばC、CならばDという論理構造が仮定される時、実際にDが観測されればAからCも実在するという類のやつ。『万物理論』『ディアスポラ』あたりに顕著。 数という数学的構造が存在する場合、生命が見えなくなる(335頁)
数の存在するこの宇宙から、数が誕生する以前の新しい宇宙へと移動し、温度が低下して宇宙が相転移するときに私と数のどちらが生き残るのか、というのが最後のシーンの数学的・物理学的意味。もし首尾よく私のみが生き残って数が存在出来ない宇宙になれば、数をもたない数学的構造に依拠した生命を見ることが出来るかもしれない。