平沢進
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timestamp: 2024/11/21
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インタビュー
2008年頃?のインタビュー
Gagizineの記事
2020年
Q:2003年ごろのインタビューで「次のP-MODELでは音楽だけでなくデジタルコンテンツ対応型な形態を取りたい」と仰っていましたがそういう技術や人が新しく見つかったらP-MODELは再結成されるんですか
A:いいえ。それは再結成の必要条件ではなく、ヒラサワ拡張の方向示唆です。
耳コピ
皆様頑張っていらっしゃるようですが、そもそも耳コピーの段階で間違えているケースが多々ございますのと、「外してなんぼ」の一瞬の音をやはり脳内で修正していただき、外れなくなっているケースも発見しました。
それで悪いことは何も無いんです。
ただ、近似値からそっくりを目指すなら注意深くコピーすると良いことあるでしょう。 近似値からそっくりを目指す人々のために、間違えやすい点を次に通達します
多くの場合、一つのフレーズが2オクターブから3オクターブにまたがっていることがあります。
このフレーズがオケに混じると、高いほうの音だけが認識しやすくなり、その他は聞こえないか、別の楽器がやっていると勘違いして、省いてしまいます。
そこを省いてしまうと周囲の音圧がなくなったり、独特のニュアンスが無くなってしまいます。 隠れ音圧や隠れハーモニーなどが無く、出汁を使っていない味噌汁のようになってしまいます。 大変、悪い性格で申し訳ありませんが、普通にフレーズを作り、わざわざフレーズ中の数音のオクターブを激しく飛ばしたりもしますので、耳コピーの場合には「フレーズ」王のではなく「音色」を追いかけるようにすると良いことがあります。 フレーズでなく音色を。
そのように枠組みを変換して追うことが多いステルスの現場で起こり得る事故とは。 もう遥か昔。外の高価なスタジオで10時間もかけて鎮西さんがミックスした曲。試聴の後ステルスは立ち上がって言った。 「スバラシイ!でも曲が違う」
作業方法
8:BKKバンヤンツリーの廊下に香るアロマが好み(アジア風味)9:SCUBAの頃はまるで教科書的な明晰夢を見ました。10:ギター習得については私に訊くべきではない。11:Wヴォーカルはコンプで潰し、EQでハイを上げぎみが吉。曲による。両方正確な音程を目指す。 仮歌を録るのここ数年の基本工程。しかし、仮歌を録らない場合もある。そして早い時は何の抵抗もなくあっさり出来る。例:庭師KINGはスタジオ作業終えてホテルに着き、バスタブにお湯を入れている間に歌詞とメロディーが出来た。まるで失神していたよう。 それにお答えしますが。まず、仮歌を撮る。次にアレンジを修正する。全ての曲をこの工程に乗せる。全体の様子が見えたところで歌詞を書き始める。オバハンの手は借りない。 9)Wヴォーカルのコツは一本目をしっかり録ることです。音程もリズムも妥協なく録っておかないとダメです。
11)音楽には音楽の文脈があり、言葉はその文脈下に置かれます。タイトルと歌詞の間に不協和を感じるなら、思考的な文脈を破棄してみることよ
15)シーケンサーにはそれぞれトラックを整理する方法があるはずです。整理してください。作業しないトラックを隠すのも良いでしょう。 16)2,3回重ねたものはバカコーラスとは言いません。平均12人多くて20人を超えるものをバカコーラスと呼んでいます。
Q:RUBEDO/ALBEDOやMカードの新録音源と、ソロや核Pのアルバムではボーカルのエフェクトの掛け方が違うような気がするのですが、
A:はい、違います。アルバムではダブルヴォーカル(二回歌ったものを重ねている)で、ライブではその処理はしていません。続く。
マシンでダブルヴォーカルを作ったものと実際二回歌って重ねたものはニュアンスがことなります。
マシンを使う場合音像が引っ込む傾向にあるためライブでは使いません(一時試みた)。
ライブに近いミックスをする場合はシングルヴォーカル(重ねない)のままにすることが多い。
私の声はダブルヴォーカルに向いています。特にハイトーンでは切迫感と空間という相反するものが同時に現れて不思議です。
ゆえに長年ダブルヴォーカルは私の基本的な歌のキャラクターとなっています。
バカコーラスでは、各音程ごとに二回重なっています。
まれに3回とか4回重ねることもありますが、めったにありません。
Q:料理のとき「何回も味見していたら味が分からなくなってきた」みたいなことが偶にあります。 ステルスが音楽作品をつくるときにもこんなことが起こることはあるのでしょうか?
A:全ての曲についてそれが起こります。
作曲方法
1:ギターを使って作曲する時代。
2:鍵盤を使って作る時代のベースから始める時代。
3:イントロから始める時代。
4:歌から始める時代←今ここ
4は、1の数十倍速い。
ゆえに、今江達が見ている私の姿は残像だ。
ご存知の通り、私には複数のヴォーカルキャラがあります。
普通沢
ファルセット
オペラ風
低音
バカコーラス
囁くコーラス
普通コーラス
等々。
曲に応じてどのキャラをどのパートに使うかを検討します。
また、全てのキャラには独りヴォーカルとダブルヴォーカルの二種類があり、これも用途に応じて使い分けます。
新曲の場合、一曲の中でいろいろな組み合わせが試みられるため、録ってはボツ録ってはボツとかなり時間がかかる場合があります。
Q:平沢さんは曲先の事が多いとのことですが、遠征は曲先と詞先どちらだったのでしょうか?(中略)もしも曲先でしたら信じられないほどでした。
A:近年の作品は全て曲先歌詞後です。信じてください。作曲と作詞は同じ人間の左右の鼻の穴のようなものです。
Q:曲作りにおいて、サウンドのシンプルさと曲の壮大さを両立させるにはどうしたら良いのでしょうか。
自分が曲を作るとき、壮大さを狙うと音がゴチャゴチャしてしまいます。
A:高品位の音源を使ってみましょう。シンプルでも壮大に聞こえる可能性があります。
同じ旋律を音源によって全く違う聞こえ方がします。
安い音源で弾くとダメだったフレーズが高い音源で弾くと「これだ!」と思うほど変身することがあります。
Q:誰でも手に入る音源でも良く魅せる方法を教えてください。
A:センスを磨けば音も磨かれる。
音だけ磨かれたセンスの無い作品には貧困と哀れが宿ります。
Q:音楽家の作曲能力と楽器演奏技術は、どの部分がどのように関連している、あるいはしていないのでしょうか?
A:私のことでしかお答えできませんが、ほとんど関連していません。楽器が演奏できなくても作曲は出来ます。
個性的な演奏技術はスパイスですが料理ではありません。
Q:作品の制作スピードについて 制作の進捗を見ている限り、師匠は結構手が早い方だと思いますが 私は悩んで捏ねくり回して完成に時間がかかってしまいます。 手を早くするにはどうしたらいいのでしょうか?
A:手が早いとは人聞き悪い。己を知れば回り道なく。ゆえにまだ遅くてよい。
Q:好きな楽器を弾くことがこんなに楽しいとは知りませんでした。 演奏を練習するにあたって、楽しむ以外に心構えなどありましたら教えてください。
A:音曲に親しむ心は主観を信じる心です。誰かに何かを教えてもらわなければならないような不足がそこに有ると勘ぐる邪心を捨てて楽しみましょう
Q:過去曲のアレンジと、新譜の作成どちらが楽しいと感じますか?
A:それは全く違う性質のもので比較できるものではありませんが、過去曲のアレンジは失敗しても元アレンジが存在するという気楽さがあります。元アレンジを信頼しながらズタズタにしてゆくという矛盾浴も楽しいものです。
一方新譜の制作は、何もないところから何かが生じて来るという不思議な感覚と興奮と完成時のカタルシスがあります。
要約すると:どちらも心躍ります。
歌唱方法
ヒラサワっぽく歌う方法。ファルセットにひっくり返った後、戻って来る時に、普通に戻ってくるんじゃなくて戻る1音だけ力む。 Q:高音の声音を綺麗に出す秘訣は何ですか?
A:まず、綺麗な高音をもって輪廻するのを待ち、次に、ポップスやロックやアニソンのような発声を絶対せず、何者にもならず、ただ素直にまっすぐ発声するだけです。
Q:声のよさは歌うことで鍛えられたのか、持って生まれた才能なのか、どちらでしょうか?自分の声に魅力を感じないので。平沢さんの曲歌い込めば、少しは声を好きになるかも…と
A:質問が間違っています。
自分の声に最適な曲を作れる、発見できるようになるにはどうすればよいですか?が正しい質問
Q:自分で作った曲を「我が子」と表現する人もいるようですが、平沢さんは自分の曲を切り刻んだり、歪めたりしているので違うと思いました。
A:それを「創造されたもの」と言い換え可能ならますます自分で作ったものとは思えなくなります。何等かのものが便宜上私を通過したに過ぎません。
梯子外し
一貫性は聞きやすくするための「鳥観図」のようなものであり、そこに経験的、習慣的文展開を期待し、投影する心の怠惰を許す親切、あるいは残酷がある。あるいは善意、または悪意がある。
え?
制作中の4曲目ではそれを外してゆく計画がある。
え?え?
鳥観図を外す事は所謂梯子を外すことであり、地図の広域表示から黄色いアバターをつまみ上げてストリートビューに落下させるようなものである。
いきなり民家の「梨岡さん」と「西田さん」の間に落とされても町内の事情などわかるもんか、と言ったところだ。
これ、音楽の話なの?
はい、そうです。
こう書くと「なにやら実験めいた」と思われるかも知れない。AIに平沢の概略を喋らせると必ず「実験的な」がくっついてくるように。
音楽における実験など70年代に全部終了しているという認識の私を誰か早く見つけて。
梯子を外すのはなかなかの難問である。
過去の作品にも所謂梯子外しが存在する。例えば「死の無い男」や「夢みる機械」その他いろいろ。
つまり、いじわるな作家の心にも、それなりの習慣的音楽文脈があり、事前に自分の梯子を外す必要があるのと、「自然にそれをやる」必要があるため。
しかし、この度はほぼ2日で曲の全貌が見えるという順調さで作業が進み、本日は仮歌を録る段階だ。
一旦外すと決めた後の自由な心は八方から来る啓示に検閲を加えようとする理性の越権を封じ込める。
そこには効果音の法則と同じものがある。
つまり本当の雷を録音したものより他の道具を使って作った雷音のほうが本物に聞こえる場合があるという、あれ。
ただ梯子を外したものはメチャクチャなだけであり、疑似的に外された区間毎にツアーガイドを置き「梯子が外れてます」と耳打ちさせる必要がある
ジェットコースターは絶対に脱線したり落下したりせず、しかし脱線や落下の恐怖を味合わせるように作られているのに似ている。
皆さま、当車は次のカーブで脱線します。
どうだい怖いだろ?
またこんど!!
作詞について
歌詞は思いついた時にメモするのではなく、さあ、これから作ります、という時に作ります。
音楽用語で前節後詞(ぜんせつごし)(注意!この用語は一般的には使われていないステルス用語です)はメロ先、歌詞後のことですが、この方法を始めた初期の作品には強引なゴロ合わせや、ある種のおふざけ、投げやりが歌詞の中に存在します。
正直なところ、シリアスなテーマでも、生真面目過ぎては良い歌詞など書けないことを前節後詞は世に問うています。
音楽とは、遊んでナンボの世界です。ほら、音楽という
字もそうなっている。
前節後詞の初期に強引なゴロ合わせや、ある種のおふざけ、投げやりが生んだ事件の代表的な
ものが、「まさか」という言葉の配置です。
それはシリアスな歌詞に突如として現れます。
例:「遅れをとってはダメ」「遅れをとってはバツ」「すごいキャラバン」
等々。
この投げやりは結果的にステルス的歌詞の特徴となり、元来ダジャレやパロディーを許容する作詞姿勢の拡張機能として受け継がれてゆきます。
ダジャレやパロディーが組み込まれた歌詞の例として
「仕事場はタブー」の「拒めど着さす 着さす」の出自はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=mnss9DudlKU
「I'M SCREAMING IN THE LENS」の出自はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=edvN1DfRTZI
壮大な解放を前にして永久不変の眩い世界との遭遇に胸躍らせる様を、
軽く「大きい戸が開く」と
まるで玄関の引き戸を開けるような規模で表現をするのも前節後詞初期の投げやりに由来する。
前節後詞はまた、強烈な皮肉を含む奇妙な表現に繋がる偶然の洗練を見せることもある。
「物質の朝はコロナ状に輪を描く飛沫高きアドレナリン」
や
「科学の笑顔シナプスに火を焚き」
など
メロディーが先にあり、後に言葉による旋律の翻訳や意味づけ拡張作業を繰り返すことから、投げやり、面白半分、ぞんざいな態度かが緻密な表現やニュアンスを掘り出すという経験は時に問題解決にも応用できるものであると気づいた大人がここ。
MANDRAKE時代からP-MODEL初期まで、全ては歌詞先行で作られていました。
今では、実際に歌詞を作る作業は、言葉でもなく、意味でもなくイントネーションが先行します。
Q:私は師匠のリリックから情景を思い浮かべることが多いのですが、師匠は情景を思い描いて作詞をなさいますか?
A:いいえ。ピンホールのように小さな閃きを逃さずキャッチすることから始まります。ピンホールは言葉によって拡大して行き、ついにそこに情景が広がっているのが見えます。
Q:彫刻家が石の中から像を掘り出すように曲の中に詞を見出しているのかなと思ったのですが、それならばギター曲を作った後にふと歌詞が浮かんできたりというのはあるんでしょうか?
A:歌詞がふと向こうからやって来ることはほとんどありません。脳よ歌詞を受け取りなさいと命じた時にやって来ます。
Q:師匠の圧倒的な歌詞の素晴らしい表現力はどこから来るんですか?
A:毎日続けているXのポストが歌詞力筋を鍛えているのは揺ぎ無い事実です。
ですが、源泉が何処にあるのか私も知りません。
と言いつつ、歌詞の発掘作業は2つの分野に分かれていて、
1:脳内を観察整理する分野
2:実際に言葉を掘り出してゆく分野
イントネーションの削り出しは2の分野に属します。
では1から説明しましょう。
脳内には日常的な観察や感じていることで表現化したいという衝動を伴うもので満ち満ちています。
それらは「意味群」として一つの抽象的なモヤを成して感情内に偏在しています。
これを時にはマインドマップを使って明確化し、分離し、テーマ化します。
これが出来たら2へ移ります。
テーマに伴う感情や色彩、派生する概念などを意識しながら歌のメロディーを作ります。
これは不思議な過程の中を進行してゆきます。
メロディーだけを削り出してゆくのですが、私の無意識は既にそこに合致する言葉を用意しており、歌詞の最終形に向かって作者を教育しているように見えるのです。
無意識は偉大です。
メロディーはイコール歌詞に使われる言葉のイントネーションです。
しばしば「歌は言葉が先ですか?メロディーが先ですか?」と質問されますが、作家(少なくとも私)の無意識は両方同時に作っています。
何等かの条件が整っていればそれは同時にやってくる。「庭師KING」とか。
条件が万全でなければメロディー(イントネーション)が「糸口」として先に現れ、作家の傲慢な理性に対して言葉を推理するように迫ります。無意識はその間忍耐強く待ちます。
こうして、テーマにおいて全て腑に落ち、意味の成立に奉仕する言葉の選択が終わる時が歌詞の完成です。
そこで無意識の偉大さに慄く瞬間が訪れます。「意味の成立に奉仕する言葉の選択」が終わった時に浮き上がるだまし絵のような現象「言葉に奉仕する意味の」出現です。
この無意識の偉業に、おそらくAIはまだ気づいていない。
ところで作詞は何時するのかという疑問にお答えします。
作詞は作曲後です。
余裕のある時はできるだけ多くの歌詞を完成させてからレコーディングという健全な工程を踏みます。
最も危ういのはレコーディング当日朝にその日の歌詞を作るという不健全な工程で溺死寸前という段取りとなります。
作詞に要する時間は年々短くなっており、現在は平均概ね1日です。
時には筆が止まることなく、数十分で終わる「お筆先」現象に遭遇しますが、稀中の稀です。
作詞時間が短くなっているのは連日のXの投稿による言語脳の鍛錬が大きく影響していると自覚します。
「お筆先」作詞の代表曲は「庭師KING」です。トロピカルレコーディングの際、レコーディングが終わり、ホテルで風呂にお湯を溜めている間の30分程度で出来たという南国夜話はご贔屓衆には必須科目です。 「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」は10秒以内です。作詞と認めていただけるなら
作曲の時間も年々短縮されているように感じます。
はっきりとした理由は不明ですが、「曲ができないということは無いに決まっている」と、
ボチボチ己を信用してやる寛大さを獲得し始める年齢ということもあるかと。
別の機会には「己への信頼」とか、横柄な言い方をしているあれ。
その他、近頃の作曲関係ソフトウエアーの支援機能の驚くべき進化による効率化が原因ではという意見が聞こえてきそうですが、
確かに効率化につながりましょうが、あれらの機能が出来るのは「成立」まで。
成立でよいなら「お筆先作曲」が可能
ところで、「成立」がこじれると解体、再構築のために時間を取られ、逆に非効率な上に「成立」の鼻持ちならなさに対する嫌悪感で世捨て人願望が増大します。
ソフトウエアーの世界は「成立能力」競争に突入しており、「完成」支援に目が向く文化的成長時代の到来を渇望します。
警報:この世は「成立」でこじれています。
かつて、何日経っても歌詞ができないという時代があり、そういう能力は経験によって伸びて行くという考えには同意できますが、経年によって衰えて行くという考えには経験上同意しかねます。
私は毎年「バカは治ったか」と自分を顧みますが、毎年治り続けており、現在も継続中です。
「賢くなった」という言い方で角が立つのを回避するために
「バカが治った」という言い方が出来る程バカは治っていますが、
実際のところ
「去年より賢くなった」と毎年感じます。
多くの場合、定説や常識によって漠然と提議されている年齢に達すると、例えばミュージシャンは現役であっても過去の業績の中に留まり、新な試みはしません。
例外(と言うかそれが標準)になるにはあらゆる層に蓄積する常識や、定説を信仰しないことです。
貴方を「成立」に向かわせるいかなる助言にも従わないことです。
「完成」のみが貴方であり「成立」は貴方ではありません。
これが己のバカを治す呪文です。
またこんど!!
文章書き
文章を書く時、最も大切にしているのは何ですか?
と問われれば
リズムです。
告知文のようなものさえもリズムを気にします。
リズムのある文章は読者をノせて「読み」にある種の快感をもたらします。
高度に巧みにそのように調整された文章のリズムは作文と詩の障壁を取り払うことがあり、何度でも読みたいという欲求を引き出す。
次に大事にしていることは何ですか?と問われれば、
何を書くかではなく、どう書くか、です。
「どう書くか」
は文章のリズムに対してメロディーあるいはアレンジに相当します。
以上を要約すると「文章を音楽する」です。
あれ?
ただし、
文章を音楽する
という心構えは本当です。
近似のところで、映像を音楽する達人として今敏がいますね。 マスタリング
マスタリングという工程は
毎日バラバラの気分でMIXされた曲群に一貫した質感を持たせ、あたかもレコーディングはスジの通った日々の中で繰り広げられたかのようにウソをつくこととされる。
ほとんどが参考にすべきでないミュージシャンの生活の中で、マスタリングだけはマネしても良いものの一つである。
あたかも一貫した人生でるかのようにウソをつく場合、「私は人生をマスタリングしている」と言えば聞こえが良い。
現在のマスタリングは全て仮想空間の中で行われるデジタル処理だ。
しかし、あの時代は技術の権化であるテクノさえ、物理的なディスクを針で削る作業をもって完成する。
あの時代とは音楽の実験が全て完了してしまった時代である。
実験はデジタル空間に持ち越されていない
Q:最近パソコンで音楽を作っているのですが、ミックスが難しくてたまりません。 平沢さんが意識していることはございますか?
A:ミックスの目的を理解してください。そこに有るテクノロジーを全て使う必要はまったくありません。
極意はこうです:貴方次第。
インタラクティブライブについて
インタラクティブライブというものは逆算式に出来ている。
最初に解があり、次に事件があり、次に発端がある。
これらが連なってストーリーが出来ている
何かお気づきじゃございませんか?
マインドマップは相関図的なまとまりを示すまで熟成させるものの、脚本を書き始めると辻褄が合わない場所が出てくる。
ま、辻褄なんか合わせたらキチガイって言われる時代だけどな。おい。
インタラクティブライブでは平沢さんが複数人に分裂したり合体したりする話が多いのはなぜでしょうか
A:それを説明するために作品があります。
Q:インタラクティブライブでご自身が演じる以外の登場人物(ノモノスとイミュームのサンミアさまやZCONのテンプレ姉妹など)は、キャストを決めてから設定を作るのでしょうか。それとも設定を作ってからキャストを決めるのでしょうか
A:構想を演じられるキャストが先です。つまり両方同時です。
温泉シャーク
Q:温泉シャークの特殊音響は何パターンぐらい作られたのでしょうか?
A:1パターンです。キングシャークの声は、ライオンの声2種類とシンセサイザー、私の声を合成したものです。
ツイート集
ところで数年に一度は言っておく。
私はXを使って仕事関係者以外の特定個人、つまりリスナーの具体的な誰かに向けたQ&Aの回答を除く個人的メッセージを送ることは一切ない。完全に無い。ゼロだ。
妄想は脳内に留めておいて欲しい。
私のTwは基本的にライブであります。
しかし投稿方法に複数あります。
1:完全にリアルタイム投稿
(通常はこれ)
2:数分前から投稿し始め、追いつかれないように逃げ切る投稿。
4:事前に投稿したものが指定時間に自動投稿されるもの
昨日は2。
2と4は投稿時間を予約する。
予約設定画面では未来時間が表示されており、9時台から急に10時台になったのに気づかず、分数だけ予約してしまうと、あのような現象が起こる。
つまりケアレスミス
Q:承認要求との良い付き合い方はありますか?
A:付き合う必要は無く、決別が最も良い付き合い方です。
Q:承認欲求が強く、他人に救済を求めてしまうのですが、平沢さんは承認欲求とどう付き合っていますか?
A:ゲームや遊びのような「ごっこ」として楽しむ以外に他者による認証など必要ないと分かるまで自分を観察してください。
数十年前の作曲当時にはできなかったことが軽々できるようになっている。
オマエタチ喜べ。
経年は劣化ではなく
持続的成長だ。
(要約すると:よりヒドイ嘘つきになっている)
ひよっこより。
オマエタチ喜べ
経年は劣化ではなく
認知の先鋭化だ。
オマエタチ喜べ
経年は劣化ではなく
細部への気遣いと閃きの増進だ。
私がサイゼに行く3つの条件。
2:巨大サラダ
3:新作の間違い探し絵
1,2はOK。だが3が更新されていない。
「人類の未来を変える」などと絶賛され、脅威とされているAI対ヒラサワでした。
このAIのために多くの職業が無くなると言われている。作詞ができるというので試しにやらせてみた。なるほど「空洞文化」の担い手たちのほとんどはこのAIに置き換え可能だ。彼らにとっては脅威かもしれない。
今のところ件のAIが脅威となる分野は限られている。
AIは私の作品にそっくりなものを作れるようになると思う。しかし、私を作ることはできない。
ヒラサワの信念体系や観察姿勢は嫌いだが音楽は聴けるという人にAIヒラサワは満足を提供できるだろうか?
Q:平沢さんは最近、音の響きや発音等が 美しい 面白いと感じる言語はありますか? (外国語でも、国内の方言などでも)
A:コサ語が不思議です。南アフリカ共和国の公用語の1つで、過去に「旬」の作品で使用したことがあり、次のギターアルバムの中でも私がちょっとチャレンジしてます。まんまです。
Q:会社でチームのリーダーをやらないかと言われて考えているのですが、ステルスがあらゆるプロジェクトの親分として心がけていることはなんですか?
A:「問題」を「悪者」由来としないこと。問題が起きたらまず物理的配置を見ること。
Q:カナブンについてはどう思われますか?
A:洗練されたゴキブリ。洗練が好ましさを獲得する好例。二足歩行に応用可。
Q:師匠の世界観を模したゲームが存在した場合、遊んでみますか?
A:世界観の模写について驚愕の完成度が保証されていなければやりません。巷にあふれる半端な模写に落胆します。
Q:平沢氏は、たいてい『孤高のカリスマ』などと呼称されていますが、ご本人的には何か感じることなどありますか?
A:その呼称は「よくわからん」という意味ですから目標達成です。
Q:師匠は金縛りによくあっていたと雑誌に掲載されていました。 近頃自分もそういう目に合って来て最近は慣れて怖くなくなってしまいました。そういうものなのでしょうか?
A:怖かったものが怖くなくなるのは良いことです。金縛りで死んだという話は聞かないのでなお良いと感じます。
慣れが恐怖を麻痺させるという言い方は慣れても恐怖は依然として存在するという含みがあり罠にかかりそうだし、慣れで恐怖が麻痺し以後影響をうけなくなるならウソや本当の恐怖で満ち満ちているこの世のウソの分は解消されても良いはずですが、いっこうに解消されません
相変わらず善人の恐怖が前提のルールに這う這うの体のこの世です。
未知の物事を恐怖するのは自己防衛としてあらかじめ備わった機能だというもっともらしい説はどうでしょうか?
そもそも未知の物の可能性の半分をバッサリ切り捨てて初めから恐怖の対象とする反射的な対応のいかがわしさは何。
未知の物は脅威だとされ、良いものである可能性を見ようとする者を憎悪し、時には攻撃される世の中では、いったいどれほどの良いものが隠されてしまったでしょうか?
おかげで二足歩行はポカポカ既知ランドから一歩も出られなくなってしまった。適者生存という悪意。
適者=緩慢な死の参列者。
既知ランドの外に隠された一切を見ないようにするために恐怖の壁がうずたかく積まれている。
それがウソだと知っている人は安心している。安心して成り行きを見ている
ところで金縛りは?
そうそう、私も金縛りの恐怖は次第に薄らぎ、それより体が痛いのが辛かった。全身がツる感じ。多分抵抗するからでしょうね。そうしないと果てしない彼方へと行ってしまう感じがしたから。
で、ある時抵抗をやめて解き放たれ、果てしない彼方へとたどり着いたのがここ。
帰り方が分からない。
またこんど!
今夜は何がしかになるべきと思い、街中で呆然自失のあなた。気のせいですよ プレゼントは不要
貢物に金を使うな。服や化粧品や漫画じゃない本を買え。たまに無添加の良い酒を買え。たまに有機、無添加のちょっと高い食材を買え。 ゲームチェンジ
Q:師匠が仰っていたゲームチェンジというのは、一種のパラダイム・シフトにも似たものなのでしょうか。 一定の人々が、自分の選択が本当に自己決定によるものなのか疑い始めている気がします。
A:素晴らしい事に気付きました。
一定の人々が、自分の選択が本当に自己決定によるものなのか疑い始め、外部から作られた信念を疑い始め、真実と教えられたものを疑い始め、そこから脱却してパラダイムシフト後の世界に相応しくなろうと模索しています。
脱却後は古い印象操作が力を失うでしょう。
Q:ステルス的な感覚にてらして、 『絶景』とはどのやうな光景のことをそう形容するのでしょうか。
A:「景」と「心」の清らかなる晴れやかなる呼応に生じた「現」が「絶景」です。
私は、使い勝手を犠牲にした形を好む傾向にある。
平均化された身体の動きや思考傾向に合わせるのではなく、オマエがこの形に合わせろ、いやなら使うな、と言わんばかりの不適切形状は時に機能美より美しいことがある。
志したわけでもないのに、気が付けばここに連れてこられた。不可抗力だ。そのスタート地点が今どうなっているのか調べてみたら、中川一丁目児童遊園となっていた。当時は草むらだ。草むらから始まるステルスの道。 自我は死を恐れる
子が小学校に上がってから「死ぬこと」を知り、怖い、いやだと思い始めたようでたまに緩く話し合います。
平沢さんが「死ぬこと」を意識し始めたのはいつ頃ですか?
A:自我の成長と共に死について考え始めました。それ以前は考えません。常に人格の主役で最高権力者だと思いたい自我は自分の消滅を恐れます。私はただそれだけだと思っています。と書いたTシャツを着せてあげてください。ここは舞台です。舞台を降りたらまた美しい現実を思い出します。と書いたTシャツを着せてください。
Q:死は昔から恐怖の対象ではありますが、近年その恐怖が濃くなっている気がします。自然な現象なのに不自然に恐怖しすぎています。その現象の方が恐ろしいです。
A:良いことに気が付きましたね。死は恐怖であると教えておくことで支配が簡単になります。
それが恐怖かそうでないかは死んだ人にしか分からないのに。
貴方の命は常に人質に取られている。
またこんど!!
Q:隣接次元に漏れた人とはもう会えないのでしょうか?
A:分かりません。ニコラ・テスラは「この世に生を受けた人の中で死んだ人は一人もいない」と言っています。死が全ての執着からの解放という「成長」なら、互いが元の自分であることに執着が無ければ会っても気が付かないかもしれませんね
現実を説明的に見ていると体験より自撮りへと向かう
1つの現象から1つの情報しか読み取れない、いや読み取ったのではなく与えられた情報しか持てない21世紀。
現象からより豊かに情報をくみ上げる能力は「説明による理解と承服」に置き換えられたのかと掛け軸に書きたい。
「現実を説明的に見ていると体験より自撮りへと向かう」
名刺の裏に書きたい言葉1位。
体験しているのは現実ではない。
体験は宗教だ。
アナウンスされたものだけが現実だ。
という人が常識人となる町内会。
私が、慣れ親しんだ価値観から一旦離れて眺めると分かることがあるかもしれないと提案するような発言をする時、
「人それぞれ」という言葉をもって対応する人はブロックします。
「人それぞれ」という言葉を結論めいて発するのはコミュニケーション拒否とみなします。 「人それぞれ」を気軽に発する人には「思考拒否」のニュアンスさえ感じます。 中庸を悪知恵ということをやや悪いユーモアだと思ってくれ。
それができないと今後ヒラサワとは付き合えないぞ。
中庸の体感すらできていないのに限って議論中バツが悪くなると中庸を持ち出したりする。
あるいは人それぞれだから、と多様性を肯定するフリをする。多様性を肯定するとは差異をぶつけ合うことも含まれるのだ。
微な憤怒はある種難しいチューニングの範疇にある。
怒りすぎてはいけないし、平穏でもいけない。
まして、無意識に議論放棄へと向かう者が見識者風に言う「中庸」でもいけない。
Q:平沢進にとって「砂別」とはどういったものですか?
A:人の善意を人質に取り、人を抑圧し、制限し、差別し、分断し、孤立させるために利用される概念です。あらゆる概念を悪用する時の常とう手段の1つです。
LGBTQ運動について
マイノリティーが奇妙な社会潮流化され、当事者不在の運動となって民の分断に利用される
この図式にヴィーガンも当てはまりつつある。
循環カフェの時、SP-2の世界にそれが起こると予言いたしました。
ご覧の通りです
産業的に利用されることについては自然の成り行きだけど、それが目的である、という理由しか受け入れられないことに危機感がある
それは、民の分断に利用される。
間違えないように。人の「本性」が分断を招くのではなく、元来無かった分断を生む世界観を植えこまれそれが利用されている。
つまり、戦争の動機同様、民が濡れ衣鵜を着せられ、民同士が争うように仕組まれている。
両陣営に仕掛け人が居る。
感情的な表現をする者には近づかず、無視することだ。
当事者とは関係ない。
私の知る限り当事者は非常に気を使っている。間違っても押し付けたりしない。
バンドはライブ会場では靴を履け
逆に女子のバンドさんには何故裸足がしばしば見られる?
60年代70年代に感電死したミュージシャンが居る。できれば裸足はやめて欲しい。あるいは床に絶縁体を敷いて頂ければ申し分ない。 「絶縁体」っていう語感好きでしょ?
ライブは「現場」です。
電気を扱う職業の
「現場」に裸足が適切かどうか再考願います。
エレキギターを扱う人は、大きく分けて「電気屋さん」の範疇です。
もし警察官に呼び止められて「職業は?」と訊かれた時、早く解放されたければ「電気屋」と言ってください。
「バンドマン」というと長引きます。
鳥は大体好き
徒 _競争_
「うごめく何か」が追いかけて来るといえば徒競走だが、私は常に1番でしかなかったものの競争しているつもりは全くなく、突っ立っていると叱られるのが怖くて走っただけだ。
いったいあれが何の競争なのか全く分からず、元来そこに存在しなかった「敗者」を創造して公衆の面前で屈辱を与える儀式として戦慄したものだ。
残酷なことに最後尾を泣きながら走る子に拍手を送るグロテスクな光景。
「頑張る」とか「諦めない」とかの美談で隠した悪魔的な価値観には気づかず、全員でその子を「敗者」と定義している。
その子はいったい何に負けた?
SNSについて
PCは、その忍耐力の発揮において人間性の一角を養う
SNSはその養われた人間性の破壊に寄与する。
人間性が商品と成りうるならば、SNSでそれを購入してはいけません。
Bカと利口が同じ棚に並んでいるからです。
認知的不協和を最も利用されやすい分野です。事前情報に触れる以前に偏見が出来上がっているところからバトルがスタートさせられます。簡単に炎上させられます。
当事者も雑食者もカモにされています。無視です。
「第9曼荼羅」のあたりから「多数」への対応の不毛さを思い、いつTwをやめるべきかと考える時もございましたが、ここに来てステルスの姿勢について、複数者によるあまりに的確な解析に出会い、正直言いたくないけど、やっててよかったと思うに至りました。
ただし、現状では多すぎる。
今後はランキングだのバズるの頼んでもいない機能がない場所との使い分け、あるいは平行進行、あるいは完全引っ越し、なども視野に入れております。
気が付けば私の出力するものが消化できず、不適切摂取となり拒絶する民まで迷い込んできた。
それはそれとして。
専門家とスタージョンの法則について
SFの90%はクズである
そしてあらゆるものの90%は クズである
これをスタージョンの法則という。
喝采!!!!!!
音楽の90%はクズである。
そしてあらゆるものの90%はクズである。
これをヒラサワのパクリという。
自分のテリトリーの中のことは分かる。
テリトリーの外になると「専門家なのだから概ね100%良いはずだ」という幻想を見る。
しかし、冷静に見ればスター人の法則はどこにでも当てはまる。
例えば、あらゆる権威とか。
Parlerについて
待ち焦がれた爆風が吹き始めたようだ。TVを消せ。
「フェイクニュース」という言葉を知っているけど鬼畜どもの作り話を真に受けている。
まったくウチの妹と同じだ。
ついに子供でもわかるような嘘をつき始めた。情報源がそれしか無ければ世界はその通りにしか見えない。
血相変えてパーラーは人種差別者の集まりの場所だからやめてー!とか言う。
鬼畜の作り話を信じていれば世界はそれが全て。
爆風は吹き始めて鬼畜を吹き飛ばすかもしれないというスリリングな時なんだ。
こういう話をする時は注意深くTLの反応を見ている。
どうすれば自ら調べに行くように仕向けられるのかと考える。
教祖様や指導者を求めず自分で行くように。
最近では多くのフォロワーが分かっているように思うになりつつある。
予想通りの反応があったので一度だけ言いましょう。
パーラーにどんな人が集まっていようと私は私。
あなたの町内にも考えの違う人がいるでしょう。同じ町内に住んでいるだけで貴方が嫌う人と同一視されるのは理不尽でしょう。
問題はパーラーに行く私じゃなくて検閲するTw。
さて、件の場所は人種差別者とTransphobia(トランスジェンダー嫌悪)のたまり場だとして心配している人がいる。
さて?私がTransphobiaに見えるか?人種差別者に見えるか?
そしてパーラーに来たら私以外の記事も見ろと強要しているか?
判断はおまかせ。
またこんど!!
夢に見た我が家は
天と地が逆さま。
教えられたことはほとんど反対だと思う経験を重ねた男。
憎悪を向けるように宣伝されている男が世界を救うかも知れない時。
嘘つきだと喧伝されている人々が真実を語っている時。
今朝のParlerとGabの重さといったらTALBOの比じゃない。
地人類の重さに匹敵する。
午前中にTABグループを全て入れ替えた。
オマエタチが
「ヒラサワまた始まった」
と思ってることぐらいちゃんと知っている。
私は小学校二年の4月からこっち、ずっと始まりっぱなしだ。
動画サイトでの(パロディ的)二次創作について
今日もミュート、ブロックを経て今に至る。
動画サイトの不愉快な動画も簡単に消去できれば良いと思う。
いちいち申請を出し、審査を待ち、補足説明を要求され、という時間を割かせるな。
40年の孤軍奮闘に泥を塗るな。そんなものに好評化を出す者達ももう私に近寄るな。私はオモチャじゃない。
普通に礼儀と距離感をわきまえていればミュートやブロックはしない。ただし先入観や思考停止で私にレッテルを貼る者はブロックする。
不快な動画とは人を玩具的なキャラに歪めたり、屈辱的な加工をして面白がるような低劣で無礼な動画だ。
この手のものは多くの他のファンも不快に思っているはず。
個人の趣味嗜好でアニメと合体させるのもやめてくれ。
私の公的イメージに傷が付く。
私を広めようとしてくれているのは分かるが、もういい。不適切なイメージが付着したまま広がっても意味が無い。ファンの質が低下するだけだ。
コンセプトを立て、デザイナーや衣装さんと共にビジュアルを作り、一定のヒラサワイメージを作り上げてキープしてゆくのにどれだけの労力が必要と思うか。
それらが台無しになる。
ヒラサワの表現内容も矮小化され無意味化される。
そんなことも分からん者の素材になるために積んだキャリアではない
SF観
ところで私は「ねじ巻き少女」以降、新しいSFを読んでいない。 それは私がダメなのかSFがダメなのか
もっとも今は多くのSFがテーマにしてきた世界そのもので、それよりヒデーし、それよりエキサイティングなので日々を読むのが忙しい。
多くのSFが描いたディストピアは救済が無く絶望的なエンディングだった。
どうやらこの現実は違う。
古いご贔屓衆には周知の事として、私に一年間の音楽活動休止を与えればSF小説を書く。
過去には60歳になるまでにSF作家になりたいと公言していた。
60になったらSF作家になれるといいなあ。。と夢見がちな男が居る。
シオドア・スタージョンの「人間以上」がオススメのSF小説とのこと
落語観
落語で「これは秀逸だ」という作品は噺家次第というところもございましょうは、噺として最も好きなのは「文七元結」キライなのは「芝浜」。 生意気言ってすみません。
重ねてキライ告白で申し訳ございませんが「らくだ」もかなり嫌い。 活舌が悪いという流れで
「意味」に「艶」をもたらす「ニュアンス」を求めて川上へと昇ると「聞き取りにくさ」が源泉だったという事実にゆきあたることもある。
新作と古典を一つのチャンネルに混ぜて放送されるのが耐え難く、有線放送を解約しました。
更に申し上げますれば、上方もダメです。
単なる滑稽話として語られる落語は辛く、まず出囃子でその心根がバレます。
有線の落語チャンネルはこの点もゴチャマゼでした。(今は知らない)
生意気言ってすみませんけども。
私は昔、話し声が今より低く、かつ活舌が良かったが言語化能力は今より劣っている。
活舌と引き換えに咲く言語の花。
(私は活舌の良い噺家さんは好みません)
言語の意味するところを正確に伝えるために活舌を鍛えるのがアナウンサーです。
一方、活舌の悪いニュアンスから受け取れる膨大な情報を扱う噺家さんが存在します。
前者が信用を失った時、後者を感じるスジがものを言います。
そう、不鮮明がより多くのものを言うのです。
周波数
ふと思う。
病気でうんうん唸る時、その音域によって特定部位の細胞が共鳴するでしょ?(やってみれば分かる)。例えば何かの腺や細胞を振動させて働きや血行を良くさせているとか?だから病気の時は唸るとか?
では、ステルスの高音は人のどの部位と共鳴するのか?とか?
Q:自然界の音で、特に好きな音は何でしょう?👀
A:水の音。特に小川の流れ等、艶のある音色に己の細胞内の水流を共鳴させるイメージで聞き入るのが好ましい。
私は川のせせらぎ。
ああ、かわもがなれのように。
town0-phase5
あるいは孤立するのも吉だ。
孤立とは、まだ見ぬ孤立者との深い共感表明なのだ。
PHASE 5なのだ。
行こうすれ違おう愛はいかが?と。
Q:師匠のように孤立を目指そうとしていますが、どうしても人肌が恋しくなってしまいます。どうすれば良いのでしょうか?
A:貴方は孤立に向いていないのでしょう。アレは目指すものではなく、結果論です。
ズブズブの人間関係の中から生まれる創造もあります。
DUSToid
差し詰め貴方はゴミだから生涯の苦労と不運が相応しいと定義する者たちを養うために、さあ、地下鉄に乗ろう!DUSToidよ、歩行は快適か?
3つ戻る
差し詰め貴方はゴミだから生涯の苦労と不運が相応しいと定義する者たちを養うために地下鉄に乗らされていると気づいたなら、
苦難の助手よ、私に続きたまえ!
「あなた」に与えらえる情報と期待される反応について
貴方は対象物からの「作用」を受けるという関係において、2者の構図は描かれていた。
この構図は長い間採用されて来た構図で問題が起こった場合、その原因は対象物に求められる。
気が付けば、貴方は対象物に「反応」するという関係として、2者の構図が書き換えられている。
この場合、問題の原因は貴方へと
移動される可能性がある。
構図が書き換えられたのは、移動するのが目的だと観測する。
Q:これだけはしないと決めていることはありますか?
A:嫌うことはあっても憎まないこと。憎悪によって己の内部に生じる化学物質は己を傷つけても相手を傷つけてくれない。
Q:心が動くのはどのような作用でなのでしょうか?
決して上手くはない歌声に心奪われたり意味のない音の羅列にハッとしたり。
歌声は感情が籠るといっても感情を込めても誰かの心に響くとは限らず、陳腐とも思える音の羅列にも心躍ったりする。そこに何があると思われますか?
A:共鳴とよばれる現象と推測します。それは貴方が使う、下手、無意味、陳腐、等の相対的な尺度から自由で、それを超えて起こります。共鳴は貴方の内と外の関係において存在し、ひっきょう貴方の心を揺さぶるものの半分は貴方でできているので今生にガッカリするのはまだ早い。
心に従ってください。
Q:アーティストの作品は大好きだが思想信条は全く共感出来ず嫌いである場合、私は割り切って作品だけ楽しみますが、平沢さんはそんな消費者をどう思いますか?
A:認知的不協和を経験中ですね。分かります。貴方は何故その信念体系を嫌悪する相手にご自分の印象を問うのですか?
私の表現の背景にムカつき、短絡的なレッテルを貼ってまで否定する苦労を強いる対象の音楽を聴き続けられることが不思議ではないですか?
経験上、その答えは貴方が知っていると確信しています。もし知らないのならとっくに私の音楽など聴かなくなっているでしょう。
こんな答えはお嫌いですか?
かつてはこの世に「カルチャーショック」なる電撃が存在し、「世界はこうである」という己の信念体系を粉々に打ち砕かれ、そこから這い上がるチャンスを与えてくれたものです。
そんな電撃も線香花火に見えるほどの狂気が日常に渦巻いている時、認知的不協和は一つの突破口のような気がしてきました。
Q:二項対立的考え方の捨て方を教えて欲しいです。
A:問題の観察をしようとした途端二項対立の回路にスイッチが入るよう人は長い時間をかけてそう条件づけられています。長くなるので乱暴に結論しますが、脱出するには「世界はそうなっていない」という前提を自分に許可する勇気を持ち、
つづく
反射的な常識論は脇に置き、しかし直観は信頼し、クリアーな視線で出来事を観察することを、新しい構図が見えてくるまでしつこいほど繰り返してください。
かくいう私もまだ片足が抜けてません。健闘を祈ります。
またこんど!!
労働について
多くの場合、労働は生命活動を否定するプロセスから出来ている。
ゆえにヒト科は労働によって病む。
将来、率先して病むための労働に就く人間を製造するための教育もまた同じ。
生命維持の基本原則が
生命の躍動を我慢することであるとする狂気。
「働かざる者食うべからず」
ここでもまた問題の原因が人民へと移動されている。
問題は人民ではなく、人民を囲む狂気だ。
またこれを「思想」と短絡する思考停止。
単なる観察だ。ご丁寧に観測とも書いてある。
私の観察に耐えられなければそもそもヒラサワに耐えられないはず。早く離れることをお勧めする。
人民を囲む狂気。
長い間「作用」と言ってきたことが「反応」と言い換えられていることを探すのに知識、教養など不要。まして思想など不要。観察すればそこにある。
それでも90%以上の人がこれを難解と思い、複雑な物言いだと思い、理解できずに「思想」だの「宗教」だのと言うだろう。
教育は大成功だ。
職業「平沢」
私は「労働」の定義によって現れたり消えたりする存在に自分を育てて来た。
というより、ヒト科の集落に通底しない和音に育てられてきた。
(断固意味不明と机をたたく許可を与えます)
私は自分が職業なので「労働」の間だけ存在しますが、それは動力系が作動して機能を全うする際に生じる微振動が熱した空気を通る光の屈折のようなものです。
私は心が屈折しているのではなく、光が屈折しているのです。
それゆえ、私には「労働」と「労働者」の関係が無く、現在私が「労働」を選択することはなく、「労働」が私を選択したこともありません。
ヒト科の集落に通底する和音はこれを「ヨタ者」と呼びます。
ヨタ者は自分が職業ですから、労働している間だけ存在できる「現象」であるゆえに、労働を止めることができません。
ところが、自分以外を職業にする場合、「労働」が定義する自分を受け入れなければなりません。自分を手放さなければ「労働」は自分を選択せず、手放せば自分が消えます。
そのようにして有無の間を行き来して今に至る。
これは私の話です。
ヨタ者は不協和音、あるいはノイズとされるので、善良で生真面目な奏者の生真面目な論法で反論されるでしょう。
「そうでなければ集落は成り立たない」と。
え?誰の集落ですか?貴方が主役でないのなら誰の集落ですか?
不協和音である私は貴方を主役としか見ないので、労働と労働者の間で回転する自己犠牲の美徳が悪用され、事実誤認の催眠として使われていると叫んで、集落のやぐらに登り、こう書かれたTシャツを着てダイブするのもアリかと思う程です。
「では、貴方が犠牲になり誰を主役にしましたか?」
真顔で言うので聞かなくもないが、前例も無いし、実例も見たことないし、それがマジなら自分の信念が瓦解するような戯言をいうヨタ者をどう位置付けるかを求めて善良で生真面目な奏者は決して出られない和音の中を探すが何も見つからない。
不協和音。ノイズ。他に何がある?
歳のころなら12,3,~7,8の純粋さの残る未熟者が、次第に自分が消えて行くことを美徳や常識とする集落の和音に不協和を感じる心を共有できる者も無く、しかしヨタ者に感じる何かに関心を寄せる子の出現を親は知らない世の常。
未熟者はヨタ者が言う事をほとんど分からないが自分と協和すると察知する
協和するのはよく分からないヨタ者の言葉でもなく行動でもなく表情や態度でもなく、それらの総合から感じるものだ。
それは明らかに集落に通底する和音とは異なる質感を持っている。
(出た質感)
長い間その質感に触れていると、当初は理解できなかったことが突然理解できたり、あらゆることが腑に落ちたりするようになり、ついには自らがその質感を生きるようになっていると気付く頃には友達が居ないことにも気づく。
その質感に馴染まない人は永遠に馴染まないことも観察してきた。
だが、幸か不幸かこの世はその質感のほうに向かって着々と流動しているように見えるのは驚きだ。二足歩行史最大の分岐まであとどのくらい?
またこんど!!
自己評価について
何事もいい感じにするにはまず何事も悪い感じにする回路を見つけて切断することだ。
手始めに自己評価を低く見積もる回路を焼き切ろう。
自分以外と比較し、相対的に自己評価を下す毒の回路は学校や社会で埋め込まれた。それを真っ先に焼き切ろう。
自分は社会の役に立てないと思っているならそれは間違いなのだ。
社会が特定の価値感だけに対応する仕組みであるために、社会が貴方の価値を組み込むことができないだけなのだ。社会がボケっとしているのだ。むしろ悪意を持ってボケっとしているのだ。
ボケっとしている社会の、むしろ悪意を持ってボケっとしている社会の、怠けている社会の、役立たずの社会の責任を貴方がしょい込む必要などない。
フォロワー覗きをしながら、いったい何人の人がプロフィールに自分は役立たずだとか死にたいとか書いているのを目にすることか。
騙されるな。貴方はスゴイ。そうでなければ生まれて来ない。生まれた以上スゴイのだ。
がんばろう、とか、もっと楽に生きるべきだとか、聞いた風な事ほざく前にデトックスだ。
体中に毒が渦巻いている。
デトックスが先だ。
思考のデトックス、価値観のデトックス、世界観のデトックス、勿論体内のデトックスも認識力や気分に影響する。
そうすれば自分がどんなにスゴイかが分かるようになる。
グッドモーニング、ヒューマン
汝 光なり
プロフィールに死にたいとかダメなヤツとか書いている者は直ちに「自分はスゴイ」と書き換えるように。間違いじゃない。
またこんど!!
そもそも自分以外の人はヒラサワでないという意味において賞賛に値するのだ。
たとえ私が神だったとしても、超越存在たらしめるには相対値としての神以外の存在が必要というサギの下人に々は無能化されている。それは神以降に作られた作り話であり人々はすべからく超越存在なのだ。分かったかこら!
自分は取るに足らないという自己評価は錯覚だ。騙されてはいけない。そんな類のことをTwのプロフィールに書くな。こら。
デトックス!デトックス!デトックス!
思考や感受性や世界観のデトックス!!!
毒が抜ければある朝窓をコンコンと叩いてこう言う存在が訪ねてくる。
グッドモーニング、ヒューマン。汝光なり。
与えられたものは嘘ばかり。
民の目や口や耳をふさぎ、自分自身の出口をふさぐものばかり。
ついには自主的にふさいで取れなくなる。
不平不満、憎悪、揶揄、レッテル貼り、二項対立、怒りしか残っていないゾンビになる。これを思うつぼという。
ところで民は些細なことでキレすぎだ。些細なことを揶揄しすぎだ。
本当にキレるべき対象はもう見えているのに。皆、思うつぼ。
あら?褒めてたのにこうなる。
そう、こうなる回路があるのだ。
回路OFF
そう、先にOFF
次にON
万事に繋がれたハイウエーでキミを見たよ生成消滅の光の姿で
回路OFF 回路ONんーてね(ピエロ口調で)
今日のTwもここでOFF!!
またこんど!
Q:(前略)相手にとって自分が迷惑でしかないのではと、心配です
A:自己評価の低さは他者に伝わり疲弊させます。貴方は相手を幸福にしたいですか?それなら心配を止めて「魅力的な自分自身を掘り出す」と決めてください。
Q:私はこんな歳で中身の無いペラッペラな人間なんですが、ヒトの中身を入れるにはどうしたらいいのでしょうか?
A:二度とそれを言ってはいけない。もうすでに満杯に入っています。あとは見つけるだけ。
Q:消えたくなった時、自分の人生を肯定できなくなった時、私は泣くことしかできません。どうしたらいいでしょうか。
A:ああ、まるで人生相談...
嘆き悲しむほど自分に相応しくない人生を生きているのは誰ですか?これはトリックです。毎日その人に帰還する決意で忙しくしてください。
Q:自分に自信が持てません。
自信を持つにはどのような考え方をすれば良いと思いますか?
A:ああ、まるで人生相談。貴方は他人と自分を比べてませんか?それ無意味です。すぐにやめてください
Q:マイナス思考をプラス思考に変換する時のコツなどはありますか?
A:マイナス思考する時の文脈を注意深く観察してみてください。短絡的で不自然です。それは貴方の思考ではなく、条件付けられた思考です。貴方は元々プラス思考者です。
自分の顔や性格が嫌いで鏡を見てしまう度に泣いてしまいます。そのせいで周りにも迷惑をかけます。私に厚生の余地はありますか?
A:人生、自分を好きにならなくては始まりません。その性格を直しましょう。私はこれまでにそう言う人で本当に不細工な人を見たことがありません。
貴方の脳とは誰なのか。(あんた誰の法則)について
本日あろるの館で行われた4者面談では、脳の不思議についての体験談に花が咲いた。
貴方の脳とは誰なのか。
あんた誰の法則
脳が命令を下す。
脳以外のものが脳に命令を下す。
この階層的指令構造の下で人が無意識に取る行動に隠れる明確なメッセージは認知されるのを待っている。
本人は全く無意識に、絶妙なタイミングで生じるミスや目的変更。
一見無計画に見える行動が的確に狙った的へと人を導いていく。
脱却に次ぐ脱却に「まさかそんな」という反応を示すのは黄金の調べを聞き逃すことと同じ。
黄金の調べなど聞かなくても生活に支障はない。
だが、聞いた者はその価値に驚愕する。
黄金の調べを聞いた者は、一般論が示す不安、リスク、限界論に影響を受けなくなる。
むしろ脱却に次ぐ脱却の末に見る「解」のために誂われた危機的前提の意味を知る。
それが何故起こったか分からなければ分からないほどそこにははっきりとした理由がある。
それら、どこから来るのか分からないメッセージを描くキャンバスとして単にこの世があるのではないかと疑りたい衝動に駆られる。
疑り深い私は巷にある正解を全て疑っている。
ある物事を「偶然」と評価する認知活動の傲慢が今日も貴方の思考が自由に羽ばたくのを禁止する。
そんなものにかまうな。
まさかと思える前提をも採用して全ての点を繋いでみるといい。
明確なメッセージは認知されるのを待っている。
脳が命令を下し、
脳以外のものが脳に命令を下し。
脳が下した判定が間違いであると分かっていながら、それが誤りであることを証明する材料に間違いがあるのだと主張させようとする脳が語り始める物語。誰が、誰に?
我々は脳が下す命令に遊ばれていると同時に脳に命令を下すものに解放されようとしている。
これ、おかしくないか?
おかしくあり、おかしくない。
どうしてこう矛盾ばかりを観察したがるのか。
矛盾の数で決まるステルス品質。
4者面談をしながらそんな脳内一人会話をするあろるの館には清涼なつくば降ろしが通り抜けていた。
涼しすぎては閉め、暑すぎては開け。
「あ、猫だ!」と一人のゲストが指さす方向を見れば、大きな黒猫が5秒しか持たない目的意識の僕として横切っていった。
昨日まではDOGがGODであり
今日はCATがTACであった。
脳の迷路は深く不可解。
またこんど!!!
TESLAKITEのロゴマークについて
私に刻印はございません。
TESLAKITEの国旗はアンチバーコードです。
音楽について
お若いの。音楽の良し悪しは、音楽以前で決まります。 こういうことは誰にでもできるが、
素晴らしくできる人は少ない。
まことに音楽というものは音楽以前に勝負が決まっている残酷なものだと自分を戒める。
https://www.youtube.com/watch?v=fVuSYUNAekc
臆面もなく極論を言うならば、まことにニューウエーブというものは、音楽によって音楽以前を見せるものだと。 昨今はいくら探しても見つからない。音楽以前のある音楽が見つからない。
音楽で音楽を見せる音楽は退屈である。見せる音楽すらなく、音楽で技量を見せる音楽は更に退屈である。
私はずっと、音楽は音に在ると思っていた。
音に音楽は無い。
音楽とは「繋ぎ目」のことだ。
これからはこの世のあらゆる繋ぎ目を良く見ようと思う。
専門用語を使わずに説明するとこうなる。
ある音がプーと鳴っている。この上に別の高さのプーを重ねるとハーモニーが生まれる。
これはハーモニーであってまだ音楽ではない。ハーモニーは材料だ。
ハーモニーでも単音でも良いが、そこに次のハーモニーや単音が繋がる瞬間に心が動く。
これはつなぎ目にしか生じない。
心はつなぎ目に生じた印象を持続させて全体像を作る。
音楽はつなぎ目に神を宿す。
Q:師匠にとって「音」とはどのようなものでしょう?
A:「聞こえる」とは主に振動する鼓膜がもたらす事件です。音は音源だけでは存在し得ず、振動される「私」が居なければ存在しません。おや?何かに似ていますね。この世はすべからくそのようです。
Q:以前伊福部昭先生の楽曲をお聴きになるというお話がありましたが、特にお好きな曲やポイントはありますでしょうか? そんなことを言うもんだから、心あるミュージシャンは、その影響力を恐れられあの世に連れていかれてしまった。
もっと賢く逃げていただきたかったのに。
彼らが生きて活躍した世界には「ここじゃないどこか」への共感と共有と共存とそのために背負うリスクがあった。
そして今、ステルスする男はリスクの無い共感と共有と共存を置き去りにしてゆく。吐き気をもよおすその空洞に生きた心地はなく、ただその停滞で滅んでゆく人々とは無縁でありたいから。
そんなことより8888だ。
いや、2222だ。
いや、777だ。
さて、ミュージシャンの本領とは、「現実はこのように出来ている」と教わった文脈を超えてやってくるものに意味がないなどと決して言わないことだ。
むしろ一日中ゴミ箱を漁るように文脈の外から来るものに目を光らせている。
れゆえ「それは単なる偶然だ」とか「そんなものに意味などない」とねじ伏せようとする物理的因果関係と論理的利害以外残っていない焼野原を現実とする知的活動がこの反生命的現実を創ったのだと嗅ぎつけている。
音楽は後戻りするという表現は雑であり正しくは循環するだ。
しかし、循環しなくても良いのが音楽だ。
多分放たれた音の推移と感受性相互作用によって収まるべき所に収まったと感じる過程を作ろうとすると循環するのだと思う。
しかし、収まるところに収まらなくて良いのが音楽だ。
音楽が音楽たるにはウンザリするほど多くの決まり事があり、長い時間をかけてそれを学ぶ人がいる。
しかし、決まり事を一切守らなくて良いのが音楽だ。
決まり事に守られていない音楽は、ステージでズボンを履いていないようなものだ
残念ながら靴下も脱げと要求するのが私の音楽だ。
それゆえ私は音楽を「追いはぎ」と呼んでいる。
今でも
「音楽は好きですか?」
と聞かれたら、そんな大雑把に音楽一般を頭に描いて尋ねてくる人が認識している音楽に関心は無いので、
「嫌いです」と答えるのが正直な心。
要約すると:私はこの世の音楽の90%に関心が無い。
自責情報。
つい先ほど、とある文章の中にこんなくだりを書き添えたばかりの者として「嫌い」を共有させる行為は控えるべきだ。
----------------------------------
その技術の使用は、生涯に渡って
思考のどこかに花を咲かせると
誓った者だけに許される。
-----------------------------------
ステルスだけ初心者フレンドリーに説明すればこうなる。
私は自分がマイナーだと言ってもその動員力やフォロワー数においてメジャーであると言う世論に抗い、百歩譲って「ステルス・メジャー」と定義し、反メジャー、反業界という姿勢をその呼称に託している。
やがてご贔屓衆の中から私を「ステルス」と略式で呼ぶ者が現れ、私もそのマナーを自己採用している。
「ステルス」と、私の呼称から「メジャー」が消滅するのは快感である。
何故「反メジャー」「反業界」なのかと疑問をお持ちなら、そもそも私の音曲は貴方に不適切かもしれない。
私はそんなに親切ではない。
400曲を超える楽曲の使用明細が12社から年に4回送られてくる。
なんでそんなに多くの出版管理会社に分散しているかはめんどくさいので省くとして。
何という曲が何時どこそこの放送で使われて、何という曲がカラオケで何回歌われ、何と何が収録されたCDが何時、何枚売れて、とかが記された紙がやって来る。 12社の内3社が電子明細で、それ以外は紙。
紙が私に集まって来る。
切り刻まれた紙は45リットルの袋3つ分になる。
あるいは荷造りのための緩衝材にもなる。
あるいは、床に敷き詰めて埋もれれば貴方の辛い人生の緩衝材になる。
聴いて良く、紙となり切り刻んでなお役に立つ私の楽曲はラーメンより安い。
400曲以上という狂気の曲数を記した明細書を切り刻まずに捨てれば、ゴミ捨て場の烏の好奇心が瞬時に私の印税収入を把握して号泣するだろう。
彼はその額が猫より利口な己の額にも届かずスズメより大きな己の涙にも届かないことを知って天高く舞い上がり聞く者の居ないエレジーで空を埋めるのだった
いや実はそれほどひどくない。
確かに音楽の単価は他の商品と比べて低すぎるが印税に関しては業界の中間搾取構造から脱出してゆけばそれなりになる。
だからずっと言っているのだ。ミュージシャンよ私の真似しろと。
Q:クラシックまたはモダンバレエの中で、師匠の琴線に触れた作品はありますか?
と言ってもバレエそのものは見たことがありません。
A:一応それに分類されると思われる初期の「パルプ」のコンセプトは支持します。
Q:流行りのアーティストの曲を聞いても同じようなメロディの使い回しが多いと感じてしまうのですが、師匠の曲は師匠が作ったとすぐ分かるのにそれぞれ全く異なったメロディの曲ばかりでとても不思議です。 どうしたらそのように作品の幅を広げることが出来るのでしょう?
答えは次。
誰も口に出して言わないが、似ている事がそもそもの目標。
2)
成立の先には私が完成と呼ぶものがある。完成はいかに成立から脱出しているかが品質の一部を成す。
1)と 2)では動機が異なる。成立は圧倒的多数派の嗜好品だ。
天才くん、キミに目指して欲しいのは2)だ。っていうかキミはそうせざるを得ないのを私は知っているよ。
またこんど!!
嫌いな音楽
だが最近の音楽家はその支持者たちよりも模範的である。
面従腹従であり想像力を時に「宗教」と呼ぶ常識の中で愛を歌う。服従を他者への愛だとする怪談に身を捧げる。
愛はいかが?
要らん。
この世の全ての儘ならない人生を送っている人に向かって言い放ちたい。
あんたたち、けっこうイイ線いってる。
これはキモチワルイ音楽がよくやらかす「弱者同調」ではない。
本気で言っている。
70年代80年代には多くの「概念」供給者たちがステージを飾った。
21世紀は先人のレガシーを消費する者がステージに目立つ。プロもアマも。
レガシー?ガワだけな。
パロディーにすらなっていない。
音楽が好きという告白があるだけ。
あ、こっちの言い方のが面白い。
ステージと客席で「音楽が好き」という告白をし合っているだけ。
それがどうした?
いいえ、どうもいたしません。
生意気言いました。
私を風上に置いてはいけません。
全体にひねりのある文脈を楽しむ構成を作るために細部の矛盾や理不尽な誇張を盛り込むことがある。
全体を見ず、細部に執着するのを野暮と言う。
日記のような作文のような日常会話の性質から出ない歌詞ばかり聞いているとそういう脳になってしまう。
Q:世間に出回る「ヒーリング・ミュージック」を聴いても、完成度の低さ故に全く耳に合わず、ヒーリング出来ません。
A:御意。メロディーの無いものを探しましょう。はっきりとしたメロディーを認識したらストップで次へいきましょう。
音楽をメロディーだと認識している音楽は日常性が稼働している層以外を展望できず貴方が求める意識の層へは到達できません。歌のようにメロディー然としたものは貴方向きではありません。
あるいは稀に、散文的なメロディーを使った優秀な作品も見かけますので探してみてください。
古いものですが推薦しておきます。なお、これらのものはヒーリングミュージックに分類されていません。そこもカギです。
https://www.youtube.com/watch?v=40n14G63vTc
多くは世間的な基準で人様がヒーリングと分類するのでしょうが、自らヒーリングミュージックと看板を掲げたものには「まずご自分の浄化から」と書いたTシャツを着て臨みたい。
病歴
過去にも似たようなことをしたことがある。
レコーディングが全て終了したもののバランスの悪さを感じ、一晩で1曲作り自宅録音して提出した。
ポリドール在籍中のレコーディングだったし、もうスタジオの予算など無いので隠れ自宅録音で突破した。
さて、その曲は何でしょう?
宅録かましたった。
正確には自宅録音じゃないけど、分類としては自宅録音。
さて、その曲は
「GRID」也。
宅録でGRIDかましたった。
GRIDはまんまとアルバムのバランスを取り付けた。
ところがどうだい。あのツアーでは
GRIDの最中に根拠のないパニックがヒラサワをGIRDした。
GRIDでGIRDな名古屋(多分)の夜。
今だから話せるあの時の真実。
多分名古屋クアトロだったと思う。楽屋入りする時、車内から見た街の光景にエルビスプレスリーみたいなヒラヒラの付いた服を着た男性を確認したので、きっと名古屋だ。
ライブも後半に差し掛かり、GRIDのイントロが始まる。
GRIDを後半に配置した自分を呪う。Black in Whiteほどではないが後半に配置してはいけない曲の一つである。
「ストラ~トスフィア~~=====!」
力を振り絞って発声した。後半はシャウトに移行しなければならない。
その時、カチっとパニック発作のスイッチが入る。
根拠のない恐怖がステルスを囲みじわじわと沁み込んでくる。
GRIDでGIRDだ。GRIDがGIRDかましやがった。
アナグラムで遊んでる場合か。
ひるがえって人前で歌ってる場合でもない。そのまま楽屋へと消える。
床に倒れる。
床のステルスを見下して
「だいじょぶすか?」
と、ことぶきが言った。
「だいじょばない」
その後ことぶきがMCしてくれたんだと記憶している。
それでライブは終了。
その後どう処理されたか記憶にない。
頼りになることぶき。
伊達にズボンは薄くない。
心配ゴム用。
パニック障害はもう無い。
胸にオロナイン塗ってヤクルト飲んでたらなおった(完全にウソ。絶対に信じないように)。
Q:睡眠時間や必要な時間を削ってまで創作に熱中してしまう時があります。 そういった時に自分で自分を止める方法は何かありますか?
A:私は過去にそれで自律神経のバランスを崩し、果てはパニック障害になりました。
現在は心拍数や血圧の上昇を感知した時点で中断します。
通勤中にポストするという芸当は可能だが、通勤時の断片的で無駄な思考や、ポスト時の雑念も大事にしているのでそうしない。
車を運転しながら音声で原稿を書いていたことがあるが、実はそういう技術的な背景を楽しんでいるだけで実際効率は上がっていないとスグ気付く。
丁度デトネーターオーガンの制作をしていた頃にそうしていた。
あまりに多い課題のストレスと、それをいかに合理的に短時間でこなすかという試みのストレスと、不適切な食事と不眠でパニック障害になった。
その時の所属事務所は一切ケア無し、更に仕事増量したので脱出。
あ、これもう終わった話。
Q:ちょっとした出来事や情報で不幸な文脈や結末を信じてしまい、不安や恐怖、諦念で身動きが取れなくなってしまう。そういった思考回路から脱出したいです。
A:結果の優劣は五分五分であるにも関わらず劣を選択する理由が無いのと同時に優を選択しない理由もありません。これは思考習慣ではなく、条件付けです
何等かの恐怖症に悩む人が、ヒラサワはどうやってパニック障害を克服したのか教えろ的な質問を見かけた記憶あり。
参考になるかどうかは分からない。パニック障害は感情のハウリングのようなものだと気づいた。ハウリングは最初の針孔の一点に過剰に注意を向けるこで起こると気づいた。つづく。
薬はお守りとし、実際は使わない。パニックで生じる恐怖の対象はハウリングであり実体はないという強い信念を持ち、最初の針孔に気づいたら「騙されるな」と強く自分に言い聞かせ、針孔から目をそらす。するとパニックは起こらない。これの繰り返し。気づいたら治っていた。
物体X
死にかけた経験
生命の危機を感じた経験が3度ある。
健康に気を使い始めたのは40代?パニック障害期あたりです。
------------------------------------
甲田カーブというものがあり、小食にしてから体重が落ち、その後食の量を変えなくても体重が回復するというもの。 ----------------------------------
はい、あります。
呼吸法・自律訓練法
呼吸法から瞑想へ行こうするからには引き返してこなければ日常生活が儘ならない。
この引き返す場所には半透明のグレーのアクリルのような質感の短冊のようなものが複雑に絡まり、一つの構造物の形状が次第に変化する映像が実際に見ているほどのリアルさで見える場所に着いたら引き返す。
これは瞑想中、一定の深度に達すると必ず見えるので、バロメーターになる。
それ以上深度が増すと缶バッジくらいの大きさの穴から現実に見ているようなリアルさでどこかの場所が見える。場所は一定していない。
缶バッジの世界まで行くと時間の経過が分からなくなるので、その前の短冊の世界で引き返す。
缶バッジで見える場所を意志の力で変えようと試みても失敗する。
お任せランチみたいに受け入れるしかない。
そして引き返し、そして仕事をする。
呼吸法から瞑想への移行時間にはBGMが使われる。
メロディーのあるものは使えない。
世間で「ヒーリングミュージック」とかその手のものはほとんど使えない。低俗なメロディーは気分を害す。
パニック発作時の辛い精神状態の時の瞑想法と呼吸法について教えて欲しいです。
まず発作時には「騙されるな、これは実際には存在しない」と自分に強く言い聞かせます。
その後、「完全呼吸」を繰り返します。危機的な状態を脱したらそのまましばし瞑想を続けます。
私はパニック障害を最終的には自分で克服しました
希望を持ってください。
Q:ステルスのお陰で私もパニック障害が殆ど克服出来たのですが、それでも疲れたりするとたまに“奴等”がやって来ます。
A:わかります。落ち着いて自分を俯瞰しながら「私の中に知らずに育った不要な何かが私に罠をかけようと脳に命じて作らせている現象を認めない。それは存在しない」と考えます。
疲労困憊の脱出には呼吸法~瞑想へと決まっています。
よく用いる呼吸法は
完全呼吸と言われるもので
腹式で一杯になったら胸式でさらに一杯にし、止め、長く吐く。
1サイクル約1分です。
呼吸法は、慣れないうちはもっと早いサイクルで良いです。ただし吸うより吐くを長く。できるだけ長く。苦しくない程度に長く。
鼻から吸い、口から吐き、吐ききります。
Q:漠然とした不安に襲われた時の護身術があれば。
A:呼吸法と共に、こう思考したものです。「これは体内ケミカルの不均衡による騙し絵だ。私は騙されない。教えてくれてありがとう私」
自律神経について
他者や組織や社会との相互作用の中で自律神経はバランスを失う。
生まれた時はバランスされておりゆえに子供はニコニコしており、大人は仏頂面をしている(概論)。
年を経るとは
内部に子供のバランスを育てることと読めるステルスのズーズーしさの源泉がレコーディングはリクリエーションだと言わしめる。
ほーら始まった
白いものを黒という呪術。
Q:町内で触れ合う年齢の違う人々や文化財や経験の重要性を改めて感じますが、分断された現代地域社会の子供達はどうなっちゃうんでしょう。
A:心を病みます。その時「病めた事は正常の証」と教え、自尊心を育ててください。
15分転職
始めて決行する場合は重要度の高いタスクは1つ。低いものを2つ程度にとどめる。当初は緊張するので長時間やらないこと。
体調、心的コンディションを整える事。かくいう私も不調の時は失敗する。それはリフレッシュせよという警告と受け止めるべし。
強弱、緩急を意識した順番を作ること。
同じ強度が続くと飽きてしまう。
15分転職は実際に職場を変えるのとは違うので本当の転職を考えている人はこの話を無視して面接に備えること。
Q:昔は忙しくても本を読むことができたのに、今は本を買っても読む時間を作ることができません。読みたい本がいっぱいあるのに。 シショーは読書時間をどのように作っていますか?
A:独立した読書時間を得るのは不可能です。ゆえに「ながら読書」です。
頭が空いていればできます。
理性 vs イメージ
地図を見て実際そこを移動した時の身体感覚が得られるなら、地図と身体を繋ぐ何等かののもの「Φ」を分離抽出して乗り物を作ればよいですか?
意志や思考とイメージが戦う時、イメージが勝つと梅干から学びました。
そこにイメージと身体感覚を繋ぐ「Φ」を仮定する、という冗談でまた私は孤立するでしょう。
「孤立で良いのです」小2の時から胸に刻まれた座右の銘。
進化による自動車の形状変化に鑑み、初代の「Φ」には大勢は乗れないでしょう。だから、
孤立で良いのです。
そもそも分離抽出もされていないものが人科を熱狂させ、あらゆる物を動かし、せき止め、巨大な損害と利益を生み出すのなら「Φ」はその何倍もの力があるに違いないと言っては認知的不協和者の攻撃を受けるでしょう。
(攻撃になっていればの話)
何の話だっけ?
「Φ」の話だ。
地図だけで乗り物酔いする時、地図と身体感覚の間に居る「Φ」という生き物だ。
(生き物だったのか!)
「Φ」はイメージと身体感覚の間にも居る。
「Φ」はイメージや抽象化された図をエサにして現実を分泌する。
現実とは「Φ」の分泌物なのだ。
従って餌となるものはクリーンで純粋でなければならない。
世界はダーティーで邪な餌でいっぱい。
Q:直感や感覚的な判断と、理性的な判断 、気持ちのバランスはどうやって取っていらっしゃいますか?
A:理性は越権したがることについて理性に理解させております
ニコラ・テスラ
影響を受けたと言うなら、それは不可能であり、尊敬申し上げている歴史上の人物というなら
です。
Q:最近、ヒト科の「善性」を信じられなくなりました。 師匠の創作物を拝見すると、ヒト科の「善性」を信じられているように思えます。
A:周囲の具体的な人々に善性を見つけるのは簡単ではありませんね。それなのに何故私が「善性」に確信を持っているような表現をするのか不思議でしょう。
二足歩行がドエライ存在であることが分かるでしょう。分かるというより思い出すに近いかもしれません。それがどれほどドエライかを一言で表すことができますが、今は控えておきます。きっと誰も受け入れてくれないでしょうから。
通販で購入したモノのエントロピーと口座残高がどこに表示されるのかが分からなくなり、Gmailを改造して代用しようとソースコードを解読するというめんどくさい夢。
何万行もあるコードをスクロールしていくとハート型のコメントアウトがあり、その輪郭の文字を読んでいくと、私がGmailで代用しようとしているプログラムは洗槽のインチキを暴き出す神の方程式が使われていたと読めるめんどくさい夢。
半分寝ていて半分起きている状態で夢を見ていることを認識しながら、ったくこんなんじゃ休まらないと思いつつコメントアウトから視線を外し、夢の中の自分はこう思う、
そんなことは「神の方程式」みたいな大仰なものを使わなくてもこの時代なら1%か10%の人々がすぐに気が付くよ、と。
れより私は通販で購入したモノのエントロピーと口座残高を表示するプログラムがいまスグ必要だと焦っている夢の中の自分を見て疲労してゆくこの質の悪い睡眠を呪い始めるという圧倒的にめんどくさい夢。
しぶとくコードをスクロールしてゆくと大きなコメントアウトの領域があり、そこには「神の方程式」の実行ログがため込まれていた。
実行ログの冒頭には「神の方程式」が廃止になった理由を探せ」と書いてある。
それに続くログはこうだ、
〇洗槽など存在したことが無く、それは死灰槽とそれに無意識に加担する模範奴隷が、民衆、同胞に対して行うジェノ災奴である。
めんどくさい夢はつづく
〇ゆえに国家間の洗槽など存在したことがなくそれは単純なゲームの舞台設定に過ぎない。
〇人類にはいまだに洗槽を起こす未熟さがあるのではなく、騙され続ける未熟さがあるのみである。
夢の記述とは言え、こんなことが書けるほどXは浄化されている。
早く寝かせろ。
早く寝かせろと自分に懇願したところでアラームが鳴り、目が覚めた。
ところで通販で購入したモノのエントロピーと口座残高がいったい何だというのだ?
さて、主観の権化たる夢で示された指示に従い「神の方程式」が廃止になった理由を探す朝に沈丁花が香る。
それには「公平」「公正」の権化とうたわれる「客観」にケチを付けることからはじめる。
客観性を担保する要素がそもそもウソだらけなら何を頼りに巡行する?
客観こそ公明正大な知的活動であり万人が疑いの余地なく共有できる普遍的な結論を提示する、と教えられた。
ところが、目の前に置かれたオブジェクトには何かを加えたり隠したり、あるいは普遍性の権化とされる権威や組織は買収や脅しで制御し、乗っ取ることができる。
客観の巨大な怪物である科学という宗教はかくして成功し、人々はひれ伏した。
客観を揺ぎ無い牙城とするには、最大の脅威であり、現実的な認識システムであり、第三者が制御することも乗っ取ることもできない「主観」と「直感」の評判を貶め、優れた客観は主観や直観から始まることは話題にしないようにした。
主観や直観は証明不可能な卑しく野蛮な感情論だと教えられた。
しかし客観性の担保がウソだらけだと気づかれた現在、
客観から切断され卑しいものと宣伝されたはずの主観、直観は元々人間に備わり科学による断罪が不可能な神の方程式として少数の人々の中でアンロックされ起動された。
もう人の外に神の方程式が不要となった。これでいいですか?
またこんど!!
さて、「真実よさようなら」と吐き捨てた作品を3万円もするパッケージに収めた男が賞味期限の切れた真実(なんらかの利害に基づく短期的合意)の傘の下から説教やアドバイスを受ける。 まったくクダラナイ地位だと現在の境遇を思う。
それじゃ、今日の凍てつくTwがこれでおしまい。
またこんど!!
adiós a la verdad(アディオス ア ラ ヴェルダ):一見脱出不可能に見える世界へと人々を隷属させるために捏造された『真実』から自由になるための意思表示。『真実』は真実ではない。
HALDYN DOMEが一段と分かりやすくなった時代へようこそ。
意されていた方法でこの世を眺め、この世はこうであるという像を脳内に育てた。
その像の中に自分が歴然と居るという信念の梯子が外される時が近づいていると、より一層強く感じる今日あたり
用意されていた方法の提供者は巨大であり、真実の尺度を作り、それに従わない見解が嘘に見えるよう尺度の番人である権威の砦で囲んだ。
この世の自然な姿と脳内の像の乖離に気付く者は権威の絶対的な信頼性に対抗する無知な愚か者と定義され、
彼が何を言っているかではなく、
彼がバカであるという印象の背後に押しやり抹殺する。
憎悪せよ、そこに悪者が居て罪なき民を殺めている。
恐怖せよ、貴方を死に至らしめる災いがやって来る。
嘲笑せよ、そこにバカが居て貴方の信念を揺るがす
妄想を抱いている。
用意されていた方法の提供者、あるいは権威やその代理人の絶対的信頼性を背景に伝えられる物事を民は信じて疑わない。
そのようにして脳内の像は何百年もの間安定して人々の生息する場所として続いて来た。
それが終わるためのトリガーはもう弾かれている。
用意された方法ではない方法で、この世を正しく再描写しようとする動きに世界中の人々が一斉に注目し、反応し合う歴然とした様子は、用意された方法で描かれた脳内の像には今日も存在しない。
ゆえに、脳内像の世界では、梯子は突然外されるように見えるはず。
かつてミュージシャンとは、権威の絶対的な信頼性にも対抗する愚か者であった。それがいつの間にか、本当のバカになってしまったのか。
脳内像の扇動に同調し、憎悪せよ、そこに悪者が居て罪なき民を殺めている。とまくしたて、本当の悪者の共犯者となっている。
夢に見た我が家は天と地がさかさま。
そろそろそれを知ってもいいころだ。
しかし、これらは朗報なのだ。人類史始まって以来の明るいニュースなのだ。
家猫が突然広々とした公園に放たれるとパニックになることがある。
私はその先の準備に余念がない。
脳内はクリアーだが、新しいこの世に相応しい脳になるにはまだまだデトックスが必要だと思う春の直前、ハイビと共に。
ハルディンドームのスピンドルについて
そこからさらに車で走れば、炎の中で妙な意気投合をしている者たちがいる。水有れば炎。
二人は何に向かってそれらを投げつけようとしているのか。
人々を不幸にする「合意」だ。
「そうである」とされているものは忠実にカバーされ、実感も実態も無視される善意の世界はその店の中だけではない。どこに行ってもそうだ。
と道端のJKにきいてみた。
(ウソだけど)
「あ!ステルスだ!おばあちゃんが言ってたよ、大きなアイデンティティークライシスがやってくる前にハルディンホテルはどこ?って尋ねる男が現れるって!」
「おばあちゃんて?!」
「じゃ、もしかしてお嬢ちゃん、トンネル分銅をもっているね?」 「うん!」
https://gyazo.com/f6731773c69b0f723333b925df6b14aa
「お嬢ちゃん!私と一緒に分銅を投げよう!」
「うん!ステルス!」
「お嬢ちゃん、あの凱旋門に向かって投げるんだ。あの客観の調査団と称する嘘つきどもをめがけて」
「うん!ステルス!」
「節子や」
「なあに、おばあちゃん」
「あの男が現れたんだね?心を決めなさい。まもなく大きな大きなアイデンティティークライシスがやってくるよ」
「わかった、おばあちゃん!みんな!またこんど!」
さっぱりイミフの人フレンドリーな解説。
HALDYN DOME:平沢がソロになってから目指した場所。
トンネル分銅:だいたい「の」の形をした金属片で、HADYN DOMEを目指す平沢が持ち歩いている。
https://gyazo.com/678073fe4752af4acdf3808184f1e67f
脱出系
私は未来的なものを好むが、それは脱出的であるものにかぎる。
未来的に見えて脱出的でないものの多くは、現状の貴方はダメであるという否定のために「その後」を匂わす「未来」であり、人を脱出させずに手の内に置くのに便利な思想である。
3回読みましたね?
脱出的なものが未来志向になるのは必然のように見えるが、時にレトロ志向を採用することがある。
過去に脱出しようとしたものに対する尊敬のようなものとして。
(始まってるぞ、ヒラサワちんぷんかんぷん都都逸が)
脱出させまいと必死な世界ゆえに、新に脱出的なものは淘汰されるのである。淘汰された脱出系未来志向はヒラサワ語で
「来なかった近未来」
と呼ばれる。
そういうわけなのでステルスは脱出的イメージとして未来主義とレトロの混合を好む。レトロフューチャーみたいな。
そういうわけでステルスは脱出未来的ギターにレトロなトレモロユニットを取り付けようと思ったけど付けられなかった。
Q:自分の将来に自信が持てず、ことある事に逃げ、楽をしてしまいます。
A:こんなんばっかりや。立て二足歩行!
自分が誰だかわかっていない者が将来の適切なビジョンなど持てるわけが無く従って自信など持てるわけがない。
何度も言う
貴方が「制度的な学び」に捕らえられた瞬間から今まで、貴方が誰であるかを忘れさせるために膨大な時間が費やされてる。それは社会人になっても終わらない。それに気づき、脱出を企てた時が初めて貴方の始まりとなり、将来への黄金の鍵を手にしたことになる。
Q:先日、事故にあいました。それだけでなく、様々な不運、不幸が大量に押し寄せ、のまれている毎日です。 この辛い日々を乗り越えるには、
A:意識的にも無意識的にも貴方が常に考えていることに従ってTLは流れてゆくことを70年間生きて来た経験から断言できます。
脱出は可能です。
貴方を助ける情報は貴方に隠されておらず、今では至る所に存在します。
1986年が私の大きな分岐点でした。そこから私は有害な思考癖を一つずつOFFにして行き、脱出はほぼ完成しています。
貴方の思考習慣に無い、新しい考え方を拒否しなければそれは簡単です。
Q:今はもうどうすることもできない過去の後悔と決別するにはどうすれば良いと思いますか?それとも決別せずに別の選択をするべきでしょうか。
A:ご自分で解決策を吐露しています。貴方は過去を超えてここにいるので過去はもう経験できません。
バングラー通りのお姉さんは言いました。
嫌な事は三回経験するのよ。
1:実際の経験
2:後悔
3:同経験の予測(将来へ同経験の投影)
2、3はあなたの今を汚す悪い想像力よ。テキーラおごって。
飲みすぎだよお姉さん。このチップでホルモン剤補充しな。
聖馬蹄形惑星
自然界では空腹の捕食者が被食者の命を守ることもあるし、異種間の利他的行動も見られるよ。複雑なシステムの一側面だけを短絡的な印象にすり替えて「弱肉強食」とか言って悪意のある社会システムをさぞ自然の運命みたいに印象付けているのはどこの惑星だい?
ああ、あそこか。
聖馬蹄形惑星ね。
適者生存とか言って「言いなりの奴隷」生活がさぞ自然の運命みたいに印象付けているダサい世界がイヤなら小瀬ちゃんの軽る~いパンチで開くポータルから出て行ってしまおう。ダサい世界はまず貴方の脳内にあるから誰も追いかけてこないよ。
自然に生まれて来た人をつかまえて「適者生存」とかいう呪文で「不適切者」を定義する世界が不自然であると同時に著しく性能が悪く、人間に不適切であるという見解はどこの惑星で常識なの?
ああ、あそこか。
Zconiteの物語
ZconiteはZconに呼応して機能する。
Beaconが正しく人を導くために働く物なら、
Zconは人を誤った方向へと導く。
ゆえに「Z」、つまりアルファベットの最終に位置する文字で始まる。
人を最終的な隷属状態へと導くのがZconだ。
Zconiteは認識や思考の流れをせき止めている論理的な岩石のようなものだ。
ステルスに答えを求めないでいただきたいとしばしば言うのは、私が白とか黒とか言うのは簡単だ。
それを聞いた者はなるほど白なのか、と納得した後、再びZconへの道に戻って行ってしまう。
何だろう?と思ったら
「自分でBeaconを見つけて欲しい」という合図だと思えば良いかも知れない。
フルーツ糸引き飴を思い出す。
夏になると上半身裸になるおばちゃんが店番をしている斜め向かいの駄菓子屋さんに売っていた。
人々に糸を引っ張るチャンスが降ってわいた。
小さな不安の先端に何があるのかと糸を引っ張ると、巨大なものと出くわしてしまう
まったく知らなかった巨大なものを見てしまう。
あまりに急に見てしまったために驚き、人に知らせようとする。
そんな現象がぞくぞく起こっている。
Beaconを見つけてしまった人たち。
Zconは宿命としてそれを否定する。ただ単に幼稚な感情を引き出すゴシップ的な論調で。
Zconは宿命としてそれを論理的に否定できないため、最も同調しやすい下品な感情「憎悪」を操る。
Beaconを見つけた人は、今までどれだけ騙されて来たかを知っているのでその罠にはかからない。
憎悪はまだBeaconを見つけていない人達を対象に操られる。
人々はBeaconを見つけた人を憎悪し、揶揄する。
そのことが一層束ねた嘘の糸を増やしてゆき、人々が引っ張るチャンスを増やしてゆく。
ありがとう。もっと嘘を垂れ流してください。もっともっとその幼稚で下品な嘘を。
鬼畜の皆さん。
私は20年も前から見て来た。
今、奇跡的なスピードでBeaconが発見されていることに驚く。
Zeconは何年かに一度巨大なイベントを起こし人々を掌握しようとしてきたが全て失敗してきた。
その度に人々は賢くなった。
人々は賢い。
ZCONはアヨカヨが滅びた後の物語です。
アヨカヨはまだ全滅したと発表されていないのでZCONITEは健在です。見ればわかりましょ?
GCONは破壊された。
アヨカヨはパニクっていると想像できる
私がアヨカヨなら完全にパニクっている。
Omega-Landingの物語
Omega-Landingは
Alpha-Landingと
Epsilon-Landingの後に来る
先ほどのエピソードを流用するなら、Landingの後、Zconiteがどう影響するかを見届けてから、より良いLandingをするタイムラインに移行するのがOmega-Landing。
この二つのムービーを作ったおかげで、世界の分断についてこんな言い方ができるようになる。
Beaconを見つけた人には2つの世界が見える。Beaconの世界とZconの世界。
Zconの世界に属する人はZconの世界しか見えない。
ヘマはしないが、万が一消えた時のために。
あるいは何かが起こった時のために。
ミディアム・ランディングを観測中。
我々にはハードだが、寝ている人にはまだ何も起こっていないに等しい。
2021/01/07
水鉄砲で人が死ぬなら
ソンクランは死体の山だ。
と、覚えてください。
TLにちらほらと心細さを垣間見ました。
頭の良い大人たちが20年(あるいは55年?)かけて予測できなかったようなことは起きていないはずです。
こうなることはちゃんと予告されており、ご丁寧に前日にも直球で知らされています。
落胆せず、シートベルトを締めてください。
引き続きミディアムランディング観測中。
花やしきの100000000000倍面白い。
おばちゃん、シートベルトもう1個ちょうだい。
2021年9月23日
あくまで希望的観測として、インタラまでにハードランディングが済んでいればバカな妄想のために規制されることは何も無くなるはず。
そのためにライブがすっ飛んでも良い。
ランディングのためならインタラの一つや二つタダでくれてやってもいい。
人の善意を前提とするものの全てが適切だとは限らないという視点は時に人と自分を守る。それが本当に必要なものなのか自分で調べてみるがいい。貴方がずっと信じて来た年月と同じ年月をかけて調べろとは言わない。もっと短くてよい。
一方ネオナチにせっせと募金するグロテスクな善意たち。
新世界と答えた人へ。
CAのアナウンスによれば
「機長によりますと、当機は概ね着陸態勢に入ったかのような雰囲気を醸し出していると推測されるとのこと。どなた様もシートベルト的なものを絞め過ぎず緩すぎずかといってしっかりとお締めいただければ幸いですが、必ずしもそうではありません」
Q:平沢さんの趣味はなんですか?
A:
職業:離陸
趣味:胴体着陸
現在は着陸した機内で映画を見ること。
またこんど!!
タイムラインについて
何十年もの間「来なかった近未来」から戻れなくなった男はここです。
タイムラインは分岐に到着し、明確で共有可能な決断を経ぬまま、2つの流れが平行しているような状態に見える。
作り出す未来の人々が、想像力を駆使し、「上」を見ようとしている。
そうだ、完全に2つが平行して流れている、と同意できる人たちが少なからずいる。
そんな時代が来るとは思わなかった。
今日は、恐ろしい病にかかった知り合いのために時間を割いた。
本人の世界観と自由意志を尊重しながら「恐ろしくない」という結論に導く作業。
「導く」は誤り
「見せる」
を目指した作業。
私は「見せる」けど、相手が「見えなければ」仕方ない。
ここ10年、あるいは20年、無条件で何かを共有できると信じて来れたタイプの人たちとの間に壁が出来ていることに気付いた。
平行して走るTL。
前者のTimelineは後者のTimelineに吸収されて行く
Timelineの終わり。
接合点では激しいランディングになると予測されるが、その後
「キミの日はもう永遠に咲く」
高度は着実に下がっている。
見はるかす遥か、泡立つ甘露のような雲海の上では地上から伸びた梯子の上で絶え間なく生じる紫や青やオレンジの閃光が月明りを凌ぐ強さで夜を飲み込んでいる。
その数は数億、数十億にのぼり、その息をのむ光景は自らが圧倒されるほどだ。
地上では、登らない選択枝を見つけた小さな人影が雲を見上げていた。
Q:師匠はこれまで何度もタイムラインを移動していると思いますが、その時に元いたTLに寂しさなどは残らないのでしょうか?
A:下水道の無いTLから下水道の有るTLに移動したと時と同じ心情です。移動する度に賢くなったと自覚し、周囲の人も賢くなっています。寂しさはありません。人格に下水道を。
回路OFF - 回路ON
OFFってもOFFっても見つかる
邪悪な抑制回路。
邪悪な抑制回路は、関心や躍動や創造や冒険や希望の解放にあたり、それらが悪であり、起こってはいけないことであるかのような印象付けのために必ずこう言う
「そんなの無理だ」
邪悪な抑制回路をOFFったら、関心や希望や創造や冒険の対象を求めることに難癖をつけず、動きたいようにさせる。
これが難しい。例えば
とか。
でも私自身は知っているんだ。その関心を泳がせておくと素晴らしいアイデアに繋がる可能性をな。
邪悪な抑制回路は常にそれを邪魔する。
だから今、その関心の解放を楽器のように奏でて泳がすレッスンをしているのだ。
その泳ぐ関心は知らない遠くまで行き、誰かが何かを咀嚼している間に人知れず飛ばしている思念を連れて帰って来てはティーカップの中のベリーの赤さを増してまた泳いで行くようなものとして躍動の遊ばせ方を習得する>
(3回読みましたね?)
その泳ぐ関心は、本人に意識される前から泳いでおり、心中という広大な水槽の境界線を広げながらまるで他人の行為の結果のようにふるまう布石を境界の外にまで配置する。
(4回読むのを諦めましたね?)
なにもかにもが収まるべき所に収まるようは見事な現象が現れ、それぞれの配置を説明できるのは誰にも読み解けない高度な透明感のある主観だけの魔境に整然と並ぶ問への冒険。
(理解を諦めましたね?)
進化の第一段階は回帰だと私のあちこちの歌詞の中で歌われている。
その時が来たと思う。
今後様々な選択を重ねるにあたって、まずは意志決定回路のデトックスだ。
外部からの悪意や無批判に繰り返される否定的なパターン的反応への条件付け等から何もいじられていないクリーンな回路の乗り物へと回帰する進化の助走的通勤路。
急げよ類なき回路は今も開く生成消滅の火花を散らして的通勤路。
デトックスの目的をもって
認知、判断、操作の回路を眺めると汚れだらけだ。望みもしないタール状の毒物が知らない間にべっとりと付着している。
これらの毒物が、あらゆる回路上で妨害しているのは、想像力へと連結しようとする回路そのものの意志かもしれない。
何か肯定的なものに意識を向けようとする度に「でも」とか「しかし」とか単にムーディーな根拠にも関わらず善意がその発祥であるかのように装って説得力を発揮する猛毒。保護回路という美名を騙る猛毒
確かに本物の保護回路はあるが。
Q:平沢さんは、自分が運がいい人間だと思いますか?
A:強運だと思っていて、そのうえ全ての人が強運だと思っています。急いでロックを解除してください。
Q:自分を上回る能力を持つ人がいたとして、そういう人と一緒に居て劣等感を感じないようにする方法は何でしょうか。
A:貴方を上回るものはありません。上回るのは同一規格でスタートした時に限ります。貴方と同一規格の存在はありません。早く気が付いてください。
Q:平沢さんの意思の強さは、どこから生まれるのでしょうか?
A:意志が強いのではありません「せざるを得ない」のです。
「せざるを得ない」は外からやって来るのではなく、沸き起こるものです。湧き起こすにはまとわりつくゴミ回路を順番に切断することです。
ゴミ回路とは、貴方が自分を殺して合わせようとするもの全てを選択させようとする不安や恐怖を生成する回路です。そうして沸き起こるものに出口と許可を与えてください。
排時光
私がグッドモーニング、ヒューマン、汝光なり。
と言うのだから、汝光なのだ。
ステルスはそれを現象の花の秘密製作中に発見した。
物の本で仕入れたのではない。
発見したんだ。分かれこら。
生まれてから今日にいたるまで、オマエタチが光輝こうとする度に否定され、
曰、何夢みてーなこと言ってんだ。
曰、そんなことができるのは選ばれた者だけ。
曰、下らん夢みとらんと額に汗して働け。
オマエは下らん夢であり、
自己否定こそ模範的で善良で道徳的な良い人間だ。と徹底的に叩きこまれた。
そうしてシステムに同化し現状に甘んじ、やっと生きていける程度の金をえるために生涯を費やす。
この世に生まれた自分を養うために自己否定を繰り返さなければ報酬は無い。
狂気の世界だ。
挙句の果てに、上を見るな、下を見ろ、的な人間像やスタイルに美徳を投影させるような不届きな世界観を植え付けられる。
ついには、俺たちゃドブネズミだ、自由にゴミを漁るぜ、のような戯言を吹聴するゴミのような音楽に傾倒したりする。
弱者同調やガス抜きで思うつぼのダメ人間に固定される。
大勢の人が、それが人間ドラマだ。苦境に耐え助けあって行こう、などと戯言を言うなら、私は嫌われても汝光なりと言う。
それが真実だからだ。
光を徹底的に消すのが教育だからだ。
振り出しに戻る
地下道は清廉であり青縞島には繋がっていない。それは1981年の亀有のアジトに通じている。
私はアルバムPotpouriの帯に掲げるコピーを思いつき、さっとメモを取った。メモにはこう書いてある
ロックは恥ずかしい
またこんど!!!
BEACON
私はさっき「無いもの」と言ったが、新譜「BEACON」の中では「無い」という表現が相反する意味を持って出没する。
俗世間が「無いもの」としているある種の気配に説得力を持って影響を受けた経験があり、その回数の多さから「無いもの」に信頼を置いている者ならば、俗世間が「有る」と喧伝するものが「無い」と直感でき、俗世間の証左であるところの「有るもの」たちの無価値を知ることができる。5回読みましたね?
やっかいなことにBEACONでは相反する「無い」が続けて出てくることがあり、それでも俗世間が「無いもの」としている気配や事柄に信頼を置く貴方ならすぐに違いが分かり、迷惑極まりないロジックの森で迷子になることはない。
ハードHSPである私は俗世間の機微に電撃的なショックを受ける日常を送っているにも関わらず何故崩壊しないかというと自己救済、自己修復のシステムを持っているからです。
私の周りを砦のように取り囲む自己矛盾する概念を見てください。
ケイオス・ユニオン
ステルス・メジャー
SP-2(トランスジェンダリズム)
BLACK IN WHITE
その他いろいろ
そして私はギターを弾く反ギタリストです。
私の弾くギターは、反ギター運指、反ギターフレーズです。
社長である私は奏でる用務員です。
分かりますか?よく見てください。
自己矛盾はヒラサワを肯定することしかできないのです。
そしてヒラサワを端的に表現する明快な次元です。
HUMAN-LE
旋律が湧きいずるに際してそこには何の検閲も負荷も圧力も無いことを認めるるならば、たちまちのうちに妙なるメロディーが流るる。
流るる旋律を親心なる眼差しを持って眺むるならば、常日頃は検閲や負荷や圧力だらけの生き物としていかに制限された愚かな二足歩行なのかと驚愕する。
この愚かなる蒙昧なる盲目なる狂信者なる二足歩行は、元来はすごいのだと分かる。素はすごいのだ。
神をして「すごくね?」と言わしめる二足歩行だったはずなのである。
さて、23万の素凡夫の皆さん。
明日の朝目覚めたあとの数秒間、「標準」なるドグマの毒が貴方に流入するまでの数秒間、貴方は神だ。
その間に全て解決してしまえ。
儘ならなさが進化の正体だと学べる図書館はここ。
適者生存とは
右へ倣えば生きられる
と訳される。これを進化と錯覚させるように担任の先生はがんばった。
適者から意志を持って踏み出し、儘ならなさの上に新しいゲームを打ち立てるのが進化であると小5の時言い返せるボキャブラリーがない。
当面の間ヒト科に必要な進化は
帰還することであるという都都逸はヒラサワのレパートリーに多く見られる。 ヒト科は何万年も昔から邪な動機の奴隷だが、
私は「打数」に仕える邪な者として「打つ男」を従えて人々を揺すろうとしている。
豪雪の森で遭難した者の肩を掴み
「起きろ!こら!寝るな!」
と叫ぶあの男が揺する古木の枝を見て笑う人々の肩を揺すり
「起きろ!こら!寝るな!」
と叫ぶ者の声が聞こえるか?
ヒト科は何万年も昔から映画を見せられており起きている人をあざける寝ている人という見事な脚本が完成している。
この映画は観客そのものが映画だ。
死の印象をもって見せられる非帰属の愚かさとは無縁であるために喜んで差し出される人たる所以と引き換えに与えられる「保証」なる緩慢な死。
展開例:父なるシステムの保護なる注射針。
それはさておき、観客そのものが映画であるこの映画のタイトルは
「生存のために必要な物を得るための生存」
何時から映画の質を興行成績で示すようになったか。(たぶん80年代?)
人類をナメるのも程々にしていただきたい。
80年代は見世物が臆面もなく人類をナメ始めた時代だと記憶する。
缶切りは缶の中にあります。
これが人類史だ。
ここで頭をひねっては負けだ。
「別に中身は欲しくない」
と言えば良い。
さあ、綺麗な場所に行こう!
okagesama
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