平沢進の若かりし頃の話
ヤンキーの女性から一方的に告白され一方的にフラれたとのこと Q:平沢さんはかつて声優のプロダクションに登録されていたと聞きましたが本当ですか?! A:声優ではなく、ナレーターです。ある人に頼まれて登録しましたが、仕事を断ってばかりいたのでリストから消えました。 Q:小学2年生の子どもが平沢さんのライブに行きたい!と言います
平沢さんは初ライブは何歳でしたでしょうか?
Q:七夕になると毎年七夕飾りを川に投げ捨てたお話を思い出しますが、他にも幼少期のやらかしエピソードあったら聞きたいです。
A:運動会の意味がどうしても分からない小ステルスは一等賞になるのが分かりきっている徒競走から逃れるために脱走した。逃げ足は速く誰も追いつけなかった。
Q:平沢さんが初めて曲を作ったのはいつ頃ですか?
A:確か中2の頃だったと思います。
女子高生のミニコミ誌のインタビュー記録
女子高生時代の怖いもの知らずのわし、自分が立ち上げたミニコミで平沢進さんインタビューを決行。当時は今と違って深刻に崇められ過ぎてて、ご本人的にも難しい時期だった。そんな御大に「好きな食べ物は?」とか訊いてるの、今思えばだけど結構いい仕事した気がする…!
https://gyazo.com/f376450bdd2fc0174cbb9a30b2517f21https://gyazo.com/35dfc300488fa429d36bb219f6c23bea
Q:ライブ中にゴミ箱を投げつけられても自分の音楽を続けようと思った信念の強さはなぜもてたのですか?
A:学際のライブなどというものは飲み会と一緒という認識。求められるのは既知のものを共有して盛り上がることです。そこにお邪魔したのですから拒否されて当然。信念以前の話です。
過去の自分に言いたい言葉
それが失敗かどうかは30年後に判断しろ。
Q:平沢さんが人生で一番後悔したことはなんですか?そしてその気持ちをどう片付けましたか?
A:それが後悔に値するかどうかを20年後にもう一度評価してください。むしろ貴方は「適格に成し」「そうすべくしてそうした」という評価に出会って驚くでしょう。
またこんど!!
Q:学生でなくなった時の自分が一切想像出来ず漠然とした不安を感じています。平沢さんは学生時代、2、30代の自身への展望はありましたか?
A:勤め人にはならないという強い確信だけがあり、時間の流れと人の流れが強制的に自分をその方向に引っ張っているという感覚に身を任せておりました。つづく
毎度言いますが、未知の未来には悲観と楽観の側面が50%ずつあり、理性は悲観的予測を支持する傾向があるためバランスを取るために直観的楽観を重んじる練習をすべきです。この技術は将来大いに役立ち、迎えた現実の解釈に幅が出ます。つづく
究極的には直観に従い、楽観の潮流に舵を切ることに自信を持つようになります。
だから安心してください。将来迎えた現実が良いものか悪いものかの判断は20年後にしてください。ほとんどが良かったことが分かります。
Q:若い頃の平沢さんのインタビューで「早く老人になりたい」という様な事を仰っていましたが、理想にはだいぶ近付けましたか?
A:人が私の活動史的背景を認知しながら、私が何を言うかについて説得力を感じてくれるようになった、という意味では理想に近づけたかもしれません。
Q:お髭は伸ばさないのですか?
A:79年あたりの私の写真を見つけてみてください。照明によっては髭剃り後が青々としています。それが嫌で抜き続けていたらやっと生えなくなりました。それをもう一度伸ばせと言うのでしょうか。イヤです。
もう一つ、ところで、山頂やPEVOの居留地区では夏祭りの気配が濃厚で呼吸への負荷が増している。
私は祭りの余興で出るバンドさんを侮らないことにしている。
勿論99%は見て後悔するけど。
何故侮らないかというと、私は中学生の時のバンドで祭りの余興に出ていたからで、少年ステルスは後になにがしかになっている事を考えると、メンバーや環境に恵まれずにくすぶっている少年くんや娘さんが紛れているかも知れないからだ。
とはいえ、当時中学生のエレキくんはかなりセンセーショナルだが、生意気なエレキくんはみんなが知っている曲を演奏しないので誰も喜ばない。
もし、そんな生意気くんが祭りの余興で発見できたら「いいね若人」くらいの声はかけてやってもいい。
だが、今まで見たことない。
誰も喜んでいない中、
あるいは
誰でも構わず喜ぶ観衆の中
熱烈に支持してもらった経験は
忘れないもので、その2例を次のポストで。
ある立▽教大学の学際で演奏中に公園等にある鉄製のゴミ箱を投げられ「かえれー」と叫んだ若人たちに少しでも早く学内のコピーバンドによるスモーク・オンザ・ウォーターを聞かせてやるために演奏を中断してステージを降りた。ステージ脇に2人の若人が来て
「こんなヤツラのためにやってやることないですよ。普段何処でライブやってますか?絶対行きます」
と言ってくれた。
バイト経験
Q:最近、平沢さんのおかげで勇気を得て、夢を叶えるために仕事を辞めて何かの準備期間を持っています。 その一環としてバイトもしていますが、平沢さんが経験したバイトの種類が気になります。また、その経験が人生に役に立ったと思いますかをお聞きしたいです。
A:
01:鞄職人のアシスタント
02:プラスチックレンズ工場
03:ドラム制作工場
04:住宅解体
05:清涼飲料倉庫
06:不審な書類運び
07:青果市場
08:ステンドグラス工房
09:チリ紙交換
10:製本工場
11:交通安全看板貼り
12:金貸しの運転手
13:外資系不審な会社の書類整理
14:シンセサイザー教室講師
15:CM音楽制作
16:ラジオ番組効果音制作
17:女性誌インチキ特集の捏造インタビュー
18:音楽誌レコードレビュー
19:シンセサイザーマニピュレーター
20:ジオラマ制作
21:ナレーター
全部で25以上30未満ありましたが、忘れたものもあり、今新に思い出したものも含まれています。
後半は順序不同でP-MODELデビュー後に継続されていたバイトも含まれます。
全て役に立つ経験です。
私のバイト遍歴のいくつかがセンセーショナルだったようで、既出だが若干説明を施す。
01:鞄職人のアシスタント
これは鞄職人である平沢四郎のアシスタントで小3の夏季に一か月ほど勤めた。主に型の輪郭を皮革の裏面にボールペンで描く。延々描く。
小3には手の出ない価格のトランシーバーを欲していた小ステルスに、「じゃ、オマエおれんとこでバイトしろ」と言われてお勤めした。
トランシーバーは買ったが1台なので通信する相手がいない。
それでよい。
私はトランシーバーが欲しかったのであり、通信相手が欲しかったわけではないので。
小3ステルスはトランシーバーの電源を入れては受信相手の居ない
サーーーーー
というホワイトノイズに向かって
「誰かいますかー?」
とか言っていた。この経験は只今発売中「Filter」インタビューの回答に反映されている。
三つ子のノイズ百まで。
02:プラスチックレンズ工場
高2から高3まで続いたバイトだが、工場長の三段腹のオジサンがゲイでオラ、セグハラをされていたが当時は長髪が出来るバイトはほぼ無いので抵抗しながら忍耐した。
ある日、地方から2人の娘さんが入社してきた。
しばらくすると二階の休憩室で娘さんたちが私の昼食を作ってくれるようになり、何故が独りのお腹が膨らみ始め、もう一の膨らんでない娘と二人がかりでオラをセグハラしようとしたので、やめた。
レンズ磨きとセグハラの相関関係を学ぶ。
学ばない。
06:不審な書類運び
MANDRAKE時代である。
知り合いが「書類を運ぶ人を探している会社がある」というので応募した。当時宅配便は無い。面接も無しで採用が決まり、中央線沿線のとある中小企業の事務所から書類を預かり指定の会社に届けた。
長髪沢の宅配便。
二度と仕事は来なかった。
10:製本工場
バイトとしては、いたって普通。
だが、長髪でもOKが出たのには訳がある。
扱っているのは医学系の雑誌で、解剖写真は当たり前。昼食前に頭蓋骨を外された人のカラー特集が前菜となり、大やけどのグラビアがデザートになる。動物性食材の高級フルコースを満喫。
1年以上務めた。
従業員に初老の自称洋楽通の男性がおり、近所の自宅に招かれたりしているうちにMANDRAKEのライブを見に来るようになった。彼の感想はこうだ
12:金貸しの運転手
バイトの姿を人に見られてはマズイと思い運転手を探した。
どうも「ボ」の雰囲気が漂う事務所だったが極貧からスグに脱出したいために採用してもらった。
「おい、平沢!ここにこれから行くと電話しとけ。今日は締めていくぞ」
電話をすると
「夫は亡くなりました。来ていただいてもどうすることもできません」
と言われた旨、上司に伝えると
「また〇殺か」
こわ。
1か月でやめた。
17:女性誌インチキ特集の捏造インタビュー。
貧乏は辛い。これはP-MODELのメンバー全員が「結婚詐欺師」として顔写真を提供しています。勿論目は黒塗り。
以来私は詐欺師です。
またこんど!!
さて、私のバイト遍歴を見ていると色々と想いが巡る。
そこで本日も脳に手抜きをさせて
「綴る半身浴」ステルスバイト遍歴解説をやる。
私レベルのステルスになれば脳にも手がある。
概観するとアヤシイ業務や業界的詐欺的作業が含まれている理由。
高校生からMANDRAKE期は長髪であるため一般的な業種では不可とされる。当時長髪は反社会的であり反抗的であり非常識であるとされていたため。
つまり白い目で見られる。
白い目の視線が過剰に当たり、私の目は脱色された。
P-MODEL期はバイトさんが居付かず、簡単にやめられる業務を選ぶため、アヤシイ職業となる。
後期は業界に潜入し「言った者勝ち」的な図々しさやハッタリで切り抜けてゆく。ストレスは膨大。一日も早く脱出したい世界。
ハッタリで思い出した。私は都内楽器店の店頭でシンセのデモ演奏もした。汗。
05:清涼飲料倉庫
MANDRAKEのヴォーカル君と一緒に積み下ろしの夜勤作業をしていた。
ある日ヴォーカル君は明日彼女に告白すると言っていた。翌日「フラれた」と言い、その翌日のリハーサルには現れなかった。それから二度と現れなかった。
歌い手ヒラサワの誕生奇譚。有名な話。
03:ドラム制作工場
民家を改造した小さな町工場でシンバルやスタンド類、ドラムのリムなどを制作していた。製品には見たことないブランド名が刻印され、バッタもんだとすぐ分かる。
何故か当時日本では販売されていないモズライトの弦が大量に保存されていた。つづく
社長が弦を全部持っていけというので全部もらった。
雑誌の「売ります買います」で販売し(当時ネットなどない)、バイト代より儲かった。
バイバイ、パートのオバチャンの無駄話とAMラジオの滅入る世間話。
20:ジオラマ制作
指に小さなゴルフクラブを装着して小さなゴルフをやるためのジオラマゴルフ場制作。
立派な大人相手の遊具設定。
2人がかりで制作するため、相棒の世間話を苦痛に思う若沢の邪気が染み込んでいる。
理由。ちっとも面白くないから。
その後倒産。
バイバイ、相棒。相棒は正社員だった。
08:ステンドグラス工房
詐欺である。
電話で勤務地を問い合わせたところ
「当社はアメリカン方式をとっていますので自宅でお好きなファッションで働くことができます」
と答えた。
なるほど、バカを募集しているんだな、と分かったが説明だけでも聞いてみようとノコノコ出かけた。
知っていながら出かけて行くのはもっとバカである。しかし、長髪が出来るバイトは少なく、万が一にかけて詐欺の元へと足早にバカは行く。
説明を聞いた後、半ば強引に材料を渡されサンプル通りに作ってくれば報酬を渡すと言われた。
今のところリスクも無いしやってみるか、とバカが上塗りされる。
一週間後、数十枚の完成品を持って行ったが、雑だとかここが違うとか難癖をつけられ報酬は無し。
次に違うお兄さんが現れ「一旦清算しましょうか」というので、え?
と思っているとバカ高い材料代を請求された。
金が欲しいからといって詐欺の懐に飛び込むバカは秋葉原で拾われる。
一度も触ったことのないシンセサイザーのデモ演奏者募集に駆け込み、採用されてしまう。
貧乏はなりふり構わず報酬の匂いに突進させる。
何だか知らないが、デモ演奏が評価され、Y△M△H△シンセ教室の講師をやれと言われ、何だか知らないが「はい」と答えた。
安心したまえ貧乏君。メゲなければ貧乏は紆余曲折の後に良い物を持ってくる。
またこんど!!