【カード法論】
#163:カード法について
梅棹やルーマン的にカードを用いるならカードとはテーゼを書くものだが、着想からテーゼを導き出すには訓練が必要であり、それをわかっておかないとうまくいかない可能性がある。
着想を疑問のままにしておくとふんわりしてしまうが、疑問をテーゼに変換することを意識するという選択肢もある。しかし早すぎるテーゼ化は危険だと予測される。
一方で、テーゼを起点とせずに文章を書いたとしても、筋を通す努力をして書かれた文章にはテーゼが宿るものである。
そもそもカードの使い方は多様であり、主張(=論理)を作る以外にももっと自由なカードの使い方はあり得るはずである。つまり「情報整理」の「整理」は多義的と言えるかもしれない。思考のプロセスの中でカードがどう活かされるかが問題であり、カード法の選択にあたってはコンテキストを踏まえる必要がある。
カードは粒度の揃わない情報を統一的な形式で扱えるので、カード間の関係を示すために「しかし」と書いただけのカードを作ることもできる。しかしデジタルツールの設計ではそのようなカードの使い方は難しく、その中でPowerPointは文脈と結びつくタイプのデジタルカードとして活用し得る柔軟性がある。
B6サイズは万能で、まとまったことを書くこともカード的に断片を扱うこともできる。(※京大式カードはB6判)