疑問をテーゼに変換する
#163:カード法について
45:13
(倉下)(「「情報整理」の「整理」は多義的である」のように)思いついたことをどんどんテーゼの形で保存していけば、豆論文/ルーマンカード法になるわけですけど、情報整理の整理って何だろうみたいな疑問でいくと、そこには至れない。至れないというか、違う形になる。その形で保存していくタイプの方法をまた見つけるのか、ちゃんと訓練するのかっていうのはわからないですけど。だから、そうかこの自分の着想もこんなふうにカードの書き方を変えていけるんだなっていうのは、その時思いましたね。テーゼで書き直せるんやとはちょっと発見しました。
(Tak.)それってでも結局、アウトライナーでいうところのレベルアップをしてる。(中略)だから、そうなんですよね、レベルアップの結果として、そのテーゼ(になる)、ちゃんとしたテーゼには意識しないとならないかもしれないですけど、着想がテーゼの形で振ってくるってまずないんじゃないかなと思いますね。
着想からテーゼを導き出すには訓練が必要だがその訓練を進めるのか、テーゼではない形でのカード法を模索するのかという話。
のらてつ.icon「テーゼ化前/テーゼ化後」という線引きが生まれることで情報の扱いが楽になるところはありそう。個人的にはずっと「疑問」と「仮説」で分けて考えていて、それはそれで悪くないけど、仮説はひとつの疑問から複数発生する可能性があるし「それらしいことを思いついた」というだけであって自分がそれを信じているとは限らないから、「疑問からの仮説化」より更に進んだ先に「テーゼ化」があると考えると整理がつくかもしれない。現時点では仮説とテーゼが混在している。