「スゴ本」の中の人が「読書猿」に聞く ―― 問題解決としての『知』とは?_コピーページ
編集権限
当日喋る原稿は当日準備します(下に)。
初回なので放送事故があるかもです。ちなみにスライドも原稿も全然用意できてないので、できたら延期したい気持ちです。
サムネイルの設定もできてないし、画面共有もできるか心配になってきました。
以前、Twiiterで知り合った方とスカイプで今回の記事と似たような内容について2時間ぐらい喋ったことがあり、今の視座からもう一度このことについて考えることを目標にします。
あんまり想定していないですが、当日Discordからコラボ配信することも可能です。
原稿
初めまして。通信教育の大学の教育学部4回生のまつどといいます。今回を初回として、これから一年間かけて、教育にまつわる本の配信をしていく予定です。お願いします。
初回配信の、今回取り上げるのは、本ではなく、ネットで読める記事で、上に挙げているものです。
お詫び
去年企画した
を声を何人かにかけさせていただいたのですが、うまくやってる人たちを巻き込んでまで実現するべき企画なのか分からなくなってしまって、結局実現できなかったこと、その旨を謝罪できなかったこと、ここでお詫び申し上げます。今後このようなことがないように注意していきます。
配信意図について
一年間の配信を通じて、自分の教育にまつわる知見の更新を図ることを目指す。
教育学及び、教育全般の話題について、整理して情報共有することを目指す。
教育にまつわる書籍を積読している人の積読消化に貢献することを目指す。
読書を通じて、意見を交換できる場所を提供することを目指す。
今回は、当初の予定では、自分がどんな問題意識をもって学習してきたかという話を、
「スゴ本」の中の人が「読書猿」に聞く ―― 問題解決としての『知』とは?
を読みながら、喋ろうと思って準備していたのですが、よくよく考えてみると、議論を噛み合わせるが大変で、そのあたりのことを考えると、事前にTOK本を2冊ぐらい取り上げてから、この記事を読むというふうにした方が視聴者には優しかったかなと反省しました。もうちょっと、噛み合わせた議論は、再度取り上げてやるかもしれないです。
今回の記事を読むかぎり、そんなに難しい内容には思えないのですが、あえて、整理し直すことができるとするならば、TOKに基づいて知識に関する議論を整理しながら、そのなかでこの記事を再評価してみるというのがいけそうかなと思ったのですが、これは今回は間に合わなかったので次回以降に。
『TOK(知の理論)を解読する』には演習課題がついていて、これ興味あるひとがいれば一緒にコラボして演習課題を解いてみるみたいなことをやったら楽しそうなんて思うんですよね。 正直、今の気持ちとして、知識に差があるとき、「教えること」を前提に配信をしないといけないので、そのあたりの設計が難しいかなと思いました。他の方の配信だと書籍を読んでいなくても分かるというような配慮があることが多いので。
IBの学習者像
探求する人
知識のある人
考える人
コミュニケーションができる人
信念をもつ人
心を開く人
思いやりのある人
挑戦する人
バランスのとれた人
振り返りができる人
2016.12.14 かしこいはつくれるー来たるべき人文知のためのプログラム(大風呂敷)
2010.04.13 好機(カイロス)は知識(エピステーメー)の目に止まらない/「知を愛する」2つのやり方
2014.07.12 パラダイムとかクーン『科学革命の構造』を5分間で説明する+オマケ
まつどは、できることなら人生において学ぶ時間が多く取れるような生き方がしたいと思っていて、大学における研究者というのも当初は目標として持っていたのですが、最近では、自分が特定の分野において論文を書き続けることができるのか想像ができないので、難しいと思っています。
「録音・記録する」人がいるという話を聞いて、先日読んだ記事に、HDDの低価格化が進めば、例えばPCの操作をすべて記録することができる(つまり、スクリーンショットで作業ログを残さなくても、ライフログのようにすべての操作を巻き戻すことができるようになる)。というような話があって、仮にそんなことが可能になる時代と、今、そして過去とで、どんな質的な変化が起きるのか考えてみると面白いと思います。
例えば、現状だと、過去のことは、各個人の脳の記憶ストレージに格納された電気信号や、文字化、映像化されたデータ、紙に書かれたデータを通じて、間接的にアクセスできます。あのとき、あんなことがあったというような回想をしたときに、当時においてデータを残す努力をしていない場合、各個人の記憶という曖昧な情報から推測するしかなくなるということがあります。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年12月3日
スパイダー討論は、ICTを活用しないことがベストだと『最高の授業』では書かれているけど、あえてICTを活用してScrapboxとDiscord、ブログ、Twitterなどを組み合わせてオンラインで議論する場合と比べて、ネットワークのあり方はどう変わるんだろうか。
まつど @matsudotsuyoshi
4月18日
「スパイダー討論」で、対話にはPCを用いるなというような話があったので、それに対するアンチとして、ネットでの交流について配信を通じて考えてみたいなという思惑があったりなかったり。
あらゆることを記録することのリスクというのも当然あります。
個人情報の流出やリベンジポルノ、ネットと現実の境界が曖昧になる(匿名が匿名として機能しなくなる)など。
一方で、自分が考えていること、考えていたことを後になって検証しやすくなったりすることに意義を求める人は、できる限り、データを保持し続けることを望むだろう。
まつども、以前は岡田斗司夫のスマートノートみたいに紙のノートで記録を残すようにしていて、ノートが150冊ぐらいになったけれども、引っ越しのときにスキャンが大変だったのでほとんど処分してしまった。蔵書も大部分も売ってしまった。部屋が1/3以下になって、新しい本を置く場所もないようになると、どうしても参照したい本は断裁してスキャンして電子データで残すしかなくなる。佐藤優は、電子データ化を嫌がっていたけれども、実際のところ確かにデータ流出の懸念や、バックアップが不十分な場合にデータが欠損する可能性もあるし、もっといえば今後大量の電気に依存する社会が成立しなくなる可能性もあるかもしれない(そうなると電化製品は役に立たない)。でも一方で、地震が来て火災が起きれば紙の書籍やノートは全損するし、原稿もコピーがなければ行方不明になる(辞書を作って、その原稿がなくなって、辞書を作り直したという話があったような)。大量の紙のデータは、読まれにくく活用されなくなる。そういう大災害のときでもクラウドに保存しておいたデータは全損を免れる可能性がある。そういう意味で、ノートや書籍の保管場所が用意できない貧民の自分には、できるだけデータで保存しておけたら便利だなと考えている。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年9月26日
佐藤優がノートを作るときは、分野ごとにノートを分けず、時系列順にやるのがいいということを書いていたけど(佐藤優は紙にこだわるけど、量が多くなると管理できないし、検索性も悪い気がする)、Scrapboxはジャンルごとに分けないという使い方もあるかもなあという風には思った(自分のためならok
AIの眼を駆使する「超」仕事法(目次) 野口悠紀雄
閉じた環境において「(その場では)検証ができない」ような正しさを主張することの危うさがあると思っている。
「かしこさ」の逆の方向へ進んでしまうような人は、自分の主張の正しさを、他人の反証手続きを経由することで証明するのではなく、もっと別の理屈で(例えば、人生経験からとか)正しさの根拠付けをしがちではないか。
政治がしたい。社会変革を起こしたい。といった信念に基づいて行動する人は、特定の主張をあたかも正しいように見せることが、最終的に
「マシンガントークの応酬になり、メモが全然、追いつかない」
自分なんかは、PCで動画を観たりするときは、常時writerappsで自動書き起こしするようにしていて、現段階だと無課金でもそれができるので、やってるけど、現実のリアルな対話って、知識量の違いで、齟齬が起きやすいし、自分もまた相手の時間を拘束してまで対話したいか(別に聞くだけでもいい)と思ってしまうと、「対話」の時間が学習にとって意義のあるものとは思えないというふうに感じてしまうことがあって、アクテイブラーニングの授業は、結果的にメモなども離散し、実のない時間を過ごしてしまったというふうに思ってしまうことが多いように思っている。
でも、各自が事前に調べてきたログをScrapboxなどで共有して、その上でそういった議論に臨むならば、ログを残しやすいし、後で議論を再検証できるので便利だと思う。
Skypeとかも、よくよく考えてみるとWindows標準の音声録音機能でデータ残しておけば、課金して書き起こすなどの使いみちもあると思う。
まつど @matsudotsuyoshi
4月4日
SNSでの繋がりはSNSが無くなると同時に消滅するので、リアルでの繋がりこそ大事だという主張は、それなりに的を射たものだと思うものの、頻繁に会いたいかというと微妙だけどSNS程度の繋がりは許容できるみたいな人の方が多い気がしてきた。リアルで会いたい人そんな多くない
逆に、仕事では会うけど、SNSではフォローしたくない(相性が合わない)みたいな繋がりも人によってはありますよね。自分が会いたくない理由は相手を拘束するだけの価値を自分が与えられないという価値の不均衡さを感じること(聴くだけならSNSで十分)だったり交遊費不足だったりしますかね。
飲み会だと交通費含めて1日5000円ぐらい使ってしまいますし、それだけかける価値のある時間を「誰かに会う」だけで得られるという実感がほとんどないし、自分が話したいことを話せるような関係でなければ尚更意味がないように思われます。ダンバー数という概念も現代においてどれほど通用するものか?
まつど @matsudotsuyoshi
2018年3月24日
#ぱおトーク 「問うに値する問いとは何か?」自分としては、「価値」の話と関連させると面白そう。論文を書くという「目的」のもとで価値のある問い方も、自分の頭を整理したいという「目的」のもとで読む価値のある問いもある。目的に応じて「問い」の価値も変わるというのが結論。 外送理論と内送理論の対比
まつどにとって、知を求める動機づけは、この文脈で言うと、内送理論のようなものだったと思うし、今でもそれに基づいているところが大きい。眼の前で苦しんでいる人がいて、その原因が、その人の認識によるものだと、仮説を立てるならば、自分はそのひとのために何ができるか、自分が代わりにそのことについて説明できるだけの基礎学力を身につければ、当人も納得するのではないかと思ったことが、学習の動機だったし、それは眼の前で選択や判断を失敗し続ける人がずっといたから、辞めないでこれた(逆に辞めようと思っても辞められなかったともいえる)。
でも今になってみると、その努力が誰に対して還元されたという実感は全く無いし、もう辞めたと思って、サブカルへ興味を移した後になっても何度も、自分が書かないといけないことがあるというふうに使命感を抱くことがあって、とくに大したことも書けずに終わってしまっていて、何度も失敗して、今回の配信も再挑戦というふうになるのかもしれない。
内送理論のエピクロスにとっては、見ることは、体に飛んで来た何かがぶつかることと大差ない。ここで問われているのは、「知」(認識)の可能性ではなく、不可避性です。つまり「知」(認識)は痛みのように避けようがないものだと考える。「知りたくなくても思い知らされることがある」というわけです。
まつど @matsudotsuyoshi
人文学的教養を厳密知と実践知に分けて、すぐには身につけることができない技術を厳密知・すぐに実践できる技術の提供が実践知と捉えるとき前者はさらに身につけてバリバリ役立つ応用系と身につけても役に立つかは分からん純粋探究系の知恵に分けることができて読書猿ブログは3つカバーできてると思う
7:38 - 2017年5月9日
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月8日
「気に入らない議論を吹っ掛けてくる人にカチンときて、そのもやもやを整理するためにギリシャ哲学と分析哲学ちゃんと勉強したいという態度」のことを指して研究とはいえないなんて言い切れるんですかね。これまでの研究結果では不十分だからそこに新たな知見を加えようという勉強は研究でない?
まつど @matsudotsuyoshi
2018年12月6日
最近、Twitterでも話題になってた社会学の対談本みたいに特定の学術分野を盛り上げていくためには、「まだまだ研究していかないといけないことがあるよ
「人手が足りないよ」「これを研究していけばこんなことが証明できるかも」みたいな展望を若手に対して見せていかないと後継者が育たないのかも。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年10月20日
心理学は個人の問題を解決するための学問ではありませんという話は、まあそうなんだろうなという風に思うのだけれど、教育学やとりわけ問題解決や創造性研究については、それを学ぶことと自分の問題に向き合うことは繋がりそうな気がするとアイデア大全の参考文献を通読していて思ったりした。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年7月18日
創造性研究の本はさておき、問題解決の本に関しては、「一冊で十分」と言い切るのは、色々と異論があり、もっと検討していくべきなので、それは一人でやるよりは、マンパワーを分散させて、手分けしてやっていけるような仕組みを作っていくのが妥当かなって。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年12月6日
たとえば学習科学ハンドブックを「精読」するとするならば、各章の文献にも目を通す必要があるが、これらは英語の文献なので、労力をかけないと目を通すことができない。「専門家」を志すならば、各レビューをScrapboxなどで書いて共有して、先行研究に足りない部分を炙り出していく必要がありそう。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年12月10日
論文を書くことが研究の必要条件ならば、いま世の中でいわれてる学術的な価値の議論の多くが実は研究とは無関係みたいなことにならないですかね。(自分で書いてて分かりにくい)自由研究も実は研究ではなくただの実験だとか調べ学習に過ぎないとか定義することにどれほどの意味があるのか。
まあ、最近はこの主張をうけて、研究という言葉を使うのに慎重になったし、自嘲的に自分のことを「勉強オタク」と呼んだりするようになったけど。さすがに、自分で自分のことをイキリ勉強オタクって呼ぶと批判を受けそうだし、それはやらないけど。成果を出せない人間をイキリ呼ばわりするのはさすがに
「自分の勉強していることを研究だと主張するなら、さっさと論文を書きなさい。書けないのならそれは研究でなく、ただの勉強趣味に過ぎないのではないか。」という風に前に言われて、これは難しい主張だなと思っていて、もしこれが正しいなら学術的な価値というものが揺らぎかねないと思うんだよな。
特定の学問分野においてその方法論に基づいて研究し、新しい発見をする。そしてそれが正しく方法論に基づいて検証されてているかを、その学問分野に所属する人が検証する。こういったプロセスのなかで研究に確からしさが付与される。その確からしさのことを学術的な価値と見なしているのかもですね。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月8日
論文を読むことは専門家が研究のためにするべきことで、一般人はそんなことをする必要がないと主張する人がいるんだけど、ちょっと違うと思うんだよな。この記事読んで考えて欲しい。
100冊読む時間があったら論文を100本「解剖」した方が良い
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月8日
先行研究を漁って、それらを整理してそこから一歩踏み出した議論をしてる訳で、僕の発表のオリジナリティというのはそこにあるのに、何も考えてないとか言われると最近Twitterで流行ってる両津の漫画の全部同じじゃんみたいな話と同じで、勉強してる人には分かる差異という問題は難しいなって。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月12日
IT系でなくともブログに、こういうことをやりたいとか研究しているという風にアウトプットしているなら「なるほどこの人はこういう問題意識で努力しているんだな」と思い、できるだけ関連情報を意識して読書するようにしてる。こういう学習態度がゆとり教育の原点にあった学びの共同体論と繋がる。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月28日
ネットの文章は読む価値のあるものが少ないという人の言ってる気持ちは分かる。先行研究の議論だとここまでしか辿り着いていないけど、さらにここまで考えたという部分が読みたいのに、先行研究すら全く押さえることの出来てない文章が大半なので、読むだけ無駄と思ってる人も多いと思う。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月8日
人文書でめっちゃマウンティングしてくる本とかあるけど、出典を聞くことって野暮というかそんなことも知らないの恥ずかしいという教養至上主義があって、それがスノビズムと繋がってる。だから独学でも誰でも専門的なものの見方を身につけ対等に議論できるように支援することは反スノビズムだと思う。
読書猿『問題解決大全』4刷、『アイデア大全』9刷 @kurubushi_rm
返信先: @matsudotsuyoshiさん
教養主義の、マウンティングまでいかなくても、より多く知る者への劣位感を煽り立てる象徴的暴力に抗することを思って、研究や学習の方法論について書いているところはあります。知っている人には当たり前でわざわざ言うまでもないことだろうと思いながらも書くのは、その理由が大きいですね。
まつど @matsudotsuyoshi
僕の態度への批判を対面コミュで受けてるときに、色々思ったけど、相手の言ってること一文一文についてネチネチと批判するのは簡単(文章にしてくれたらもっと簡単)。怒りを抑えないとそういう風に嫌なやつになってしまう(対面コミュは的外れな議論を延々と聞く我慢力が必要)。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月8日
その他 まつどさんがまつどをリツイートしました
態度批判というのは知識人論とか転向論を参考にすると面白くなりそうだな。学術的に態度を批判するなら方法論の話や研究倫理の話とも繋がってくるし、人格批判となるならその人間の生き方そのものをある程度知らないと普通は無理だよな。
『知識の哲学』という本は、僕が好きな著者である稲葉振一郎(『経済学という教養』や『社会学入門』、『[])さんのブックガイド まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月5日
リーディングリスト稲葉振一郎@shinichiroinaba
「野望としての教養」(浅羽通明)「新教養主義」(山形浩生)に多少とも資することをも念じて。とりあえずは「教養」であるが、最後の倫理学の項目だけはやや専門的であるかも
まつど @matsudotsuyoshi
2017年7月10日
戸田山 和久(著)
前に稲葉振一郎さんのHPで紹介されてて読んだ。また読み返して、TOKの本の知識論の設問を解くとか、
知識と推論
新田 克己(著)
といった情報科学よりの議論と繋げたい。
7月16日@matsudotsuyoshi
まつど@matsudotsuyoshi
『TOK(知の理論)を解読する』では確かに分野横断的な視点があるけれど、「分野相互の結びつきや、垣根の下を地下茎のように越えている連関を鮮やかに見せてくれる」かというと全然そんな感じしないんだよな。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年4月23日
その他
の冒頭で、「とは何か」という形式で問うことについて書いたことがあって、高校生のときの国語の時間にマインドマップで中央にそのキーワードを書いて派生するというのをやったな。
もう、いまは昔の話で、最近はほとんどこういうことやらなくなっちゃったしな。そういう意味で、昔はこういうこと考えてたなと思い返して、書いてみた。先入観というものから逃れるのは難しい。とは何かと問うことが仮定破壊につながるものかは不明。
まつど @matsudotsuyoshi
2013年6月17日
法とは何か?ってという設問の仕方で、人間や歴史、記憶、共同体、欲望とかの本質を個々に迫った後で、法にとって歴史認識とは何か?という様に「~にとって」の形でそれぞれの概念を代入してさらに個々で考える。それらを総合して歴史認識とは何か?を考える。すると結論は矛盾を含んでしまう。
まつど @matsudotsuyoshi
2014年2月11日
「現実」とは何か?と問うときに、自分が実感をもって納得できることから考え始めるのが普通。でも他者を理解していきたいと思うならば、自分にとって実感の持ちづらいことでも公理に採用して思考実験をする必要がある。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年12月21日
『アイデア大全』を読んで、これが理想だというアイデアを思いついて、『問題解決大全』を読んで、じゃあ現実にそれがないのなら自分で作ってやろう。と思って調べ学習(未刊『調べもの大全』)をしてみると、先行研究のありがたさに触れて、やっぱり勉強してきてよかったと思う的な(未刊『学習大全』
まつど @matsudotsuyoshi
2018年7月18日
「学習大全」が、学習科学ハンドブックやTOKの劣化版になるのではと思うのは、結局のところ、実用性に欠けそう(例えば、これまで通り抽象化を強調する路線ならば、メディア拡張性の観点で各メディアを通じて自分を拡張していくかという視点で、本というメディアの制約の中で書けるのかとか)。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月21日
独学を考えるとき、例えば色々な目的があるでしょう。ゆえに独学という言葉を受け取るイメージも人によって違う。独学が良くないと考える人も結構な割合でいて、動機付けの問題や評価などシグナリングの問題に帰着する。読書猿さんが学習大全を書くならこの部分は避けて通れないでしょう。 #L大 //2019/04 独学は、学んできたことを証明しにくいので、就活とかも大変そう(実際、大変。)。それが、ここで書かれている「シグナリングの問題」のこと。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年6月22日
読書猿さんが『学習大全』を書くなら、こんな感じになるだろうという本に『あなたの人生の科学』があるんだけど、コンセプトに無意識の効用というものを挙げていて、そういえば、Twitterでも他人に強く影響を受けて損したみたいな言説多いなあと思った。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年10月27日
そういえば、僕のevernoteとonenoteに『問題解決大全』のノートブック作ってあってノートがけっこう貯まってたりする。『アイデア大全』のノートブックもある。『学習大全』の話題は教育学の諸ノート(教育方法学とか)、 『調べもの大全』は図書館情報学の方にいれてる。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月21日
勉強という定義も、脳科学的に考えれば、芸術や体育も含めたあらゆる学習が含まれるでしょう。先日読書猿さんが「人文系の人は言葉だけで他を疎かにしている」みたいな割と的外れだが、実は重要な批判されていたけれど、こういう所も学習大全では言及したい所。 #問大 まつど @matsudotsuyoshi
2017年6月10日
読書猿さんの書こうとしている『学習大全』がどんなものになりそうかという予想を立てるとするなら、『TOK(知の理論)を解読する ~教科を超えた知識の探究~』が分野横断的で参考になると思う。これはその教科書の公式ノートpdf。 #L大 まつど @matsudotsuyoshi
2018年1月8日
学習大全的なものを書くなら参考にしたい本 4冊 似たような本はたくさんあるけど。
『知的戦闘力を高める 独学の技法』 山口 周(著)
『脳が認める勉強法』ベネディクト・キャリー(著)
『TOK(知の理論)を解読する』
『論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)』 戸田山 和久(著)
まつど @matsudotsuyoshi
2018年3月5日
どの分野に進みたいのか決まってないけど、大学へ行くと言ってるというなら
茂木 健一郎(監修)学問のしくみ事典(2016年の方です。同名の本が1994にもあるが別)みたいな本がいいんですかね。手に入るなら
TOK(知の理論)を解読する ~教科を超えた知識の探究~
みたいな本もガチ系が好きなら。
自分が通信教育の大学に入った理由のうち、
Twitterでは、よくある話なんだけど、反論するのに、特定の入門書のスクリーンショットを挙げて、専門家がこういうことを書いているので、私の主張は正しい(『はい、論破』)。みたいなことを書く人がいて、入門書だから、なぜそういった学説が成り立つのかという論証に深く立ち入ってないということもあるのかもしれないけど、その人が、どの程度のレベルで議論しているのか(その浅さが)丸わかりになるということがある。
一般的に、Twitterなどで大学に行って学ぶことの意義というような論旨の議論をしているのをみると、レポートを書いたり卒論を書くなかで、適切な議論のやり方や正しさが何に由来するのかということに関して理解を深めてもらうことで、知的な態度を身に着けてもらうことが大事なのだという主張がわりとみられて、その根拠はあまり書かれていないことが多いけれども、「人間が社会で生きる限り、信念の対立が避けられない。その際に、互いが、あくまで合理的な検証可能な枠の内側で留まることを自分に課すことができれば、少なくともコストはかかるが、何らかの着地点を見出すことができるのではないか。」ということが根拠として挙げられるのではないかと思っている。
これは苫野一徳『[』という教育哲学の本でも似たような議論がなされている。
某大学の卒業式で、某芸人の方が怪しいレトリックを用いた話をしたことがTwitterで話題になる。そして、その芸人はオンラインサロンでその話の仕方の秘密を披露するみたいな流れ。
Twitterで語呂の古典単語集が間違っている内容が多いので、よくないということで話題になって、それに対してその本を擁護する方が現れたが、(よく読んでいないと言いながらも)語呂合わせが良いという擁護で噛み合わない。その著者の少ないフォロワーの一人で関係がある人間だったから、擁護したのではないかと邪推される。
この方の問題集は以前(自分が知る限り2013年)からTwitterでも批判されていて、定期的に漢文クラスタの人たちが内容を批判していたが、今回は古文単語集だったので、ちょっと新鮮ムーブ(もちろん、単語集の批判は以前も見たことがちらほらあるが、それがたくさんの人を巻き込むところまではなかなかいかないので)。
自分はその単語集もその方の参考書も使ったことがある。学習の「素人」が自分で参考書を選べば、あまり内容の適切でない本を選んでしまうだろうし、それが間違った内容が多いということさえ気づかないというのはよくあることだと思います。
かといって、その分野に通じている人がお勧めする本が分かりやすいかというと、別にそういうことが期待できる訳でもまたないので。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年4月13日
漢文入門 教養 (現代教養文庫ライブラリー) 魚返善雄 (著)は昔漢文クラスタで話題になった時に買って読んだんだけど、そこまで面白いかとそのときは思ったな。今手元にあるので再読してみるか。
まつど@matsudotsuyoshi
2017年5月19日
Twitterの漢文クラスタで名著と名高い(読書猿さんも先日紹介していた)魚返善雄『漢文入門 』、その筋ではあんまり良い評判を聞かない加地伸行『漢文法基礎』の2冊を仮に進学校の生徒に配って、役立ったのはどっちかと聞くなら、多分後者の方が多い気がする。前者は読むタイミングが重要かも
結局のところ、その本の内容が不適切であるならば、その理由を広めていかないと、学習者の手元には届かない。
それを考えると、数学ならば、黒木玄 先生が @genkuroki Twiiterで算数教育批判などをされているようなやり方をしていかないと、学習者及び教師には届かないのではないか。
Twitterで
自分の古典学習歴は下の記事にまとめてあります。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月17日
独学用教育コンテンツって、どの分野もほぼ飽和してるから、とりあえず総当たりで教科書やその参考文献を辿るだけでもかなり学力が付くし、それでは時間がかかりすぎるというなら自律的に学習できる有能人間の学習を支援する読書猿さんみたいな活動を一般人にも認知させていくこと重要だと考えてる。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月7日
今のFC2のブログやアイデア大全は、確実に認知行動療法の道具箱の頃の読書猿さんの研究へのモチベーションの流れを汲んでるもんな。アイデア大全に実用的でない方法があるとか書いている方いたけど、臨床心理系の技術として問題への対処を考えるときに合致してるという意味で実用的だし。
福沢諭吉のエピソードを読んで『異世界はスマートフォンとともに。』感があるの、めっちゃ笑った。
小さい頃から問題を与えられて、それを解くのが勉強だという考え方でずっと来ていると、問題をどう捉えるのかという、メタに問題に対応するやり方に馴染めない。
上の問題を与えられて、それを解くのが勉強だと思いこむという話を読んで、昔好きで繰り返し読んだ、鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)にも似たような話が書いてあったなと。
僕が好きな 栗田 哲也(著)『数学に感動する頭をつくる』 (ディスカヴァー携書)とかを読んでいると(というか東京書籍の本はだいたい)数学において問題を作って解くということの重要性が主張されている。
僕が以前学習していたときにチェックした数学の本をまとめた記事
算数と数学のブックリスト
ハウツー本を読んで、自分があたかも成長したかのように勘違いして満足。
方法論マニア
信者ビジネス
情報商材ビジネス
人材派遣ビジネス
ノマド商法
プログラミング初学者向け勉強会がマルチ商法の狩り場になっている件
僕が助けたいと思っていた人は現実と空想の区別がつきにくい人だと最初は思っていたのだけれど、哲学や心理学を勉強していくなかで、例えばものの見方を変えることで、もしくは働く場所や住む場所を変えることで何らかの変化をもたらすという自己啓発的な哲学の言葉や本の紹介では助けることはできない
6:11 - 2017年5月6日
返信先: @matsudotsuyoshiさん
という行き詰まりを感じるようになった。単純に心から信じている人に対しては、哲学というのは空想の思考実験でしかなく、「目の前に起きている現実に対して、そのような抽象的な議論は役に立たない」という風に当人から言われて、哲学を学ぶことの意義について考え直すようになった。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月11日
宗教と自己啓発と哲学の違いみたいな話で、何かが良い・悪いという話にもっていくことは、誰かをdisる議論になっちゃうから普通はそういうこと口に出さないデリケートな話題なんだよね。炎上案件ってやつ。「読書猿ブログ=自己啓発=浄土信仰だから学問に対して誠実でない」というのは面白い。
まつど@matsudotsuyoshi
2017年7月16日
個人的な話だけど、哲学や自己啓発の問題だと思っていたことが、実は精神医学の問題であると知ったが、その実、精神医学では対処出来ないので、法学や宗教学、心理学を学んだ。この問題の解決が難しいことを整理し、この問題で躓く人にそれを伝えるために、あらゆる分野を学ぼうと志した。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年6月3日
読み返してる。
「自己啓発病」社会(祥伝社新書263) 宮崎 学(著)
自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究 牧野 智和(著)
ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス) 鈴木 謙介(著)
まつど@matsudotsuyoshi
2018年5月31日
自己啓発(スピリチュアル系)のヤバい勉強法本が8年前ぐらいに出てたけど、いまどうなってるんだと思ったら母体の塾は存続してるんだな。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年11月12日
呪術的とかスピリチュアルな自己啓発も、ラノベを書くときに参考にするなら面白く読めるんだけど(例えばSAOの心意とか)、現実社会で自己啓発を読んで問題を悪化させてる人を目の前にすると、「何だかなー、これで良いのかな?」という気持ちになったりしてた。
服装の本とか、学習法の本を書いている人でスピリチュアルよりの信仰を持っている方が一定数いて、その人のツイッターとか見ると、こいつマジでその理屈に納得できるのかよ、みたいなことを言ってたりするのだけれど、そういうのも一定の人にはウケるのかもなあとも思ったり。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月25日
T・バトラー=ボードンのブックガイド 名著シリーズの『世界の自己啓発50の名著』『世界の成功哲学50の名著』『お金と富の哲学 世界の名著50』『世界のスピリチュアル50の名著』 に載っているような本どうも好きになれそうにないんだけど、呪術的な部分が合わないんだよな。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月31日
自己啓発の本を読み込んで、特定の観念に基づいて行動することでどんな問題を招き得るかという考察(実質、その本への批判になる)をして、個人が学術的な知識を身につける意義がどの程度あるのかを推測してみるみたいなことやってもいいかも。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年6月25日
自己啓発の学術的研究は僕もちょっと興味があるしブログでもやってみたいけど、自己啓発が嫌い過ぎて、自己啓発全部読むみたいな苦難を受け入れるみたいな捻れたレベルまで気持ちがのらないし、まあどんなに荒唐無稽な自己啓発でも救われてる人がいる以上、あんまり批判みたいなのはしたくないし…。
読書猿さんの推そうとする
先日、うつマッピング本を読んでいて、自分の病気について専門的な知識は必要かという問題に対して、必要ないと答えていたけれども、ブラックジャックの素人の生兵法エピソード(患者が自分の症状について高説したから、それに対して自分で治療しろと言ったというような話があったような)を思い出した。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年6月10日
アイデア大全21ディズニーの3つの部屋 夢想家ミッキー・実務家ドレイク・批評家ドナルドダックで、実務家として問題解決に立ち向かう時に調べる技術が必要になる。 #調大 検索するとはこういうことだ/インテルCEOと前立腺がんの1800日
アイデア大全の自分がすごいと思った所はここにあって、普通自己啓発書は科学的な根拠を出典付きで採用していたとしても、解決法は心理学の結果からこうすればうまくいくという結論だけを教えるものだった。対して #ア大 は方法論を突き詰め 5月15日@matsudotsuyoshi
まつど@matsudotsuyoshi
探偵Aは自分の認識の歪みを引き受けないかもしれない。そういう意味で認知行動療法のセルフヘルプというアプローチや探偵Bの合理的反論は有効でない。しかし、経営学的な枠組みを採用して軋轢を解消することの意義を認めていたら、たとえ個々の推論が外れていてもマシな人生送れたかもと思う。
夫婦仲の経済学 皿洗いからセックスライフまで、妻と夫の不満は経済理論で解決
ポーラ・シューマン、 ジェニー・アンダーソン
↑夫婦というのも経営者的観点が重要だったりするけど、それで全て割りきれるという人は少ないかも。でも非合理的な軋轢を合理的に解きほぐすという側面は強い。
探偵Bの作戦は認知行動療法の枠組みでは間違ってる(うまくいかない)気がする。というのもAが自分の認識が原因で苦しんでる(それを他者に責任帰属することで自身のちぐはぐな認識に整合性をとっている)のに対して、事例解釈ごとに合理的な反論をした所で本質的な部分に踏み込めないから。
探偵Aがことごとく推理を外しているのに対して、ひとつずつの事例に反論するために、それぞれの分野の知識を独学してきたもう一人の探偵Bがいるとして、Bは「Aが間違った推理をして苦しんでるから、ひとつずつ検証して(Aを救って)あげよう」と思う。
臨床心理士になろうと思えば、6年間の大学・大学院の授業をクリアするだけでは、膨大な学説における最適解を導けるという訳ではなく、独学で論文を読み込む必要が出てくる。読書猿の認知行動療法の道具箱とか参考になる。 #M大 認知行動療法とかは、特定の障害を抱えた子供のため親が実行するとき、ノウハウで対応できることもある。こういう場合、既に医療機関で病気のレッテルを貼って権力を持った親が学術的な議論をノウハウに落としたあれこれで対応する。 #M大 確かにあらぬ疑いをかけられる方からしてみれば、たまったもんじゃないけど、疑いを持ってる方はマジで信じてるし、はたからみて、専門的知識がなければ疑いを持ってる方の言い分を信じてしまうこともある。法的には陰謀論的な事件解釈は事実認定が難しいから無罪の推定で冤罪回避はできるけど。
「学問は専門家のもので個人がそれに拘る必要はない。私個人が正しいと感じることは客観的にも正しい。」と当人は信じていて、自分の傷つきやすさに気づかずに、些細な出来事に大きな意味付けをするが、その推理はことごとく外れている。
5月15日@matsudotsuyoshi
まつど@matsudotsuyoshi
妄想にも症状の重さに幅があって、推論がことごとく外れるタイプの人間というのが世の中にはそこそこいて、そういう人はちゃんと学術的な議論を学んでいれば、そんな暴論を支持しないだろうと思って独学支援を志したけど、そもそもそういう人に本をたくさん読ませるなんて無理なんだよな。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年6月14日
自分の経験が少しずれる人が、自分の被害を訴えて、(仮想の)加害者と闘うとき、敵と立ち向かえる自分に勇気を貰える代償に、加害者が罰せられるまで自分の救いがなく、実際には加害者でないのでこのループが永遠に続くという話があって、『問題解決大全』はこの問題の記述に成功してるかも。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月11日
ループ物語では「物語を共有できないためにすれ違う」という現象がテーマになることがある。主人公は何度もタイムリープするなかで失敗を繰り返すが、その記憶を他者と共有できないために、それらの行為の責任を自分だけで引き受けないといけなくなってしまう。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年3月16日
ある時間にできる行為はあれを選べばこれが成り立たないという場合がありますよね。こういう状況を分析する経済学用語がトレードオフで、それぞれの行為を比較して自分にとって利益の高い方を選ぶという考え方はループ物語やギャルゲー的平行時間、SF作品の量子論的多世界解釈と相性がいいと思う。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年3月16日
失敗したことをリセットはできないけど、そこから学習しないと何度も同じ間違いをループしてしまうことがある。例えば被害妄想を持った人間は、その世界解釈が間違っているためにあらゆることに怯え続けないといけない。仮定に誤りがあれば推論はちゃんと機能しない。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年2月1日
例えば、特定の因果関係に重きを置きすぎるという認知上の欠陥があったとき、日常的に判断においてミスが繰り返される。生活する上で何度もエラーが繰り返されても、普通は生きることに支障が出ないものだけれど、それが重要な局面の判断では致命的な結果になりうるみたいな話。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年4月28日
記憶喪失ものが、記憶のリセットとともに、もう一度同じことを繰り返すループものであるのと同様に、統合失調症ものの作品も、彼彼女のその症状を撮影することができるのならば、何か不都合なことが起こり、それに特定の原因で怒るという内的に完結したループのようなものだと捉えることができるかも。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月5日
その他
(以下、雑語りします)ループものには、同じ条件の世界において、失敗の記憶を引き継いで別の選択をすることで、他の世界線では成し得なかったことを実現するタイプの話が多い。
失敗の記憶が引き継げる以外は世界を構成する条件が同じという物語は、試行錯誤をすれば展開を変えることができるかということがテーマになりやすい。例えばReゼロやまどマギは、無理ゲーに何度もループをしてその問題解決を目指す物語である。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月5日
ループもので僕がよく気になることは、たとえ何度やり直したとしても叶わない恋はあるよなーってこと。打ち上げ花火では、そういう願いがかなう世界というものがあったら、僕がいま生きている世界とは全く別の法則が働く世界だというようなことを示しているように思えて、ちょっと共感した。
まつど > @matsudotsuyoshi
2017年9月19日
その他
リゼロのループの話を経済学と絡めるなら、 飯田泰之の「ソーシャル・サイエンス・ハック!」の「機会の平等ってそんな簡単な話じゃないんです」辺りの議論かな。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年9月19日
リゼロのループの方がシュタゲよりも現実と対応させやすいかもみたいなことは思った。個人プレーになってしまう制約を課せられたら協力できずに孤立してしまうし、無理ゲーに参加したらどんなに頑張っても負けるみたいなことは、シュタゲよりもリゼロの方が実感を持って伝わってくる(個人的な感想)。
リゼロのループの方から感じるのは、無理ゲーを攻略するのに何度も死ぬということを現実と対応させると、僕らは試行錯誤というものをできるが、それは決して時間を巻き戻せるというタイプのものではない。何かを選んで失敗してもなんとかなる道を選ばないといけないよって感じかな。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年4月13日
『シュタインズ・ゲート』を観ると、被害妄想タイプの人が身近にいる場合色々考えてしまうことがあると思う。当人が正しいと思った判断が全て当人の予想を外れた結果を招いてしまうのが妄想という病気であるので、カゲロウデイズや僕街といったループ作品との相性はいい。
まつど@matsudotsuyoshi
まどマギでは、一話において、「世の中の不条理な事件は、魔女が引き起こしている」という因果関係を提示する。そういった世界観というのは、僕からしてみれば物語でしかないけど、こういう呪術的な発想の方が当たり前だった時代の方が世界史において大半だった訳だよね。
まつど@matsudotsuyoshi
まどマギのほむらみたいに、救いたいという願いをもって泥沼にはまる時、その仮定や問題設定に無理がある場合が多くて、そのフレーム自体を疑うこと(アイデア大全5章)が問題解決につながり得るのだけれど、固定的な個性観があるとそういうもしもという話が通じないから失敗を次に生かせないんだよな
ほむらの場合は救いたいだけじゃなくて、その救うという願いが自分を救うというケースで、助かりたい(現状を改善したい)という気持ちは、他者への介入という行動に反映されるのだけれど、同じ問題を他者と共有できないから、どこまでも空回りしているような感じがしたな。
Twitterには願いを抱いて、その願いが果たされず魔女化した人が散見されるからな(僕もまた例外でなく)。
願いを抱き、その願いを叶えるのは私だ、という固定的なものの見方だと、他の因果関係を見落としがちだし、そういう個人の介入がどれだけの効用があるかという問題もある。影響力の観点で、個人の力は時に大きく、時に微小であり、やり方にも大きく左右される。
「誰もやらないから自分がやるんだ。」こういう考え方は、新しい世界との接続につながるけれども、「自分がやらなくても誰かがやるんだ」という考えもある意味で対になるものとして押さえておくと、既に助けの手は誰に対しても伸べられているという集合知的な世界認識に踏み込めるのではないか。
> 空回りの試行錯誤は決して無駄じゃないというエンドは確かに視聴者にとって救いではあるのかもしれないけど、現実のあらゆる問題は不合理さ故に起きていることを考えれば、ご都合主義的にも思えなくもない。空回りしたあれこれが、逆に次の段階への踏み台になりうるという教訓にはなりそうな話かも。
ドラゴンボールの「精神と時の部屋」のくだりで、僕が連想したのは、『とある魔術の禁書目録』新約9巻とか『BLEACH』とかですかね。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年5月6日
「知的ですごい自分」の部分を「正しい行いをするすごい自分」を感じる人に対して何ができるかという問題に置き換えると、あの頃自分が考えていたことを再考することに繋がるのではないか。それはメタ認知や自己啓発の問題とも繋がってくる。
教育学部に在籍していて、色々な考えの教師の卵と話していて、『難しいことは本当は重要ではない(本当に重要なのは、誰かと仲良くなる力だ』とか『答えは人それぞれだよね』みたいなことを言う人がいて、まあ、それもその人がこれまで築いてきた信念だし、否定する気はないけれども、対応できないケースも多いんだろうなということはよく思って、自分の視座を、その場で説明することの難しさもまた、感じていた。
まつど @matsudotsuyoshi
2017年4月17日
瀧本哲史『読書は格闘技』に書いてある「『人を動かす』という本の事例が現代的でないことで、読者は一旦自分の文脈に置き換えて、抽象化して理解しようとする」という話、ねりまさんのブログで言ってたアニメの自己啓発的側面の話とも繋がるなと思った。虚構世界論にも自己啓発的側面あるもの多いし。
まつど @matsudotsuyoshi
2015年4月18日
(メモ)自己啓発で社会の路線から脱線することをお勧めするタイプ(茂木健一郎や大学より行くべきものがあると問うちきりん、 お金がなければ放送大学でいいとかいう人 etc)の言論に対するカウンターとして谷本真由美 『ノマドと社畜 』や人生設計の本がある。優良なカウンター本を探す。
教養主義などの土壌となるリベラルアーツの意義のひとつは現代の日本においては消費者教育の分野で考えるといいと思っていて、具体的には『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育 (ちくま新書)』 中島 隆信(著)という本を読んでくれればいいんだけど要は誰もがクリエイターになるための 高度な英才教育は必要としないが、よりよく生きるために必要な素養を身につけさせるための授業を義務教育では行うべきだという主張で、消費者として音楽や美術、保険体育を長期的に選びとっていくための視点を重視しては?というような本だったと思う。
4:26 - 2017年5月9日
とくさんやわかり手さんの取り組み
15年間「不安」に苦しんだ私がいま本気で作りたいものとは何か?
メンヘラ.jp
まつど @matsudotsuyoshi
2017年1月27日
ライフハックの記事で好きなものを2つ紹介します。
飯田泰之「ソーシャル・サイエンス・ハック!」
「主に言語とシステム開発に関して」SEの時間術etc
まつど @matsudotsuyoshi
2018年4月29日
本来生きるべき時間(イベント)を諦めてしまえば、勉強する時間なんていくらでも捻出できる。でも、勉強することが目的の人ならそれでもいいかもだけど、もっとふつうの生活がしたいという人にとって役に立つライフハックではないんだよな。
まつど > @matsudotsuyoshi
2018年4月29日
『ログホライズン』の記憶を代償にリプレイとか『銃皇無尽のファフニール』ではユグドラシルの力を借りる代わりに記憶を失うとか、そういう話を読むと、人生も同じで、まともに生きることを諦めて浪人、留年とかしまくればめっちゃたくさんのこと勉強できるみたいなライフハックを連想する。
まつど @matsudotsuyoshi
2018年9月9日
Twitterで意欲の高く自分にとって利益になる人とだけつるむ方が、情報探索コストの観点で有益だと考える人は、見切りが早い人だといえる。これは学校教育における教師の可能性を信じ続ける態度と対照的で面白いと今朝は考えていた。本当に有能な人なら長期的に自分の認知の内に入るだろうから切る。
就活の話題
林修の浪人は無駄という議論
瀧本哲史bot @ttakimoto
1月9日
ビジネスは、時間対効果が重要だし、そもそもタイムチャージのビジネスもあるから、たくさんリソースをつぎ込んだので、成果が出た、というのはあまり評価されない。最近の浪人論争や留年の扱いも結局そういう話かと。ただ、トレーニングで解決できるところもある。
4月7日@matsudotsuyoshi
まつど@matsudotsuyoshi
『虚数の情緒』で分かるまで理解しようと努力することについて書いてある冒頭の部分をよく思い返すのだけれど、理解のための努力を惜しまないことって大人になると難しくなってくるなと実感として思う。向いてないなら別の分野で頑張れ圧力があるし、どこかで辞めどころを見つけないといけないことも。
まつど @matsudotsuyoshi
4月7日
『虚数の情緒―中学生からの全方位独学法 』 吉田 武
53ページと121ページです。
https://gyazo.com/89676f61e6c9af79cf4fb5a58e302229https://gyazo.com/a888b522943ba44c2debc134c403d0e3
こうありたいという目標と、こうであったらみっともないというあり方があって、自分がどう努力しても後者になってしまうのならば、ありたいという理想を諦めるしかないのではないか。
いつも自分のことを頭悪いなと思っていて、もうだめだと思って、何度も挫折しているので、物語の主人公が絶望して諦めないところをみると、物語だなあと思います。頭が悪いのに、勉強がしたいなんて思っても、勉強する機会は頭の良い人、結果を出した人に優先的に渡されるので、自分のようなレールから外れて、実力を証明できない人間には、学び続けることなんて難しいよなとよく思います。
アイデア大全や問題解決大全関連のツイートをしなくなったのは、結局のところ成果が出せなくなってきたところが大きいかな。
プログラミング学習における問題だけでなくて、就活の問題、バイト探しの問題、単位取得のための勉強時間の確保の問題、生活費を稼ぐ問題、バイト代安いけど大丈夫か問題、体調が慢性的に悪いけどうまくやっていけるのか問題。問題に対して向き合うのに、『アイデア大全』や『問題解決大全』はもちろん使ってはいるものの、銀の弾丸ではないし、できるかぎりのことはしているという実感が得られる程度でしかない。
まつど @matsudotsuyoshi
3月26日
その他
『問題解決大全』の32 因果ループ図を「loopy」で書こうとしてる。ここからどうするか。
https://gyazo.com/99459204e73e683479b29153c645d2ac
プログラミング学習において『問題解決大全』は役に立つか(僕が役に立たせることができるか)。