2024年7月の更新ノート
複雑なPKMシステムにうんざりした人の話
PKM燃えつき症候群(これはPKMだけに限らないが)
目的がなく、中身を条件づけるものがないのでいくらでも肥大化する
デジタルガーデンと庭作り、
読メモ
ウィリアム・ジェームズの「意識の流れ」理論
『心理学原理』(1890)
「思考は常に変化し、同じ状態は二度と起こらない」
カール・ポパーの「漸進的社会工学」
知識創造の個人主義からの脱却
レフ・ヴィゴツキーの社会的構成主義
『思考と言語』(1934)「知識の獲得は社会的相互作用を通じて行われる」
エティエンヌ・ウェンガーの「実践コミュニティ」の概念
『Communities of Practice: Learning, Meaning, and Identity』(1998)「知識は個人の頭の中ではなく、実践コミュニティの中で共有され発展する」
学び人(学人)
『思考のエンジン』
既存の可能で体系化されていた知識に新たに別の関係を与えることによって獲得される自由
体系を一つしか持たないデータベースではなく、複雑に複数の体系を可能にするナレッジ・ベースの世界
物語を語り直せること。
複数の物語の可能性の中で生きて行くこと
「この正の一回性」→実存性をどのように合わせて考えるか
ウォーク左派は抑圧的な体系を作り、個人に厳格な理想に完全に合致できないという罪悪感を絶えず抱かせる。ポピュリストはこの隙を狙って「リラックスして、あなたのありのままを誇りに思いなさい」とささやき、解放的な気持ちを抱かせる。しかし、実際には、既存の秩序を維持することを望み、現実の問題を回避する。左派も同様に、口では急進的な変化を主張するが、彼らが描く変化は、真の変化なしに既存の秩序が維持されるようにする変化だ。
二つのアイデア
相互に関連した文献の網をたどること
Putting thoughts into your own words before you understand the meaning doesn’t work.
意味を理解する前に自分の言葉に置き換えて考えてもうまくいかない。
Adherence to the atomic principle of one idea, one note wastes time. The deeper you go on any idea, the further away you move from the core because of “side thoughts.”
1つのアイデア、1つのノートという原子原理に固執するのは時間の無駄。どのような考えでも、深まれば深まるほど、「副次的な考え 」のために核心から遠ざかっていく。
「段階的要約」や「多層階要約」
情報収集・整理: 対象となる情報(論文、書籍、メモなど)を読み込み、理解する
重要部分の抽出: 情報の中で最も重要と思われる部分(キーワード、フレーズ、段落など)を抽出する
抽出部分の要約: 抽出部分それぞれを、より簡潔な表現で要約する
必要に応じて繰り返し: 情報の重要度や必要性に応じて、2~3のステップを繰り返し、段階的に要約を深めていく
その方法はこうだ。
私は自分の壊れたアイデアをブックマークリスト(Obsidianというソフトを使っている)にまとめている。リファレンス・ノートを処理するとき、私はブログのアイデアのリストに目を通し、何かつながるものがないか確認する。もし関連するものがあれば、ブックマークを使ってすぐにそのメモを開き、書き始めることができる。運が良ければ、その記法を完成させるのに十分な考えが脳から流れ出るだろう。そうでなければ、リストに残しておいて、次のひらめきを待つことができる。
ファインマンズ・ダーリングを使うことで得られる意外な成果とは、ふとした一言やフレーズによって、ブログの記事がゆるやかになることがあることだ。
私は、プログレッシブ・サマライゼーションを成功させる鍵は、参考資料の流れに時間を費やし、何らかの理由で停滞している他のアイデアのヒントになるものがあるかどうかを確認することだと気づいた。
一方で、生徒たちは反発している子も含めて、本音としてはむしろ大人に導かれたいって気持ちが同時にあって。私はそれを見逃したらダメだと思っているのですが、舟津さんはそのことも本の中で触れられていて、まさに現場で教えられている方だなと感じました。ただ、いまはこっちだよ、と導いてほしい若者もいるなかで、手を緩めることしかできない指導者が増えている現実があります。手を緩めるほうが、ちゃんと向き合うより無難なんですよね。
ただ、はっきり言うタイミングが早いとびっくりされる、というのがやはりイマドキだと感じます。子どもたちは「差別はいけない」ってことを、お題目としては早期から教え込まれています。同時に、とても大切なことですが、実際には誰しも無意識に差別をしてしまうものです。差別の対象も幅広いから、外国人には偏見はないけど障害者の方には偏見をもっているとか、当然ありうる。
差別心というのは必然的にこぼれるものです。そして自分から思わずこぼれたものを「あ、今のはダメだな」と反省しながら学んでいく。その過程で「それは差別だよ」と教えるのは必要な教育なんですけど、「差別はいけない」というフレーズだけを叩きこまれているがゆえに、差別をしてしまったというギャップに耐えられないのが今の子どもたちなのではないかと。
鳥羽:ああ、なるほど。今の話は、「唯言【ゆいげん】(中身のない唯【ただ】の言葉)」という言葉をご著書で使われた際の問題意識を考えるとわかりやすいですね。お題目としてわかってはいるつもりだけど、実体験として理解はしてないから、「それは悪いことだよ」「差別だよ」って言われたらすごくびっくりしてしまう。そこに抵触したってことにおののいてしまったがゆえの、子どもたちの反応なのですね。
つまり、権力を行使して利己的な振る舞いをする以前に、権力をもつこと自体が糾弾される状況になっている。「べきだ」って言った時点で権力性を感じさせるからダメだ、となってしまう。そして「大学の先生は偉そうだからダメだ」という空気が強まり、動物性を発揮して子どもを抑えることも許されない。八方ふさがりです。
最も欺瞞があるのは、そうやって脱権力を叫んで権力を叩く側の人が「べき論」を駆使していることなのですが。大学の先生が「べき」って言っただけで嫌な顔をする人が、大学の先生はこうあるべき、と平気で押し付けてくる。脱権力を叫ぶ人が最も実効的に権力を行使しようとする転倒が、現実に起きてしまっています。
鳥羽:舟津さんがおっしゃる、権力がある人を「偉そうだからダメだ」と批判して脱権力させるのが現代社会の1つの特徴だ、という指摘は興味深いですね。おそらく、「偉そう」という点がすごく重要なポイントだと思います。偉そうだからダメっていうのは、つまり演技が下手だってことなんですよ。どういうことかというと、今の社会では「偉いのがダメ」ということが半ば常識となっているのに、偉そうに振る舞うこと自体が、もうそれだけで演技ができてない、下手だから不快だということになるんです。
マウンティングがまっすぐ行われないことと呼応する気がする
舟津:今の話をもう少し膨らますと、我々は基本的に演技する存在だと思うんです。社会学者のゴフマンも「ドラマトゥルギー」という概念を用いて、役割を演じるという観点から社会を説明しています。その見立ては妥当だとしても、演技する役が自分に合っていないとストレスになりますし、無理なことを演技しろと言われてもできませんよね。
ノリと欲望の対立
でも今は、例えば小学生たちも発達障害という言葉を知っていますから、クラスに発達障害の子がいるとわかると、「いい子」ほどその子に配慮しなきゃと思うようになります。何かいたずらをしたりふざけたりしても、「あの子は発達障害だからしょうがないんだ」と理解を示すわけですが、それってほんとうに理解と言えるのか。むしろ最初からその子を理解しなくていいっていう共通了解をつくっただけなんであって、欲しかったのは理解したっぽい雰囲気にすぎないわけで、そうすると発達障害と名指された子どもたちはますます孤立して寂しくなっていくんです。
固有性、具体性と向き合えない
鳥羽:つまりは、互いの演技力を試し合う社会なんですよね。それは監視し合うことでもあるから、フーコーが言った「権力は下から上に」という構造が強化されている。そして、大勢の人はそれをパフォーマンス、つまりある種の「ぽさ」としてしか見ていないし、その「ぽさ」こそが本物だと錯覚しているけど、一部の真面目な人たちは全部真に受けてしまう。その人たちにとっては本当に生きづらい社会ですよね。デフォルトが不真面目な社会では、真面目に受け取ると損ばかりしてしまう。そういう子たちがサイコパスと言われるのは本当にかわいそうです。
まっすぐな演技、入りくんだ演技
鳥羽:舟津さんの本の中に、「楽しい仕事に就くのではなくて、楽しさを見つけるように生きることで、我々は簡単に消費されない楽しさを享受することができる。教育とはそのためにあるものだ。楽しさを発見する過程を支えるためのものだ」という言葉がありましたが、本当にそのとおりだと思いました。
若い世代に限ったことではありませんが、受験でも就職でも、どのような選択をするかに気を取られすぎて、自分が選択した先をいかに肯定できるか、という肝心なところが意外と考えられていないし、誰も教えてくれないですよね。だから、舟津さんのここの視点にはとても共感しました。
鳥羽:雰囲気か偏差値って、まさに世間が作った欲望に踊らされている証拠だと思うんですよ。きっと就活も同じような仕組みがあるのでしょう。「楽しさを発見する過程を支える」っていう部分が高校でも大学でも顧みられていない。こういう自己疎外によって社会になじんでいく仕組みが昔から受験をはじめとする教育制度には組み込まれていて、それが若い人たちを不幸にする原因になっているんじゃないかと思います。
舟津:楽しさを見つけるっていうのは、自分の欲望を満たすように生きることであって、実はそれなりに経験や訓練を積まないと見えてこないもののはず。「これいいな」と思えるものを発見するのは簡単ではないんです。
鳥羽:今の教育のお話に関連するものとして、舟津さんの本を読んでもう一ついい言葉だなと思ったのが、「内定がなかったとてどうにかなるのだ、という余裕を持つために、知性へのゆるぎない信頼を持つために、教育がある」というものです。この点について詳しくお話をお聞かせ願えますか。
ただ、大学が確実に就職予備校になりつつある現代で、映画監督の是枝裕和さんが「お気に入りの城」って表現されたような、個々人が、この城を守れていたら自分は大丈夫なんだと思えるようなことを、学問や教育は伝えることができるはずなんです。
舟津:それこそが、「教育に悪い」ということなんですよね。自分の親と馴れ合えるくらい関係を消化しきった大人たちが「親ガチャ」と言うのと、小学生が「親ガチャ」って言うのはまったく意味が異なります。きっと「ハラスメント」とか「差別」も一緒で、言葉と経験が重なって、リアルなものとして自分の中に蓄積されていかないと、すべて言葉に回収されていく。
Constella: AI-powered with smart retrieval and visual graph-based note-taking.
Notion: Versatile workspace with graph views and backlinks for relationship mapping.
Roam Research: Graph-first infinite canvas for auto-rearrangement of notes.
Obsidian: Drag-and-drop note connections and mind mapping capabilities.
Heptabase: Unique object-centric design for efficient note organization.
Reflect Notes: AI-powered features for data organization and analysis.
Tana: Visualizes information in networks.
Logseq: Open-source tool encouraging community contributions.
MyMemo AI: AI-powered note-taking and organization capabilities.
ClickUp: Comprehensive solution for personal and team use.
MyMind: Focuses on teamwork and creative workflows.
Mem.ai: AI-powered data organization and analysis.
Fabric.so: Note-taking with an object-centric design philosophy.
It’s a personal management tool, not a time or task management tool.
パーソナル・マネジメントという表現はよい。
パーソナル・オーガナイズ
Interestingly, one of the groups in which GTD has been most successful is programmers, computer engineers and people related in some way to technology. The nature of all these jobs is to help people do more things with less effort, something that fits completely with the fundamentals of the methodology.
GTDは、プログラマなど、より小さな労力でより多くのことを行えることを支援する職業で指示されてきた。
you manage your attention and your actions
アテンション(注意)とアクション(行動)
Voicenotes AI
I write all my sudden thoughts and daily posts in separate notes. They are the most valuable thing for me, as they allow me to build a “second brain” and generally watch the evolution of thought. So, for example, I now have 20% of my written and processed thoughts, 80% of raw materials (other people’s ideas that somehow responded).
私は突然思いついたことや日々の投稿をすべて別のノートに書いている。それは私にとって最も価値のあるもので、「第二の脳」を構築し、思考の進化を観察することができるからだ。例えば、今私の手元にあるのは、20%の書き込まれ処理された思考と、80%の生の素材(なぜか反応した他の人のアイデア)だ。
📑自分の部屋作りについて考えたノート
📑耳コピについて調べたノート
📑Keyballについて調べたノート
🗄️ガスコンロの交換について調べたノート
🗄️バランスボールを椅子にすることについて調べたノート
🗄️WordpressからHexoに移行する方法をまとめたノート
DayOneをアイデアジャーナル的に使うのは面白い
やってみたい。
『PiTハイパワー』
物理的なものを追跡するためにデジタルノートを使う
く時の見え方も、掲出先のフォーマットに合わせて、文字数や行間を設定できるので、本番原稿と同じ見え方で書けるというのもいい。書くことが、彫刻に近くなっていく。アウトライナーで行うフリーライティングを、そのままUlyssesに持ち込んで、本番原稿を雑談のように一発書きする。個人ブログというのは多くがそういうスタイルで始まったと思うが、そのような原始的な思考と文字の偶然性の発露が、今あらためて大事なのではないかと思っている。それは書くこと以外でも、何かを作ることに全てにおいて。
Meteor.js
三要素
ホワイトボード
ダイアグラム
スケッチノート